[個人山行] GWの八峰キレット(敗退記)
2012年4月28日〜5月1日
【51期】AT
今年のゴールデンウイークは逃げ帰った昨年のこともあり、再び大キレットへ行ってみようかどうかと考えていたのだったが、春に上坂さんが言うところによると、ゴールデンウイークには春合宿として白馬岳に登るつもりであるとのことであった。
そこで、せっかくなので後立山連峰を縦走して、白馬岳で上坂さんらと合流できはしないかとの考えるに至る。
後立山連峰といえば、当山岳会に入会する数年前の夏、5、6日くらいかけて白馬から扇沢まで縦走したことがあり、ずっと快晴だったためその時の良い思い出ばかりがある。
しかし途中、キレットが2箇所あるため、残雪期のこの時期一般的には縦走されないところである。
そのため自分としてはそんなところを縦走するなどとんでもないことだ。とはじめは思っていたが、夏に縦走した後立山の美しい景色の数々が頭に浮かんできて「GWにもういちどあの稜線を歩けたら、なんと素晴らしいことだろうか」と思うと、居ても立ってもいられなくなって、思い切って行ってしまうことにした。
中日に休日を取れば九日間もの連休となる。
カレンダーと地図を見比べ計画を考えていくと、順調にいけば随分日が余ってしまうので、どんどん足を伸ばしてついには栂海新道を抜け日本海まで抜けてしまうという壮大な計画が出来上がってしまった。
自分としても何も本当に栂海新道まで行けるとは思っていないが、万が一順調に進んだ時のことを考えてのアリバイのようなものが必要なので、そのような計画となってしまったのであった。
計画が出来たので本田さんを誘ってみたが、九日間の休みを取ることは難しいことと、その後本田さんの長野への転勤話もあって、参加できないことになった。
そうすると下手な相棒を見つけるよりも、むしろ単独行の方がかえって安全なのではないかということで、単独行で臨むこととなった。
4/27(夜)
京都駅の八条ダイナーでビールを一杯のんでから長野駅行きバスに乗る。バスは一列シートだったので快適だったものの、やはり熟睡は出来ない。
4/28(快晴)
途中窓から景色を眺めていると桜が満開で大変美しいが、いちど散って終わったと思ったものをもう一度見るというのはなんだか複雑な心境である。
バスが扇沢へ着いたのは午前10時過ぎころで、日がすっかり昇って暑い。
バスを降りたところで目の前にバスの手荷物料金を測るための体重計が置いてあったので、ためしに自分の荷物を乗せてみたところ、重量は30kg以上あって、今さらながらに目眩がするようであった。
荷物が重いことと時間も遅く暑いせいで、バテバテになってしまいながらのろのろと南尾根ルートを登って行くとジャンクションピークに着いたのが15:30と随分時間が遅くなってしまった。
計画ではその日のうちに冷池山荘まで行ってしまう予定だったが、バテバテでひどくくたびれ果ててしまったので、爺ヶ岳南峰直下に幕営することにした。
その日は快晴だったので、立山連峰に沈んでゆく夕日が美しく長いこと眺めていたが、寒いのでテントに入って晩飯を食べて寝る。
4/29(快晴)
五時頃起床。爺ヶ岳を通り過ぎて冷池山荘へ到着するとすでに多くの人が鹿島槍ヶ岳へ向かっていて、鹿島槍から下りてくる人ともすれ違うが、普通は冷池からの往復なので全員空荷である。
そのなか一人だけ大きな荷物を背負って歩くので、すれ違う人に「どこまで?」と聞かれ、キレットと言うと「よせばいいのに」という顔をされ、こちらも自信あるわけでないので不安になる。
冷池山荘から鹿島槍までは雪がほとんどついておらず、夏道が向きだしであった。
鹿島槍ヶ岳手前の布引山の登りをフラフラになりながら登る。
周りは空身なので身が軽そうだ。
30kgというと、単独冬山装備で9日分と考えれば妥当か、むしろ軽量なところと言ってもいいのかもしれないが、自分は思った以上に体力がないらしく本当に歩くだけで精一杯という感じ。(単純に重量というのもあるが、ともかく暑くて、バテてしまったのであった。)
これが普通の縦走ならそれでも時間をかければ行けそうだが、くさった雪がついた危ない岩稜を半日も登ったり降りたりということが、果たして自分に出来るものだろうか?
そう思ってときどきそこらに転がっている岩の上から岩に乗り移ったりして足裁きの正確さを試してみるが、ゆっくり動いて集中すれば思ったより性格に足を動かしてゆける。
ともかくやって来た以上はキレットまでは何とか歩いていこうと、やっとの思いで鹿島槍ヶ岳南峰に到着。もうこれだけで何か達成感が生まれるほどくたびれた。
長めの休憩をしていると山頂にはバリエーションルートの東尾根から来た人が続々上がってきて行列状態である。
白い雷鳥のつがいなども現れて写真など撮っていると、いくらか元気も出てきたので、ハーネスやアイゼンなど付けて南峰の急な下りを下りる。荷物が重いのでこの下りすら結構怖く先が思いやられる。
南峰を下りて北峰の下からキレットまでは完全にトレースが無く、やはりここしばらくは誰もこの先を歩いていないようである。
北峰の下で東尾根から来た30代中頃と思われる男女と出会い、この人達もキレットを越え五竜まで縦走しようと考えているとのことであったが、誰も入っていないのを見て少し躊躇している様であった。(特に下調べなく安易に行けるルートと考えていた様子。)
このお二人は先に鹿島槍ヶ岳南峰を登ってから先のことを考えるとのことで、南峰に向かったので後からお二人がやってくることを祈りつつ(やはり独りは心細いので)先へ進むことにした。
急な雪面のトラバースをしながらキレット方面へ。
雪は腐っていて踏み抜きそうだし、岩が露出しているところはどこも岩屑浮き石ばかりの、ガレた急斜面をトラバース、といった感じで気が抜けない稜線。
うっかり大きな落石を起こすと、落石は転がりもせず、音もなく眼科の雪の急斜面をすごいスピードで滑走していって、ずっと下まで落ちていってついに見えなくなってしまった。
立ち止まって落石の行く末を見守っていた自分は、思わず落石に自分の身の上を重ね、ゾッとする思いである。
キレット小屋が行く先に見えているが、荷物の重さと歩きにくさとで中々先に進めずイライラ。
極めて遅い歩行スピードで随分時間がかかったが、ようやく八峰キレットの前に辿り着いた。
ここを越えてしまえば小屋までは少し。斜面をうろうろしたり稜線の岩の上から下を覗いてみたりして随分ウロウロとしたが、キレットへの下り方がわからない。
だんだん日が暮れてきて焦り、若干ヒステリックな気持ちになる。
這松の群生する急斜面をずいぶん下まで下りて調べるが、やはり下りるべきところが良く解らない。
這松の上に雪が乗った急斜面の上り下りは、雪を踏み抜き踏み抜き歩くので恐ろしく疲労させられた。
懸垂下降で下りてみても良かったが、疲れ切っている自分は懸垂下降を登り返すことも叶わないかもしれず、なかなか踏み切れない。そうこうするうち日も暮れて急斜面を稜線まで登り返すことすら億劫になってきて、(今考えると、ストレスのためかこの時の精神状態はすこしおかしかった様に思うが)這松の中でそのままビバークしようかなどということを考え出す。
這松にセルフビレイを取りダウンを着て、シュラフに入って目をつむる。
そのまま20分ほど目を閉じていたが、ふと上の方からかすかに人の話し声が聞こえた様な気がして起き上がって上を見上げる。
気のせいかと思ったがだんだん声が大きくなってきて、どうも例の二人連れの方々がやって来ている様であった。
その二人連れがやってきたことがきっかけとなり、自分はハッと急に我に返ったように「おれは何をしているんだ」という気になって、頑張って稜線まで上がってテントを張ろうという気持ちになった。
雪を踏み抜き疲労困憊しながら稜線目指して上がってると、果たして稜線の上に例の二人連れの方々が姿を現した。
二人に「ルートはこっちではなさそう」というジェスチャーをすると、二人のうちの女性の方が、キレットの先端まで慎重に歩いて行って、下をのぞき込んで「反対側にハシゴが見える」と言った。
「今日はこれからどうするんですかー?」と大声で聞かれたので「そこまで上がって、ビバークをしまーす」と大声で応じたところ、二人連れはしばし相談している風で、歩いてもと来た道を引き返していった。
「ああ帰るのか。」と思ったが、自分が何とか稜線まで上がってくると、二人連れの方々は少し戻った高いところでテントを張ってビバークしていた。
自分はそこまで行くことすら億劫であり、稜線横の斜面に残ったわずかばかりの雪を踏み固め、何とか窮屈なテントサイトを作ってテントを張ることにした。
それまでは何となく遭難気分であったが、まったくテントとはありがたいもので、テントに入ってしまうと人心地というか、実に気持ちが落ち着く。湯を沸かして夕食を採ると、もうすっかりリラックスした気持ちになった。
そうしてみると、先ほど這松の中で寝ようなどと考えていたことが、いかに異常であったかと思えてくるのである。
4/30(晴のち曇)
目が覚めるとすぐにテントをたたんでキレットの先端へ。
のぞき込んでよくよく見てみるとなるほど反対側にはハシゴが見えた。
だがハシゴは上部が完全に雪に埋もれてしまっていた。
後立山の稜線には見渡す限りずっと長野県側に常に雪渓が積もっているので、長野県側にかかったこのハシゴは積雪期、常にこのように雪渓に埋もれているのだろう。
誰かがスコップなどで雪渓をうまくくりぬけば通れるかもしれないが、失敗すれば雪渓が崩れて下敷きあるいは上からなら滑落となり、十中八九死亡するだろうと思われた。
その左側に視線を移すと、そこにはどうやら懸垂下降の支点らしきものが確認できて事前の情報通りである。
どこか他に登れるルートは無いものかと視線を富山側に視線を移してみるが、少し下がったところからならあるいは登れるかもしれないと思えた。
だがここからだと上部がどうなっているか見えず判断がつかない。
懸垂下降で下まで下りることは出来るが、登り返す算段もつかぬうちに無闇に下降するのも良くないので思案していたところ、突然「おはようございまーす」とどこか遠くのほうから声がする。
その声がどこから聞こえてきたのか解らず、辺りをキョロキョロしていたところ、もういちど「おはようございまーす」と声がした。
あらためて見てみると、キレットを越えた反対側で何か小さなものがガリッガリッと(アイゼンの)音を立てて動いているのが見え、保護色のモスグリーンのヤッケを着ていたのでなかなか気が付かなかったが、それはまさしく登山者の姿であった。
まさかこんなところで、しかもキレットの反対側の人に出会うとは思わず大変驚く。
相手の方はモスグリーンのヤッケを着てツバのついた帽子を被り、赤いザックを背負っている男性。同じく単独行の様である。
「おはようございまーす」と応じると、「どちらから来たのですかー」と尋ねられたので、鹿島槍の方から来たと伝え「そちらへ行くにはどこから登れば良いですかね」と尋ねると「ここは無理。ロープが無いと通れません」とおっしゃる。
「ロープは持っています」と伝えると「うーんそれならまだ行けないことも無いかもしれないが…」と言葉を濁しながら、下降点を探しておられるようなので「そこに懸垂下降支点のようなものが見えますが」と指さして伝えると、相手の方は崖に身を乗り出して下降支点を確認し、ザックを下ろしてロープを取り出した。
我々のこうしたやりとりを少し高いところから遠まきに見ていた昨日の二人組は、「これは面倒そうだ」とばかりに、さっさと荷物をまとめてもときた道を引き返していってしまった。
キレットの向こうの人は、そのまま崖をトラバースして下降支点まで移動するが、下降支点はけっこう危ないところに付いていてそこまで行くだけでもけっこう怖そう。少なくとも反対側から見ているぶんには気が気ではない。
下降支点に着くと、相手の方はセルフビレイを取って下をのぞき込み「これはロープが下まで届かないのではないだろうか」とおっしゃった。
聞くと持参したロープの長さは30mであるとのことであるので、懸垂下降できる高度は15m。僕のほうからは(どうやら相手の方の方からも)キレットの一番下まで見えないが、キレットの断崖がいかにも高いものに思え、自分も同じく、この人のロープは下まで届かないのでは、という感想を持った。(それどころか自分の持参した40mロープでも下まで届かないのではないかと思われた。)
相手の方は、はいそうですかと来た道を戻るわけにはいかないのでしばらく思案しておられたようだが、ともかくやるだけやってみようと思われたのか、捨て縄をかけて懸垂下降のセットを始められた。
ロープを手で束ねて輪にしたものを、アンダースローで下に投げるも、途中引っかかって一番下まで落ちないので届くかどうかわからない。「これはダメそうだ」と再びつぶやく。
そこで、ものは試しなので「いちど下が見えるところまで下降して様子を見られてはいかがでしょう」と相手の方に言うと、相手の方は「うん、なるほどそうしてみましょう」、と言ってエイト環をセットして空身で懸垂下降を始めた。
その懸垂下降支点がいつからあってどのような素性のものかわからないが、他人の身とはいえこんな得体の知れない支点に身を預けているのを見るのはなんとも生きた心地がしない。
相手の方が一番底が見えるあたりまで下降したところで、「これは、なんとかロープがぎりぎり届きそうだぞ」と言った。
自分はそれを聞いて「ではキレットはまぎれもなく15mほどの高さということになるぞ」と思った。
だがこのキレットの絶壁の高さはどうだろう。とても15mしかない様には思えない。自分はすっかり恐怖感に呑まれて冷静に状況を見られていないということだろうか。
無事にキレットの底に辿り着いた相手の方は、「申し訳ないのだが、あなたのロープを下ろして私をビレイしてはもらえませんか」とおっしゃる。
何でもこちらの壁の、急斜面を少し下ったところに(富山県側に少し移動したところ)にハシゴがかかっているのだそうで、ハシゴの上部で危険なトラバースを強いられる様子らしい。
こちらの壁のことなので、こちらからはどうなっているか解らない。
先方の指示に従い、「このあたり」というところで、もっとも頼りになりそうな這松に捨て縄をかけ、そこに懸垂下降のセットをした後にクローブヒッチでフィックスし、ロープダウンの掛け声とともに崖の下に放り投げた。
わざわざ懸垂下降のセットをしてロープダウンしたのは、ハシゴがあることが解ったので、先方が登って来たあと自分も懸垂下降で下りてみようと思ったからである。
その場に腰掛けてしばらく待っていると、ついに崖の下から相手の方が顔を出した。
それまでまるでベルリンの壁を隔てて相手と会話をしているかの様な気分であったが(凸ではなく凹だが)、相手の人が彼岸からこうして目の前に現れてくると、まるで別の世界からやってきた人を見る様で実に不思議な気分である。
間近で対面した相手の方は、30後半か40前半のように見える男性の方で、「やあ、これは大変助かりました。まさに(ロープが)天からのクモの糸のようだ」とおっしゃった。
この方に「懸垂下降して向こう側へ登り返すことが出来るでしょうか?」と尋ねてみたところ「いや、それは無理だ。このルートはそもそも五竜岳の方から歩いてくることは出来るが鹿島槍の方からは通れない一方通行のルートなのですよ。」ということである。
それは何故かというと、こちら側のハシゴが富山側に着いているため雪に埋まらないのに対して、長野側についたあちら側のハシゴは常に雪に埋もれてしまって、登り返せないからである。
え!?僕の旅まだ始まったばかりなんですけど!?と思い、「あちらの少し下ったところの崖から登れないものでしょうか?」と食い下がって尋ねてみると
「いや、あそこから登るのは絶対無理です。仮に登れるとして、ダブルアックスのアイスで○級くらい(何級だったか失念したが難しいグレード)はありますよ。絶対にやめておいたほうがいい。」とおっしゃる。
そこまで強く引き留められて、無理に自分を押し通し前進を試みるのも何だか無謀な様で躊躇われるし、どうも体が疲れ切っていて気乗りがしないこともあって、仕方なくロープを回収することにした。
今回、こういったルートを単独で行くというからには、自分としては「死して屍拾う者無し」の覚悟で臨んでいるつもりであるが、実際には「死して屍探しまくり」という事態になって多くの人に多大なご迷惑をかけることになるのは間違いない。無理は禁物である。
相手の方は神奈川県から来られたとのことで、僕が京都からやってきたことを告げると、何区なのかまで尋ねられ、京都にお詳しい様子である。
「私の弟が京都なので、よく京都へ遊びに行くのですよ。これも何かの御縁ですね。」と言って下さった。
物腰とか、言葉の選び方がどことなく秋房さんに似ている感じがして何となく懐かしい感じがする。
これからどうするのかと聞かれたので、「日にちがすっかり余ってしまいますが、仕方ありません。冷池小屋で生ビールでも飲んで下山することにします。」と答えると
「お礼にビールくらいおごらせて下さい。」と申し出ていただいた。
しかし別に確保が無かったとしても通過出来たことだろうから、わざわざ恩に着ていただくとことは何も無いと思い、丁重にお断りしたところ
「そうかもしれないが、おごらないことにはこちらの気が済みませんから」とおっしゃっていただいたので、そういくことであれば、ありがたく驕っていただきますと告げ、二人で鹿島槍までの道のりを戻る。
相手の方はずいぶんお疲れの様で、ゼイゼイ言いながらゆっくり歩くが、自分の方はもっと疲れていて、少し進んでは休みながらマイペースで後ろを歩いた。歩きながら、よく冷えたおいしい生ビールのことを思う。
鹿島槍ヶ岳北峰の下までくると、相手の方に「無事の通過、おめでとうございます」と山行の無事を祝福した。
すると相手の方は嬉しそうに笑ったので「なんとうらやましい」と思った。
南峰を見上げると急斜面を登らないといけないが、そこから先は安全地帯である。相手の方は雪に覆われた南峰を見上げ「この時期の雷鳥は、空を飛ぶんですよ。飛ぶと言っても滑空のようなものですが」と私に教えてくれた。
その後、北峰に登ってから行くということだったが、自分はなんだかくたびれ果てていたので「僕は元気がないので、冷池山荘まで先に行くことにします。のちほど小屋でお会いしましょう」と告げて別れる。
そうして歩き出した矢先、吊尾根で雷鳥がすぐ近くを歩いているのを見つけ、観察していると吊尾根から突然飛び立ち、南峰の断崖の方へ滑空していくではないか。
南峰の黒い岩壁に雷鳥の白装束が映え、なんとも美しい光景であった。
私もこうして飛ぶことが出来たならキレットも難なく通過できただろうに、ということを考えずにはいられない。(もっとも30キロの荷を背負っては雷鳥も飛べないであろう。着の身着のままで縦走するわけにはいかない。)
鹿島槍ヶ岳南峰を越えていよいよ安全地帯までやってくると、張り詰めていたものが切れてしまったようで、やたらと足がもつれてしかたない。
荷物も輪をかけて重く感じ、もつれた足でフラフラフラフラと歩き、途中何度もつまづいたりする。
そうしているとなんだか栂海新道まで行くなどという計画が、今更ながらにいかに馬鹿げたものであったかということを痛感させられるようで、ひどく情けない気持ちになった。
「来年はもっと楽しいことをしよう。」
冷池山荘に着き、応対して下さったお姉さんにさっそく生ビールを注文したところ、なんと生ビールは品切れしているとのことであった。
おごってもらう生ビールも無いのであれば、わざわざ冷池山荘で幕営する必要も無い。
あの方に断らず先へ行くのは残念だが、明日はどうせ下山するだけであるから、少しでも先に進んでおこうと思い、爺ヶ岳まで歩く。
その間もひどくノロノロフラフラと牛歩の歩みで進むため、なんと爺ヶ岳南峰に辿り着く手前で日が暮れてしまう。
その日の晩から風が強くなって、防風壁から少し出ているテントの頭がばたついているなんだか音が心地よい。
残り電池を気にする必要がなくなったので、スマートフォンでメールなど確認してみると、山本さんや丸山さんなどから「引き返したのは正しい判断であった」というようなメールが来ていて励まされた。
5/1(曇)
朝起きてテントから出てみると天気は快晴で、見事な雲海が出来ていたので爺ヶ岳中峰まで登ってみるたところ、白馬岳のほうまでずっと見渡すかぎり雲海が出来ている。
また反対側には立山や劔も見事に見えていたので、荷物をまとめて爺ヶ岳南峰に登った。
南峰に登るころになると雲海の中に入ったらしく、あたりはガスになってしまうが、時折雲が動いて劔や立山がまた姿を現し、雲の切れ間から見える山容がとても美しい。
そのため、また雲に覆われてしまってからもしばらく山頂にとどまって、ダウンなど着てまた晴れるのを待った。
すると、真っ白いガスの中からぼんやりと誰かが歩いてきて、手を振ってやって来る。
見てみるとモスグリーンのヤッケで昨日の方であることがわかった。
「やっと会うことが出来た!申し遅れたが私の名前は早川。さがみ山友会の早川です。」
そう言われ、やっと自分も名乗っていなかったことに気が付き、お詫びして自分も自己紹介をした。
「こんなところで何をしているんです?」と聞かれたので、劔岳が見えるのを待っているのですと告げると「今日は天候も悪化するばかりだ。もう見えませんよ。」と言われる。
さがみ山友会の早川さんは、その後新越尾根の方から下りるとのことで、その新越尾根なるものがどこかよく調べもせず、ともかく登って来たところと違うルートであれば、と思い同行を申し出たが、種池山荘まで行ったところで新越尾根の下山路は一泊の行程だと知り、やはり下山することにしてここで早川さんに別れを告げた。(早川氏の記録によると、その後早川氏もやはり南峰から下山したとのことであった。)
昨日とは打って変わった悪天候で、風が強いし視界は悪いし雪は腐って歩きにくいしで、すぐそこの爺ヶ岳が随分遠く感じる。
やっとの思いで爺ヶ岳南峰までくると、フラフラになりながら扇沢まで下山。
扇沢にある大してうまくもないレストラン(失礼)の生ビールを注文して一気飲みしたら、生き返るようなうまさであった。山に登らなければどんなにお金を積んでもこんなにうまいビールは飲めるまい。
その後、長野に転勤となった本田さんに会いに行き、泊めてもらったり案内してもらったりと大変お世話になった後、GW後半からは上坂さん一行に合流させてもらったが、こちらもやはり悪天候でとてもガッカリ感ただようGWであった。
昨年に続いてまた逃げ帰って来たが、また挑戦することがあるだろうか?
キレットの様子については早川氏の記録に記載された図に詳しい。
さがみ山友会の早川氏(種池山荘をバックに)