京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉大峰南奥駈道(笠捨山・玉置山・五大尊岳)

平成25年10月12日(土)~14日(月)

昨年に続き大峰奥駈道縦走を行った。今回は最南部の3座、笠捨山(1,352m)、玉置山(1,076m)、五大尊岳(約800m)を縦走し備崎では古式に則り熊野川渡渉により熊野本宮大社へと達した。

20131012南奥駈6

 

写真6: 10/14熊野川流域の雲海と朝焼け (大森山東稜線より)

 

【メンバー】  山本浩史L、富岡慶子、田辺久美子、植田健司 計4名

1日目(10/12)

【行  程】 京都7:59-10:19五条10:32=(奈良交通バス)=13:06十津川村役場13:10=13:41上葛川口13:49~14:55明日平~15:49熊谷ノ頭~16:43笠捨山東峰~16:54笠捨山~17:16▲葛川辻

【山データ】  晴れ 歩行6.9㎞ 3時間58分 延登高1,073m 延下降418m 3座登頂

 

20131012南奥駈地図1日目

 

和歌山線の五条から国道168号線を延々と走り新宮まで行くバスがある。始発は近鉄大和八木で所要時間6時間29分かかる。これが日本最長の路線バスで全区間に乗ろうとする人も結構いる。偶然隣に座ったお爺さんは京都市中京区の人で全区間乗ると云う、何処かの山岳会に属しているがもう山行はしていないらしい。途中上野地で20分の休憩があり、谷瀬の吊橋を体験した。今年4月のNo.86伯母子峰の際、吊橋下の河原にテントを張ったが吊橋は渡らなかった。十津川村役場から村営バスに乗換え大峰奥駈道の尾根をトンネルで越えた。玉置山登山口で男性が一人下車し、我々一行はその次の上葛川口で下車し漸く登山口に達した。

 

上葛川集落の中心まで一旦バスは入るが10年前の登山地図にはそんな情報はなく、運転士のアドバイスも良く分からず分岐点の“上葛川口”で下車したが、“上葛川”まで行った方が登山口の吊橋は近かった。明確な標識が無く対岸に見える「←蛇崩山」の表示に従い富岡さんを先頭に山に入って行った。“蛇崩山”これで「だぐえやま」と読ませる。目指す笠捨山の南尾根が熊谷で二つに分かれた反対側の尾根にある山で時間があれば立寄りたいが今日は暗くなるまでに葛川辻に達する事ができるかどうかぎりぎりで寄り道する余裕はない。

 

登り出しは険しく標高差400m余りを登ると汗が噴出する。赤点線道でミッション1に「笠捨山南尾根のルートファインディング」を設定したが、道は明瞭で間違える恐れもなさそうだ。稜線に近づくとトラバース道となりP948の北側を巻いて鞍部で稜線に乗り上がった。表示はないが登山地図にある明日平のようだ。稜線の先に笠捨山東峰と蛇崩山、立合川を挟んで西峯も望むことができる。一息入れ稜線を進むとP1040の南側を巻き再び傾斜が増し蛇崩山への分岐に達した。単なる1,168mの標高点と思っていたが“熊谷ノ頭”と表示があり1座儲けた。山頂からは蛇崩山や果無山脈の展望が良い。

 

樹林帯をなだらかに進みP1257を越えると急登となり笠捨山東峰(約1,340m)に到る。山頂には電波反射板があり開けて展望が良い。昨年登った釈迦ヶ岳を始め奥駈道北部の山々や熊谷ノ頭、蛇崩山、明日通る香精山等が望めた。100m程進むと笠捨山西峰(1,352m)に到る。笠捨山の主峰で2等三角点「笠捨山」がある。ここから奥駈道に入り早速第十八靡で有名寺院のお札を見る。直ぐ北には電波塔のある行仙岳が見えた。ここで2つ目のミッション「大普賢岳を山座同定する」をしようとコンパスを合わせるが、季節外れの黄砂の影響で見通しが利かず断念、代わりにそれより近い釈迦ヶ岳を同定した。予定時刻より20分程早く着いたが、もう日没まで時間が少ない。集合写真を撮り、大急ぎで今夜のテン場、葛川辻に向かった。

 

17:16葛川辻に到着、女性2人にテント設営をお願いし男2人は水場に急いだ。北側の谷を15分下るが結構険しい。暗くなってしまうと危険だ。ヘッドライトを持って行ったが暗さが限界に達する前に女性陣が建ててくれたテントに戻ることができた。今日のルートは誰にも会わない静かな道だったが整備は行き届いていた。

 

2日目(10/13)

【行  程】 ▲葛川辻5:32~6:03槍ヶ岳~6:13地蔵岳~6:55東屋岳~7:26香精山7:38~8:51如意宝珠岳~9:08稚児ノ森~10:21花折塚~10:45玉置山展望台11:00~11:26玉置山~11:40玉置神社12:20~13:49旧篠尾辻14:04~14:14大平多山~14:36甲森~15:09▲旧篠尾辻

【山データ】 晴れ 歩行15.8㎞ 8時間17分 延登高1,309m 延下降1,454m 8座登頂

(オプション)  歩行 4.8㎞ 1時間05分 延登高 304m 延下降 304m 2座登頂

20131012南奥駈地図2日目

 

4時に起床し明るくなる直前に出発した。田辺さんを先頭に歩き出すと直ぐ近くに別のテントがあり男性が一人準備中だった。一体いつ来たのだろう、後から着いた形跡はなく我々より先に着いていたのだろう。

 

今日のコースは旧篠尾辻までの15.8㎞を歩く。そのうち最大の難関がこれから挑む地蔵岳だ。鎖が連続し尖がり峰の岩場を越える。真新しい鎖は追悼のために掛けられたと云う表示があった。感謝し慎重に行こう。地蔵岳手前の槍ヶ岳に達すると折しも朝日が笠捨山の肩から昇って来た。地蔵岳(1,250m)山頂からは北方の釈迦ヶ岳(1,800m)、倶利迦羅岳、転法輪岳等を望むことができる。地蔵岳の西稜線も危険個所が続く、南側に水場への標識があり、登り返して四阿宿(しあのしゅく)跡に達する。縦走路から分れ20mほど北に行くと東屋岳(1,230m)山頂がある。山頂標識があるだけで展望はない。

 

進行方向が南に変わり香精山手前の送電鉄塔からは展望が良く、越えてきた笠捨山、地蔵岳や北方に八人山が見える。香精山(1,121m)は「こうしょうさん」と読み3等三角点「三本杉」が置かれている。山頂展望はないが小休止を取り栄養補給した。貝吹金剛の塔ノ谷峠は910m、展望のない稜線をどんどん下り古屋ノ辻は660mで最低鞍部、随分下ってしまった。左に上葛川への下山路、右に21世紀の森・水場への道が分岐している。登りに転じ70m余り登り返すと如意宝珠岳(736m)に到る。山頂展望はなく通過して下った処は岩ノ口で昨日通った葛川トンネルを越えた所にある玉置山登山口から来る道が合流した。昨日バスで一緒だった小父さんは此処を通ってきた筈だ。

 

稚児の森(703m)は何の表示もなく通過、芦廼瀬川(あしのせかわ)から上がってきた林道が左側から近づき南奥駈道に絡みつくように稜線近くを走っている。終に車道に下りてしまい50mほど歩くと林道は分れP834の西を巻く、南奥駈道は東側を巻く。反対方向から男性が一人、何んと昨日バスで一緒だった小父さんだ。玉置山に行って戻ってきたようだが玉置神社で泊ったわけではなく日帰り装備で、下界で泊ったと言っていたが、一体どういうルートを取ったのだろう?要領を得ないまま分れてしまった。香精山から2時間休憩していなかったので分岐点で休憩を取った。西側を巻いて来た林道が再び絡み付き、乗り上がった処で林道の支線を横断する。9年前の山行の時、雨の中この林道に入ってしまい大きなタイムロスをした。今回注意しているとしっかり指導票があり今では間違いようがないだろう。

 

林道支線を横断して登り詰めると花折塚(952m)のピーク、山頂付近に花折塚の碑がある。花折塚は、南朝の大塔宮の忠臣片岡八朗熊野別当定遍の軍勢と戦い討死した場所で墓がある。奥崖道を行く人々が花を手折り供えたことから“花折塚”と呼ばれるようになった。やがて奥駈道は林道に下り桜の植林された道を行くと玉置山展望台に到る。車が1台、高いアンテナを上げモールス信号の交信をやっている人がいたが車の中の奥さんは退屈そうだった。展望台からは北方の展望が良い。トイレもあるが水はない。ここでミッションを2つ「笠捨山を山座同定」と「釈迦ヶ岳を山座同定」を行った。昨日は黄砂の影響で遠望が霞んでいたが今日は遠望が利きどちらも同定することができた。

 

展望台を過ぎても暫く林道は続き「世界遺産 奥駈道」の巨大な石の碑を見て登山道に入ると比較的なだらかに玉置山(1,076m)に達した。1等三角点「玉置山」があり傍らにはお地蔵さんと金槌を備えた鐘があり、代表して富岡さんが「か~ん」と打ち鳴らした。91座目の関西百名山で集合写真を撮るつもりだったが忘れてしまった。南に下山し玉置神社の霊域に入ると先ず玉石社に到る。囲いの中に大杉が林立し神々しさを感じる。案内板には役行者小角が後世の為に財宝を埋納し福徳を祈念した所と伝わる。玉置神社は9年前の縦走の際、重要文化財に指定された社務所の1階宿坊で泊めて頂いた一宿一飯の神恩に感謝しお賽銭を弾んで来た。(金額は秘密)

 

玉置神社で水を補充し大休止した後、本殿に参拝し裏の大杉を見る。神代杉、夫婦杉と名が付き樹齢は3,000年に達すると云う。神域を離れ、玉置山の南西尾根の南をトラバースし玉置辻に到る。林道が交差し玉置山登山口の鳥居がある。南下を続けるとP831の西を巻き740mの最低鞍部の水呑金剛を過ぎると登りに転じ旧篠尾辻を目指す。新宮市熊野川町篠尾の集落名から「ささびつじ」と読ませる。200m余りの登りで旧篠尾辻西の小ピーク上に達した。まだ13:49だが今日のテン場とする。広い平地は無く4テンや6テンではなく2テン2張りとしたのは正解で辛うじて場所を確保できた。

 

未だ時間は早いので、大平多山、甲森への1時間40分のオプションツアーを募集したところ植田さんだけ参加し男2人で東へ続く尾根に乗り出した。大平多山は以前にも立ち寄ったが標高が999mで銀河鉄道のようだ。展望はなく先に進むと小ピークが3つほどあり鹿除けネットの脇に棘々の木があり歩き難い所もある。甲森への最後の登りは直線的に一寸登り応えがある。甲森(987m)山頂には3等三角点「甲ヶ森」があるがここも展望なし。直ぐに折り返し元来た道を戻った。大急ぎで歩いたので1時間程でピストンできた。留守番部隊は風の中もうアルコールが入り温まっていた。南側斜面の窪みに風を避け、早めの夕食を食べ運び上げたウィスキーと焼酎で宴会をして日暮れと同時にテントに潜り込んだ。

 

3日目(10/14)

【行  程】 ▲旧篠尾辻5:29~5:54大森山~6:02大水ノ森~7:09五大尊岳~7:25五大尊岳南峰7:39~8:51大黒天神岳~9:38山在峠9:52~10:07吹越山~10:50展望台~11:14七越峰~11:59備崎12:13~12:15大斎原~12:40熊野本宮大社~12:55熊野本宮BS 13:21=14:23新宮15:42-(くろしお30号)-20:19京都

【山データ】 晴れ 歩行15.1㎞ 7時間26分 延登高869m 延下降1,790m 7座登頂

20131012南奥駈地図3日目

 

今日も4時に起床し昨日より若干早く出発することができた。植田さんを先頭にヘッドライトを点けて西に進むと段々明るくなり木立の一部を赤いスポットライトを浴びたように真っ赤に染めている。日の出だ。暗い稜線の隙間に差し込む燭光は幻想的とも何んとも神秘的な美しさだった。木の間越しでしっかりとご来光が見られないのは残念だった。明るくなり少し開けた所からは熊野川流域が雲海に沈み熊野の山々が浮かび幻想的な雰囲気、直ぐ下の篠尾集落だけは霧がなく集落の家々が見える。

 

大森山(1,078m)は今日の最高峰、展望無く通過、大水ノ森(1,045m)は3等三角点「大水ノ森」があり、2.5万図にはこの地点に“大森山”と記されているが間違いで、現地の表示は「大水ノ森」、「大森山南峰」、「大森山」と色んなものがあったが明らかに間違っている「大森山」は裏返しておいた。篠尾辻を目指して南に下ると標高は1,000mを切った。大水ノ森が最後の1,000m峰でこの後は標高50mの熊野川へと基本下るばかりだ。

 

篠尾辻は本宮町七色への下山路が分岐するので見過ごすことはないだろうと思っていたが標識があったのかどうか知らないうちに通り過ぎてしまった。ミッション6で「篠尾辻から五大尊岳までの所要時間を予想」を予定していたが仕方がないので六道ノ辻から大黒天神岳までに変更した。今日の関西百名山は五大尊岳(約800m)で第七靡だけあって険しい。岩場を這い上がり山頂に達するとの標識が石の台座の上にあった。その左に不動明王の石像があるが案内板には昭和50年3月に建立したが平成17年5月に消失し(盗難か?)、平成21年5月に再建したとあった。聖護院、青岸渡寺などのお札があり生きた信仰を感じる。山頂からは子ノ泊山や果無山脈を望むことができた。集合写真を撮って先に進む。

 

五大尊岳の最高点は825mの南峰で登山地図にはこちらを五大尊岳としているようだが靡のある所を本峰としたい。南峰には展望はなく残念が栄養補給の休憩を取った。南西尾根を下るがこちらも険しい。等高線がぎっしり詰まっている。下り切ると六道ノ辻で標高は445m、第六靡“金剛多和”で炭焼き釜のような石垣に囲まれ石仏が安置されている。ここで代替のミッション6「大黒天神岳への所要時間を予想する」、コースタイムは25分となっているが0.7㎞の一貫した登りで標高差は130mほどと云う条件で18分~25分の予想が出た。ストップウォッチをスタートさせ展望のない稜線を言葉少なに歩き山頂に達したのは8:51だった。所要時間は18分38秒、18分を予想した富岡さんがぴったりだった。拍手で祝福し帰りの特急ではビールを1杯余分に飲んでもらうことにした。勿論自腹で!

 

大黒天神山(574m)は2等三角点「上切原」があるが展望には恵まれない。下りに掛ると上空を送電線が横切り鉄塔に達した。切り開かれ展望が利き果無山脈や子ノ泊山を望むことができる。谷に下りる送電線に寄り添うように下山路が東に向き200m高度を下げる。山在峠に達する直前、西側の眼下を流れる熊野川が大きく蛇行し大居集落の乗る台地が突き出しΩ状に湾曲しているのが壮観だ。宝筐印塔を見て小井谷山在林道に飛び出すと山在峠だ。標高は265mで随分高度を下げたが熊野川を俯瞰するとまだまだ高度感がある。

 

林道を辿れば吹越宿跡に達するが奥駈道は稜線を忠実に辿り吹越山(325m)を通る。何の表示もなく注意していないと知らない間に通り過ぎてしまう。小井谷への下山路から折り返すように反転し吹越宿跡に下りる。奥駈道には吹越宿跡と案内があり第四靡「吹越山」は此処のようだ。そして林道の方には吹越峠と案内があったが2.5万図の吹越峠は奥駈道の更に先に記されているがこちらは旧峠と云う事だろうか? 奥崖道を進み注意していたが何の表示もなく下向集落への下山路と思しき道が寂しく分岐していた所が旧吹越峠のようだ。七越峰を目指して歩いていると突然西側の開けた所に飛び出した。最新版の登山地図には“展望台”と記されているが10年前の私の地図にはない。眼下に熊野川が望めその一角に熊野本宮大社の森、旧社地の大斎原と大鳥居がしっかり見える。尾根の終端には備崎の熊野川渡渉点、奥駈道縦走も漸く終盤となった。

 

展望台から南下すると4等三角点「七越峰」(251m)があったはずだが此れは見落としてしまった。アスレチック遊具をそなえた“ささゆり広場”に達するが公園名の表示は何処にも無かった。トイレ休憩を取り七越峰(262m)に登る。今山行最後の山だ。広い山頂に展望櫓のようなものがあったが登れなくしてあり何の意味があるのか不明だった。コンパスの示す方向と全く逆方向に奥駈道の標識があり、訝しがりながらも標識に従って下山、道は大きく折返し本来の方向に向かいひと安心、稜線を進み林道に一旦下りるとP156への登り返しでこれが最後の登りとなる。100m下って熊野川が見えると堰堤上に飛び出す。コンクリートの階段を下りて河原に達する、備崎だ。尾根の先端は岩が折重なり険しい様相を見せているが河原は広い。水流は15m程度の幅で渡渉して大斎原(おおゆのはら)を目指す。靴を脱いで水に入り水深は膝位までで穏やかに見えてもストックで支えないと不安がある。

 

全員無事渡渉を済ませ裏側から大斎原の旧社地に入って行った。明治22年の水害までは此処に熊野本宮大社があった。熊野川、音無川、岩田川の合流点の中州で神が舞い降りた所とされ神々しさは今も変わらない。その頃は橋が一切なく、参拝するには川を歩いて渡り身を清めたと云う。将に奥駈道の最後に相応しくそのようにした。今の本宮大社は高台にあり山行の締めくくりに本宮大社石段を上がり参拝した。只残念なことに本殿は工事のためシートで覆われていた。

 

早く着いたので予定より50分早いバスに乗ることができ新宮に向かった。新宮では不老不死の薬を求めて秦の始皇帝が派遣した徐福を祀る徐福公園に立寄り、京都行特急“くろしお30号”で帰路に着きお待ちかねのビールにありつけた。 《山紀行815》 

 

【山データ計】 歩行42.6㎞ 21時間01分 延登高3,554m 延下降3,965m 20座登頂

 

【感 想】 43期 富岡慶子

暫くテント泊縦走はしていないし、浩史さんの泊まりの山行も初めてで、付いていけるか自信はありませんでしたが、大峰奥駈道は大普賢岳から南を大分歩いていて、残りは今回のコースだけなので是非参加したいと思いました。事前に2回、比良にテント泊で歩いてトレーニングをしました。 初日は私がトップのオーダー、午後2時前からの歩き始めで、予定どうりに歩いても日没ギリギリです。テント敵地にはなっていますが、どんな所か分からないし、水場も15分谷を下らなくてはならないし、明るい内に着かなくては不味い!! 一番体力の無い私の歩きに掛かってるので、口開いて息をしながら飛ばしました。トレランで心拍数を上げての歩きは多少やっているので4時間程度ならもつだろうと思いました。2/3位の所で予定より10分程度早かったので気持ちが楽になりました。泊地にも予定より少しだけ早く付けました。男性が水汲み、女子がテント設営と手分けして動き、何とか真っ暗になるまでに泊まる準備が出来ました。予定どうりに動けたので、今回の山行完歩の見込みが立って、ほっとして眠りました。

2日目、3日目もずっと、きついアップダウンの繰り返しが多く、やはり修験の道と思いました。 最後までヘロヘロになる事なく歩き通せたので大変嬉しく思いました。 標高が低いので何とも言えませんが、まだ夏のアルプス縦走も出来るかもと思えたし、今年一番の充実感ある山行でした。

 

【感 想】 44期 田辺 久美子

久しぶりのテント泊縦走に参加させていただき、天候にも恵まれて充実した3日間を過ごすことができました。浩史さんの山行ということで藪こぎや、道なき道も、覚悟していましたが、道は比較的整備されていました。しかし、さすが修行の道だけあって、アップダウンの連続にヘトヘトになりました。でも何とか歩き通すことができ、少しは修行ができたかなーと思います。浩史さん、ご一緒していただいたメンバーの皆さん、ありがとうございました。まだまだ修行がたりませんがまたよろしくお願いします。

 

【感 想】 51期 植田 健司

昨年の10月に北奥駈を歩いたので、南奥駈も歩いてみたいと思っていました。登山口に向かうまでの途上、日本一長い路線バスに乗り、谷瀬の吊り橋のある近辺のバス停で休憩し見に行きました。流石に名所というだけあって多くの人が吊り橋を渡っていました。登山口の上葛川から笠捨山を経て1日目の幕営地に到着しましたが、水場に行くまでの道中が思ったより険しかったです。2日目は玉置山・玉置神社を通過する行程でしたが、玉置展望台から見る景色は壮観でした。玉置神社はさすがに由緒ある神社で、樹齢3千年にもなる巨木が根を張っており、圧倒されました。3日目は幕営地の旧篠尾辻を出発して大森山、五代尊岳、大黒天神岳を経て熊野本宮へ至る行程でした。ここまでくるとあとは標高を下げていくのみでした。しかし、熊野本宮が間近に迫ったとき最後の最後にアップダウンのある道を通りやはり簡単には終わらせてくれないなと思いました。地上に降り、備崎を渡渉し、熊野本宮へ到着し、お参りを済ました後、帰路へ着きました。南奥駈は、修行の道だけあってやはり険しい箇所も多く、そして北奥駈に較べて意外なほど出くわす人が少なかったことに驚かされました。3日間は非常に充実していたと思います。また機会を捉えて紀伊半島の山々に登っていきたいと思います。

 

20131012南奥駈1

写真1: 10/12笠捨山山頂にて

 

20131012南奥駈2

写真2: 10/13釈迦ヶ岳1,800m、孔雀ヶ岳他、奥駈道の山々(地蔵岳西稜線より)

 

20131012南奥駈3

写真3: 10/13東屋山1,230m、地蔵岳1,250m (香精山北の送電鉄塔より)

 

20131012南奥駈4

写真4: 10/13冷水岳(1,262m)と果無山脈 (玉置山展望台より)

 

20131012南奥駈5

写真5: 10/13玉置神社本殿

 

20131012南奥駈7

写真7: 10/14熊野川の蛇行と本宮町大居集落

 

20131012南奥駈8

写真8: 10/14大斎原へ熊野川の渡渉(備崎にて)

 

20131012南奥駈9

写真9: 10/14大斎原(熊野本宮大社旧社地)の大鳥居