京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.2890 50周年記念海外登山 台湾・玉山(3,952m)

会創立50周年記念事業の一環として海外登山を日本にもなじみの深い台湾の地に求め、旧呼称「新高山」、現「玉山」の登山を企画した。

玉山山頂(3,952m)

 【日程】2008年7月2日(水)~7月6日(日)

【参加者】10名

【目的】会創立50周年記念事業の一環として海外登山を日本にもなじみの深い台湾の地に求め、旧呼称「新高山」、現「玉山」の登山を企画した。

【玉山のコース&タイム】

7月3日(木)

奮起湖飯店5:00起床-7:00出発=(バス移動)=上東埔駐車場9:10-9:25-排雲管理所9:35-9:55=(マイクロバス移動)=塔塔加登山口(2610m)10:00-10:25-孟祿亭(2,838m)-前山前峰分岐11:50-西峰観景台(3,096m)14:25-大峭壁14:40-排雲山荘(3,400m)16:05

7月4日(金)

排雲山荘1:10起床-2:20出発-玉山南峰分岐-玉山北峰分岐-玉山(3,952m)4:50-5:35-排雲山荘7:00-7:50-大峭壁9:25-西峰観景台-前山前峰分岐10:27-塔塔加登山口12:36=(マイクロバス移動)=上東埔駐車場12:50=(バス移動)=水理(食事)=台北19:00

 

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【記録】36期 Y.T.

7月3日(木) 晴れ 午後遅く雷雨

奮起湖飯店(ホテル)は山間の小さな村にあった。小さな山荘がいくつかあり、土産物屋が並ぶ路地があった。中には「民宿」の看板も見え日本の影響も感じられた。阿里山鉄道の奮起湖駅があった。昔活躍していたSLが保存されているとのこと。ここで先発し阿里山に登ってきたS方さんの友人3氏と合流する。円卓を囲んで朝食。初めての台湾食、お粥よりご飯を食べるべしとの経験者のアドバイス。そのせいかご飯のほうが早く無くなったようだ。

 

バスで上東埔まで移動。谷合いの山道から3,000m級の山が見える。山が深い。上東埔にはすでに何台か車が止まっていて、登山者が順次出発していました。我々の食材を担いだポーターも出発していった。昼食の弁当が配られた。

 

上東埔駐車場から排雲管理所まで移動。入山届けはリーダーの程志誠(ニックネーム・ヤンロー)さんが塔塔加小隊(警察駐在所)に出した。すぐ上の排雲管理所で入山手続き(パスポートの提示)を終えた。厳しく管理しているようだ。ここで程CLの指導で入念に準備体操をした。

マイクロバスで 塔塔加登山口まで移動。塔塔加登山口は林道の鞍部で広場になっていて玉山峰の展望台だ。玉山の主峰は見えないようだ。次々と到着する登山者で賑っている。記念写真を撮って出発、登山はここから始まる。

25名の登山隊(塔塔加登山口)

日本人10名と2人のガイド(排雲管理事務所にて)

 

前峰の右斜面に沿って登山道が見える。排雲山荘まで8.5Km標高差800mを6時間ほどかけて登る。登山道は玉山-玉山西峰-玉山前峰と続く尾根の南側中腹に刻まれている。歩き始めて直ぐに高山植物が現れる。私には分からないが結構沢山あるようだ。右手には塔塔加から谷底に下っていく林道が見える。塔塔加登山口から南側の鹿林山に続く登山道も見えた。

 

向かい側は玉山から南に延びる尾根で、荒々しい壁が見える。登山道はよく整備されていて要所には橋がかけられている。橋には番号が付けられていて山荘の近くは83番だった。足元は高いところで数百メーター落ちているが、樹木のおかげでそれほど高度感はない。黒部峡谷の水平道の台湾版といった感じだ。

 

孟祿(モンロー)亭にはソーラ発電のあるバイオ式のトイレがある。

前峰分岐を過ぎ西峰観景台に向かう。道は左に大きく回りこんでいて玉山主峰方面は隠れてしまう。標高2,900から3,000mの水平道。日本ならとうに森林限界を過ぎているのに、緯度が低いので植生は豊か、笹まで育っている。

西峰観景台には展望台がある。玉山南峰が真正面に見える。稜線の左端に玉山の主峰が見える。頂上かどうかは確かでない。程CLが湯を沸かしてくれた。コーヒー休憩。同じグループの家族で参加している台湾の女性がかなり苦しそうだ。

 

西峰観景台から500mほど歩いて昼食になる。奮起湖飯店の弁当。この弁当は台湾で一番おいしい(駅弁)と言われているようだ。

 

昼食後雨が降ってきた。雨具を付ける。雷雨のようで、近くで大音響がしたがガイド程さんは傘をさしたままで動じない。雨に雹が混じっていた。雨の中の対岸の切り立った山は水墨画を思わせた。

大峭壁は巨大な一枚岩 かって海の底にあったというから驚きだ。雨の中での休憩となった。ハーケンやボルトが見当たらないので、岩登りは禁止されているのかもしれない。この先の峰の落ち込みを回り込むと山荘は近い。樹木の間から山荘の赤い屋根が見えてきた。雨も小降りになってきた。

排雲山荘は先着の登山者で賑わっていた。目指す玉山頂上はかなり遠くに感じられた。6時頃には晴れて虹までかかった。山荘の中は2段式で、われわれに与えられたのは、上段が男6人分、下段が女4人分。ゆったり寝られるスペースだった。シュラフも綺麗で、シュラフカバーなしで眠れた。

排雲山荘(3,400m)

 

夕食はポーターが担ぎ上げた食材で数種類のおかずが用意されていた。雨だったので炊事場近くで立ち食いだった。天気がよければ表のベンチで食べるのだろう。少々油と香辛料?が気になったが問題なく食べられた。

後から到着した人でほぼ満員のようだ。テントも4張りあった。7月から学校が休みになって、学生も多く登ってきている。日本のグループは我々だけのようだった。台湾の皆さんの賑やかな話声と雨音の中、皆珍しく酒抜きで眠ってしまった。

 

7月4日(金) 晴れ

雨はすっかり上がり、満天の星空で天の川が美しかった。オリオンを探したが分らなかった。朝食は表で立ち食い。準備体操をし、ヘッドランプをつけて出発。今日はずっと登りが続く。標高差550mを2時間半で登る。足元を見つめ黙々と登る。3,700m位で樹木が低く、まばらになる頃、下の町の明かりが見えた。森林限界はかなり高い。

崖の下のトンネルを抜けると登りがきつくなる。ストックをデポしたりしまったりする。玉山北峰分岐からはさらに急登となりガレ場が続く。上も下もヘッドランプの明かりが続く。何人かは高山病か道端でうずくまっていた。岩峰に着くとそこが頂上だった。

頂上直下のガレ場

 

頂上には既に多くの人がいて、日の出を待っている。我々は皆元気に登頂できた。山荘で少し頭痛がしたが頂上では治っていた。日の出前で寒く、フリース着ている人もいた。5時を過ぎると遠くの山の峰と雲が茜色に染まってきた。5時10分頃ようやく太陽が昇ってきた。皆日の出に向かってシャッターを押している。日の出はどこで見てもいいものだ。明るくなって頂上の碑の前で記念写真、順番が大変だ。CLの程さんがコーヒーを暖めて出してくれた。彼はいつもヤカンを下げていたが、要所でお湯を沸かしているようだ。四方に伸びる尾根には、それぞれ3,000mを超えるピークがあり、朝日に美しい。皆切り立った岩山だ。東には清の時代に開かれた八通関古道の一部が残っていて、縦走できる。

山頂から見た玉山北峰

 

来た道を下る。登る時は暗くて分からなかったが、かなりのガレ場で今も崩壊が進んでいるようだ。左手は玉山南峰稜線で、中腹の地層がむき出しで見える。登山道や気象の観測塔も見える。玉山南峰分岐から登山道が分かれているが、登っている人は見えない。ほとんどがメインルートを歩いている。山荘近くでリスを見た。

 

排雲山荘で麺の昼食。パッキングし直して出発。CL程さんは下山後の温泉は時間的に無理のようだと言っていた。登ってくる人と挨拶を交わす。日本人とわかって「こんにちは」「がんばって」と声をかけてくれる人、我々の「こんにちは」で日本人と知る人。顔や体形が似ているせいか外国の山という感じは少ない。歩荷の青年は地元のブヌン族のようだ。途中で日本からの登山者数人と会った。結構長い下りで孟祿亭を過ぎ、登山口が見えるとほっとする。我々は旅行者から支給された青のザックカバーを着けているので良く目立つ。先頭は登山口近くまで進んでいるが、最後尾はかなり遅れているようだ。

 

塔塔加登山口からマイクロバスで上東埔駐車場間を移動。温泉が無理なのでここで着替えをする人もいた。他のグループの人たちが降りてくるのを待ってバスで出発。来た時と違う道を走っている。皆の関心事は昼食(夕食?)をどこで取るか・・。ガイドの程さんの説明が不明で、あれこれと話しているうちに水理の里に到着した。観光地の日月潭の近くのようだ。レストランで待ちに待ったビールで「お疲れ」の乾杯をした。

丸山大飯店での夕食(黄さんを囲んで)

 

バスは自動車道を一路台北に向かって走る。ビールのおかげでうとうとしているうちに台北の集合地点だった古亭站に到着した。2日間を一緒に過ごしたCLの程志誠さんや地元の人達と別れ、ホテルに向かった。

 

【感想】

登頂できて本当に良かったです。CL S方さんはじめ皆さんには感謝です。インターネットでおおよその雰囲気は分っていたのですが、実際に歩いて初めて素晴らしさが実感できました。山はオーバーユースにならないように規制されていました。1日の入山は90人程、日本人は27人まで優先的にOKが出るようです。よく整備されていました。

高山病は山荘あたりで頭痛がしました。動悸がかなり早くなっているのが分りました。不思議と頂上では収まっていました。ゆっくり時間をかけて歩くCL程さんのおかげだと思います。慢慢走(マンマンゾウ)様々でした。

40周年はキナバル、50周年は玉山と登れました。60周年も元気で登っていたいものです。皆さんありがとうございました。S方さんの友人にもお世話になりました。

 

 

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【リーダー所感(玉山のこと)】 6期 M.S.

なんで玉山

会創立50周年記念海外登山は「キリマンジャロ」と決めていた。そこに台湾・玉山が割り込んだ形だがそれには伏線がある。実は昨年5月に学生時代のワンダーフォーゲル仲間と台湾・雪山(日本名・次高山、3,886m)の登山を企画した。そのときは3組の夫婦と2名の単独参加者、計8名での登山を進めていたが、直前になって私の父の健康状態が秒読みになり私ども夫婦が参加できなくなった。私の企画が私抜きの6名で実施され実にじれったい思いをしたいきさつがある。いずれにしても海外の山はカラコルム(ハラモッシュ)、中国(太白山)、ボルネオ(キナバル、40周年記念山行)に続いて4回目であるが出発までにそこそこの労力が必要だ。今回の玉山もメールの記録などを見ると昨年の8月くらいから山岳会に話を出し人集めをしていたようだ。割り合い早い段階でメンバーは決まり新年集会ではほぼ固まっていた。

 

手作り企画

簡単な海外登山やトレッキングは「山岳旅行社」の企画に乗っかるのが普通であるが、台湾に仕事上のパートナーがいる私としてはそれをフルに利用してみようと自前の企画を立てた。費用明細は別掲するがおかげで4泊5日の例会(登山と観光付き)を9万円ほどで実施できた。往復航空便(HIS)はともかく2泊3日の登山費用(14,220円)とか台北の宿泊代・2泊(11,880円)などが日本の旅行社抜きで実費でいけたのが大きかったと思う。

 

玉山と雪山

玉山(ぎょくさん、ユイシャン)旧称・新高山は台湾のほぼ中央部に位置し3,952mの山である。文字通り台湾山脈の主峰である。初登頂は1900年4月11日、日本の人類学者・鳥居龍蔵によってなされている。60年に及ぶ日本の統治時代は富士山をはるかにしのぐ日本一の山として「新高山」と称されていた(明治天皇命名)。標高は3,952mとされているが諸説があり1995年、1999年の衛星測量では3,978mと計測され富士山より202m高いことになる・・・・これが正しいのではないか。そのほかに1957年にアメリカ遠東陸運製図局による計測では3,997mとあり、ほぼ4,000mに近い。先住民(高砂族)ツオー族の居住区では有るが、玉山国家公園に指定されておりむしろ「自然保護の観点」から入山には許可が必要である。

雪山(せつざん、シュエシャン)旧称・次高山は台湾の北部に位置し3,886mの山で雪山山脈の主峰である。こちらも雪霰国家公園の中にある。日本統治時代は「台湾最高峰・新高山についで高い山」と云うことで裕仁親王により1923年「次高山」と命名された。初登頂は1928年に登山家・沼井鐵太郎が果たしたことになっているが、前年に瀬古喜三郎が登ったとも云われている。

 

登玉山

玉山登山に要した時間は初日6時間半、2日目10時間と16~17時間であったが我々日本人としては不慣れな3,300m位からの歩きにきついものがあった。

初日は前夜が遅かったとはいえ6:10からの朝食、7:10大型観光バスでの出発、途中で8~9人乗りのワンボックスカーに乗り換え塔塔加の登山口へ。歩き始めたのは9:30になっていた。私の常ではあるが海外など旅行先では必ず「腹が緩む」のでこの日も観光バス移動中(1時間40分間)に車を止めさせ用を足すはめになった。しかし歩き始めると実にゆっくりのペースで「慢々(まんまん)」の連続であった。路は丁度、黒部の下の廊下のような造りで黒部よりは明るい。登るでもなし下るでもなしトラバースの連続である。右手の谷は深く対岸も遠い。対岸の上部は岩が積層しているのがよく見える、海底からの隆起でできた山(島)であることがよく解かる。それが高さの似通った富士山(火山礫の山)とは根本的に違うのだろう。山は深く玉山山頂を垣間見るとその遠さで山深いのがわかる。この日は標高を800m稼ぐ日であるが前半はなかなか標高が上がらなかった。昨年の雪山報告ではトイレが汚く・・・・、とのことであったがこの山は休憩所、トイレなど適度にありクリーンであったので女性には好評であった。1時半頃熱帯特有のスコールが来た。これはキナバルでも一緒であったが標高が高いだけに霰が混じっていた。3,000mを過ぎる頃より登り傾斜が出てきた「加油(ジャヨウ)」(ガンバレの意)の声が飛び交った。この日の宿、排雲山荘(3,400m)が近づいたころ風邪気味のような症状だなと思ったとたん心臓の鼓動が早くなり、えも云えぬシンドさと悪寒がきた。やばいなと思いながら5分もすると収まりやれやれであった。山荘についてからも食欲がなく「山酔い」を自覚した。その夜はまどろんだだけで1:15に起床であったが山酔いは収まっていて持参の嗜好品を朝食代わりとした。

2日目は2:20発の登玉山である。最初はシラビソなどの針葉樹林帯のジグザグ歩きであったが3,650m位からはガレ場の連続である。何しろ星が綺麗だ。星座を同定しようと思うのだが、星を見てその後、足元へ目をやると「フワフワ」と酒に酔ったときの感覚になる。これも山酔いかとほどほどに楽しみながら頂上を目指し、4時前には全員無事頂上に着いた。

 

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【玉山登山<植生観察>】 44期 M.Y.

三千九百云々メートル。何という響きでしょうか!

私にとっては未体験ゾーンへの突入でした。3,500mあたりから、頭は痛いわ、吐き気をもよおすわ、でどうなるのか?と思っていましたが、皆さんの覇気に誘われて、脱落することなくTOPに立てたのでよかったです。

さて、植生について書け!とのリーダーの指示ですが、花についてはM知子さんが書かれるので、私は植生全体の印象を書きます。

 

<植生についての感想>

塔塔加鞍部の登山口がすでに標高2,610m。登山路の右手=東南方向に剣の八峰のようなギザギザハートのピーク=玉山南峰が見えている。あれで3,840mはあるようだ。それにしても暑い。おそらくカンカン照りをいれると36℃は越えている。速く歩き出したいのに、ガイドはなぜか時間をかけて全員の顔写真を撮る。

玉山登山ガイドの今後の課題はカタコト英語でもいいからとにかく英語を話さないと外国人にとってはガイドの意味がない、英会話が今後の課題だろう。詳細が分からないうちに登山が終わってしまうというメンバーもいたのでは?私もその一人かも?

今年前半に屋久島に行ったので、その植生とよく似ているなー!と思って見ていた。特に来る途中にバスの窓から見た斜面に生えているサトイモ科のクワズイモ屋久島と同じだが、その標高が1,000mも違う。それにアザミもおそらく、オイランアザミだと思うが、屋久島でも見た。やはりその分布は屋久島より1,000mは高い。

植生の大きな特徴としては、一つは標高3,000~3,800mにホウライダケ(の一種と思われる)の巨大な群落が見られたこと。日本ではとくに富士山や北アルプスでは2,400~2,600mあたりが植生分布の限界で、まして、それより上でタケ類(ササ類)など見たことがない。

3,400m辺りにある排雲山荘でも午後3時頃の気温が14℃くらいであったから、全体的に平均気温は高そうだ。

その辺りで、S方リーダーが「面白い実がなってるで!」ということで見ると、オオシラビソだ。オオシラビソは、たとえば、立山の美女平辺りから弥陀ヶ原あたりにかけて大きく分布している。それと比べても、1,500mも高いところに分布している。3,000m付近の斜面にあって立ち枯れが著しい巨木はタカネゴヨウという松のようだ。幹周りが6mオーバーのものがたくさんあったようだ。

私個人としては、3,600~3,800m辺りのハイマツ(の一種か?)帯の中に、ひょっとすると私の好きなリネンソウ(白馬岳では2,600m辺り)があるかな?と思ってよく見るがない。あるのは、イブキハタザオらしきものばかり。でも、頂上直下で逢えた白い清楚な花の名称は今後の楽しみのためにまだ調べていない。

とにかく暑かった。でも、すばらしい山域だった。国立公園なので、管理は行き届き、ゴミはなく、トイレも完備。山小屋も完璧というべきか。高度順応さえうまくいけば楽しい山行ができる。私個人の反省としてはもう少し植物の予習をしていけば良かったかな?と。「花なんてないよ!」という前触れだったので、予習をしなかったのがこたえた。たくさんの花たちを見落としたと思う。今度は、しっかり予習をして、雪山にも花を見にいってみようかな?

 

昔々雪山と玉山が高さ比べをしたそうな。玉山は「おれ様の方が断然高いわな。」と言えば、「玉山なんて暑くてただ高いだけ。」と雪山も負けていません。さぞかし、懐のたくさんの美しい花たちに囲まれているのだろうと玉山は気が気ではありません。一方で、雪山も「ひょっとすると玉山は高いだけでなくておれ様以上に秘花を隠しているのではないか」などと心配になり始めました。玉山に行った人は雪山の頂上で「花はあるけどスケールがねー」などと言います。雪山に行った人は玉山の頂上で「やっぱり山には花がないとねー」と言います。この2山のそれぞれの心配はますばかり!

そこで両方に登った人がこの2山の懸念を解決することになりました。雪山に向かって「あなたは懐の花を隠してないで、そのもろ手を上に挙げていつも上を見上げていなさい」と言いました。そして、玉山には「威張ってないであなたの懐をいつもしっかり見て気配りおしなさい。」といいました。

するといつの間にか、雪山にはひたすら「雪山の花」を求めて登る人が増えてきました。一方の玉山にも人間がすてきな山小屋やトイレを建てたりして清潔な山になりたくさんの人達が噂を聞きつけて、「あのギョクザンシャジンが見たいわ」などと言う人達も増えてきました。めでたし、めでたしの一節でした。(私が高山病の中で見た白昼夢でした。)

リーダーをはじめ、同行した参加メンバーのみなさんにはお礼を申し上げます。おかげで富士山より高い山の植生が見られました

 

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【玉山の花々】 42期 M.S.

期待はしてなかったが多くの花が見られ、玉山登頂と共に感激を増した。

ゆっくりと観察は出来なかったので、記憶違いや誤名はお許しのほどを。

歩き出してすぐに目に付いたかわいいピンク色はなでしこ、背の低い高砂百合、5弁の花びらのしゅうめい菊(?)、おとぎりそう、からまつそう、崑崙草、リンドウ、玉山しゃじん

みぞそば、しもつけ、山はんしょう蔓は花は大きかったような?

マムシ草のような、もう青い実がなっていた。

りょうぶ、ねじ木、あせび、さぎごけ、シラタマノキ、山イチゴ、深山はたざお、血止め草など。

下山時には、おお米つつじ、姫うすゆきそう、しゃくなげがわかった。

山のふもとに来るまでの道端にはジキタリスのピンクに白が咲いていた。ピストンの車を待っている間、台湾女性が、めずらしそうな花だから写真に取れ取れと言ったが、めずらしくもなんともない。(中国語を理解したわけではなく想像で理解したのであるが真実は?)

台北市内では、南国らしく、きょう竹桃、ハイビスカス、ブーゲンビリア、七変化(ランタナ)、の暖かい国の花が山盛りであった。

円山大飯店は、昔は日本人が祭った神社だったそうで、その道はくすのきが並木になっていたのも、うなずけるようだった。

龍山寺には、招霊の木(おがたまの木)があり、お寺の雰囲気だった。

ハワイで見たいい香りのするプリメリアも満開だった。

龍山寺前で、いい香りのする花だけを売っていたが、その時は名前がわからなかったが、後日テレビで中国(四川の地震に絡めたニュース)で売っていると紹介されていてわかったのだが銀香木(ぎんこうぼく)又の名を白蓮花(もくれん科)だった。

 

私一人ではなかなかこれだけ多くの花の名前はわからなかったが、心強いY本(憲)さんのお陰で倍ほど楽しめてよかった。

参加した全員が怪我もなく、高山病にもならず、登頂でき、観光に、安くておいしい餃子、人気のショウロンポに、円山大飯店の豪華な食事も付いて大満足な山行きだった。

 

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【台湾の食べ物と山旅】 44期 K.T.

以前より台湾は食べ物がおいしいよ・・・と友人から聞いていたし、TVでもよく見るスイーツなんかにも魅力を感じていた私は山と同じくらい(?)食べることを楽しみに台湾に向かった。

台湾料理

はっきりと、どう云うのが"台湾料理"と言うのか

事前学習を何もしていなかった私には解からなかったが、全体的にやはり油を使って炒めたような物、独特の香辛料が使われているものが多いよう。暑いところに油物はちょっと・・とも思ったが、暑いからこそ、そのようなものを食べないといけないのかなーとも思った。日本にはない野菜など種類は豊富で、楽しんで食べることができた。主食はお粥とごはん、お粥は味がほとんどなく副食は味が濃いものが多く、粥やごはんに乗せて食べるものらしかった。(が、私はやはり別々がいいなー?)

② 山のお弁当

歩き始める前にガイドより渡されたホカホカのお弁当。

暑いなか、歩き、やっとランチタイム。どうやら"奮起湖弁当"という名物のよう。ごはんの上に骨つきのとり肉、ブタ肉、たけのこ、空芯菜、紅しょうがのよおなもの・・・が乗せてある。おいしそう?・・・・でもやっぱり油っこい・・・・暑さで疲れた体にはちょっときつかったが頑張ってほとんど完食。しかし、紅しょうがのよおなものは、正体不明で味は甘く、油っこくて残してしまった。

③ 山小屋の食事

あーやっと排雲山荘に到着。日本ならビールでカンパイ・・と云うところだが、何も売ってない。高山病気味なので頭痛はするが夕食は楽しみ・・・、やっと夕食はこちらーと呼ばれる。ガイドについて行くと、小屋の調理場を抜け、調理場の裏の小さなスペースに案内された。そこにたらいのようなものに入ったおかずが4種類ほど。ごはんにスープ、スープにはまったく味がない。おかずはやはり油炒めが中心。鰻のかばやき風なものもあった。でもやっぱり油っぽい。さすがの私もあまり食べられず日本から持参したふりかけと味噌汁のもとで食べた。(食後に辻野さんが運んでくださったウイスキー入り紅茶をいただくと、なんと頭がすっきりして気分がよくなった。やはりアルコールは偉大だなー) ④ ギョウザ(餃子)

台湾では水餃子が多いらしいが、M井さん(台湾駐在)のご案内で焼き餃子の店に行った。餃子にはビールがつき物、でも店にはビールが置いてない・・・。それは大変とコンビニでビールを買って持ち込む。餃子は種類が多く(漢字ではあるが意味が解からず)注文は松井さんに任せた。日本のものより大きいのを一人10ケずつ食べたがとても安いのにおいしかった。(10人分で1,600円くらい)

⑤ ショウロンポウ(小龍包)

有名なチェーン店(鼎泰豊・デインタイフォン)。日本人観光客向けの店のようで日本人らしき人たちの行列。20分ほど待って入店。他のところと違ってお店のスタッフは可愛い愛想のよいおねえさんばかり。日本語も少し話せる。(今までの食道風味のところはまったく愛想がなく、日本語もほとんど無理だったので・・・)日本のお店みたいに感じた。小龍包の味も上品でどんどん食べられそうな味。ビールもおいしくあっという間に食べてしまった。

⑥ 丸山大飯店の夕食

S方さんの知人・黄さんにご馳走になった。高級なメンバーズレストラン。中華料理と云うか台湾料理と云うか、色々まざったものらしい。やはり高級感が漂い全ての料理がおいしく、おなかいっぱい食べた。(私はやはりかなり胃腸が強いらしく幸せでした)

特にデザートのココナツミルクを加工したものは絶品でした。食後に丸山大飯店(グランドホテル)のショッピングモールを見て廻ったのも楽しい思い出となった。

⑦ スイーツ

名前は忘れてしまったが"頭花"だったかなー?豆腐みたいなものにシロップをかけ、芋の甘煮みたいなものを乗せ、その上にかき氷をかけたものを食べた。思ったよりあっさりした甘さで冷たくて台湾の暑さにはぴったりだった。いろんなトッピングがあったので色々食べてみたかったなー?

他にもいろんなスイーツがあったと思われたが、台北の滞在が短く常におなかがイッパイで食べられなかった。

詳しいことは覚えてなくって"美味しかった"ばかりになりましたが、久しぶりの海外でいろんなものが食べられ幸せでした。皆さん本当にありがとうございました。

 

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【玉山登山と台北観光】22期 K.K.

S方リーダーに玉山例会の計画を聞いた時に、即、行きますと返事をした。最後の山にと取って置いた富士山に登ってしまったので、次は玉山に登るしかないと言うのが理由だった。

出発迄の準備期間はリーダーがいろいろ情報をプリントやメールでまめに教えて下さり、大変助かった。

関空より桃園国際空港に到着。やはり暑い。マイクロバスで台北の宿泊予定のホテルへ。着替えの為の部屋を貸して下さり、身支度と山の準備をして、他の荷物をホテルに置かしてもらう。コンビニへ山行用の水を調達しに行く。どこもかしこもセブンイレブンがいっぱいあった。暑いので、出発までホテルで待機。夕方からタクシーで玉山登山ツアーの集合場所へ。暑い中で出発時間を待つ。他の登山客がなかなか現れない。次々、ツアー客が集合して来たところに、バスがやって来てやっと出発。バスに乗り込むとガイドの林さんの長?い説明があった。言葉が全然解らず、何を言っているのか全く理解できない。水とザックカバーがみんなに配られた。出発が夕方なので、暫くすると外は暗くなりバスはひたすら南の方へ、高速道路を走っていった。仮眠しながら、宿泊場所の奮起湖飯店へは夜中12時前に到着。私達は4人部屋で思ったよりましな部屋だった。部屋番は551だった。ここから、四方さんのご友人の松井さん、下條さん、村上さんと合流。非常に心強い。ここで、温泉着きツアーでは無い事が発覚。楽しみにしていたのに残念。朝食はごはんか、お粥におかずが何皿かあった。その後も台湾では「空芯菜の炒め物」はよく出たが少し油っこいものの味は結構いけた。またバスに乗り込み上東捕へ。温泉用の着替えを残し、バスを降りる。各自弁当をもらいパッキング。貰ったザックカバーはツアーの目印の為、みんな付けないといけないらしい。歩いて塔塔加登山口へ。登山の申請、パスポートのチェック、準備体操をした後、数人ずつ前峰登山口まで車で送ってもらう。全員そろうのを待って、記念撮影後、登山開始。体調もお天気も良く、意気揚々と出発。高度に慣れる為か、短い休憩を多めに取りながら歩く。昼食は配られた弁当食べた。おかずの油っこさと甘ったるさはあったが、ご飯は美味しかった。何よりもまだ、胃が元気だった。排雲山荘の手前辺りで空が暗くなり雨が降ってきたので、素早く雨具を付けた。雷がゴロゴロなっても、特別急ぐ様子も無く、いつもの事なのかなと思われた。

排雲山荘ではまず寝る場所を割り当てて貰い、シュラフが配られた。トイレは水洗できれいだったので、ホッとした。夕食は油っこかったけれど、野菜の味付けは薄味で、食べられた。スープは味がなかった。雨は降ったり止んだりで、夕方、小屋の前に出ると綺麗な虹が架かっていた。寝る前に辻野さん持参のウイスキー入り紅茶で乾杯。私は高山病が心配だったので、CCレモンにした。早めにシュラフに入り、中国語の嵐の中、複雑な気持ちで目をとじた。少し眠れた様で、時計を見ると11時。後は1時頃まで、うとうとしていた。頭が少し重かった。1時過ぎに起床。朝食は持参のパンとみそ汁にした。みんなで体操をして暗い中ヘッドランプをつけて出発。星が綺麗に出ていた。休憩中、流れ星もみえた。頂上に近づくに従い傾斜が急になり、前方を歩く人のヘッドランプが頭の上の方に見えていた。頂上間近になると後方の空が徐々に赤くなっており、玉山ピーク到着後、少し待つとご来光を見ることが出来た。途中、頭痛と吐き気がして、内心、心配したけれど、頂上に着くとましになり、ピークを踏むことが出来たことに感謝した。下山中、後方を振り返りながら、玉山はやはり大きい山だと思った。

排雲山荘でヌードルの食事(多分昼食)を食べ、荷物を取りまとめて下山した。下山はとても快調で、頭痛も徐々に治まってきた。前峰登山口より、順番に車で送って貰い、上東捕へ。切り分けてもらった、スイカがおいしかった。温泉が無いので、着替えだけ済ませ、バスに乗り込んだ。途中で食事(昼食?夕食?)に立ち寄るらしいが待っても待ってもなかなかバスは着かない。待ちくたびれた頃、ドライブイン風の所に到着。ドライフルーツがいっぱい売ってあった。ご飯を自分達でついで、おかずを乗せて食べる。おかずの皿数は結構あったが、何が入っているか分からないものもあって、やはり野菜の方が食べやすかった。中でもヘチマは結構いけた。食事後ドライフルーツを購入した。いろいろな種類の梅干しがあったが、どれも甘ったるく、少し口に合わなかった。

再度バスに乗り込み台北の集合場所へ。疲れているので寝ようとしたが、一番前の席で、ビデオの画面が真正面なので、なかなか寝られなかった。バスが到着して、ツアー解散後タクシーでホテルへ。部屋に荷物を置いてすぐに、夕食を食べに町に出掛けた。松井さんの案内で、焼き餃子を食べさせてくれるお店へ。メニューにビールが無いので、ファミリーマートでビールを買って持ち込みする。台湾では持ち込みOKで、空き缶も置いてきてよいそうである。フルーツを売っているお店へ寄り、マンゴーを購入。日本に比べると格段と安い。スイーツのお店へも寄った。豆腐の上にタロイモをトッピング、かき氷を乗せて、蜜をかけた物を買って帰った。味はかなりあっさりしていて、ヘルシーな感じ。

翌日はホテルで朝食を済ませ、故宮博物院へ。電車で町を歩きたいと言うことで、タクシーをやめて、一日乗車券(720円)を購入した。電車の路線図を手にホテルの位置と行く先を確認する。博物院では限られた時間を有効に使えるように次から次に一生懸命見て回った。展示物はどれもすばらしく、数も多く、さすがに世界五大博物館の一つだけのことはあるなと思った。お昼は小籠包のお店へ。入口で並んでいる間に注文を済ませ、席に着くと余り待たない内にテーブルに熱々の小籠包が並んだ。熱々を次々たいらげ、満足。次は中正紀念堂へ。蒋介石を記念して建てられたもので、現在は台湾民主紀念館という名称に変更さあれたそうである。一旦ホテルに帰り、夜の為に、シャワー(外に出ると常に汗だくなので)、義替えをして、四方さんのお知り合いの黄さんの招待で丸山大飯店へ。豪華な食事をみんなで囲み大満足。四方さんと黄さんに感謝。電車でホテルは帰る途中、みんなとはぐれてしまい、仕方がないので、地図を出して確認する。すっかり一人で帰るつもりになっていたところを見つけて貰い、合流。少しホッとした。ホテルに帰ると結構疲れていて、荷物の整理を済ませた後、寝床に付く。明け方からお腹の具合が悪くなり、ここに来て旅の疲れが一気に出た様である。最終日、急に、元気が無くなり、みんなの後をトボトボ付いて行く事に。午前中に言った龍山寺は特別の日だったらしく台湾の参拝者でにぎわっており、とても活気があった。体調がすぐれなくても行ってよかったと思った。昼食は食べる気になれず、ホテルで留守番していた。帰りの飛行機の機内食も控えめにした。

最終日少し体調を崩したものの全体的にみるととても、盛りだくさんの欲張り旅行で、食べ物も美味しく、有意義で楽しい五日間でした。S方リーダーと黄さん、ご友人の方々、そして今回ご一緒して下さった会のメンバーにひたすら感謝するのみです。

 

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【感想】50期 J.O.

空港の建物を一歩出ると、むっとした空気と光に包まれる。暑い。台湾は南国なのだ。ビルやマンションが林立する都会のすきまに家庭菜園らしき畑があったりしてのどかだ。台北からバスで5時間半。麓のホテル・奮起湖飯店に着いたのは夜中の12時だ。

玉山国家公園は良いところだった。緑豊かで、道は山頂まで整備されている。花もある。紫の大きな釣鐘の玉山シャジン。花束のような空色のリンドウ。どちらも透き通るような花色だ。クレマチス・モンタナにそっくりの白い花。クレマチスの原種は中国に多く自生すると聞くが、庭のモンタナ・スノーフレークのルーツだろうか。

山荘は3,402mの所にある。その少し手前から頭痛が起きた。就寝まで続いていたが、朝、目が覚めると治っていた。朝食は白粥に数種の具のトッピング。ピーナツが美味しい。冷やしあめを濃縮したような生姜のスープを水筒に詰める人もいる。真暗な細い道を大勢の登山者が登って行く。ヘッドランプの列が上へ上へと続く。山も空もただ黒く溶けあって、ランプの灯りは星にまぎれる。夜が白み始める頃、足元にウスユキソウの仲間を見つけた。カメラを出す余裕が無く「下りる時に撮ればいい」と思ったのが運の尽き。下りは別ルートで写真を撮り損なう。幻の玉山ウスユキソウ?となってしまった。花は一期一会なり。

am4:50玉山主峰に立つ。御来光を拝んだ。太陽を背に下りると、向かいの山並み・雲海に巨大な三角の影が映っている。玉山のシルエットだ。

小屋へ戻って二度目の朝食。ガイドの羊頭さんから「朝食はスーメン(素麺?)」と聞いていた。大鍋をのぞくと、まさに日本のにゅうめん。「おいしい。おいしい」とたらふく食べてから隣のテーブルへ移る。こちらの鍋は縮れ細うどん風。KHMCの皆さんがいて「ラーメンだよ」と教えられる。そして「あっちの鍋は他の団体客用だ」と。食い逃げではないか。せっかくなのでラーメンも味見する。食事は油っぽく味の濃いものが多く食べにくかったが(ホントです)ほぼ完食。台湾でも生き残れそうだ。

異国の地に身を置くことは、わずか数日であっても貴重な体験だった。反省点は言葉の予習をしなかったこと。山ですれ違う人達から声をかけられてもさっぱりわからない。こちらを日本人と察すると「コンニチワ」「ガンバッテ!」と笑顔を向けられる。ワタシも彼の地の言葉で応えたい! が、覚えたのは「ニィハォ(こんにちわ)」「ジャヨォ(頑張って)」。そして「ハォチィ(美味しい)」だけだ。短い時間の中、言葉もうまく交わせなくても、表情や行動で伝え合う心。人も一期一会なり。

 

玉山登山の費用明細

費目 適用 NT 日本円

航空運賃 空港使用料、サーチャージ含む 58,520

登山費用 ガイド、バス、山小屋、食事含む 3,950 NT 14,220

HOTEL代 2泊(朝食つき) 3,300 NT 11,880

入山料 200 NT 720

手土産 ウイスキー 3本/10人 1,680

マイクロバス 桃園空港~台北・ホテル 2,000 NT/7人 1,029

TAXI HOTEL~登山バス集合地 400 NT/7人 206

TAX 登山バス集合地~HOTEL 600 NT/10人 216

食事 6/3 夜食( 餃子、ビール) 991 NT/10人 368

食事 6/4昼食(ショウロンポー、ビール) 3021 NT/10人 1,088

TAXI ホテル~台北丸山連宜会 400 NT/10人 144

マイクロバス ホテル~桃園空港 2,000 NT/9人 800

合計     90,871

1) 1NT=3.6円としました。

2) 上記費用以外に個人的な支出(地下鉄1日回数券、故宮博物館入館料など)が多少あります。