京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3766 青山讃頌舎美術館から秘境奥鹿野を目指す

2018年11月14日(水曜日)

【メンバー】

リーダー穐月大介、松岡みずほ、穐月哲、富岡慶子、奥野淳子、非会員一名

会員5名非会員1名 計6名

【行 程】

天候:晴

青山讃頌舎9:30集合11:00出発~11:20柏尾集落~12:20道路沿いで昼食タイム12;50~13:45 久昌寺~14:20 金毘羅宮~14:50 八柱神社~15:15 奥鹿野公民館前解散~16:15近鉄西青山駅まで歩いて、上本町行き急行利用

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(靑山讃頌舎・美術館にて)

 

【記録&感想】17期 松岡みずほ
9:30ジャストに青山讃頌舎前に参加者全員が到着。
美術館長の穐月リーダーの説明を聞きながら、 2018年秋期企画展「それは釈迦から始まった ー穐月明の仏画と 収集古美術 」をゆっくり見せていただく。
続いて、お茶室でご母堂様からお薄とお菓子のお持てなしを頂き、落ち着いてしまいそうになったが、リーダーのかけ声で11時出発となる。
お隣の大村神社を通り過ぎ柏尾川に出る。周りにはほとんど人家のない所に、なぜか一軒だけポツンと建っている家があり、看板に「スナック まろよし」とあった。
どんな人がスナックに来るのだろうかと、いささか気になった。
昼でも人気の無い場所で、日暮れともなると真っ暗なのでは?
もしかしたら狐か狸が現れて「次は麿が歌わせていただこう」「おお良し良し!」
でまろよしか?などど思いつつ歩を進める。
11:20柏尾(カシオ)の里を通過。
「カシワノでなく、カシオ。時計会社と同じです。」
うん、それなら物忘れのひどくなった私でも覚えておけそうと安心する。
道は柏尾川と並行しており、ムカゴを見つけては、リーダーは食料確保に励んでいる。
このリーダーの後についていけば、食糧難は免れそうだ。
12;20〜12:50
暑くもなく寒くもない良い天気で、道沿いの枯草に腰をかけて昼食タイムをとる。
食事の後には、奥野さんが、リンゴとクリームがタップリ詰まったタルトを振る舞ってくださった。すごく美味しくてお腹いっぱい食べてしまった。
小春日和の日差しを浴びながら、手入れの行き届いた村落を歩くのは楽しい。
干し柿の吊るされた農家があり、どんな方法であそこに柿を吊るせたのかと案を出し合う。リーダー曰く、隣の二階から左側に出っ張っている屋根を伝って庇に移動できるはずだとのこと。
とある庭先には、移動式いろりを発見。空き家らしき所にはスズメバチの巣も見かけた。
道沿いに歩めば、黄金色に輝く銀杏の木や月日と風に摩耗し岩に刻み込まれたお地蔵様が目につく。
小高い石垣の上の立派なお屋敷と見えたのは保徳山・久昌時、曹洞宗のお寺であった。
ここで13:45。
御堂の入り口の柱には「座禅会」と墨書されたお札が掛かっていた。
座禅、それは見るには結構なものではあるが、短足の私には不可能な修行だと思った。結跏趺坐 脚が組めへーん!ところが、同行の非会員N君は、簡単にクリアできるとのこと。関節が元々柔らかいのだと結論づける。ちょっと悔しいけれど・・・

この辺りが奥鹿野の里であるらしい。オクガノと読む。
観光客を見かけない村で、静謐という言葉がピッタリくる感じだ。
村人がこぞって地域を守り慈しんでいるのが伝わって来る気がする。
穐月リーダーは、「ここに来て、僕の中で認識が変わってきた様な気がする。古いものを守るのではなく、古い文化を守るという事ではないかと」と話してくださった。
文化を守り継承していくには、若者達が意志的に係わっていかなければどうもならん。
この村で、選挙看板らしきものを見かけたが、2人の候補者が30代のイケメンだった。
そりゃあ投票に行く気も湧いてくる・・良い村だわと思った私でありました。
14:20 金毘羅宮の麓に到着。
階段はあるが枯葉に埋もれ、その上の道も荒れ果てているようで、私と哲さんはパスすることにして、四季桜の花をながめつつおしゃべりをしてチャレンジャー達を待つ。
上には社殿があるとのことだが、今はほとんど人が足を踏み入れていないようだ。
1966年に高松宮がおいでになり、そこで休憩されたとある。
きっとそのとき、社務所や階段を整備したと思われるが、それから50年以上過ぎているからね。

14:50 八柱(ヤハシラ)神社。
元々ある曲がりくねった参道はそのままに、まっすぐな新しい参道が作られている。
八柱と書いてあるので、8人の神様の名前が書いてあるのかと思ったら5行しか書いてない。
建速須佐之男命スサノオノミコト市寸島比売命イチキシマヒメノミコト)
この二つだけは読み取れたが、他は私には、お手上げだった。
15:15  奥鹿野公民館前で、ハイキング終了。
しかし、どっちにしろ帰路は全員が近鉄西青山駅歩かなければならない。
車道をダラダラとひたすら峠まで登って下って、16:10西青山駅に着く。
駅までの道すがら見かけた丹精されている鉢植えや、皇帝ダリアに感激すると、その家の奥様が、お土産にと折り紙に包まれた爪楊枝を配ってくださった。
一つずつ、違うメッセージが手書きされている。私は、いつも笑顔でを選ばせてもらった。
風物良し、人情良しの奥鹿野の一日でした。
普通の例会ならば、恐らく2時間で歩ける距離だと思われるが、メガ鈍足の私に合わせて、皆さんは嫌な顔もせずつきあってくださり、感謝に堪えません。

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(村より八柱神社を望む)

 

【感想】50期 奥野淳子
11月の青山讃頌舎の庭は真っ赤に紅葉していました。
穐月明さんの仏画とインドの古い仏像など、丁寧に解説してくださり、知識の無い私でも興味深く拝見しました。
夏に腰を痛めて山歩きから遠ざかっていましたが、「平坦な道」と伺い参加させて頂きました。柏尾川に沿って奥鹿野まで、正に「日本の美しい風景」でした。
そして、皆様とお会いしてお話することで心が安らかになる不思議を想い出しました。
とても楽しい一日をありがとうございました。

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近鉄西青山付近の線路跡)


【感想】奥鹿野探訪  21期 穐月哲
地震を鎮める要石で最近とみに参拝者がふえた大村神社の参道を下り、柏尾の集落を抜け柏尾川沿いに奥鹿野まで歩いた。
道端の二体磨崖仏に道中の安全を祈ると、すぐ里の入り口に奥鹿野の菩提寺旧昌寺がある。曹洞宗名刹伊賀国司北畠氏の家臣、川原田氏が元禄初めにお堂を建立したと説明がある。伊賀市奥鹿野に鎮座する「金毘羅宮」は集落を見下ろす高台にあり、峠道の守護神として里人がお祭りしたもので、文政年間に創祀されたらしい。
奥鹿野は、昭和41年全国的に活郷運動(村おこし)があり、高松宮宣仁親王が来られ野点を楽しまれた、との石碑がある。ところで活郷って何?
昭和41年(1966)頃と言えば、川端康成ノーベル賞受賞式で「美しい日本の私」と題した講演をしたなぁ、うっすら記憶にある。又DiscoverJapanは旧国鉄のキャンペーン(1970〜)「美しい日本と私」がキャッチフレーズだったかな?
ここも「人里離れた美しい風景」を残そうとの活動だったのかも、など思いめぐらす。集落の遠く、近くには四季桜(冬桜)が淡い色合いで咲いている。民家の畑ではお茶を栽培している。山、川、民家、林、全ての景色、姿が整っているのだ。そんなことを感じながら、さらに奥鹿野の産土さんである八柱神社(奥鹿野の鎮守で古くは八王子と称した)の大きな鳥居を潜って砂利の敷き詰められた長い参道を進む。
神前は老杉が鬱蒼と聳え、苔むした大きな岩があり、磐座信仰や民俗行事が今も残る。「日本の“ふるさと”がそのまま其処にある」秋色満載の美しい里山の楽しいハイキングでした。足弱かつ久々の参加、皆様の足を引っ張ってしまいすみませんでした。同行させて頂き有り難うございました。


【感想】25期 穐月大介
奥鹿野の村は靑山讃頌舎・美術館のある阿保(近鉄青山町)から淀川源流の一つ柏尾川を2時間ほど遡ったところにあります。さすがに車道もありますが、今回は車の少ない川沿いの道をたどりました。
阿保もたいがい田舎ですが、奥鹿野は更に布引山池の山中にある感じです。しかしとても綺麗に保たれ、家は立派で神社も手入れが行き届いた生きた村です。ちょっと桃源郷のようイメージがあったので今回訪問を計画しました。
当館の紅葉もまだ盛りで天候も穏やか、平日例会なのに6人ものパーティーになり大変嬉しかったです。有難うございました。

後で地元の人に子供の頃は「どうやってかよってたのですか」と尋ねたところバスがあったのだけど、それを逃すと西青山から夜、歩いて峠を越えた」そうです。
近鉄西青山は周りには何も無い山の中の駅で奥鹿野まで徒歩1時間です。街灯もない暗い峠道を林の間から見える空を便りに歩いて帰ったそうです。