京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3766 青山讃頌舎美術館から秘境奥鹿野を目指す

2018年11月14日(水曜日)

【メンバー】

リーダー穐月大介、松岡みずほ、穐月哲、富岡慶子、奥野淳子、非会員一名

会員5名非会員1名 計6名

【行 程】

天候:晴

青山讃頌舎9:30集合11:00出発~11:20柏尾集落~12:20道路沿いで昼食タイム12;50~13:45 久昌寺~14:20 金毘羅宮~14:50 八柱神社~15:15 奥鹿野公民館前解散~16:15近鉄西青山駅まで歩いて、上本町行き急行利用

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(靑山讃頌舎・美術館にて)

 

【記録&感想】17期 松岡みずほ
9:30ジャストに青山讃頌舎前に参加者全員が到着。
美術館長の穐月リーダーの説明を聞きながら、 2018年秋期企画展「それは釈迦から始まった ー穐月明の仏画と 収集古美術 」をゆっくり見せていただく。
続いて、お茶室でご母堂様からお薄とお菓子のお持てなしを頂き、落ち着いてしまいそうになったが、リーダーのかけ声で11時出発となる。
お隣の大村神社を通り過ぎ柏尾川に出る。周りにはほとんど人家のない所に、なぜか一軒だけポツンと建っている家があり、看板に「スナック まろよし」とあった。
どんな人がスナックに来るのだろうかと、いささか気になった。
昼でも人気の無い場所で、日暮れともなると真っ暗なのでは?
もしかしたら狐か狸が現れて「次は麿が歌わせていただこう」「おお良し良し!」
でまろよしか?などど思いつつ歩を進める。
11:20柏尾(カシオ)の里を通過。
「カシワノでなく、カシオ。時計会社と同じです。」
うん、それなら物忘れのひどくなった私でも覚えておけそうと安心する。
道は柏尾川と並行しており、ムカゴを見つけては、リーダーは食料確保に励んでいる。
このリーダーの後についていけば、食糧難は免れそうだ。
12;20〜12:50
暑くもなく寒くもない良い天気で、道沿いの枯草に腰をかけて昼食タイムをとる。
食事の後には、奥野さんが、リンゴとクリームがタップリ詰まったタルトを振る舞ってくださった。すごく美味しくてお腹いっぱい食べてしまった。
小春日和の日差しを浴びながら、手入れの行き届いた村落を歩くのは楽しい。
干し柿の吊るされた農家があり、どんな方法であそこに柿を吊るせたのかと案を出し合う。リーダー曰く、隣の二階から左側に出っ張っている屋根を伝って庇に移動できるはずだとのこと。
とある庭先には、移動式いろりを発見。空き家らしき所にはスズメバチの巣も見かけた。
道沿いに歩めば、黄金色に輝く銀杏の木や月日と風に摩耗し岩に刻み込まれたお地蔵様が目につく。
小高い石垣の上の立派なお屋敷と見えたのは保徳山・久昌時、曹洞宗のお寺であった。
ここで13:45。
御堂の入り口の柱には「座禅会」と墨書されたお札が掛かっていた。
座禅、それは見るには結構なものではあるが、短足の私には不可能な修行だと思った。結跏趺坐 脚が組めへーん!ところが、同行の非会員N君は、簡単にクリアできるとのこと。関節が元々柔らかいのだと結論づける。ちょっと悔しいけれど・・・

この辺りが奥鹿野の里であるらしい。オクガノと読む。
観光客を見かけない村で、静謐という言葉がピッタリくる感じだ。
村人がこぞって地域を守り慈しんでいるのが伝わって来る気がする。
穐月リーダーは、「ここに来て、僕の中で認識が変わってきた様な気がする。古いものを守るのではなく、古い文化を守るという事ではないかと」と話してくださった。
文化を守り継承していくには、若者達が意志的に係わっていかなければどうもならん。
この村で、選挙看板らしきものを見かけたが、2人の候補者が30代のイケメンだった。
そりゃあ投票に行く気も湧いてくる・・良い村だわと思った私でありました。
14:20 金毘羅宮の麓に到着。
階段はあるが枯葉に埋もれ、その上の道も荒れ果てているようで、私と哲さんはパスすることにして、四季桜の花をながめつつおしゃべりをしてチャレンジャー達を待つ。
上には社殿があるとのことだが、今はほとんど人が足を踏み入れていないようだ。
1966年に高松宮がおいでになり、そこで休憩されたとある。
きっとそのとき、社務所や階段を整備したと思われるが、それから50年以上過ぎているからね。

14:50 八柱(ヤハシラ)神社。
元々ある曲がりくねった参道はそのままに、まっすぐな新しい参道が作られている。
八柱と書いてあるので、8人の神様の名前が書いてあるのかと思ったら5行しか書いてない。
建速須佐之男命スサノオノミコト市寸島比売命イチキシマヒメノミコト)
この二つだけは読み取れたが、他は私には、お手上げだった。
15:15  奥鹿野公民館前で、ハイキング終了。
しかし、どっちにしろ帰路は全員が近鉄西青山駅歩かなければならない。
車道をダラダラとひたすら峠まで登って下って、16:10西青山駅に着く。
駅までの道すがら見かけた丹精されている鉢植えや、皇帝ダリアに感激すると、その家の奥様が、お土産にと折り紙に包まれた爪楊枝を配ってくださった。
一つずつ、違うメッセージが手書きされている。私は、いつも笑顔でを選ばせてもらった。
風物良し、人情良しの奥鹿野の一日でした。
普通の例会ならば、恐らく2時間で歩ける距離だと思われるが、メガ鈍足の私に合わせて、皆さんは嫌な顔もせずつきあってくださり、感謝に堪えません。

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(村より八柱神社を望む)

 

【感想】50期 奥野淳子
11月の青山讃頌舎の庭は真っ赤に紅葉していました。
穐月明さんの仏画とインドの古い仏像など、丁寧に解説してくださり、知識の無い私でも興味深く拝見しました。
夏に腰を痛めて山歩きから遠ざかっていましたが、「平坦な道」と伺い参加させて頂きました。柏尾川に沿って奥鹿野まで、正に「日本の美しい風景」でした。
そして、皆様とお会いしてお話することで心が安らかになる不思議を想い出しました。
とても楽しい一日をありがとうございました。

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近鉄西青山付近の線路跡)


【感想】奥鹿野探訪  21期 穐月哲
地震を鎮める要石で最近とみに参拝者がふえた大村神社の参道を下り、柏尾の集落を抜け柏尾川沿いに奥鹿野まで歩いた。
道端の二体磨崖仏に道中の安全を祈ると、すぐ里の入り口に奥鹿野の菩提寺旧昌寺がある。曹洞宗名刹伊賀国司北畠氏の家臣、川原田氏が元禄初めにお堂を建立したと説明がある。伊賀市奥鹿野に鎮座する「金毘羅宮」は集落を見下ろす高台にあり、峠道の守護神として里人がお祭りしたもので、文政年間に創祀されたらしい。
奥鹿野は、昭和41年全国的に活郷運動(村おこし)があり、高松宮宣仁親王が来られ野点を楽しまれた、との石碑がある。ところで活郷って何?
昭和41年(1966)頃と言えば、川端康成ノーベル賞受賞式で「美しい日本の私」と題した講演をしたなぁ、うっすら記憶にある。又DiscoverJapanは旧国鉄のキャンペーン(1970〜)「美しい日本と私」がキャッチフレーズだったかな?
ここも「人里離れた美しい風景」を残そうとの活動だったのかも、など思いめぐらす。集落の遠く、近くには四季桜(冬桜)が淡い色合いで咲いている。民家の畑ではお茶を栽培している。山、川、民家、林、全ての景色、姿が整っているのだ。そんなことを感じながら、さらに奥鹿野の産土さんである八柱神社(奥鹿野の鎮守で古くは八王子と称した)の大きな鳥居を潜って砂利の敷き詰められた長い参道を進む。
神前は老杉が鬱蒼と聳え、苔むした大きな岩があり、磐座信仰や民俗行事が今も残る。「日本の“ふるさと”がそのまま其処にある」秋色満載の美しい里山の楽しいハイキングでした。足弱かつ久々の参加、皆様の足を引っ張ってしまいすみませんでした。同行させて頂き有り難うございました。


【感想】25期 穐月大介
奥鹿野の村は靑山讃頌舎・美術館のある阿保(近鉄青山町)から淀川源流の一つ柏尾川を2時間ほど遡ったところにあります。さすがに車道もありますが、今回は車の少ない川沿いの道をたどりました。
阿保もたいがい田舎ですが、奥鹿野は更に布引山池の山中にある感じです。しかしとても綺麗に保たれ、家は立派で神社も手入れが行き届いた生きた村です。ちょっと桃源郷のようイメージがあったので今回訪問を計画しました。
当館の紅葉もまだ盛りで天候も穏やか、平日例会なのに6人ものパーティーになり大変嬉しかったです。有難うございました。

後で地元の人に子供の頃は「どうやってかよってたのですか」と尋ねたところバスがあったのだけど、それを逃すと西青山から夜、歩いて峠を越えた」そうです。
近鉄西青山は周りには何も無い山の中の駅で奥鹿野まで徒歩1時間です。街灯もない暗い峠道を林の間から見える空を便りに歩いて帰ったそうです。

 

No.3765 八ツ淵の滝から紅葉の武奈ヶ岳へ

2018年11月11日(日)

【メンバー】
CL YK、SL江村一範、山本夏雄、加藤一子、穐月大介、細見晴美、丸山弘、竹山昌孝、斎藤庄一、サーデバンディ ニカン、計10名

【行 程】
天気 快晴
8:30ガリバー旅行村発=10:30広谷=11:00イブルキノコバ(追悼式)=12:00武奈ヶ岳山頂(昼食)=15:00ガリバー旅行村着

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【記録】60期 YK

60周年記念祝賀パーティ翌日の記念山行。当初7名の予定だったが新たに3名加わっていただき、新旧中くらい世代が混じる賑やかな山行となった。懸案は、大擂鉢で全員無事に川を渡れるのか、そしてイブルキノコバで他チームと見事合流できるのか…だった。

天気は雲ひとつない快晴。朝の光のなか、美しい紅葉を楽しみながら歩く。写真を撮る方には絶好の撮影タイム。下見のときに自分も川に落ちた(水位は膝くらいで危険ではない)難所、大擂鉢に。SLが川に入り手を貸してくれたため、SL以外は皆、濡れずに渡ることができた。

広谷までは台風で多数の倒木があったとはいえ、コース自体は単純。下見もしたのにすぐに山道をはずれてしまい、先輩方に何度も「そっちちゃうで」と言われてしまう。先を見たり、足跡で道を見分けるらしいが難しい…。「この足跡は今日のもの」「ケモノのにおいがした」など、同じ道を歩いていても大先輩とは見えているものが違い、驚いた。広谷までまだかかりそう、というところで他チームからSLに連絡が入る。八雲が原で時間調整しておいてもらうことにしたようだ。この辺りは幸い電波が通じたようだ。

ようやくイブルキノコバに到着。少しお待たせしたようだが無事3チーム合流し、追悼式を行うことができた。その後、ややハイペースのトレランチームを除いた2チーム合同で山頂を目指す。先に昼食休憩をとっていたトレランチームと再び合流し、山頂で記念撮影。他チームとの調整等難しいことはSLや先輩方任せで何もしていないが、無事やるべきことを終えられよかった…とさわやかに眺望を楽しむ。帰りはまた他チームとお別れしてピストン。山頂付近はすっかり葉が落ちており、望武小屋跡ではその名の通り、武奈ヶ岳が望めた。帰りの大擂鉢では各々、自由に渡る。自分は倒木をつたってみたが濡れずに渡れた。ガリバー村に戻ると、10分ほどお待たせしたようだが無事トレランチームと合流。この特別な機会の山行に、皆さんとご一緒させていただけたことを光栄に思う。

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【感想】59期 江村 一範

比良山岳会といえば比良山。比良山といえば武奈ヶ岳。山岳会創立のキッカケとなった山域であり、毎年イベントやボッカで何度も登っている山です。

私はガリバー村〜武奈ヶ岳のルートは、歩いたことが無かったので新鮮でした。台風の倒木などで道が塞がれている箇所がありましたが、倒木をジャングルジムのように潜ったり跨いだりするのは面白かったです。

3パーティがイブルキノコバで集結し、先輩たちのケルン前に花を供えて献杯をしていると、遠い親戚に会いに来たような、不思議な感覚になりました。

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スカイブルーに囲まれた武奈ヶ岳の山頂に、今回新しく作った会旗を掲げる事ができました。これから沢山の山頂に、この旗を掲げていきたいと思いました。

 

【感想】55期 竹山 昌孝

昔はテントでは何もないから皆で子狸囃子唄ったり、ラジオの天気予報聞きながら天気図書いたり、また下山時には下りは走れ~って言われる事もあったとか、そこから今がある事も伺い知れ、とても楽しい山でした。お世話様でした。

 

No.3764  八淵の滝ルート経由、比良半縦走トレイルラン

2018年11 月11 日(日)

 【メンバー】CL平川暁朗,SL藤井康司,小前竜吾 

計3 名

【タイム】8:25登山口~8:55貴船滝~9:55八雲ヶ原~11:00望武小屋跡~11:50武奈ヶ岳~12:53釣瓶岳~13:36林道終点~14:50ガリバー村

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武奈ヶ岳山頂にて)

 

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貴船の滝横のホッチキスを登る)

 

【感想】59期 平川暁朗

近年トレランをそこそこやるようになり、そんな話も少ししていたところ、藤井さんから「トレランの例会を立ててみてよ」と振られていた。60周年記念山行も募集中とのことだったので、ついでに気分で計画したのがこの例会でした。

予想通りというか全く参加者は来ない。ギリギリのところで小前さんが加わってくださることになり、とりあえずトリオは結成できたので例会として一応格好はついたように思う。

今回は比良山系屈指の死亡事故多発のスーパー一般ルート、八淵の滝コースを選んだはずだったが、沢岩慣れされているお二人には拍子抜けだったようで、なんか大したことなくてすみません…。八雲で小休止を取り別動隊と合流し、60周年記念事業らしい厳かなお参りと武奈ヶ岳山頂でのブルーシャツ軍団での傍目に異様であろう記念撮影を済ませた後はいよいよ「トレラン」開始。先ほど八淵の滝で物足りなさそうなお二人だったので、少し刺激を楽しんで頂こうと前言の禁を破り登りも少し走ってみたりした。本例会を発案した当初は横谷峠まで走る予定だったが、60周年事業の一環となっているため自分の考えよりも時間の制約があったので、試走していないイクワタ峠からの下山とした。過去に通ったことがないルートだったので不安はあったが、やはり相当な迷い道な上に倒木や落ちた枝のトラップが凄まじかった。距離的には前の計画より5キロほど短縮できたが、正直この道はもう通りたくない。

麓から再びガリバー村へ向かう林道は良い感じに紅葉が色づいていました。

頼もしいお二人に支えられ、私の例会としては初めて成立した山行となりました。ありがとうございました。

 

【感想】57期 藤井康司

去年から家の近くの林道を走るようになった。走るのは中学以来だろうか。今でも坂道は歩いた方が早いのだが、自然の中をゆくのは気持ちがいい。少し慣れてきたのでリーダーにお願いしてトレラン初級例会を企画してもらった。武奈の頂上までは歩き稜線を駆け降りる。先行の二人に遅れまいと必死になる。自分のペースで走れた時は天馬になったようだ。360度青空が広がる中、湖と山々を遠望しながら走る。新しい世界が広がった瞬間だ。リーダーまたお願いします。

 

【感想】61期 小前竜吾

トレランは数年前から気になっており、山岳会に入会した後も「トレラン」という言葉がちらほら耳にすることがあった。もともと長い距離を完歩、完走することに喜びを感じる性格で、通常の山行もロングになればなるほど嬉しい。そんな中、平川Lからトレランの企画が上がり、参加させていただいた。案内に、トレランシューズと軽量ザックとあり、さっそく調達し試し履きをして臨んだ。武奈ヶ岳ピークまでは、登りなので歩行となったが、ピークで60周年記念撮影後、釣瓶岳へ向かう下山道からは、ランがスタート。秋晴れの絶好の気候の中、ランニングを思いっきり楽しむ。舗装路と異なり、凸凹がある登山道はちょっとしたアトラクションにも思え、ゲーム感覚でステップを刻んだ。比良山系は大好きな山で、もう数え切れないほど入っているが、ローカットの靴で入ったことがなく、今回の山行で手放せなくなる予感がした。ザックは10Lの軽量もの、靴も軽量、ダイエットで5kg落とした己も軽量になり、今後トレランにはまる事間違いなし。次回は、登りも走りたいと思うが、調子に乗ると怪我をするタイプなので、平川Lのアドバイスをいただきながら、レベルアップとしたい。平川Lには、事前に倒木の枝のカットなど走行路の確保をいただいた。また当日ものこぎりを持参してもらっており感謝しかない。また一つ新しいジャンルの山遊びが増えたことを喜びながら帰宅となった。嫁さんにしてみれば、また道具が増えていると 少々立腹だったに違いない。

No.3763  創立60周年記念祝賀パーティ

2018年11月10日(土)〜11日(日)

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祝賀会CL:59期 江村一範、参加者計23名

【場所】ガリバー青少年旅行村(高島市

【記録】59期 江村一範

60年前の11月7日、比良山の望武小屋で意気投合した若者たちが、街に降りて山岳会を作りました。
それが今日の京都比良山岳会の基礎となり、当会は今年で創立60周年を迎えました。

 

それを記念して11月10日(土)に60周年記念祝賀パーティを執り行いました。場所は比良山麓ガリバー青少年旅行村(高島市)。
ガリバー村はキャンプ場とバンガローやロッジなどを備えた施設で、
今回は30人収容のロッジを一棟借りました。10年前の50周年の時はホテルで祝ったらしいのですが、
今回はパーティの列席者が自分たちで作って自分たちで食べる山岳会らしいスタイルです。

 

昼過ぎに堅田駅に集合し、食料とお酒の買い出しをしてから、14時にはガリバー村へ移動。
ロッジにバーベキューテラスが併設されているので、そこをパーティ会場にしました。
台所があるので参加者の皆さんに協力して頂いて晩御飯の仕込みをしました。
今宵のメニューは高級焼肉・極上おでん・至高の焼きそばをBBQエリアで作り、
その横で穐月さんの手により特製パエリアと燻製を作っていただきました。

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(写真1 パエリア)

燻製はダンボールで簡易に箱を作って燻すのに驚きましたが、ちゃんと燻製になっていました。流石です穐月さん。

16時半頃、料理の仕込みががほぼ終わったのを見計らい皆でBBQテラスに集合。
プロジェクターで写真を投影し、比良山岳会の創立から今日までの歩みを振り返りました。
スライドの最後には皆でカウントダウンをして、60周年記念に作成した会旗を披露しました。
中尾会長に話をして頂いた後、当会相談役にして岳連会長の四方さんの発声により乾杯し、祝宴スタート。

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(写真2 パーティの様子)

最初の余興にじゃんけん大会をしました。
賞品は江若交通のオリジナルグッズ「やわらか凸凹MAP【比良登山編】」です。
やわらかい塩化ビニールでできた地図で、
地形の凸凹がそのまま隆起してるので、比良山の地形がよくわかります。賞品を選びながらこれは自分でも欲しいと思ったものです。
じゃんけんは2回で決着が付き、凸凹MAPは勝者の土井さんがゲットしました。

 

その後は、みんなで地声カラオケ。
昔の山では山の歌をテントの中で歌ったりしていたものの、最近では歌う機会が少なくなったという先輩の声を受けて企画したものです。
「山男の歌」から始まり、皆で歌いやすい「あの素晴らしい愛をもう一度」や「琵琶湖周航の歌」を合唱しました。
皆さん照れくささももあって、最初はなかなか声が揃わなかったのですが、山形さんに音頭をとってもらいながら段々と皆の声は大きくなり、
最後の「東京VICTORY」を歌う頃には大合唱になっていました。

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(写真3 イランダンス)

締めくくりにイランダンスを踊ってみようとイラン出身のニカンさんを見本に皆で踊りました。
近くの空き地に移動して、暗闇の中ヘッドランプをつけて陽気なEDMのビートに合わせてイランダンスを踊る老若男女は異様な迫力でした。
他のお客さんの迷惑にならないように19時にはイランダンスは終了しロッジに戻ります。
その後は、バーベキューテラスで炭火を囲みながら、昔の山岳会の様子や山の話で静かに盛り上がりました。
この日は疲れた人からロッジの寝室に戻って自由に就寝。テントと寝袋もいいけどやっぱり布団はありがたいなと思いながら眠りにつきました。

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(写真4 イラン風オムレツとチャパティ

翌日の朝食はニカンさんの手によるイラン風オムレツとチャパティ。卵なのに餡のように甘く、不思議な食感で美味しい。YKさんのチャイと合わせて、多国籍な朝食となりました。

 

この日は武奈ヶ岳へ向けての集中登山。3パーティが八淵谷(谷筋・尾根筋)とイン谷から別々に出発し、
比良山岳会結成のキッカケとなった望武小屋跡で集結し、武奈ヶ岳に皆で登って旗を掲げる計画です。
登らず帰られる会員の方もいるので、そこで解散となりました。

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(写真5 宿泊したロッジ)

今回私が祝賀会の幹事をするにあたり、多くの先輩や仲間達に相談に乗ってもらいました。
中尾会長や集中登山CLのYKさんらとガリバー村やルートの下見に付き合って頂いたり、
皆さんの助けを借りて開催を終える事ができました。
10年後も今いる仲間達と元気に70周年を迎えたらなと思います。

(了)

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(写真6 厳寒の広場にて集合写真)

【感想】6期 四方宗和
60周年記念行事として躊躇なく参加をいたしました。四代目と六代目の会長として 都合10年にわたり務めさせていただいた私にとりましては参加が当たり前と云う感じでした。
参加して見ると20数名の集まりは懐かしい古い期の者と新人の人達で丁度活躍中の
50期あたりの方が少なかった印象を受けました。
山岳会と云う集合体は人それぞれにとって意味合いが違うと思います。私にとっては
①若さの発露であり、②青春であり、③結婚・妻、子供たちを一緒に育ててくれた場であり、④会社勤めの合間を癒してくれた場であり、
⑤組織運営のトレーニングの場でありと人生の様々の場を切り取れる場でした。
その様な会の60周年 (そのうち55年を在籍してますが)の集まりは私にまた楽しい時を与えてくれました。 穐月前会長のお得意「燻製料理?」、相変わらず口の減らない梶巻君の「焼きそば」や 久しぶりに山の歌を存分に歌ったり、若い期の方には申し訳ないですが昔は良く歌ったんです。 またニカンさんに実演指導いただいたクルディスタンダンスをみんなで踊ったりの愉快な一夜でした。 そろそろ山に行くのがおっくうになりかけた私に山の匂いを思い起こさせる一日となりました。


【感想】25期 穐月大介
60周年の祝賀会は私にとって嬉しいことがいっぱい有りました。
・中学からの古い友人24期 梶巻や、同じ八田一味の28期 細見さんたちと昔みたいにご一緒できたこと。
・子狸囃子を作って以来途絶えていた「山で歌を歌う」と言う伝統がこの夜は復活したこと。
・ずっと気になっていた「風間、八田元会長のケルン」にみんなでお参りできたこと。
・イランダンスが踊れたこと。
チャパティが食べられたこと
・元会員の八杉さんが武奈の上でわざわざ待っていて下さったこと。
・武奈の頂上で会の旗がみんなの注目を集めていたこと。
・祝賀会に合わせたように天気が良くて紅葉が綺麗だったこと。
・「亜麻色の髪の乙女が羽根のように彼の元へ駆け下りる」のを本当に見られたこと。
等々まだまだ有ります。 皆さんほんとに有難うございました、楽しかったです。

 

【感想】25期 伊藤正子
久しぶりに参加しましたが、歌ありダンスありご馳走ありと盛り沢山でとても楽しかったです。山で集まり人で繋がって会が続いて行くんだなあと思いました。
お世話いただきました役員、実行委員の方々ありがとうございました。


【感想】59期 山形真知子
食事も歌もお酒もすべてが楽しい一時でした。 中でもニカンさんと踊ったイランダンスは、お酒の力も借りて 楽しく踊って居たのに、誰かが「山形さんのは阿波踊りや」 とのたまう。納得はしたものの、少々悔しさが残る。 それでは、70周年には、私が阿波踊りのリーダーでも
しようかな? と、秘かに誓ったのです。

 

【感想】56期 土井司
楽しい時間をご一緒でき、ありがとうございました。手の込んだ食べ物や趣向をこらしたアトラクションなど新緑祭とはまた違って楽しませていただきました。また素
晴らしい商品を戴いたり、歌を歌わせていただいたり、少しチームKが幅をきかせすぎた感はあります。今後、素敵な仲間がさらに多く集い活発な活動をおこなっ
て70年80年とより一層盛り上がっていくことを願っています。

追記:ニカンさんのダンスは素敵でした。

 

【感想】60期 YK
シシャモの薫製、イラン風オムレツ、モモンガのもん助、東京VICTORY と山の歌、ヘッドランプとイランダンス、3人に2人が落ちる川、ケルンでの追悼式、そしてたき火と山談義。とてもよい思い出ができました。また皆さんとこのような機会が持てればよいなと思います。

 

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo. 56・57 半国高山・十三石山

平成30年11月3日(土)

快晴無風の文化の日雲ヶ畑の持越峠を起点に半国高山(670m)と十三石山(496m)の京都百名山2座を登った。9月の台風の影響で倒木が目立ち乗り越え下を潜りあるいは迂回を強いられたりして多少時間が掛かった。

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写真1: 倒木が登山道を塞ぎ迂回や潜り抜けで通過

 

【メンバー】 山本浩史L、梅村重和

【山  域】 京都市北区

【行  程】 桂川5:30=6:00宝ヶ池=6:30持越峠6:39~7:18八幡宮入口~8:02岩谷峠~8:22半国高山8:27~9:21 P602 9:27~10:48東谷尾根取付~11:08芦ヶ谷林道終点~11:34 P526 12:02~13:07寺山13:11~13:25満樹峠~13:47十三石山13:57~14:32十三石山北尾根取付~15:18持越峠15:27=15:55宝ヶ池~17:00壬生はなの湯17:54~18:20桂川

【登山データ】 快晴 歩行 17.4㎞ 8:39 延登高 1,287m 延下降 1,287m  3座登頂

 

宝ヶ池で梅村さんをピックアップし府道61号から107号を走り持越峠に到った。途中台風の凄まじい倒木被害の状況を見て走っていると電話線の復旧工事が行われていた。持越峠に到ると林道分岐付近に車を止め真弓方面に向けて下りだした。ぼ~うと歩いているとT字路を手前の林道分岐と勘違いして府道をそのまま行ってしまい初っ端から道間違いをやらかしてしまった。分岐点に戻り北に進んで八幡宮入口に達した。集落の最奥に八幡宮があり、先ずは登山の無事を祈願し谷筋の寺谷峠への古道を登った。真弓と小野郷を結んだ峠道も今では越える人もなく、荒れているが道形はしっかり残っていた。急傾斜になり岩盤が谷道を阻め北側に迂回して再び谷筋に戻った。台風による被害は殆ど無く順調に寺谷峠に達した。

寺谷峠は平成16年に供御坂峠から岩屋山方面に縦走したときに訪れたが記憶に蘇らない。稜線にはしっかりした縦走路があり問題なく歩けた。峠から80m程の標高差を登ると半国高山(670m)に達した。展望のない山頂だが山頂標識が設置され、3等三角点「小野」が置かれていた。給水を取りP546へと下るが登山道は供御坂峠へと下って行くので道のない斜面を下らなければならない。稜線からの下り口が難く、樹林で尾根が見通せずかなり迷ってしまった。下り出すとやはり道は無く、意味不明のロープが張られていた。

両側の谷が深みを増し鞍部に達すると間違っていなかったと一安心、P546への登り返しとなった。P546のピークには何の表示もなく知らぬ間に通り過ぎてしまった。鞍部に到ると登り返し70mで西に張出したP602を目指した。稜線上の最高所から西に入り回り込むようにしてP602に達するが樹林が密生し、茨の蔓が絡まり歩き辛かった。ピークには「P602」と記された小さなプレートが掲げられていた。

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写真2: P518の南のクランクで展望が得られた P602、半国高山(670m)を望む

 

分岐に戻り南南東へと下り東谷を回り込むようにして府道107号線に下った。途中要注意箇所が2箇所あり、稜線の方向の途中から派生する支尾根のような所に下らなければならない。先ずはTVアンテナが立っている処から南東に下ることになるのだがTVアンテナの位置でコンパスを合せるともう少し先で分岐するような感じで進んでみたが手前の尾根に高さが加わりあの尾根だと見極めトラバースして正しい尾根に乗った。次もまた同じような西方向に伸びる尾根に下るが自信が持てず行ったり来たり、結局一つ手前の尾根に入ってしまった。この尾根は谷の途中で収束してしまうが下りられる処まで下りようとそのまま進んだ。微かな踏み跡が現れ予定していた尾根との間の東谷へと道が続き辿って行くとモノレールの軌道の設置された谷に達した。モノレールは使われなくなって久しいようで錆と軌道脇に成長した木が歴史を物語っていた。

東谷は比較的なだらかなのでそのまま辿って行くと開けた部分から白木谷山(566m)が見えた。谷はと云うと少し先の傾斜が急になる処で倒木が凄まじく谷を埋めていた。モノレールは分岐があり一方は南西尾根に向かって行ったので予定の尾根に乗ることにした。再びモノレールと共に尾根を下り現れた踏み跡を辿って府道に下り立つことができた。

真弓川に沿って府道を300m程下ると芦ヶ谷林道入口があり、入って行った。斜面を見上げると台風の被害で斜面一面の木が倒れ大変な被害を生じている部分が局地的にあった。林道は地形図では標高430m地点まで描かれているが実際は397m地点まででその先300mは崩壊したのか突然途切れていた。仕方がないので南側の急斜面に取付き稜線まで120mの標高差を這い上った。

P526まで進み昼食休憩にした。ピーク付近が伐採されて明るいが展望を得られるまでには達しない。P526の稜線は真弓川と杉坂川の合流点を先端とする尾根で風の通り道だったのか稜線に倒木が目立った。直ぐ東の岩稜ピークも木が寄りかかるように倒れ登山道を塞いでいた。持越峠から氷室に到る稜線“ダラノ坂”に達すると道はまるで高速道路のようにしっかりして快適に歩くことができた。P518の南側でS字にクランクするところで展望が開け午前中に歩いたP602や半国高山を望むことができた。

南に向かって歩いているとトレランの男性がやって来た。(この日あったのはこの男性だけだった。)此の稜線に入ると「KMC」と書かれた白いテープが頻繁に出て来た。中にはメッセージの書かれたのもあったが何だろう?氷室神社への道と寺山への分岐点に達した。昭文社登山地図では赤点線道で記されているが明瞭な道がある。寺山(500m)山頂に達すると2種類の山頂標識が掲げられていた。展望は得られず給水だけして先に進んだ。

氷室から小峠を経由して登って来る道と合流して下り切った処は満樹峠(414m)で東側には上賀茂の立命館大グランド付近に下る道が分岐した。登山道に頻繁に出て来た「KMC」の白テープと共に「11/4に責任を持って取り外す」と記された張り紙があり、明日(11/4)トレラン?の大会が催されるようだ。登り返すと倒木が凄まじく登山道を覆い、下を潜ったり迂回したりしながら十三石山(496m)に達した。3等三角点「十三石山」が設置され、比叡山の方向だけ僅かに開かれていた。

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写真3: 十三石山山頂にて

 

十三石山からは早刈谷東尾根(十三石山の北尾根)を下山する。倒木は煩いが比較的スムーズに下山できた。尾根の先端は急斜面で一時踏み跡を見失ったが再び現れ早刈谷に下り立つことができた。出て来た処は地形図の鴨川合流点付近と違い少し上流側だった。府道61号に出ると3㎞余りの車道歩きで持越峠へと戻った。

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