京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3833 愛宕山 歩荷トレーニング

12月21日 晴れ時々曇り

【メンバー】CL鹿嶽眞理子(12㎏)、高橋秀治(15㎏)、NF(15㎏)、TW(15㎏)、YK(15㎏)、小前竜吾(23㎏)、近本かずみ(18㎏)、松本正(20㎏) 計8名 

【行 程】JR保津峡駅8:17~米買道出会9:32~表参道出会10:13~水尾別れ10:25~黒門10:47~11:15愛宕神社下(昼食)12:45~神社参拝・水の奉納13:05~三角点13:30~旧愛宕スキー場入り口13:45~反射板14:20~月輪寺分岐15:02~大杉谷分岐15:12~月輪寺15:53~清滝駐車場前16:53

f:id:hirasankun:20200107115818j:plain大根鍋

【記録と感想】54期 鹿嶽眞理子

JR保津峡前に集合し、荷物の計量をして出発しました。つつじ尾根からの登りはいきなりの急登が結構ハードでしたが、天気も良く風も穏やかで歩きやすくて助かりました。時々休憩を入れつつゆっくりと登ります。木の間から美しい雲海が顔を出し、みんな見とれていました。

米買道との出会いを過ぎると、登りの傾斜は幾分楽になります。表参道に合流すると今度は階段道。水尾別れを過ぎ、黒門を過ぎ、やっと愛宕神社下に到着です。出発から約3時間みんな頑張りました。

ここで鍋宴会です。同じ歩荷するなら美味しいものを担ぎたい。是非鍋をとのリクエストがあったので、我が家特製の大根鍋にしました。

食事の後は神社にお参りし、担ぎ上げた水を神社に奉納して、三角点へ向かいました。そして今回の最終目的地の地蔵山を目指しましたが、時間が押していたので、反射板まで行って引き返すことにしました。

下山は月輪寺コースで。月輪寺には鹿が4頭もいて、お寺の方と一緒にのんびりとくつろいでいました。お寺の方の話では、去年の台風21号の災害で、今も上の山にある大量の倒木がいつ押し寄せてくるかもわからない状態なのだとか。登山道だけは通れるように整備してくださっていますが、いつまで持つかわからないようです。

時刻が気になっていましたが、何とか明るいうちに下山できてほっとしました。バスが来るまで30分ほどで、それなら歩こうということになり、JR嵯峨駅及び丸太町のバス停まで向かいました。

 

【感想】53期 高橋秀治

鹿嶽さんが歩荷例会をあげておられたので、リハビリを兼ね緩めの歩荷にて参加しました。

半年ぶりに肩にくいこむザックの重量に充実感を感じ、足をとられない様にストックでバランスをとりながらツツジ尾根を歩き、後ろから聞こえる笑い声を励みに何とか社務所まで歩ける事が出来ました。

昼食タイムは、まさかの愛宕山の参道での美味しい鍋パーティーでした。

まだまだ本調子ではないですが、ぼちぼちと皆さんの後ろからついて行きたく思います。

鹿嶽リーダーをはじめご一緒して頂いた皆さんありがとうございました。

f:id:hirasankun:20200107115857j:plain愛宕神社

【感想】54期 NF】

怒濤の12連勤、最終日は歓送迎会の幹事…。こんな体調でボッカなんてできるのかな…。

一抹の不安が胸をよぎりましたが、山頂で「かたけさん特製だいこん鍋」という大きなご褒美と、目指す冬山のために、頑張らない訳にはいかない、と、冬山装備とノンアルコールビールをザックに詰めて出発しました。

案の定、みなさまに迷惑をかけるばてぶり…。登り慣れたツツジ尾根が、こんなにも苦しいのか…。ふがいない自分が嫌になりながらも、小前さんの励ましもあり、なんとか山頂までたどりつけました。
ご褒美の鍋はやはり絶品。気温二度の山頂でしたが、あつあつの鳥ダシだいこんとショウガ、みなさまの笑顔にほっこりし、来て良かったとしみじみ感じました。8人分のだいこんとにんじんを千切りしてくださったかたけさんの「プライスレス」のお手間に本当に感謝です。ごちそうさまでした。
しばらく山岳会と離れていましたが、みなさまと登る山はどんな山でも楽しいとつくづく思います。少しずつ山に登りながら体力を回復し、また、いろんな山行にチャレンジしたいです。みなさま、ありがとうございました。

 

【感想】57期 TW

ボッカ例会とは思えないような、快適な山行でした。なじみのある愛宕山とはいえ久々のボッカに体がついていくか不安でしたが、心地よい気候のなかYKさんや近本さんと嵐(※ジャニーズの)の話などをしているうちに、あっという間に愛宕神社に着いたように感じました。楽しいと時間の流れが早いという言葉通りでした。

その後は髙橋理事長からの般若湯や鹿嶽さん特製のおいしい大根鍋。思いもよらぬ豪華な忘年会に身も心も温まりました。

冬山に備えて冬靴で歩きましたが、帰ってみると足にマメが出来ていたり、フトモモが筋肉痛になったりと、準備の必要性を実感でき、これも次の山への収穫となりました。今までボッカは「大量の汗を流し身体をきしませながら歩く」苦行的なイメージを持っていましたが、こんな楽しい山行なら、毎月でもボッカに行きたいと思えます。

企画してくださいました鹿嶽リーダー、ご一緒いただいたみなさま、ありがとうございました。

 

【感想】61期 小前竜吾

歩荷山行は決して楽しいことはなく、少し腰が曲がった状態で視線は足元の土に行きます。そんなイメージしか無いのですが、今回は鹿嶽リーダーの大根鍋がいただけ、大変楽しいものになりました。鍋を言い出したのは私です。せっかく重たいものを運ぶのですから、石とか水ではなく、実のあるものを運びたいと思ったからです。言い出しっぺにも関わらず、仕事の都合で食材の購入が出来ず、すべて鹿嶽リーダーに任せっきりになりました。いつか恩返ししますのでお許しいただきたい。スマホのログを見ると、水平距離は18km、累積標高は1200mとまずまずの負荷になりました。冬季の雪山山行につながる良いトレーニングになりました。鹿嶽リーダー、同行いただいた皆様ありがとうございました。

f:id:hirasankun:20200107115916j:plain愛宕山三角点

 【感想】61期 近本かずみ

やっぱりボッカはきつかった…でも大根鍋は美味しく、山は楽しかった。今回はそんな山行となりました。つつじ尾根からのルートは初体験で、いきなりの急登に体がついて行けず何度も心が折れそうになりましたが、一人ではない事が励みになり何とか乗りきる事ができました。急登以外は好きなタレント話などに花が咲き、ずっと笑っていたように思います(笑)。お昼は鹿嶽さん特製の大根鍋。噂に聞いていた伝説の大根鍋を食べることができ、とても美味しく本当に幸せでした。2019年納めの登山を愛宕山で、厳しくも楽しめた事を嬉しく思いました。鹿嶽さん、8人分の鍋の準備は大変だったと思います。本当にありがとうございました。そして愛宕ボッカ例会を企画して頂きありがとうございました。そして参加のみなさん、楽しい時間をありがとうございました。

 

【感想】62期 松本正

この会を通じてのお山は3回目、高齢のわりには山歴が短い私目には、恐らく皆さんが先輩、京都ならではのお仕事をされている皆さんとの出会い、目から鱗のお話の数々、とっても大変な8人分のお料理をご準備いただいた鹿嶽リーダー、お鍋とってもおいしかったです。たくさんの方と楽しい時間が持てたこと、おかげで20kgのボッカは、苦も無く、、、のはずでしたが、翌々日に身体がずっしり、にしても愛宕山は、京都の様々な歴史と文化が随所に刻まれたお山、時折、しみじみとした気持ちとなりました。

鹿嶽リーダー、ご一緒いただいたみなさま、素敵な時間をありがとうございました。

 

【感想】60期 YK

真夏の愛宕ボッカに連れていただいた時には曲がりなりにも15kg持てたので、冬のボッカではもっと重くするのだ!と狙っていたが、風邪のため15kgギリギリにさせてもらうことにした。その時点で、私の山行目的は大根鍋となった。久しぶりにご一緒できた方ともおしゃべりしながら、調味料だの具だのをわいわい回しながらの鍋大会は楽しく、よい一年の登り納めができた。また大根・人参・生姜の根菜三重奏のおかげか長引く風邪もその日から快方に向かった。前日に2時間かけて大根を刻んでいただいたリーダーに感謝の山行だった。

〈個人山行〉京都百名山シリーズno.98・99 鷲峰山・三上山

令和元年12月21日(土)

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鷲峰山(じゅうぶせん682m)は、宇治茶の産地、相楽郡和束町にある。山域は真言宗醍醐派の金胎寺境内で山号も鷲峰山、役行者の開いた寺で五光の滝への行場がある。三上山(さんじょうざん473m)は、海住山寺の北方にある山で、展望櫓からの展望が良い。今回はこの2山を繋ぐ長距離縦走を行った。

【メンバー】 山本浩史L、加藤一子

【山  域】 京都府和束町・宇治田原町加茂町

【行  程】 京都6:01-7:27加茂7:50=8:10原山8:14~9:39鷲峰山9:44~9:55金胎寺山門~10:05鷲峰山~10:25鷲峰山三角点~10:23平岡分岐~11:13犬打峠~11:44奥岸谷山12:13~12:54白栖三角点~13:23北山13:28~14:05三上山14:13~14:38鳴子川渡渉~14:57海住山寺15:03~15:55加茂16:11-17:12京都

【登山データ】 曇り一時晴れ 歩行22.7㎞ 7時間37分 延登高1,323m 延下降

1,436m 4座登頂 

長距離縦走なので6時の奈良線で出発した。加茂駅で加藤さんと合流し和束町原山へのバスに乗った。全区間京都府下を走るのに何故か奈良交通バスが進出している。原山の集落は船屋坂三角点峰の急な斜面の南側に広がり、鷲峰山の表参詣道とされる東海自然歩道を歩いた。原山地区の茶畑は山の上まで拓かれ、中でも円形茶園は特異な景観で知られている。参詣道は船屋坂三角点峰の中腹を巻いて進むと東に張出した処の東屋の中にお地蔵様が鎮座していた。やはり古来の参詣道であることが窺えた。清水谷川を上る道となり林道に乗り上ると大きな石に「下乗」と刻まれ、金胎寺の寺域に入ったことを知らされた。

山門に到ったが入山料を取られるので門内には入らず折り返すように林道を辿って行くと彌勒殿や多宝塔、行者堂のエリアに達した。多宝塔は永仁6年(1298年)の建立で重要文化財に指定されている。更に登って行くと鷲峰山(682m)山頂で此処にも鎌倉時代重要文化財の宝篋印塔があった。宝篋印塔の案内板を兼ねた山頂標識を前に記念撮影をして北尾根へと下った。道は不明瞭で木立の中を適当に下って行くと林道に飛び出した。電波塔の取付道路が分岐する処から東のピークに這い上がった。

681mのピークには1等三角点「鷲峯山」があり東方向の展望が得られた。此処には六角形のコンクリート柱の“天測点”があった。大文字山で見たのは同じ形で“菱形基線測点”だった。この天測点は用途が少し違い、戦後1等三角点網の東京基点からの捻じれを補正するため全国48箇所の1等三角点の傍に設置された観測台で天文測量が行われた遺物である。

来た道を戻り、林道を歩き鷲峰山の西側を巻いて宇治田原町平岡への道を見送り、和束町と宇治田原町の町堺尾根を辿った。林道と登山道、農道が入り交じり地形図に無い道も沢山あり、ルートファインディングに神経を使うエリアだ。地形図には「∴」の記号が点在している。余り見慣れないがこの地域ならではの茶畑の記号で稜線にまで点在している。斜面に広がる刈り込まれた茶畑の景観は美しく、展望も得られるので気持ちが良い。

4等三角点「三本松」を目指していたが一つ先のピークまで行ってしまい三角点は断念した。犬打峠(368m’)に下り茶畑の農道を登り返した。農道から登山道に分かれ稜線を進んだ。踏み跡を辿り稜線からはみ出した奥岸谷山(522m)に達した。3等三角点「腰越谷」が置かれているが展望は得られなかった。昼食休憩を取っているとやはり12月、体が冷えてきて早々に出発した。

南に続く町界尾根は複雑な地形で地形図を確認しながら進んだ。ルートから外れる中栖三角点へは藪を這い上った。稜線には地図に無い農道があり暫く歩くとまた道が無くなり藪に突っ込だが問題なく4等三角点「白栖」(484m)に到った。谷の源頭を3本巻き込むように半円を描いて北山へと進んだ。一つ手前のピークには「P490」の黄色いプレートが掲げられていたが標高点でもないようだ。南に下り北山(487m)山頂に到ったが樹林帯で展望は得られなかった。

P490の西端に戻り北へと下り縦走路に戻った。左手に登山道が分岐したがコンパスで確認するが少し方向が違うようでそのままメインの道を進んで行くと段々コンパスの矢印が北を示し出しこれはおかしいと引き返し左手の道に進んだ。この後は比較的直線的に南西に進み登り返し峠を越え谷の源頭の右岸の稜線を下り鞍部から三上山への登りが始まるという複雑さ、登り口に「三上山へ」と表示があり始めて丁寧な指導標を見た。

京都百名山に選定された三上山(473m)は、3等三角点「三上山」が設置され、傍らに展望櫓が設置されていた。手摺りが異常に高く展望の邪魔。北東方向には北山と鷲峰山が重なって見え長い尾根を歩いて来た実感が得られた。南に下る道があり下って行くと林道に飛び出す寸前に「冒険の道」なる登山道が稜線に続いていた。地形図には点線道だけが描かれているが、林道がそれだと思い冒険の道はいったいどこに行くのか情報がなくどっちに行ったものかと思案したが、車道を歩くよりは“冒険”してみようと登山道を進むことにした。

分からない道を進む不安を持ちながら何れにしても鳴子川に下るだろうと進んで行くと結果は林道の方が地図に無い道で冒険の道が歩こうとしていた道だった。この林道はグーグル地図には既に描かれていた。鳴子川右岸に達し渡渉して南側の谷間に付けられた道を登って海住山寺へと向かった。稜線に到ると「←海住山寺 神堂寺→」の標識があり左手に進むと少し下って海住山寺(かいじゅうせんじ)の境内に達した。通過だけでも入山料100円が必要とあるが安い。桜の広場から加茂の街が俯瞰出来、関西線のトンネルがある大野山(204m)が木津川沿いに存在感を持っていた。

本道に到ると生憎、工事中で覆いが被さっていた。五重塔は建保2年(1214)の建立で国宝に指定されている。本堂の十一面観音立像は重要文化財で拝観するには追加で300円必要、工事中の本堂、しかも登山靴を脱ぐのが面倒でパスした。離れた処にある山門は歩いてこそ通ることができる。後は車道歩き3.5㎞で加茂駅を目指した。のどかな茶畑の縦走を終え加茂駅到着、駅前のローソンで缶ビールを買ってホームの待合室で乾杯して帰路に着いた。 

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写真1: 鷲峰山金胎寺の多宝塔(重要文化財

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写真2: 鷲峰山(682m)山頂にて

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写真3: 奥岸谷山(522m)、鷲峰山(682m) 白栖三角点北稜線より

〈個人山行〉京都百名山シリーズno.97 喜撰山

令和元年12月14日(土)

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喜撰山(416m)は、宇治市池尾にある山で平安時代六歌仙喜撰法師がこの地に隠棲したことに因む。また「喜撰」とは宇治茶の銘柄でその上級品を「上喜撰」と称したことから幕末ペリーが4隻の黒船で来航した際、「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も寝られず」と読まれた狂歌は幕末の混乱の始まりを上手く風刺して面白い。

【メンバー】 山本浩史L、安宅耗人、中尾諭、高橋秀治、土井司、松本正

【山  域】 京都府宇治市

【行  程】 京都8:32-8:52宇治9:02~9:18宇治神社~9:22宇治上神社~9:48仏徳山~9:56朝日山~10:29神女神社~11:43小ピーク12:05~12:45喜撰洞~12:53喜撰山13:00~14:03槇尾山~14:58天ヶ瀬ダム15:04~15:50宇治15:55-16:12京都

【登山データ】 晴れ 歩行18.2㎞ 6時間48分 延登高1,057m 延下降1,057m 4座登頂

宇治は世界遺産になった平等院宇治上神社の観光と宇治茶が観光地としてクオリティーを上げ沢山の外国人観光客を集めている。然も今日はJR東海のさわやかウォーキングのイベントが行われ日本人ハイカーも多く訪れていた。イベントのコースは宇治川左岸から天ヶ瀬ダム方面を往復するようで宇治橋までは彼らのルートと被った。宇治茶のお店が並ぶ通りは電柱が地中化され観光地としての雰囲気を醸し出していた。宇治橋を渡り右岸の道を歩いていると12月中旬だというのに今が盛りの紅葉が楽しめ宇治神社に達した。

宇治神社のすぐ北にある宇治上神社世界遺産に認定され多くの参拝者が訪れていた。本殿は国宝で神社建築としては最古の流造の様式で覆屋の中に菟道稚郎子命(いじのわきいらつこのみこと)、応神天皇仁徳天皇を祀る内殿3棟がある。境内には宇治七名水のうち唯一現存する「桐原水」があり建屋に覆われていた。神社の横手から“さわらびの道”に出てすぐ大吉山展望台への道が分岐した。何度も折り返す車道のような道で展望台に達すると平等院が眼下真正面に見え素晴らしい。

もう少し進むと仏徳山(132m)山頂に達したが、此処からは展望は得られない。小さな山頂標識が掲げられ「大吉山」と括弧書きが付されていた。仏徳山はこの真下にある光正寺の山号が山名として一般化したのだろうか? 3等三角点「旭山」が山頂標識の前に積まれた小石の山の前に置かれていた。一体何の小石なのだろう? 少し下って「朝日山観音→」の標識に従って進むと山頂に向かう道が分岐した。山頂域に達すると赤い屋根の観音堂があり信仰登山の地元の人々が訪れていた。山頂は10m程先で朝日山(124m)の小さな山頂標識が掲げられ、菟道雅郎皇子之墓があった。宇治上神社の祭神の“菟道稚郎子命”のと一致するが、日本書紀によると応神天皇により皇太子に立てられたが異母兄の仁徳天皇皇位を譲るために自殺したとされる。これで宇治上神社の3神の関係が紐解けた。因みに宮内庁の管理する墓が三室戸駅近くにある。

東海自然歩道を歩き志津川集落に下りた。志津川を渡り東の尾根の麓に到ると神女神社がありその裏から微かな踏み跡が続いていた。徐々にしっかりした道になりP290に達すると送電鉄塔が近くにあり現在位置を確認できた。この先の稜線は送電線と絡むように北北東に進むことになった。次のピークでは別系統の送電鉄塔があり眼下には採石場が広がっていた。志津川を挟んだ北側には、五雲峰(343m)と日清都CCのコースが望め、志津川上流を見ると陶芸の里炭山集落が谷合に隠れ家のように一塊に集落を形成していた。その上方には日野岳(373m)や比叡山(848m)も望めた。

稜線の縁に出るとギリギリまで削り取られた山肌が無残にも土を曝け出していた。時間が押して来たので喜撰山での昼食を諦め、送電線を3回潜ったピークで取ることにしたが、知らぬ間に4回潜ってルートを外れ東側のピークに飛び出していた。展望のないピークで休憩し昼食後は送電巡視路を辿り喜撰山ダム湖からの道に下りることにした。山麓送電鉄塔を目指して南東に尾根を下ると送電鉄塔の周辺が伐採され喜撰山の展望が得られた。車道に飛び出す処は不明瞭で道路から取付くのは難しいだろう。車道を歩き峠まで進むと東側は喜撰山ダム湖でダム本体まで望めた。

喜撰山ダムは、寒谷川に設けられた揚水発電用のダムで、下池である天ヶ瀬ダム湖(鳳凰湖)との間で水を往来させて発電しているのでダムから直接流れ落ちる水はない。ダム本体は公開されていないので取付道路もフェンスで立ち入りが規制されている。フェンスの横から喜撰山登山道が始まり、暫く上ると直登路から喜撰洞への巻道が分岐した。巻道を進み西側の谷間に出ると岩の隙間の奥に円満そうな姿の喜撰法師像が安置されていた。喜撰法師平安時代六歌仙の一人に数えられる人で宇治山に隠棲したと伝わる。また「喜撰」とは宇治茶の銘柄でその上級品を「上喜撰」と称したことから幕末ペリーが4隻の黒船で来航した際、「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も寝られず」と読まれた狂歌は幕末の混乱の始まりを上手く風刺して面白い。

西尾根に廻り込み喜撰山(416m)山頂に到ると3等三角点「喜撰山」があり倒れた木に黄色い山頂標識が括り付けられていた。暫し休憩して南東に下った。やがて林道に出ると比較的整備された車道だがビニールのゴミが散乱していた。西側の下の方には宇治市の粗大ごみ処分地がある。地形図から採石場かと思われたが、人里離れた山中に埋めているのだろうか? 登山道のゴミは風で舞い上がったものが散乱したのではなかろうか? 赤松林の林道は気持ちよいがゴミが気になってしようがなかった。

長い林道歩きの末、天ヶ瀬森林公園の案内板のある所に達した。工事用のコーンが置かれ穏やかではないが気にせず入って行った。軈て“眺望の道”と“ツバキの道”が分岐し、“眺望の道”を行くと槇尾山(330m)山頂に到った。展望台が設えてあるが展望は朝日山方向だけに限られていた。水分が多くなってきたのか霞んで見通しが悪い。“落ち葉の道”から野鳥観察小屋に到ると千両なのか万両なのか真っ赤な実を付けた木と稍オレンジ掛った実を付けた木が並んでいた。馬ノ背展望台は、周りの木が育ち過ぎて最早展望は失われ只のお立ち台となっていた。“憩いの広場”に達すると森林公園の入口で昭和63年荒巻知事揮毫による「共遊槇尾山 想緑豊国土」の石碑があった。

ここで地図を確認すればよかったのだが明瞭な道の方に何の疑いもなく進んで行くとどんどん山中に入って行き大きな山の壁に到り、「?」となり全く逆方向に進んだことに気が付いた。虚しく引き返し「ダム近道→」の標識を見つけ階段を下り天ヶ瀬ダムに下り立った。しかし紅葉の道を歩き、展望台から天ヶ瀬ダムを望めたのは間違ったからこその怪我の功名でまあよしとしておこう。天ヶ瀬ダムは昭和39年に完成したダムで大正13年に建設された志津川ダムを飲み込んでしまった。この地には嘗て“おとぎ電車”なる列車とプロペラ船が観光に寄与していたが昭和35年5月までに廃止になりダム湖に沈んでしまった。

川沿いの道が災害で通行できず、歩道のない府道3号線を歩き宇治市街に戻った。平等院前に来ると冬の夕日を浴びた仏徳山が美しく、心配されたさわやかウォーキング一行とバッティングすることもなく宇治駅に戻ることができた。京都行の快速が5分後の絶妙な時間にあった。京都駅前で反省会を行い18時過ぎに解散した。

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写真1: 喜撰山山頂にて

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写真2: 天ヶ瀬ダム槇尾山(330m)

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写真3: 中ノ島と仏徳山(132m) 平等院裏より

〈個人山行〉京都百名山シリーズno.92~96 音羽山・牛尾山・高塚山・千頭岳・醍醐山

令和元年11月23日(土) 

f:id:hirasankun:20191127113845j:plain音羽山(593m)は、山科と大津の間にある展望の山。牛尾山(546m)は、牛尾観音の背後にある地味な山。高塚山(485m)は、山頂標識もなくひっそりとした山、千頭岳(600m)は、京都滋賀の府県境にある双耳峰で西峰は京都市域となる。醍醐山(454m)は、醍醐寺の山で山頂域は上醍醐と呼ばれ開山堂や准胝堂がある。今回はこの5座を巡った。

【メンバー】 山本浩史L、加藤一子、近本かずみ

【山  域】 京都市山科区伏見区滋賀県大津市

【行  程】 山科駅8:03~8:46音羽川登山口~10:02音羽山10:25~10:50牛尾山~11:24千頭東峰11:55~12:09千頭岳西峰12:13~13:09高塚山13:22~13:55醍醐山14:00~15:00醍醐寺南門~15:14醍醐駅15:19-15:37京都

【登山データ】 晴れ 歩行17.8㎞ 7時間11分 延登高1,122m 延下降1,161m 6座登頂 

JR山科駅を出発地として街中歩きで名神高速道路の高架を潜り山科区小山で山科音羽川沿いの道となった。徐々に谷間が狭まり住宅地が途切れるころ白石神社の石段を左に見るとコットンコットンという音が聞こえてきた。“露山水車”と呼ばれるもので平成29年に造られた小屋があり杵臼の音を響かせていた。完全に人家が途切れ谷が狭まった処に鎌研ぎ橋登山口があり、獣除けフェンスに入口があり音羽山山頂への案内と共に犬の捜索願が掲げられていた。

登山道に入り山科音羽川沿いの道を進んでいる心算だったが予定していた音羽山西尾根への取付きは何時しか通り過ぎていた。支流の谷も明瞭な道なのでそのまま進んで行くと昨年の台風によるものと思われる倒木が登山道を塞ぐように倒れているが切断されて登山道部分が確保されていたので安心して進むことができた。適度に赤テープもあり歩く人はいるようだ。水線のある谷をそのまま遡行すると遠回りになりそうなので左岸の枝沢に取付くと恐ろしく傾斜が急でガレ場の足元は崩れそうで慎重に登って行った。谷が深いのかGPSからピーと云う音がし衛星信号をロストしてとんでもない処を示すようになった。

水流が途切れ谷の窪みが薄れると何処を歩いても同じようで送電線が近づいて来ると音羽山(593m)山頂に乗り上った。山頂には送電鉄塔がありフェンスで囲われていた。山頂標識はフェンスに掲げられ、その手前には3等三角点「小山」が設置されていた。山頂からの展望は素晴らしく背の低い東山連峰が横たわりその後方には西山連峰が横たわっていた。府県境の山で東の方には琵琶湖が見え煙霧のたなびく上に蓬莱山(1,174m)を始め比良連峰が望めた。眼下の山科盆地はJRの列車や新幹線がおもちゃのように見えパノラマを楽しめた。激闘の疲れを癒していると次々と登山者が登頂してきた。皆大谷から登ってきたようだ。

滋賀県との境界尾根を南に進み牛尾山を目指していると稜線道と分かれて牛尾観音への下山路を下り始めてしまった。稜線に戻って東に進むと牛尾山(546m)に達した。山頂標識もないはっきりしないピークだった。南側の小ピークを越えた鞍部で東海自然歩道が東に分岐し石山へと下って行った。府県境尾根の縦走路は南東方向に続き徐々に標高を上げて千頭東峰(600m)に到った。現地の標識には「東千頭岳」と記されていた。山頂からの展望はなくベンチがあり昼食休憩を取った。

西に進み小高いピークに達すると何処から来たのかオフロード車が上がって来ていた。千頭岳西峰(602m)は山頂付近で送電線が交差し、山頂には赤白に塗り分けられた巨大鉄塔がフェンスで囲われていた。三角点を探すとフェンスの東側で本来フェンスの内側に入る位置だが三角点部分はフェンスが食い込んで外側に出ていた。そのフェンスに山頂標識が掲げられていた。近道はないかと探すとフェンス沿いに踏み跡があり下ると登山道の合流地点に赤テープが巻かれていた。

鞍部から京都国際CCのエリアへと入って行ったが、このゴルフ場は平成24年9月の台風18号でコースに被害を受け、取付道路も途絶し営業を休止、折から会社更生手続きが進められていたがそのまま事業廃止となってしまった。コースの跡はメガソーラーの施設となりコース一面にパネルが敷き詰められていた。施設の外側を迂回して進みゴルフ場の取付道路に抜けた。車道から登山道への分岐を地形図で確認して薄い踏み跡を谷に下りて行った。上がらなくてもよかったが小ピークを経由して谷を進んだ。牛尾観音からの道が合流し西に進んで高塚山(485m)に到るが3等三角点「高塚」があるだけで山頂標識はなかった。ベンチのある所から山科の市街が見えた。

来た道を戻り再びゴルフ場跡への道に出て南下すると西側に展望地があり伏見桃山城や大岩山が見えた。大岩山にあった伏見桃山ゴルフコースも平成26年に廃業してメガソーラー施設に変わっていた。横峰峠に達すると府道782号線が越えているが西側は荒れたダートで車の走れる状態ではない。此処から登山道となり南下して醍醐山(454m)に到った。登山道の途中に山頂標識が掲げられただけのピークで呆気なかった。この先は上醍醐で有料エリアとなるので引き返し横峰峠から府道782号線を下るが途中に短絡道があり入って行くと倒木が道を塞ぎ整備されていないので跨いだり潜ったりして進んだ。横峰峠からの登山道支線に合流したが状況は変わらず本道と合流して状況が好転した。

障害物の無くなった道を下っていると自転車を押した男性が登って来た。凸凹が酷く乗ったまま走るのは難しいようだ。女人道に達すると上醍醐からの道が合流し、醍醐寺の有料エリアのフェンス裏を歩いて醍醐寺仁王門に到った。三宝院の前を通り総門から振り返ると紅葉で賑わう仁王門の上に醍醐山の稜線が横たわっていた。醍醐東団地を通り地下鉄醍醐駅に到り山行を終えた。早く終わったので京都駅に戻りゆっくり反省会をした。

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No.3826 青山讃頌舎・美術館と御伽峠を越える

11月17日(日)晴れ

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【山域】伊賀~甲賀

【メンバー】CL穐月大介、SL加藤一子、山本浩史、土井司、山形眞知子、近本かずみ、波佐場春香、会員外3名 計10名

【行程】近鉄青山町駅9:20~9:40大村神社~10:00靑山讃頌舎・美術館・茶室鑑賞11:40~近鉄青山町駅11:02=11:44上野市(上野城観望・昼食)12:46=12:53新居〜14:45御伽峠~15:10高旗山〜15:30御伽峠〜15:35仕置場〜16:30伊賀辻=信楽駅17:06=18:30京都

 

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【記録と感想】56期 土井司

穐月リーダーの呼込みに紅葉のハイキングと美術館見学を楽しみに参加した。

京都から電車に揺られ約2時間かけ青山町に到着。駅に着くと穐月リーダーが待ってくれており本日の山行資料をいただく。まずは大村神社へ行き宮司から「なまずのお供え物」の説明を受ける。その後隣接の青山讃頌舎へ移動し穐月リーダーの説明のもと展示品を鑑賞する。趣のある心温まる作品ばかりで皆見入ってしまい、リーダーのお母様と哲さんにじっくりお茶をいただく予定がなくなり、それどころか駅までランニングにで移動するはめになった。

近鉄伊賀神戸までいきそこから初めて乗る伊賀鉄道で上野市までむかう。伊賀鉄道の車両には忍者のイラストがされており駅舎や車内には忍者のレプリカ(人形)が設置してあった。車内でもリーダーの伊賀惣国一揆と点在する山城の説明をうけ、忍者を生み出した伊賀衆に思いを馳せた。忍者駅と表示してある上野市駅で下車し上野城のお堀を周回しお昼ご飯とした。ここでも周回に時間を有し芭蕉記念館へ行く予定が中止となる。

昼食後、再び伊賀鉄道に乗り新居駅で下車。ここから本例会のメインである御伽峠を目指し歩行をスタートとする。ここは徳川家康本能寺の変の後、堺から三河へ逃げる時に通ったとされるルートを逆にたどるコースで、まずは里山歩きを30分ほどして山道に入る。ちらほら紅葉しているが山全体までにはなっていない。道はあまり整備されておらずところどころ藪漕ぎをしいられた。藪を抜けたところで御伽峠手前の車道に出、高旗山へはここから急階段を登っていく。ここには案内版が設置してあり山頂までは20分と表示されていた。急階段を登ると「あと一息」の看板が立っているがまだ5分も経っていない。登山道は良く整備されており、これから察するとこの地域ではメジャーな山であろうと思われる。登山口の案内看板どおり20分ほどで山頂に到着する。山頂は樹木はなく芝が広がっており展望が素晴らしく、伊賀上野の街が眼下に広がっていた。地元小学校の卒業記念登山をおこなっているらしく、年度毎に植樹されているが半数は枯れてしまっている。御伽峠へ戻り(実は少しショートカットしたのだが)多羅尾集落に向う。車道から少し入り込んだところに仕置場跡なる場所があり、かつての処刑場らしくどことなくおどろおどろしい雰囲気をかもしだしていた。この先は整備がされておらず雑草が生え盛る中を進んでいった。一旦車道に出て再度昔の道を歩くのだが、その入り口が見当たらず、穐月リーダーが苦労の末探し出し予定通りの道を進むことができたが、鋳薔薇の中の藪漕ぎであり今回の山行の核心部であった。

一般道まで出たが多羅尾屋敷へ行く時間がなくこれも中止とし、予定より一つ前の停留所でバスに乗り信楽駅へと向かう。信楽高原鉄道も初めて乗車したのだが、車両全体が現在NHK朝ドラで放送しているスカーレットバージョンとなっており朝ドラの偉大さを改めて感じ入った。高原鉄道で貴生川までいき、そこでJRに乗り換え京都まで帰り有志にて反省会をおこない解散した。今回はリーダーの説明付例会で少し学を得た山行であった。

穐月リーダー、美術館の説明にお茶菓子及びお茶のお振舞それに歴史の説明等々ありがとうございました。またご一緒いただきました皆さん楽しい時間を共有いただきありがとうございました。また青山へ行ってみたくなりました。

 

【感想】59期 山形真知子
リーダーの説明を聞きながらの、ゆったりとした歴史ハイクのつもりでしたが、少し違っていました。芭蕉も越えたと言う御伽峠越えは、廃道に成っている所もあり、豊かな自然を感じる事が出来ました。車道が出来ると、山道は自然に帰って行くのですね。読図の必要性を改めて感じました。(リーダーに脱帽)

又、若い皆様との山行は楽しく心躍ります。力を分けてもらった様な気持ちになり、もう少し山へ行ける様な気がします。少し足を引っ張った様に思いますが、皆様の優しさを感じ、心温まる思いで帰宅致しました。有難うございました。

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【感想】61期 近本かずみ

以前より青山讃頌舎には行ってみたいと思っており、今回都合が付いたので参加させて頂きました。絵画や俳句に疎い私でしたが、詳しく説明をして頂き、絵画の素晴らしさを感じることができました。しかも紅葉の良い時期であったため、建物とお庭を彩る紅葉も楽しむことができました。お抹茶をゆっくり味わう時間はありませんでしたが、美味しく頂くことができました。

御伽峠を巡るハイキングも思いがけず歩きごたえがあり、伊賀の街を一望できる素晴らしい所もあり、しっかりと楽しむことができました。

穐月さん、参加された皆さん。ありがとうございました。

 

【感想】62期 波佐場春香

久しぶりに文学とアートに浸る時間を持てた山行でした。芭蕉俳諧のユーモアと自由さに触れ、また、穐月さんの解説、芭蕉手塚治虫のように民衆に影響を与えることを自ら意識した人であった、という話を聞き、俳句に新たな面白さを発見しました。展示には芭蕉の俳句のロシア語訳に絵が添えられた作品もあり、おそらくあまり日の光の強くないであろう5月の若葉の絵には北欧のムーミンの絵のような雰囲気が見られました。物語のある展示に、駆け足で観て回ることを惜しく感じました。満月の絵は、白を塗らず紙の地色のまま丸く残されており、月と空の際は暗く広がるに連れ空はまた白くなり、しかしながら夜とわかります。魅力的な絵でした。犬の絵も花の絵も、暖かみのある字も、もっと眺めていたかったです。

伊賀は山も街も美しい場所でした。

今度はゆっくりと訪れたいです。

リーダーの穐月さん、このような優雅な時間を作っていただき、ありがとうございました。小旅行のような1日をご一緒いただいた皆さま、ありがとうございました。

 

【感想】25期 穐月大介

退職後土日が仕事になり例会にほとんど行けなくなってしまいましたが、毎年一回は伊賀を紹介する例会を組んでいます。私の運営する靑山讃頌舎・美術館の今回のテーマは「絵で見る俳句」、山行のメインは御伽峠越えとしました。この日は展示も然る事乍ら青空の下、真っ赤な紅葉を見てもらえたのは幸運でした。

伊賀といえば忍者と芭蕉ですが、どちらも正しく理解されているかは疑問です。展示では俳句の歴史と芭蕉の功績を、山行では伊賀を横切り御伽峠越えをしながら伊賀惣国一揆の実態をお話ししました。伊賀惣国一揆というのは在地武士や農民の自治組織で、織田軍などに対し防衛戦を展開しました。伊賀の在地武士とは村々の所謂忍者たちです。戦国時代、伊賀はまさに忍者が治める国だったのです。

芭蕉も江戸で活躍した俳人のように思われていますが、しょっちゅう伊賀に帰っていました。御伽峠を徒歩で越える事で彼らの旅を少し体感したいと思いました。

携帯が通じそうだったので体力に応じパーティーを分けました。また、少し欲張りすぎ皆さんには忙しない思いをさせてしましました。もう少しゆっくりしていただけなかったのが申し訳なかったですが、知的にも実際にもちょっと冒険できて楽しかったです。

皆さまありがとうございました。