京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3824 比良釈迦岳ボッカトレーニング

1110日(日)晴れ

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【場所】比良山系 釈迦岳から北比良峠

【メンバー】CL HM20㎏、NF15㎏、FY27.5㎏、MY15㎏、YK15㎏、RK22.5㎏、MH22㎏、DF(体験)19㎏、HU(体験)25㎏ 9

【行程】

900 イン谷口集合、石拾い、計量

930 リフト道登山口

1145 釈迦が岳山頂

1300 北比良峠着 搬送訓練

1350 北比良峠発

1510 イン谷口帰着 解散

 

【記録と感想】43期 HM

 快晴無風、気温15度前後と最高のボッカ日和となり、比良駅から眺める釈迦岳は、

グレー、黄色、赤、緑と色とりどりに染め分けられ、登る前から絶景に期待が高まります。今回は体験参加もあり比較的新しい会員が多く、親睦の意味でも良い機会となりました。リーダーの私はヘロヘロでしたが、メンバーはタフな方ばかりで、賑やかにおしゃべりしながらの楽しい山行でした。

ボッカトレーニングは、文字通りトレーニングの意味もありますが、むしろ定期的な体力測定の意味が大きいと思っています。

夏山縦走や冬山で、予想外の体力切れで目的地に時間通りに着けないとピンチに追い込まれます。あらかじめ自分の現在の体力の状況と体力に合ったペース配分を知っておくことは、計画を立てる際の参考になります。

当日は、天気も良く、時間にも余裕があったので、予定どおり北比良峠の芝生の上で、けが人発生を想定した「背負い搬送2種(直接背負う場合とザックを用いる場合)」と「シート搬送」の練習をしました。

各自がスリングとカラビナを普段から少しずつ用意しておけば、いざというときに役立つかと思います。クローブヒッチ(マストノット)やイタリアンヒッチ(半マスト)の作り方はまた練習してみてください。

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【感想】62期 YK

晴天に恵まれ、琵琶湖や紅葉を楽しみながらのボッカ例会となりました。

15㎏の荷物は、肩にずんとのしかかる重さがありました。1時間ほど登ったところで、アドバイスのもと、再度パッキングし直したところ、想像以上にザックが体にフィットしました。パッキング、大事だなぁとしみじみと思いました。途中、ザックの重さに辛くなりながらも、みなさまと楽しく登れたことや、晴天に恵まれたことが助けとなって、無事に下山することができました。心地良い疲労感がありました。次の山へのステップアップに向けて、良い練習となりました。

北比良峠での搬送練習も、とても勉強になりました。使う機会がないことを祈りますが、もしものときのために練習しておくことは、必要ですね。

リーダーはじめ、ご一緒した皆様、ありがとうございました。山での知恵や山のお話をたくさんできて、楽しかったです。また一緒に山にいけたらいいなとおもいます。

 

【感想】59期 MY

山は最高の遊び場です。

だから楽しくないといけない。

歩荷で石は担ぎたくない。

以前の歩荷でEさんが、武奈ヶ岳の頂上でかき氷をされた。

ヤラレタと思った。

何をしようかと思案するものの、時間が余れば救助訓練をするとの事。季節柄、良いアイデアが浮かばない。

仕方なく冷蔵庫に有るリンゴ、バナナ、ミカン、大福もちなどを詰め込んだものの、15キロになるとは思われない。

まあ~いいか?シニア割引も有りかな?そんな気持ちで計量してもらうと15キロ。セーフである。

今の私は、雑木林の中を徘徊するだけで、幸せを感じているのですが、やっぱり背中の荷物が語りかけて来るのです。

「もう一度、咲かせてみてはどうだ、姥桜」

あ~楽しかった。よく遊びました。

リーダ―初め、皆様有難うございました。

 

【感想】58期 FY

ボッカが苦手で、これまで例会も避けてきましたが、気候が良くなったこと、久しぶりに比良の山を登ってみたくなったこともあり、参加させていただきました。

登山口付近で、石をザックに詰めた時はかなりの重量感を感じましたが、次第にザックが体にフィットし、それも軽減されました。ただ休憩を挟んだ、釈迦岳までの後半の登りは、かなり足にきて何度かふらつきました。

北比良峠では救助搬送について実践形式で丁寧に教えていただき大変勉強になりました。今後も、ボッカ+アルファでこういった講習があれば是非参加したいと思います。リーダー、皆様ありがとうございました。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo. 87~89 吉田山・大文字山・如意ヶ岳

令和元年11月9日(土)


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吉田山(121m)は、京都大学の東側にある小高い山で山中は吉田神社とその摂社等が点在している。大文字山(465m)は云わずと知れた送り火の山で火床と共に山頂から京都市内が一望できる眺望の山。如意ヶ岳(472m)は、航空標識のある地味な山。陰山、諸羽山を経由して山科に下山した。

【メンバー】 山本浩史(単独)
【山  域】 京都市上京区東山区山科区滋賀県大津市
【行  程】 桂川6:37-6:53丸太町6:56~7:31吉田神社~7:55吉田山~8:16霊鑑寺~8:40大文字火床~8:59大文字山9:11~9:44如意ヶ岳9:58~10:34林道分岐~11:18陰山~11:40諸羽山~12:02山科12:32-12:44桂川
【登山データ】 晴れ 歩行16.1㎞ 5時間06分 延登高932m 延下降913m 5座登頂

早朝の地下鉄丸太町駅、観光客は未だ動かず静か。丸太町通は北側に京都御所、南側に裁判所がある。堺町御門から覗くと御苑の木々は色付き始めていた。丸太町橋から見る鴨川の流れは穏やかで心を癒す。京都大学とその関連施設を縫うように歩いて吉田山に近づくと京大の正門に達する。そのすぐ先には吉田神社の鳥居があり、いよいよ神域に入る。石段を上ると吉田神社本社があり参拝した。南に回り込むと吉田神社斎場大元宮(さいじょうだいげんぐう)がある。天照大神、豊宇氣比売神他式内神3,132座の天神地祇八百万神が祀られている。八角形の本殿は重要文化財に指定されているが通常は近づけないので様子が分からない。2月の節分祭は此処で行われる。吉田神社のホームページによると山内に10の摂社があるとされているがこの後立ち寄った宗忠神社は、単独の神社で黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る文久2年(1862)創建の神社だった。
吉田山の南麓に3等三角点「吉田山」(105m)があるが、竹中稲荷の参道を歩いたので見つけることはできなかった。山道は枝道が幾つも分岐し“茂庵”の横を通った。八瀬大原出身の谷川茂次郎が大正年代に建てた茶室、食堂などで現在茶室が2つと食堂の建物がカフェとして営業している。吉田山(121m)山頂は展望台として東屋があり大文字山が僅かに望める程度の眺望がある。下山路も縦横にあり東側は山頂近くまで大正時代の街並みが残り風情がある。下りて来た処には“茂庵入口”と書かれていた。
白川を渡り京都疎水に達すると哲学の道で川沿いの木々が色付き始めていた。あと1時間もすると観光客が溢れて来るのだろう。法然院に抜け霊鑑寺の南角を東に折れ住宅地が途切れた頃大文字火床への登山口があった。登山道に入り今日は大文字の右の足の火床を辿る。真っすぐに延びる火床を辿り大の字の中心にある弘法大師堂に到った。3組の登山者が来ており挨拶を交わし晴れ渡った京都市内の展望を楽しんだ。
大の字の横棒の上の線を辿り大文字山へと向かった。踏み跡が幾つもあってどれが正道なのか迷ってしまう。火床から0.9㎞東に進み大文字山(465m)山頂に到った。3等三角点「鹿ヶ谷」があり、その傍には八角形の大きなコンクリートの塊の「菱形基線測点」No.29があった。これは地球の表面の歪みを知るために作られたもので5㎞位の間隔で測標4点が設置され、その4点を結ぶと菱形を形成していることから「菱形基線」と呼ばれている。全国16箇所に設置されたがGPS測量に移行し今では使用されていない。大文字山のものはNo.30「追分」(逢坂山南600m)、No.31「花山天文台」、No.32「浄水場」(山科区勧修寺新山科浄水場)がセットで戦後に設置され昭和56年までに過去3回程測量が実施されたそうだ。
大文字山からの展望は素晴らしく、大阪の高層ビル群も確認できたが地表付近には煙霧が漂っていた。空気が澄んでいる南の方の展望は素晴らしく、生駒山は勿論のこと金剛山葛城山や何と大峰山脈がしっかり見えたのには感動した。大普賢岳山上ヶ岳稲村ヶ岳、弥山、八経ヶ岳と北部の主要峰が横たわっていた。八経ヶ岳までは直線距離で90㎞もあるのに素晴らしいことだ。ここにも先客が3組あり挨拶を交わした。
如意ヶ岳を目指して東に進むと昨年の台風による倒木が酷い。しかし登山道を塞ぐ木は処理され歩行に問題は無くなっている。いつもは稜線を歩くが今日は途中から稜線北側を巻く林道を歩いた。山中にポツリとある雨社大神に到り、真新しい祠に参拝した。此処から稜線に上がれば早いが更に林道を進み北の尾根を大きく迂回した。稜線に到る道が分岐する筈だが登山道はなく尾根を巻き込んでしまったので谷間を無理やり上った。間伐材がそのまま放置され跨いで行くのに骨が折れた。
稜線に戻ると直ぐに如意ヶ岳(472m)山頂に達した。山頂域は航空標識の施設で二重のフェンスで厳しく立入が制限されているので最高所には立つことができない。フェンスの南側を辿り反対側に行くと大津市による一級基準点があり此処を仮の山頂とした。近くに府県境はあるが完全に京都市のエリアなのになぜ大津市の基準点が置かれているのだろう。南側の展望が開け再び大和葛城山金剛山大峰山脈を見ることができた。
お腹が空いたので少し休憩し、藤尾川へ下る尾根を物色した。大回りする林道はあるが尾根を下る登山道も地形図にはあるが略道形はなく藪漕ぎ状態で下って行った。林道がジグザグに付けられているので3度交差するが3度目は断崖で降りられず谷迄回って下り立った。その先の尾根は下草が濃く然も急で林道を迂回することにした。其れでも次の谷で下に藤尾川の林道が見えたので谷筋を短絡して下りた。如意ヶ岳の南は京都府のエリアに滋賀県が深く入り込み藤尾川の源流迄、川から南尾根の北斜面は滋賀県大津市となっている。
藤尾川の林道を下り南尾根の斜面に登路を探していくと何処も急斜面で登路は見出せない。2本目の送電線を潜ると橋が架かり林道の支線が続いている。谷には簡易な堰堤が3つ見えかなり急な谷だ。急勾配の林道をジグザグに登り尾根に続き稜線に足した。送電鉄塔があり見上げると3方向に電線が分岐していた。藤尾川南の稜線には明瞭な登山道があり2本目の送電鉄塔に達すると北側の如意ヶ岳が綺麗に見えた。この先に顕著なピークがあり登山道は南側を巻いているがもしや山名があるのではと期待しピークに立つが何もなかった。
直進するとP381に達するが分岐して南の尾根に入った。登山道は明瞭で山科から大文字山に登る最もメジャーな道のようで数人の登山者と出会った。送電鉄塔を2本越え登り返した処は蔭山(310m’)、樹林の中の山頂に「蔭山302m」と表示があったが地形図では310mの等高線が入り標高は310mとした。進路が南西に変り前方にP261と諸羽山が見えるが木の間越しで写真に収めることはできなかった。諸羽山の手前に展望地があり山科駅や東山トンネルをでたJR琵琶湖線の列車を俯瞰することができた。
諸羽山(220m)も樹林帯で展望はなく山頂表示を撮っただけで下山に掛った。疎水公園に下山すると地元の人たちが散歩に訪れていた。階段を下りると住宅地で奥に諸羽神社の鳥居が見えたので無事の登山を報告に参拝した。JR琵琶湖線の高架を潜り京阪京津線沿いに歩いて山科駅に達しこの日の行程を終えた。f:id:hirasankun:20191111181306j:image

写真1: 吉田山(121m) 大文字火床より


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写真2: 大文字山山頂より大峰山脈が見える(大普賢岳稲村ヶ岳八経ヶ岳


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写真3: 2本目の送電鉄塔から対岸の如意ヶ岳(472m)を望む

〈個人山行〉西上州の旅(大岩・碧岩&大ナゲシ北稜)

2019年11月1日(金)~4日(月)

【メンバー】S.U 他5名 計6名

【行 程】11月1日(金) 京都=松本(泊)

11月2日(土) 松本4:00=南牧村=碧岩登山口(三段の滝入り口)7:00-三段の滝8:10-大岩10:30-碧岩11:45-三段の滝13:00-登山口14:00=ヴィラせせらぎ(温泉)

=野栗キャンプ場(泊)

11月3日(日) 野栗キャンプ場6:00=赤岩橋手前登山口6:30-野栗沢諏訪山9:50-小ナゲシ12:20-大ナゲシ13:20-赤岩峠14:30-赤岩橋登山口16:20-駐車地点16:30=浜平温泉しおじの湯(温泉)=松本(泊)

11月4日(月) 松本=木曾せせらぎの四季(温泉)=帰京

【記 録】59期 S.U

西上州ってどこ???関西人にとって全くのブラックボックスか?よーするに、長野県の東側、南は埼玉県に隣接する群馬県の西部エリアのこと。西上州のお山の魅力は岩と藪。関西のお山ではまず見られない特異な岩山が連なるエリアである。岩稜を攀じ登り、時にはロープを使い、藪の中にルートを求め、山勘を駆使してルートファインディングというような登山本来の冒険心を満たしてくれる。また、ひとつひとつのお山は小さいので麓のキャンプ場をベースに日帰りで駆け抜けられるのも大きな魅力である。このエリアのメジャーなお山は妙義山荒船山日航機の墜落した御巣鷹山。さらには西上州の名物はかかあ天下と空っ風、木枯し紋次郎の故郷ってとこかな?

11月、そろそろ木枯らしが吹き始めるころ、西上州のお山はベストシーズンを迎える。冬晴れの真っ青な空の下、雑木林の陽だまりでCafé Timeもよし、ふかふかの落ち葉を踏みしめて、さあ行こう!

11月2日(土曜日)

午前4時、松本市内の合同庁舎に全員揃ったところでクルマ1台に乗り合わせ出撃。西上州のお山を楽しむ参考書として、山と渓谷社 “藪岩魂~ハイグレードハイキング~”がお薦め。登山口の駐車スペースに上手くクルマを停めることが出来、三段の滝に向かってスタート。エアリアマップによると三段の滝までは沢に沿ったハイキングロードとなっているが、先の台風で登山道はほぼ崩壊。適当にルートを拾って、沢を何度も渡りながら三段の滝に到着。ここから滝の右側の急斜面を高巻きして滝の上部に抜ける。綺麗な雑木林の尾根筋を辿り岩稜に出ると大岩が現れる。

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▲雑木林の陽だまりの尾根

大岩に行くのには中央の岩稜を三点確保で越えるのであるがホールド充分で見た目ほど困難ではない。

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▲藪と岩尾根

大岩の山頂に立てばコルを挟んで碧岩が聳え立つ。碧岩は参考書によると西上州のMatterhornと言われているらしい。大岩の山頂から見ると優雅な中にも毅然とした佇まいを持って屹立している。一旦、コルに下降し、いつ誰が固定したのか解らない様な、色あせた固定ロープを頼りに山頂に到達する。下山も気を抜けない。固定ロープが切れないことを祈りながら慎重に岩稜を下降。沢筋を三段の滝まで来て、ようやく緊張感がほぐれ大休止。

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▲碧岩 

ここまで来れば駐車場まであとわずか、無事下山となった。

11月3日(日曜日)

今日のルートの大ナゲシ北稜は “藪岩魂” の中で最高難易度のルートである。赤岩橋手前の空き地に駐車し身支度を整えて6時30分にスタート。沢沿いに踏み跡を辿り、雑木林の尾根に取り付く。当然のことながら、明瞭な登山道など無いに等しく、僅かな踏み跡をコンパスと地形図&参考書の略図を見ながらルートを探る。尾根に上がれば、これから大ナゲシの山頂に通じる北稜となる。北稜に踏み込んで少し行くと尾根は切れ落ち、懸垂下降のポイントが出てくる。

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▲懸垂下降のポイント
チョッとだけ空中懸垂をまじえ難なくクリア。行く手に何度も岩壁が立ちふさがり、岩壁の弱点を見つけながら尾根を行く。この辺り、山勘が大いにモノを言う。大ナゲシ北稜の最初のピーク、野栗沢諏訪山の朽ちた祠でちょっと一息。いよいよ北稜の核心部となる。ルートファインディングの実力が試されるところ。岩壁を上手く回避し、安全に尾根を辿れるかどうかが勝負どころである。

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▲岩壁の間のルンゼを行く

山頂からやや北に戻り、派生する支尾根をトラバースするのであるが、トラバースのポイントを決めるのに1時間ばかりのロスタイムとなった。補助ロープを固定し、シュリンゲで手掛かりを作成しトラバースの安全を確保する。トラバースの後、尾根に戻ったところで標石7番を発見!ルートが確認できてホッとする。岩壁の中ほどのルンゼを越え、ヤセ尾根を通過して岩場を登りきると、ようやく大ナゲシ山頂に辿り着く。山頂からは西上州の山々が重なり合って続いている。ここから先、下山はエアリアマップでは実線の登山道が記されているが、そこは西上州のお山、比良や北アルプスとは訳が違う。踏み跡を外さない様に斜面を滑り降りたり、荒れ果てた沢筋を沢に転落しない様にトラバースしたり、最後まで緊張を強いられる。

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▲大ナゲシ山頂

 林道の終点が見えてきたところで、やっと緊張がほぐれるのであった。夕暮れ時、登山口の駐車ポイントに到着。

【山行メモ】

・西上州のお山は、標高1000m~1500m程の低山ゆえ、山行の時期は春先と10月以降の晩秋がお勧め。特に晩秋からは日本海を越えてきた季節風上越の山々に雨や雪を降らせ、乾燥した空っ風が吹き下ろす冬晴れとなる。真っ青な空と紅葉した雑木林の陽だまりで淹れるCoffeeは格別のものがある。なお、木々が葉を落とした晩秋がルートファインディングに都合がいい。ふかふかの落ち葉のお山も西上州の魅力のひとつである。

・11月半ばになれば下仁田ネギが道の駅や直売所に並ぶ。すき焼きにすると、トロトロになり、甘くってとても美味しい。

・比較的メジャーなルートでは、時折、トラロープや鎖&ロープが設置されている。しかし、大抵のものは、いつ誰がつけたか解らない様な、風雨にさらされ色あせたりしている。整備された北アルプスの鎖場より難易度は高いかもしれない。

・初めての西上州山行は、荒船山や裏妙義、鹿岳のようなメジャーな所がお薦め。まず、西上州のお山の雰囲気を知ろう。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.83~86 小塩山・ポンポン山・釈迦岳・天王山

 


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令和元年10月14日(月)

 京都西山の京都百名山4座を縦走した。小塩山(642m)は、山頂に淳和天皇陵のある電波塔の山、ポンポン山(679m)は西山最高峰で歩けばポンポン音がしたと云うのは昔のことで今は切り開かれ展望の山になっている。釈迦岳(631m)はポンポン山に隠れた地味な山、天王山(270m)は云わずと知れた山崎合戦で秀吉が勝利を導いた山で山崎城址となっている。

 【メンバー】 山本浩史L、HS(会員外) 

【山  域】 京都市西京区長岡京市大山崎町大阪府高槻市島本町

【行  程】 向日町7:00=(阪急バス)=7:25南春日7:32~8:54小塩山8:57~9:39大坂峠北~10:05森の案内所~10:59リョウブの丘~11:15ポンポン山11:54~12:14釈迦岳~12:32展望台~13:14大沢分岐~14:13柳谷観音P~14:45小倉神社分岐~15:07天王山~15:35栄照寺~15:55西山天王山16:04-(阪急)―16:13洛西口

【登山データ】 曇り一時雨 歩行22.3㎞ 8時間23分 延登高1,484m 延下降1,557m 4座登頂

 

向日町駅から阪急バスに乗り終点の南春日で降りた。雨の予報で野球少年が上里で下車すると乗客は我々二人だけとなった。大原野の里を歩き大原野神社の鳥居に達したが今日は長丁場で参拝はせず京都縦貫道の高架を潜り登山道へと入って行った。山頂の電波塔群への作業道のヘアピンカーブの先端を掠めるが作業道に出ることはなく登山道を進んだ。洗掘道の底の岩が現れ、雨上がりで滑り易い。く作業道に2度接し最後は作業道を横断し山頂域に到った。小塩山(642m)は電波塔の林でその間を抜け最奥部の淳和天皇陵に達した。参拝し裏側に回ると山頂標識があり南方向に一部展望があった。最高所は御陵の頂で畏れ多いので標識のある処までにしておいた。

来た道を戻り作業道を歩くと京都市内の展望が広がった。ヘアピンカーブをひと曲がりした処で南尾根への入口を探したが明確な道は無く先まで偵察に行ったがやはり急斜面に突っ込むしかないようだ。地形図に登山道がないので仕方がないが突っ込んで行くと何となく踏み跡が認められた。登り返してP604に到る。南南西の尾根を下る心算だったが踏み跡を辿ると南へと下り続けることになった。逢坂峠の北側で府道733号線に下り立った。出灰川に沿って大原野森林公園まで下る筈が東海自然歩道、「ポンポン山→」の標識に惑わされ遡ってしまった。300m程歩いて気付き引き返した。

大原野森林公園の森の案内所に到りトイレ休憩、雨の予報の中、別のパーティに出合った。出灰川に沿って進み出灰への分岐を見送り西尾根へと入って行った。稜線に上がりつつじの丘の表示に従って縦走路から少し入るとベンチが設置されていたが、特段何もなく通過した。ほんの小雨が時々降る程度で歩いて来れたがザっと振り出し慌てて雨具を着たがすぐに止んでしまった。この後も殆ど問題になる雨はなかった。以前何度か来た福寿草保護地は季節外れでひっそりとしていた。P594は何もなく、小広い広場のリョウブの丘には誰も居ず出灰からの登山道と合流した。出灰道は崩壊で通行止めとなっていた。

ポンポン山(679m)山頂に到ると2組の登山者が休憩していた。山頂には2等三角点「加茂勢山」があり嘗ての山名が三角点名に残っているのが興味深い。山頂で足踏みすると「ポンポン」と音がしたことからつけられた通称が今や本名となってしまったが、今では“ポン”とも云わない。南西尾根は本山寺に到る東海自然歩道の道で直ぐに折り返すように分岐し今日3座目の京都百名山、釈迦岳に向かった。稜線から見える景色は倒木が酷く、昨年の台風21号で薙ぎ倒されたようだ。しかし登山道は切り開かれ全く支障はない。

釈迦岳(631m)はベンチも設置された狭い山頂だが展望は得られない。山頂標識を撮っただけで先に進んだ。6年前に歩いた奥海印寺への道を辿ったが、ぼーっと歩いていた為南尾根に入ってしまった。どうもおかしいと思いながらも明確な踏み跡がありそのまま尾根の先端まで行って水無瀬川に下りた。林道を遡り約3倍余りの距離を歩いて正しい道に戻った。分岐点に“西山古道”の表示のある道を柳谷観音へと辿って行った。

ベニーCCのコースの横を歩き上空を真直ぐに越える送電線を見送ると林道との交差があり、よく確かめもせず林道方向に行ってしまった。ジグザグに下る真新しい林道に違和感を感じまた引き返すことになってしまった。元に戻ると西山古道は単純に交差しているだけだった。全く今日は注意力が散漫でどうしようもない。軈て奥海印寺への道と分かれ一旦谷に下り洗掘された谷を登り返した。峠のような部分を越えると柳谷観音で参拝はせず駐車場を通って府道79号線に飛び出した。少し歩いて弥勒谷十三佛の石仏群を見て脇道を通り天王山登山道へと入って行った。

嘗て歩いた谷道が合流する地点を探しながら来たが結局分からず仕舞いで小倉神社への下山路が分岐する地点に到った。小広く指導標が完備し暫し休憩して天王山を目指した。以前登った小倉山、十方山はパスした。帰りの円明寺へ下山路を確認し搦手から天王山(270m)山頂に到った。南の方が僅かに開け八幡・枚方の街並みが望めた。リズミカルなキツツキの音が聞こえ探してみるとコゲラがドラミングしていた。天王山山頂域は山崎城主郭跡で一段上がって天守台、二ノ丸に当たる土塁には井戸の跡も残っていた。秀吉が築いた山崎城が最後の城だが南北朝時代に築かれたのが最初らしい。

誰も居ない山頂で暫し休憩し円明寺への道を下り始めた。竹藪の暗い道で稜線までモノレールの軌道が達していた。筍のシーズンには活躍しているのだろうか。山頂から15分程で人里に達し登山道の入口には栄照寺という小さなお寺があった。円明寺の住宅地の中を歩き阪急西山天王山駅で長い山行を終えた。

 

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写真1: 小塩山山頂の淳和天皇

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写真2: ポンポン山(679m)山頂の2等三角点「加茂勢山」

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写真3: 天王山(270m)山頂

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo. 80~82 小倉山・山上ヶ峰・嵐山

令和元年10月6日(日)

小倉山(296m)は嵐山の保津峡の出口に鍋を伏せたような山で古来和歌に名を残している。山上ヶ峰(482m)は保津峡南部唐戸越一体の最高峰で円錐形の美しい山。嵐山(382m)は云わずと知れた渡月橋背後の山、これら京都百名山3座を一挙に登った。

【メンバー】 山本浩史L、安宅 耗人、加藤 一子
【山  域】 京都市右京区西京区
【行  程】 京都7:35-7:48嵯峨嵐山7:55~9:03小倉山9:10~9:54トロッコ保津峡駅~10:51山上ヶ峰11:26~12:07烏ヶ岳~12:26嵐山12:38~13:06松尾山~13:49西芳寺林道~14:19松尾大社~14:46嵐山16:14―桂-16:32烏丸
【登山データ】 晴れ一時曇り 歩行17.8㎞ 6時間51分 延登高1,103m 延下降1,111m 5座登頂

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JR嵯峨嵐山駅は外国人観光客の増加で年中賑わうようになった。しかしまだ8時前、静かな嵯峨野の竹林の小径を歩き小倉池に達した。トロッコ嵐山駅前で大河内山荘から亀山公園に至る道にあわや行ってしまいそうになったが小倉池の畔を通り登山道に入って行った。小倉山の稜線道を通り越して巻道コースに入った。稜線に上がって行くと思しき分岐が幾つも現れるが指導標は一切なく稜線への誘惑が続く。樹林帯で現在位置の確認も儘ならず意外と遭難が多いのも頷ける。
小倉山の南側から登頂しようと目論んでいたが巻道の続きが草生して誘惑に負け斜面を登って行くと道は略なく小ピークの作業道に乗り上った。嵐山高尾パークウェイに繋がる作業道で暫く歩き、「小倉山山頂へ」の標識の処から登山道に入り小倉山(296m)に登頂した。展望のない山で給水休憩を取っただけで作業道に戻った。パークウェイに達すると道は人の通行が禁止された自動車専用道路で道路の脇に登山道が付けられていた。
六丁峠の手前で保津川清滝川の合流する辺りを俯瞰することが出来た。六丁峠に達すると二人の女性が休憩中で京都トレイルを栂ノ尾まで歩くそうだ。六丁峠は嵯峨と越畑を結ぶ府道50号線が越えておりその上空にパークウェイの橋が架かっている。カーブの連続で高度を下げ落合橋に到り清滝川を渡った。保津川沿いの道を歩き、吊橋を渡ってトロッコ保津峡駅に到った。保津川右岸の護岸に下りて線路に沿って少し進むと築堤が短い鉄橋で切れた処の沢を這い上がり鉄橋を潜った。
鉄橋の向こうから登山道が始まり等高線の詰まった急斜面を這い上り稜線に達した。尾根道となるが再び急登となる。駅から歩いて40分ほど経った頃右手に林道が現れ飛び出した。作業小屋があるがひと気はない。直ぐに登山道に戻り緩やかになった斜面を登った。「稜線本道」と標識の掛かる巻道と分かれ直登路に入った。左手に獣害防止ネットが現れ、倒木でルートが右へ左へと迂回しながら山上ヶ峰(482m)山頂に到った。3等三角点「上山田」があり小さな山頂標識も設置されていた。
以前に来た時は南東側から取付いたが、獣害ネットがあり「立入禁止」と表示もあるので北東側の取付きに戻るしかない。“稜線本道”に戻り南下して烏ヶ岳を目差した。小さなプレートに団子が三つ串刺しにしたような表示が目に入った。烏ヶ岳、嵐山、松尾山とこれから行く縦走路の名前があり団子の上か下に山名が書かれているのでどうやら何れの山も巻道(稜線本道)があることを示しているようだ。十七号橋坂を書かれた分岐に達すると登って来るグループがあった。どうやら西芳寺林道の奥から発する登山道のようだ。
烏ヶ岳直下に到ると標識のとおり“稜線本道”と称する巻道と山頂に向かう踏み跡が分かれ予定通り山頂に向かった。烏ヶ岳(398m)山頂には小さな山名プレートが掲げられていたが樹林帯で展望はなかった。給水休憩だけで先に進むと“稜線本道”が合流したが倒木で結構険しそうな道だった。暫く行くと嵐山(382m)の巻道分岐で此処も忠実に稜線を辿った。山頂域は嵐山城の遺構で広く比較的平らな山頂が曲輪跡と知れる。然も本丸跡と推定される。嵐山城は、明応6年(1497)香西元長によって築かれた城で、永正4年(1507)主君細川政元の暗殺を謀ったが敗死、城も炎上したと云うがその後の経緯は不明。中世の城で明瞭な石垣もなく土塁と曲輪跡に面影を留めている。
南東の曲輪跡で巻道と合流し再び“稜線本道”を行く。木の間越しに街並みが望めるが展望の利く処はなく歩を進めると法輪寺への下山路が分岐し少し入ると展望台があった。愛宕山から沢山、比良の蓬莱山(1,174m)や先週登った横高山・水井山、比叡山の姿が素晴らしかった。直ぐ近くに目をやると渡月橋や岩田山モンキーパークに観光客の姿が望めた。
分岐に戻り少し行くと松尾山(276m)で3等三角点「松尾」が設置され比叡山方向だけが開けていた。山頂部に大岩が重なり、その下に隙間が見える。これは古墳の石室の跡のようだ。この山一帯は、松尾山古墳群と云われ古代、秦氏一族の勢力圏であったことから所縁のある豪族が葬られていたのではないだろうか。縦走路は京都トレイルの道となり登り返すと3ピークの頂、ここも石室の跡が露出していた。最後のピークに登ると地形図に山頂から稜線を通る水線が水色で記されている。谷地形でない所に水線に違和感があり興味を持って現地を見たがやはり水が流れているような様子はなかった。
下り切って西芳寺林道に下り立ち苔寺の門前に到るがひっそりとしていた。拝観のハードルが高くなって落ち着きを取り戻して40年余りの歳月が流れた。嵐山へは山端の道を辿った。途中、華厳寺鈴虫寺)、月読神社等があり奈良の山の辺の道のように歴史を感じる静かな道だった。松尾大社の神饌田は、稲穂が頭を垂れ10月12日の抜穂祭を待っていた。11月23日は新嘗祭で、皇室の祭祀を彷彿とさせる。さらに北上すると薬師禅寺や妙珠寺、蔵泉庵、無量壽寺、西行法師旧跡の西光院等、歩いて初めて知れるお寺を味わった。最後は十三参りで知られる法輪寺の前を通り嵐山温泉風風の湯(ふふのゆ)に達した。

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