京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.4 金剛童子山

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平成28109()

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丹後半島の中央部にある味土野集落は京丹後市弥栄町須川の最奥の集落で山深い。本能寺の変の際、明智光秀の娘である細川忠興夫人の玉(後洗礼しガラシャ)が隠れ住んだ地である。金剛童子(613m)役小角行場の山として嘗ては七堂伽藍が存在していたと伝わる信仰の山である。

 

 

【メンバー】 山本浩史L土井司(車)、崎山康治(車) 3

【行  程】 味土野12:3313:10金剛童子13:2913:33展望台~14:33細川夫人幽閉地跡~14:47味土野14:5615:37岩滝温泉16:31=与謝天橋立IC=(京都縦貫道)=園部IC17:54園部

【登山データ】 曇り 歩行5.7 2時間14 延登高357m 延下降357m 1座登頂

 

太鼓山の登山を終えて京丹後市弥栄町須川の味土野集落に移動した。大谷集落を過ぎると府道75号線は極端に狭くなり車の離合どころか車の幅いっぱいの広さしかなくなった。登山口と思っていた所より300mほど手前に「金剛童子山登山口」の表示を見つけ、車45台分の駐車スペースもあるので車を止めた。予定ルートとは明らかに方向違いなので点線道の先に登山道が繋がっているのかと思ったが崎山さんの持ってきた資料に宇川源流の谷から直登するルートがあるようで、この道を登ることにした。

崎山さんを先頭に進むと比較的整備された登山道にツリフネソウやミゾソバの花が見られ、アキノチョウジやリンドウも咲いていた。登山道の途中に石仏が真新しい祠の中に鎮座していた。登山口にあった案内板には役小角の行場のあった山ということで宗教施設が随所に残り信仰の山であることを物語っていた。話しながら登っていると早いものでまだあると思っていたのにいきなり山頂に着いてしまった。「金剛童子山頂上避難小屋」と看板のある小屋の壁に山頂標識があり扉を開けてみると役小角らしき像が祀られたお堂で1.5m四方程のスペースの板敷があった。役の行者の前で眠ることも憚られ泊まるには一寸不向きだろう。しかも中は馬追虫の巣窟で壁に一杯這っていた。この小屋の北側に3等三角点「金剛山」があったがほぼ全体が土に埋もれていた。北側の展望が利き、前回行った権現山(601m)や船津山(548m)、そして2時間程前に山頂に居た太鼓山(683m)を望むことができた。次回訪れる高山(702m)を探してみると南南西の方角に見つけることができた。

20分程景色を楽しみ当初予定の道を下山し南西方向に300m程進むと展望台があり、何と無料の双眼鏡が設置されていた。覗いてみると前回立ち寄った間人のはしうど荘や京丹後市役所のビルなどを望むことができた。日も射していたのに俄雨となった。樹林帯に逃げ込み下山を続けると直ぐに雨は止みまた日が射して来た。未明に寒冷前線が通過した後冬型の気圧配置になったようで冬の丹後の気候そのもののようだ。

西稜線の下山路は2.5万図に描かれない林道となり進行方向が全く反対になって不安を覚えると再びヘアピンカーブで元に戻った。車道特有の道の付き方で方向感覚が分からなくなってしまった。この後随所に指導標が現れ無数にある支線に入らないようにリードされていた。やがて「堂山、七堂伽藍之跡」の石碑が現れると簡易舗装の林道が交差し右は弥栄町等楽寺への下山路を示していた。視界が開け谷を回り込むように対岸に渡り歩いてきた斜面を離れると金剛童子山の頭を見ることができた。耕作放棄され長い年月の経過した田畑の跡は自然に帰りつつあるが蕎麦の花が白く咲く畑が健在で、その向こうに金剛童子山が望めるポイントは山里の長閑な光景だった。

府道655号線に達すると此処にも登山口の表示があった。当初予定していいた登山口は此処だったので、ピストンを避けられたことに喜びを感じた。ここ味土野は本能寺の変の際、明智光秀の娘である細川忠興夫人の玉が隠れ住んだ地として知られている。府道の終端部にある女城跡がその遺構で玉が2年余り隠棲した。隠れ住む玉を警護するため細川家の家臣が居住した処は男城と云い向かい側の尾根にあったようだ。女城の一番高い所には昭和11竹野郡や中郡の婦人会が建立したとされる「細川忠興夫人隠棲地」の碑があり傍の祠には新しい花が供えられていた。

石碑の出来た時点の味土野は50戸ほど民家があったそうだ。それも昭和38年の豪雪の後、離村し廃村を記念してか「味土野之跡」の石碑を立て氏名と移り住む地名が刻まれていた。その時点では3戸が在村していたようだが、今の住人はそれ以後に移り住んだ人たちだと云うことで味土野の血は離散したと云うことだろうか。

 

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写真1: 金剛童子山(613m)山頂、避難小屋は役小角のお堂

 

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写真2: 味土野集落より金剛童子山(613m)を望む

 

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写真3: 味土野の女城跡には「細川忠興夫人隠棲地」の石碑(昭和11年建立)がある