京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

雨乞岳《近畿百名山シリーズNo.84》 《山紀行872》

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写真1: 両側が崩壊したイハイガ岳(964m)北尾根

 

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平成27年4月13日(日)

 

イハイガ岳北尾根と東尾根は岩峰で崩壊激しい。特に北尾根の崩壊は両側に及んで登路もない。谷へ迂回し岩稜を渡りイハイガ岳に到った。清水頭からは笹原尾根が続き藪漕ぎで雨乞岳に登った。下山はフジキリ谷から岩ヶ谷林道を歩き甲津畑に戻る長距離周回縦走を行った。

 

【メンバー】 山本浩史L、堤潤、竹山昌孝、小西幸一郎                                                            計4名

【行  程】 桂川5:42=八日市IC=6:56甲津畑鳴野橋7:06~7:43送電鉄塔~8:36 P888~8:48向山~10:01イハイガ岳~11:46清水頭~12:39南雨乞岳~12:55雨乞岳13:03~13:30杉峠13:38~14:25蓮如上人旧跡~15:42甲津甲津畑鳴野橋15:52=16:30蒲生野の湯17:30=竜王IC=19:22桂

【登山データ】 晴れ 歩行16.4㎞ 8時間36分 延登高1,318m延下降1,318m 5座登頂

 

八日市ICで名神を下り東近江市甲津畑へと向かう。集落を過ぎ渋川の谷に入り鳴野橋の袂に車を止めた。少し手前で帰路に使う岩ヶ谷林道が分岐いている。堤さんを先頭に先ずは向山の尾根に乗るべく送電巡視路に入った。足元にはスミレ、視線の先にはアセビが花を付けていた。二組の鉄塔が繋がり竜王山から御池岳と藤原岳の間を通り藤原町へと向かっている。一本の送電線に6本ひと組の束が3組、18本ずつの電線が走っている。相当大きな電力を運でいるようだ。這い上がった鉄塔はNo.158Lとあり東側の鉄塔はNo.158Rと表示されていた。

稜線道は東に進み500m程行くと南東に進路を変えると東側に崩壊地が現れ展望が得られる。渋川を隔てた右岸尾根は入道ヶ原からカクレグラ、タイジョウと続く尾根で渋川沿いに甲津畑林道の終点が真下に見えた。近畿百名山シリーズ恒例の読図ミッション1は「P888の位置を特定」で向山の手前にある小ピークを見つける。地形の変化に注意を払い進んだ。葉を落とした広葉樹林帯が続き、送電鉄塔から先は余り歩かれていないようで獣道程度でしかない。赤テープも殆どなくある意味楽しみのある山域だ。左手に張出す顕著な尾根を見てそのピークをP888と定めた。念のためGPSで答え合わせをして間違っていないことを確認した。

向山(935m)山頂には標識なし

少し下り登り返すと向山(935m)で山頂標識を探すが山頂を意味するのであろうテープが幾つも巻かれた最高所を山頂と見極めた。展望もないが休止して栄養補給を行い、先に進むと小さな池か水溜りかがあり、ヒキガエルなのか大きな卵がグロテスクに蠢いていた。次のピークに達する頃からイハイガ岳が見え隠れし出し先端部まで来ると北尾根の崩壊地が一望できその荒れ方に圧倒された。鞍部へと下る。果たして登路は? ミッション2はこのルートファインディングを課題とした。先ずはガレた斜面をトラバースし通過する。足を滑らさないように慎重に歩を進める。

巻道を過ぎ北稜線の直下に達し見上げるとガラガラに崩れた急斜面は取り付き難い。危険を回避するために一旦谷に下って西に張出す尾根に取り付いた。危険地帯はまだ続き激瘦せの稜線を進むが余りにも危険で直下を巻いてギャップに達した。前面のボロボロの岩場を這い上がった。草付きの稜線の下部は抉れ崩壊の危険がありすぐ左側に避けおっかなびっくり進んで漸く危険地帯を脱出した。最後の急登で漸くイハイガ岳(964m)山頂に達した。兎に角“位牌”とならずに済んだことに感謝だ。

イハイガ岳山頂には3等三角点「祝ヶ岳」があり、南西の方向に綿向山が望めるが雲に覆われている。今日は晴れの予報だったが山頂域はどうもガスっぽい。此の山頂は西側から平成20年に東側からは平成21年に登っているが記憶が戻って来ない。暫し休憩して東尾根を下る。堤さんが東尾根も厳しいと云うが記憶の中では雨乞岳からの笹原しかない。下りだすと2.5万図が示すように南斜面が崩壊し急斜面の北側を迂回して進む。左側に緩やかな谷の源頭があり以前ここからツルベ谷へと下って行った。

南側の崩壊地から振り向くとイハイガ岳が荒々しい姿を晒している。崩壊地の縁を行く男性が見える。2.5万図には北側のツルベ谷への道と南側の白倉谷川へ下る道が描かれているが今回も見出すことはできなかった。最低鞍部は大峠(約790m)で嘗ては此処を道が越えていたのではないかと思われるが如何なものだろうか。峠の手前で件の男性を追い越し、峠で休憩中に再会した。綿向山から縦走して来て大峠から帰ると云うが何処を通るつもりなのだろう?

急登の登り返しに備えて気息を整え斜面に取付く。この辺りはイワウチワの群生地でポツポツ咲きだしているのが見られた。この辺りは崩壊地が多く小規模ながら何箇所か2.5万図で確認できる。標高900m辺りはシャクナゲの林で花期はまだ先、岩の上から谷越しに清水頭、雨乞岳が望めた。イブネでテント泊だったと云う男性3人組と出合った。ツルベ谷から甲津畑に下ると云う。この先は奥ノ細谷を大きく巻き込むように進む。P1014を越

えると清水頭(1,095m)はもう一息、山頂に達すると笹原で360°の展望が広がる。山頂標識は壊れて「清」の字が欠け「水頭」としか書いていない。何処か他にないかと探してみると黄色い標識が転がっていたので括りつけて撮影した。幾分ガスが薄れ雨乞岳は全姿を現した。荒々しいイハイガ岳は随分遠ざかった。風があるので北斜面に少し下がり昼食休憩を取った。

鹿に食べられたようで鹿糞の転がる背の低い笹原を快調に進むが風が強く寒い。傾斜が増して南雨乞岳(1,210m’)に達するが登山度はほんの直下を巻いてしまっているので行き過ぎてしまう人が多い。山頂標識もなく登山地図にも記載されていないので認知度が低いようだ。雨乞岳への最後の登りは笹の背丈が高く踏み跡も薄いので藪漕ぎ状態となった。山麓に付いた踏み跡(獣道か? )に惑わされ堤さんが行ってしまったが、稜線の藪に覆われた微かな踏み跡を辿り山頂に飛び出したがあらぬ所から出てきたようだ。先客は3名、武平峠からクラ谷経由で来たそうだ。1人は79歳のお爺さんで直ぐに出発した。残ったご夫婦は来た道を戻ると云う。

雨乞岳山頂域は笹原が深く東雨乞岳(1,225m)方向だけに見通しが利く。御在所岳や鎌ヶ岳は雲の中で見えない。ミッション3:「銚子ヶ口(1,077m)を山座同定」を予定していたが笹で見えず、北尾根を下った岩場ですることにした。昭文社の地図を使いコンパスを合わせ、ほぼ真北の3°の方向に少し膨らんだ山体を確認した。東の方を見ると東雨乞岳の北斜面に長い雪渓を発見、殆ど残雪は消滅しているこの時期だがある所には残っているものだ。そして杉峠の手前は時ならぬ雪渓歩きとなった。

杉峠は近江の甲津畑と伊勢の朝明を結ぶ千種街道が越える旧道で、あの織田信長も越えた。峠にある大杉が峠の名の由来で、今は枯れ果て年々無残な状態になって行くのが悲しい。下山に掛ろうとした時、北側にある杉峠ノ頭から4人組が下りて来た。イブネまで行って来たそうだ。甲津畑からのピストンなので同じ方向に帰る事になる。先発しフジキリ谷を下り始めた。直ぐにテントチックな避難小屋があり、泊は困難だが雨の日の休憩にはよさそうだ。苔むした大木が現れるとそれは“一反ぼうそう”、枝を広げた広さが一反(300坪)あったというが此の木も枯れてしまっている。

この山域には嘗て鉱山が栄えた。杉峠の向こうにあった御池鉱山は規模が大きく此処で精錬も行われ、狭い谷間に人が住み小学校もあったそうだ。この他国位、高昌の鉱山もあり賑ったそうだ。そしてフジキリ谷にも向山鉱山があり銅を産出していた。杉峠向こうの鉱山は大正10年頃までに衰退・閉山したが向山鉱山だけは戦前まで操業していたそうだ。石垣の跡や青いボタ山が残っている。登山道が高巻き谷を見下ろすと無名だが落差の大きい滝が見られる。そしてその下流の橋はおっかない。ボロボロで傾き何時落っこちてもおかしくない状態だった。

浄土真宗の礎を築いた蓮如上人が山門の大衆に追われこの地の炭焼き釜で難を逃れたという旧跡があり天保の年号のある石碑が残っており“蓮如と頓入一夜泊りの竈”と名のある避難小屋がある。蓮如上人500回遠忌が東西本願寺で行われたのは平成11年だったので15世紀末の人だった。雨乞岳の南に源は発する奥ノ畑谷が合流し右岸を高巻く。やがてツルベ谷が出合うが深く切れ込んで険しい。以前本当に此処か歩いて来たのだろうかと思う。

いつの間にか岩ヶ谷林道となっている道を延々進み“善住坊かくれ岩”の案内板を見る。渋川の河原に下りると大岩がある。織田信長は、浅井長政の裏切りにより越前の金ヶ崎城から京に逃げ帰り混乱を収拾し、岐阜に帰還する際にこの千種街道を通った。六角氏の依頼を受け杉谷善住坊がこの岩に隠れ狙撃したと伝わる。狙撃した杉谷善住坊甲賀の忍者とも杉谷城の城主とも言われているが定かでない。幸い信長は掠り傷で済んだとかでその後徹底的に探しだされ体を土中に埋め鋸引きの刑に処されたと云う。

千種街道は歴史を刻んだ街道で味わいがある。岩ヶ谷林道を終点まで歩き鳴野橋に戻り長距離縦走を終えた。立寄り湯は蒲生野の湯で入浴料\850

 

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写真2: 清水頭から笹原の先に雨乞岳(1,238m)がある

 

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写真3: 雨乞岳山頂にて