京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.74・75 瓢簞崩山・小倉山

平成31年4月13日(土)

 瓢簞崩山(532m)は北山の入口、八瀬と岩倉の間の稜線にある。小倉山(157m)は、岩倉の盆地の中央にある丘で京都百名山の名が重い山だった。岩倉では実相院や岩倉具視幽棲旧宅の拝観にゆっくり時間を取り桜満開に岩倉の里を満喫した。

f:id:hirasankun:20190416141716j:plain

 【メンバー】 山本浩史L、小泉賀奈子、船木佐織、SS(会員外)

【山  域】 京都市左京区

【行  程】 桂川9:00-9:06京都9:21-9:42国際会館9:54=(京都バス)=10:12戸寺10:20~12:31寒谷峠~11:52瓢簞崩山12:22~12:31寒谷峠~13:08ブルージュ13:20~14:22小倉山~14:38実相院15:08~15:12岩倉具視幽棲旧居15:48~16:04岩倉16:07-16:20出町柳16:25-16:29京阪三条河原町19:24-19:36洛西口

【登山データ】 晴れ 歩行10.9㎞ 5時間41分 延登高450m 延下降562m 2座登頂

 

大原の里戸寺は今を盛りに桜が咲き誇っていた。高野川の堤防は桜並木になっており、背景に横高山(767m)を従え、静かな山里の素晴らしい風景を醸し出していた。旧家の庭に咲く紅枝垂桜も一際美しく、満ち足りた気分で長谷の林道へと入って行った。真新しい堰堤は未だ工事中のようで、左岸を高巻いて付けられた林道はコンクリートの色もまだ白かった。獣除けフェンスの扉を開け入って行くと暫く幅の広い林道が続いた。

当初の予定では左岸の尾根に上がる登山道を行く予定だったが道形が認められず、指導標もあり確実な長谷から寒谷峠経由で登ることにした。徐々に道が狭まり小泉さんを先頭に隊列を組んだ。台風の爪痕は比較的軽微だったようで、苔生した倒木の方が目立った。傾斜が強まり稜線に乗り上ると寒谷峠に達した。戸寺と岩倉を結ぶ峠で稜線は江文峠からの道が瓢箪崩山へと繋がっている。

倒木の目立つ稜線の南側に道があり偵察してみるが山頂を目指しているようではないので倒木を避けて稜線道に取付いた。東南東に進み10分余りで瓢箪崩山(532m)山頂に到った。角の欠けた3等三角点「大谷」とケルンがあった。南東方向が開け比叡山(848m)が真正面だった。行動時間はまだ1時間半しか経っていないが長閑な日差しを浴びて昼食休憩を取った。

寒谷峠に戻り岩倉へと寒谷を下って行った。満開のツツジが点在し足元にはタチツボスミレ、着実に春は深まっているようだった。岩倉の里に近づくと聖護院門跡の長谷廟所を左手に見た。歴史がある筈なのに比較的新しい施設のようだった。“飛騨の池”は溜池で鴨が3羽長閑に泳いでいた。住宅が始まる頃、“ブルージュ洛北”というベーカリー&スイーツの店があり立ち寄ってお持ち帰りのパンなどを買った。

岩倉の静かな街を歩き小倉山(157m)を目指したが、屈辱的な道間違いを犯し西側の山中に迷い行ってしまった。引き返す途中比叡山が素晴らしく展望できる箇所があり、それだけが慰めだった。小倉山(157m)は岩倉上蔵町の北西側から踏み跡がある。山頂は特に何もなく最高所を探し山頂写真を撮って引き返した。

今日の登山はこれでお終。後は岩倉観光で実相院を訪ねた。実相院は寛喜元年(1229)に静基(じょうき)によって開山された単立寺院で嘗て天台宗に属していた門跡寺院である。枯山水の庭は桜が見事で比叡山を借景として素晴らしい眺めだった。この後、岩倉具視幽棲旧宅に立ち寄りボランティアガイドの説明を受け充実したひと時を過ごした。岩倉具視は、都を追われ3年間この地で隠棲したがこの屋敷で過ごしたのは後の1年間だったそうだ。

岩倉川に沿って駅に向かうと、山住神社の鳥居前に到った。実相院の北にある石座神社の旧地で御旅所になっている。「岩倉」の地名は「石座」がから来ており、この神社の鳥居の向こうには、高い処に小さな祠があり石座にまします神が宿る神々しさが感じられた。鳥居前で岩倉川を左岸に渡り叡電岩倉駅に到った。

 

 

f:id:hirasankun:20190416141730j:plain

写真1: 瓢箪崩山(532m) 岩倉の里より

f:id:hirasankun:20190416141755j:plain

写真2: 小倉山(157m)は岩倉の里真ん中にある

f:id:hirasankun:20190416141817j:plain

写真3: 小倉山山頂にて