京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3088 談山神社と音羽山 《関西百名山シリーズNo.51》

大化の改新の密議を凝らしたと云う多武峰の談山、国家不祥事の際に鳴動したと云う御破裂山、遠き飛鳥の時代に思いを馳せ音羽三山を馬蹄形に回る縦走を行った。

20110306音羽山1

 音羽山山頂にて

 

   平成23年3月6日(日)

48期 山本浩史

大化の改新の密議を凝らしたと云う多武峰の談山、国家不祥事の際に鳴動したと云う御破裂山、遠き飛鳥の時代に思いを馳せ音羽三山を馬蹄形に回る縦走を行った。

 

【参加者】 國領孝子L、中尾論、西田和美、葛城美知子、尾崎稔、辻春見、藤堂尚久、吉川彩、会員NM、出口まい子、山本浩史TC 計11名

 

【行  程】 京都6:36-(近鉄)-7:46桜井7:55=(Taxi)=8:04下居BS 8:10~9:02善法寺9:07~9:50音羽山10:01~10:21経ヶ塚山10:29~11:00熊ヶ岳11:02~11:21熊ヶ岳三角点11:43~11:50大峠~12:16竜門岳分岐12:21~12:34三津三角点~13:21 P725~14:21冬野~14:40西大門跡14:48~14:56談山神社~15:07談山~15:21御破裂山~15:35談山神社=16:23桜井16:36-(近鉄)-17:48京都

【登山データ】 天候:晴後曇後小雨 歩行14.8㎞ 7時間25分 延登高 1,324m 延下降 1,084m 5座登頂

 

音羽山登山口の下居(おりい)までは桜井からバスが日中1時間に1本程度あるが30分ほど先なのでタクシーに分乗して向かった。吉川さん、NMさん、出口さんの3人が歩荷ポイントに挑戦し、バス停で計量し規定の15㎏をクリアして歩きだした。寺川(滝谷川)を渡り南音羽の集落が途切れ、谷間の林道となり観音寺へと続く。バス停から標高差300m余りの高所に音羽山善法寺がある。その山号からも知れるように清水寺の開祖延鎮僧都が霊感を得て堂宇を建立とある。奈良時代には観音信仰の霊場として音羽百坊と称される程の規模を誇ったそうだ。またこの寺は談山神社丑寅、鬼門にあたり、藤原鎌足自作の梅の木の観音像を祀ったのが始まりとも言われている。いずれにしても現在は本堂と千手千眼観世音菩薩が祀られた眼病霊験の寺として、地元に信仰されている。

 

観音寺からは登山道となり谷筋を進む2.5万図では途中から尾根道になっているが、実際の道は谷筋をそのまま進み音羽山から張り出す北尾根の小ピークとの鞍部に乗り上がる。急登続きで歩荷挑戦者には試練の坂だ。稜線に上がると傾斜は落ち着きだらだらと音羽山(852m)山頂に到る。残念ながら展望はない。木立の向こうに経ヶ塚山のもっこりした姿が覗いている。地図ではすぐなのに「結構遠そう」という悲観的な感想もあったが実際のところは大したことはない。歩荷課題は此処で達成、皆でポイント認定を祝って拍手を贈った。死重に詰めていた水を捨て皆と同じ身軽になったがNMさんは登山靴を渡され余り減量できなかったようだ。

 

NMさんと出口さんは此処から読図講習が始まる。S字に屈曲した尾根を下り鞍部からは、約100mの急な登り返しで経ヶ塚山(889m)に到る。山頂にはその名の如く経塚の石塔があり信仰の山であったことが窺える。此処も展望はないが山頂から少し南に行ったところに若干開けたところがあり次の熊ヶ岳や台高山脈高見山を望むことができた。熊ヶ岳は音羽三山(音羽・経ヶ塚・熊)の最高峰で標高は904mある。杉の植林が続きここも山頂展望はなくそれこそ音羽“散々”な状況だった。

 

熊ヶ岳から700mほど南に行ったところに反射板のあるピークがあり傍らに4等三角点「熊ヶ岳」が置かれている。電波の入り側と出側の木が電波の妨げにならないように開かれ北東方面に伊那佐山、北西方向の大和盆地の中に耳成山が浮島のように見通せる。昼食休憩を取るが、風が通り寒くてゆっくりできず20分ほどで切り上げ出発した。

朝は気持ちよく晴れていたがだんだん雲が広がってきた。南に下りきった処は大峠桜井市井内宇陀市宇陀川上流にある宮奥ダムを結んでいる古道が越える。此処でミッション1「竜門岳分岐までの所要時間を予想」を行う。距離は1.1㎞、小さなアップダウンが続く特徴のない稜線歩きで18分から33分と予想された。辿り着いた結果は23分で、山本TCの24分が一番近く、2分違いの國領L、3分違いで葛城さんが続いた。

 

続いてミッション2「P725の位置特定」を頭に置いて、地図と地形を見ながら歩くことになる。しかしこのミッションはかなり高度で、展望のない植林帯を蛇行する稜線でそれほど顕著なピークもない。このミッションを今日の読図講習の修了試験として、生徒の二人は地図を見ながらリーダーの次を歩いた。途中にある明確なポイントは4等三角点「三津」(790m)で此れは登山道上にあり難なく探し出せた。このあとはベテラン会員にも難題で、三角点から30分余り歩いたところで木の間越しに見える竜門岳にコンパスを合わせ、現在位置を割り出した。もう1点目標物が見えると精度が高くなるのだが樹林帯では仕方がない。多くの人が直下を鹿路(ろくろ)トンネルが通る辺りではないかと云うことになった。南に進み乗り上がったピークで先頭から「ここでは?」との声がありGPSで答え合わせをするとドンぴしゃり、P725は間違いなく特定された。そしてNMさんと出口さんはみごと読図ポイントをGETした。

 

P725西を少し下ったところで展望が開け大台ヶ原大峰山脈を姿を現す。広域地図を持たず現地ではあやふやだった大峰の位置は帰って調べると真南に当たるので一寸イメージが違った。大峰は重畳たる山脈で南北に連なるが真北から見ると当然幅は狭い。下り切った鞍部には「細峠」の表示、2.5万図に記載がなく越える道も描かれていない。現地ではしっかりした道が越えて松雄芭蕉の句碑まで備わっていた。歩いてきた稜線の指導標にあった「細峠」の表示を訝しがっていたがやっとその謎が解けた。

 

地図では稜線歩きで竜在峠に到るはずだったが、稜線の北側を巻く道となり、急斜面で地盤脆く崩壊しロープの張られた危険な処が幾つかあった。結局2.5万図に書かれた竜在峠は通らず、鹿路集落への分岐点に短絡竜在峠までは300mの位置、嘗ては旅籠も有ったそうで、今は東屋が登山者を迎えてくれる。案内によると江戸時代の国学者本居宣長はここを通って吉野に行ったとか・・・

 

登山道は北北西に進路を変え冬野集落へと向かう。途中で金剛山がバッチリ見られるポイントがあった。冬野集落は良助法親王(りょうすけほっしんのう)の墓がある他、僅か3戸の集落だがすごく長閑で趣があった。民家の軒先をかすめるように抜けていくと再び登山道となり多武峰(とうのみね)に下る。多武峰は山ではなく地名で桜と紅葉の美しい談山神社(たんざんじんじゃ)があることで知られる。西の外れに西大門跡があり「下乗」の表示、傍らには“女人禁制”の石碑があったが今は昔。雲が厚くなりパラパラしだしていた空は本格的な雨となり雨具を着るが着た途端雨は小降りになった。

 

此の神社、元は藤原鎌足を祀り子の僧定恵が開いた妙楽寺という寺だったが明治2年廃仏毀釈により建物はそのまま生かし神社となった。此の地は西に下れば飛鳥の里で、飛鳥板蓋宮の裏山といった位置にあり、伝説では中大兄皇子中臣鎌足大化の改新の密議を凝らした処が神社裏山の談山(かたらいやま・566m)であるという。更に其の奥の御破裂山(ごはれつやま・618m)は国家に不祥事があると鳴動したと言われ過去に35回の記録があるとか(最新は1607年)。此れが史実であるとすれば内実は不祥事ではなく単なる地震ではないだろうか。現に1607年は関ヶ原と大阪の陣の狭間の時期で特段の事件は記録されていない。御破裂山山頂は藤原鎌足の墓となり、ピークには登れないが裏手に回ると大和盆地が一望できる。

 

拝観料(500円)を払っているので、下山後神社を参拝したが本殿は工事中だった。バスの時間まで1時間もあるので受付でタクシーを呼んでもらい桜井へと向かった。受付の小母さんは「だんさんじんじゃ」と言っていた。「たんざん」じゃないの?

タクシー効果は大きく予定より1時間も早く帰路に着くことができた。京都まで戻ると駅前居酒屋で有志4人で反省会、大いに反省した。 《山紀行731》

 

【感想】  48期 葛城美知子

植林の樹林帯で花粉が心配でしたが、気温が低くラッキーでした。雪と霜柱を踏みながら歩くのは楽しく、展望がないと思っていたのに大峰山系の山が見られて良かったです。最後の談山神社で十三重塔・本殿を拝観し、歴史にふれる山行が終わりました。ご一緒頂きました皆様、有難うございました。

 

【感想】  52期 尾崎 稔

今回の山行の中で最後に立ち寄った談山神社の十三重塔が一番印象に残りました。談山と書いて「かたらいやま」と読む山が、藤原鎌足中大兄皇子が相談し合ったところと初めて知りました。学校の授業ではここまで詳しく学ばなかったので、歴史好きの私としては非常に勉強になりました。今回の山行はたくさん山々を縦走し、読図も面白く、歴史も学べて充実した山行でした。関西百名山シリーズを通じて学んでいけることを楽しみにしております。これからもよろしくお願い致します。

 

【感想】  53期 辻 春見

昼から、お天気が崩れるとの予報でスタートした山行でしたが、最後の談山神社でポツッと来たくらいで、お陰様で持ちました。今回自分にとっては、距離も長く、ついて行けるかしら?と心配していましたが、何とか無事歩くことができました。

最近参加させて頂いて感じるのですが、黙々と歩くのも良いかもしれませんが、楽しくお話をしながら歩き、反省会でも山だけでなく、様々なお話を伺えるのも、参加の楽しみの一つだと思っています。さまざまな経験を経られた方々が参加される中で、興味深いお話が交わされます。次も楽しみになります。あと、いつも読図のミッションを開催してくださいますが、その必要性を、最近少し理解できたように思います。

 

【感想】  53期 吉川 彩

15キロの歩荷、始めのコンクリートの道が1番きつかったです。土の上を歩くのとこんなに足への負荷が違うものかとつくずく実感。上で水を捨てると飛べそうな位軽くなりましたが、談山神社に着いたときには、もう神社を見て回るのも億劫なくらい膝にきてました。ただ長い距離でしたが、やはり山を歩くのは楽しいです。京都での反省会でもいろんな山の話をお聞きでき、充実した1日でした。どうもありがとうございました。

 

【感想】  54期 NM

今回、3月より京都比良山岳会に入会して初めての例会参加になりました。初回から張り切って歩荷と読図をしたものの、冬の間怠けていたカラダには歩荷は非常に辛く、体力の無さを実感しました。読図では、それまで私の中でアクセサリー的存在だった地図とコンパスが本来の道具としての存在に変化したほど、使い方を学んだことはとても面白かったです。ただ、歩荷の後の疲れで足元はフラつき、手元の地図とコンパスばかり見ていたこともあり、周りの景色の記憶が少ししかないのが情けなく思います。

これからは、山岳会の皆様には沢山のことを教えて頂き、色んな山を知り、体力・技術を身につけて、更に楽しい山歩きができるようになりたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

 

【感想】  54期 出口まい子

家でザックに水を詰めて15kg担いだ時は、このザックを持って山道を歩けるかな?と思いましたが、

皆さんと話しながら歩くと気もまぎれ、音羽山まで担ぐことができました。雪の被った大峰の山脈もとても綺麗で良かったです!

 

【リーダー感想】  48期 國領孝子

 音羽三山(音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳)の印象は杉の植林がたくさんあり昼間でも薄暗い感じがした山でした。きっと花粉症の人は大変そう?です。観音寺には『お葉つきいちょう』なる巨木があり、きっと歴史を勉強すればいろんな逸話がありそうです。登山道は途中ところどころヤブコギもあり楽しかったです。帰りは談山神社へ行き、大化の改新前に藤原鎌足中大兄皇子が談合した山へ行きました。談山神社は2回目ですが、歴史の深さを感じました。奈良県民になって、またひとつ奈良の山を登ることができ満足です。皆様ありがとうございました。

 

20110306音羽山2

写真: 大峰山脈山上ヶ岳周辺(P725付近より)

 

20110306音羽山3

写真: 音羽山(細峠付近より)