京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

[No.3129] 南アルプス:笊ケ岳

ひと気の少ない山域、藤田君のラスト山行のルートを歩いてきました

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[No.3129]2011年7月28日(木)~31日(日)

南アルプス:笊ケ岳

ひと気の少ない山域、藤田君のラスト山行のルートを歩いてきました。

【参加者】 CL才内茂、SL野沢邦彦、CL秋房伸一、四方宗和、加藤一子、穐月大介、富岡慶子、田辺久美子、山本浩史、米山佳秀、小泉賀奈子、亀島文子、中村恵子       計13名

A班:伝付峠~笊ケ岳~広河原

CL才内、加藤、富岡、田辺、亀島

B班:A班サポート・食材の現地調達・広河原へ共同装備ボッカ・笊ケ岳ピストン

SL野沢、四方、米山

C班:広河原へ共同装備、アルコール等ボッカ・笊ケ岳ピストン

SL秋房、穐月、小泉、中村

個人山行の合流:山本

【A班行程】

28日 AB班 21:00JR山科ロータリー集合

29日 1:40 早川町ふるさと工芸館・道の駅(仮眠) 6:20 出発~6:53 伝付峠登山口 B班と別れる 9:02 東電管理小屋~12:15 伝付峠~13:10 林道終点~15:15 天上小屋山手前 幕営

30日 5:30 出発~6:50 生木割山~8:40 出会~9:30 笊ヶ岳~11:20 布引山~13:10桧横手山~14:00造林小屋跡~14:45山の神~15:30広河原

31日5:00起床~6:30ケルンに挨拶~7:00出発~7:50廃屋~8:40老平駐車場

~帰路につく

29日 曇り時々雨

仮眠した道の駅は広い敷地内に色々な施設があり駐車場も広くテント張り放題、な感じだったが、いざ寝ようとすると暴走族風の車がきたり大型トラックが来たりと騒音がうるさくてぐっすり眠れる環境ではなかった。ちょっとうとうとした程度で起床。B班の方々に登山口まで送っていただく。

 しばらく林道を歩くと工事現場があり登山道に迂回路が作られていたが、滑りやすい急な階段の上り下りで恐かった。それからの沢添いの道もかなり荒れていてハシゴや階段が外れかけていたり、斜めになっていたりして緊張の連続だった。峠からの林道も藪化していて歩きにくかった。

 林道をすぎると同じ景色が続くトラバースが続き、寝不足で疲れも出てきたのか眠くて、眠くてたまらなくなって、何回か、ちょっと寝かせてください、と言おうかと思ったぐらいだった。なんとか天上小屋山の手前まできたところで幕営適地が見つかったので今日はここまでとなった。

30日 曇りのち雨

 念願の笊ヶ岳に登頂後急な下りに膝だけでなく股関節もガクガクとなり筋肉も疲れたのか押さえが効かなくなり滑って何回か尻餅を着いてしまったが、なんとか無事にまずは四方会長、米山さん、続いてC班と出会う。そのころには雨が強くなっていたが皆様はやる気満々で少しの休憩後登っていかれた。私たちはその後もマリオネットのような?足取りで広河原のビールを目指し?なんとか無事下山。野沢さん、山本浩史さん、中村さんが迎えてくれた

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31日 晴れ

 一晩よく降ったが川量は上がっておらず、膝程度の渡渉であった。ケルンに挨拶し、しばしの黙祷をささげ広河原をあとにする。

 快適な足取りで老平駐車場に着く。快晴であることからテント等共同装備並びに個人装備をひろげ乾かすことにする。テントが乾くのを確認し出発する。

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 今回、藤田さんの最後の足取りを皆さんとたどることができ、感慨深いものがありました。うまく言葉では言い表せませんが、藤田さんと一緒に歩けたような気がしました。このような機会を与えてくださった皆様に心より感謝しています。リーダーはじめ、ご一緒していただいた皆様、本当にありがとうございました。

           44期 田辺久美子

【B班工程】

29日 6:53伝付登山口にてA班を送~道の駅に戻り仮眠後、食糧・飲み物買い出し、中華食堂で昼食をとり、老平駐車場へ向かう。C班ボッカのビール・テント・鍋等を車の下にデポ。12:00出発~広河原13:00着 河原で冷やしたビール・酒でしばし歓談後、早めの夕食をとり19:00に就寝

   

30日 4:00起床~5:15出発~12:00笊が岳頂上~17:15広河原着 

本日は高低差1700mを登り降り。 野沢さんは、足を傷めているのでC班到着後に、どうするか判断する事にしたので四方さんと二人で行動する。 布引山までは、急登の連続で歩き始めは青空も見えていたが、だんだん雲が出てきた。途中で四方さんの携帯に豊岡さんから,9時30分頃、笊ガ岳に到着予定のメールが入る。我々の現在地から想定すると笊と布引間で合流と予想する。お花畑も,展望出来るところもほとんど無く、急登の連続で布引山についた。着いたとたんに猛烈な雨が降ってきて,カッパを着ての行動となり、A班と10時40分合流、12時に笊ガ岳に到着、雨もやみ、昼食をすると、時々青空が覗き,小笊の先の雲の間から富士山、西北方面には南アルプスが見えだした。30分ほど休憩して下山を始める。布引山までは1時間で着くと、声が聞こえてきたので登山道をみると、C班の穐月さん、秋房さん、小泉さんの3名が到着。 やはり時間的に笊は無理と判断して、布引山までは来たとの事だったので記念して撮影後、全員で下山。

四方・穐月・小泉さんが先行で、私と秋房さんが後続で下山をはじめる。登っていたときは雲で、確認出来なかった南アルプスが見えたので風景をカメラに納めながらのんびりと降りたので、先発組とは遅れてしまい、途中の林業作業道 に入り込み登り返す。又きつい雨が降り出し、時間的には早いが雨のため暗くなり、疲れも出てきて早くテント場につき冷えたビールを飲みたい一心で駆け下りました。テント場には往復12時間かかりました。靴の紐も緩めずビールを一揆のみ。

 笊ガ岳は二度と行きたくない山のひとつですが充実した一日でした。

           52期 米山佳秀  

【C班工程】

29日 ロッジ前20:10=(新名神・東名)=23:30清水IC=25:30老平駐車場(仮眠)

30日 起床4:00、老平5:10~5:50小屋跡~7:05広河原8:05~8:50山の神~11:20桧横手山(2021m)~12:10A班と対面~13:30布引山(2584m)13:45~17:20広河原

30日曇りのち雨

金曜夜出発のC班は老平駐車場よりテント地の広河原まで大鍋やコッフェル、テント、ビール等をボッカ。今回の山行のためにザックやシュラフを新調し、テント泊初めてという中村も大鍋などを背負う。

広河原の渡渉も、特に問題なく済ます。テント地では野沢さんが出迎えてくれた。早速ビールを水流で冷やし、テント設営。

追悼文集も見せてもらい1時間ほどしてから、笊ヶ岳を目指して出発。歩きやすいのは最初のジグザグ道だけで、その後は急登。展望は無い。樹林の中をひたすら、まるで連続スクワットのよう。山の神を過ぎて、雨具を着る。しばらくして、脚の不調等で中村と野沢は適当なところで引き返す判断とした。

残りの3人が、相変わらずの急登にあえぎながら登っていると、遠くから“比良山コール”。転付峠から縦走してきたA班と、予定どおりではあるが劇的な出合い。A班のメンバーは皆元気そう。A班から行程を聞くのに、笊ヶ岳まで行くと、夕方のメーンイベントである追悼宴に間に合わなくなることは確実であるのと、体力的にも、もう十分充実感は味わっていたので布引山までとすることに決定。

雨も上がり、布引山手前では富士山を見ることができた。布引山山頂で、示し合わせたように笊ヶ岳からの帰路のB班四方・米山パーティーと合流した。

52期 秋房伸一

【感想】25期 穐月大介

かつて藤田くんを捜しながら下った道を登ってみたく今回参加した。

広河原に着いて野沢氏が出迎えてくれたら、秋房さんのザックから歩荷してきたビールに勝手に穴が開きふきこぼれだした。「藤田くんに乾杯」。

いよいよ登り始めようとした時、足を痛めている野沢氏が暫く同行を申し出てくれた。登りは予想どうり急峻で果てしがなく、先の長さを考えゆっくり登ったつもりなのだが、登山経験の浅い中村さんはペースがつかめなかったようで2時間も過ぎた頃からか足がつってしまった。

雨も降り始めたところで野沢氏が下山を申し出て中村さんを下ろしてくれた、かなり男前である(野沢さん有難うございました)。

結局笊ヶ岳山頂まで行くと日が落ちるまでにテン場に帰り着かないことが分かり布引山で引き返すことになったが、下りはさらに辛かった。

この道を歩くとやはり捜索当時のことが思い出される。あの時私と同行して下さった地元山岳会の中島さんという方はほんとに親身になって探して下さった。布引山直下で上坂さんから藤田くん発見の報を無線で聞いた時その中島さんが帽子を投げつけて悔しがって下さった、改めて感謝したい。

今回は徒渉も山も無事通過できたが皆びしょびしょになってしまった。駐車場で濡れものを乾かしながらのひなたぼっこの気持ちよかったこと、皆さん有難うございました。

それと藤田くん、お供えのビール飲んでしまって免なさい。

【感想】43期 富岡慶子

あれから丸6年がたちました。 藤田さんの歩かれた道を歩いて見たいとずっと思っていました。 今回、あの時総指揮に当たられた才内元会長リーダーで、藤田さんルートを巡る事が出来ました。 藤田さんはあまり人の行かない山に単独で行くのがお好きでした。なのでやっぱり整備された登山道ではありませんでした。 谷筋の崩れかけたへつり道の登り、廃道化した林道の藪漕ぎと虫の大群、そして笊ヶ岳からの延々と続く急な下り。藤田さんが二泊で歩かれたコースを一泊で踏破する計画であり、1日目は睡眠不足で朦朧とするし、正直、歩いている時は彼の事を思い巡らす余裕はありませんでした。 残念なのは、広河原でも雷雨になり、全員で集まって藤田さんの話しをして偲ぶ事が出来なかった事です。 最終日、無事渡渉を終え、藤田さんの亡くなられた場所(ケルンの横)に立ちました。 あの倒木が、まだ沢の中央に引っ掛かったままでした。 一瞬にして、見つかったあの日が甦りました。 そして、一緒に歩いて、呑んで、走った日々が。記憶は薄れません。 やっぱり今も『楽しかった日々をありがとう』です。

【感想】52期 秋房伸一

藤田さんとは直接面識がありませんが、個人山行とはいえ山行で亡くなった会の先輩として、どんな思いでどんな場所で最期を迎えられたのかを考えてみたくて参加しました。

笊ヶ岳への道は予想以上にハードで、南アルプスがあなどり難い山域であることを再認識しました。夕方から雨が本格的になり、テント毎の夕食となり、全員での追悼宴ができなかったのが残念ですが、自然相手の登山なので、それもありかな、と思いました。

【リーダ所感】18期 才内 茂

 幾度が計画しましたが、実行できなかった山行でした。やっと重い肩の荷を下ろすことが大満足です。ただし、下りで足・膝がガタガタになり、彼(藤田君)と同様に私のアルプスの縦走は最後のような気がしました。広河原の徒渉についてですが、一晩よく降ったのにさほど増水はしていませんでした。彼の時は、「濁流」と手帳にメモが残っていました。想像を絶する雨が降ったのだと改めて思いました。 合掌