京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.90・91 清水山・稲荷山

令和元年11月16日(土)

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清水山(242m)は、清水寺の背後にある東山36峰の山で3等三角点がある。稲荷山(233m)は伏見稲荷大社神域の山、参道は千本鳥居が所狭しと建てられ外国人観光客人気第一の観光スポットになっている。今熊野観音、泉湧寺、伏見稲荷大社と観光付きのハイキングの山行だったが、阿弥陀ヶ峰の藪漕ぎ突撃もあった。

【メンバー】 山本浩史L、辻春美、梅村重和、近本かずみ

【山  域】 京都市東山区山科区伏見区

【行  程】 地下鉄御陵駅9:32~10:01花山山10:06~10:31清水山10:51~10:53清閑寺山~11:26阿弥陀ヶ峰11:59~12:30剣神社~12:41今熊野観音寺~12:54泉湧寺13:27~13:37五社之滝~14:18稲荷山~14:23二ノ峯~14:25間ノ峯~14:27三ノ峯~14:32四辻14:39~14:58伏見稲荷大社~15:04稲荷15:09-15:14京都駅

【登山データ】 晴れ 歩行10.7㎞ 5時間32分 延登高714m 延下降737m 8座登頂

御陵駅に集合し三条通を蹴上方面に進み日ノ岡朝日町から花山山に取り付いた。谷筋の道は蜘蛛の巣だらけで人が歩いていないのは歴然たるものだった。水のない谷筋にフェンスがありその右側を歩いていると羊歯の藪が濃くなり道はなくなった。強引にフェンスを跨ぎ反対側に下りると踏み跡が続いていた。100m程の標高差を登り上がると車道に飛び出し花山天文台への道を進んだが南の方へ行き過ぎそうなので三角点を目掛けて藪に入り短絡登頂した。2等三角点「花山」は柵で囲われ案内板が出ていた。山頂部は京都大学花山天文台のエリアで天体観測のドームや関連施設があった。先週大文字山で見た菱形基線測点の京都菱形基線を形成する測点の一つNo.31が置かれている筈で山頂部を探したが見つからなかった。

天文台構内の道を南に下って時計回りに廻り込むと天文台の北側は阿含宗の本山で今日は何かイベントがあるようで車の出入りが慌ただしい。下稚児ヶ池から登山道に入り、少し登ると京都トレイルの縦走路に合流した。少し進むと左に分岐があり、10m程で清水山(242m)山頂に達した。樹林帯で展望はないが3等三角点「清水」が設置されていた。

トレイルの道に戻り清閑寺歌ノ中山町に下山する清閑寺の隣に六條天皇清閑寺陵と高倉天皇午後清閑寺陵があった。阿弥陀ヶ峰を目指し国道1号線を横断したかったが中央分離帯のある通行頻度の高い国道で阻められ、東山ドライブウェイを少し上がり、六条山への分岐まで迂回した。南に下り京都市の中央斎場との分岐点まで下って阿弥陀ヶ峰への取付きを探した。道は何処にもなく谷の脇を這い上がった。羊歯の蔓延る急斜面で踏み跡すらない斜面を80m程這い上った。

激闘の末阿弥陀ヶ峰(196m)山頂に至ると巨大な五輪塔のある豊国廟で、徳川氏が天下を取ると破壊され明治30年山頂に設置され翌年、豊臣秀吉の300年祭が挙行された。此の後は街中歩きとなるので山頂で昼食休憩にした。新日吉神社から京都女子大の脇から長い石段を登ってきた女性二人が別ルートはないかと聞いてきたので石段脇の登山道の方向を教えてあげた。

その道を下り京都女子大の裏手に来ると西山の大暑山や牛松山が望めた。今熊野日吉町に下ると梅村さんの実家が近く、郵便物を取りに行くと云って立ち寄った。複雑な街中歩きは梅村さんの先導で恙なく進み剣神社、今熊野観音寺に立ち寄った。観音寺の紅葉は素晴らしく緑の葉も交えて秋の京都を楽しめた。今日は観光付きの山行で泉涌寺に500円を払い拝観した。仏殿に到ると丁度お寺の説明が行われていて「本尊の三世仏は過去・現在・未来を表す。春の涅槃会では大きな涅槃図が吊るされる。」などが解説されていた。涅槃会は釈迦の入滅した旧暦2月15日に行われる法要で縦16m横8mもあるそうで普段は三世仏の裏側の木箱に納められている。境内は紅葉が始まり観光客も大勢来ていた。大門の傍らの楊貴妃観音堂にも立ち寄った。泉涌寺は御寺と呼ばれ四条天皇以降25陵5灰塚9墓が境内にある。

山端を歩くと伏見稲荷の雰囲気の漂う五社之滝があり、滝行の雰囲気が醸し出されていた。京都トレイルの道を暫く進み左に分かれて恵日山方面に分岐し東山区山科区の境界尾根に達した。昨年の台風の爪痕で倒木の跡が伐採され開けていた。京都トレイルの道に再び合流すると朱の鳥居の連続する稲荷山の神域に近づいた。西側から稲荷山(233m)に登頂したが山と云っても地面がなく上之社の末広大神の社殿と寄進の小さな鳥居が処狭しと置かれていた。朱の鳥居の連続する道を進み二ノ峯、間ノ峯、三ノ峯と連続するが、何れも大小の祠が林立していた。これらの峰は嘗ては古墳であったと云う。

四辻の茶店に到ると日本人に混じり外国人が多く休憩していた。三ツ辻から北側の道を辿り伏見稲荷大社に至り最後の参拝をしして稲荷駅に向かった。駅から振り返ると稲荷山が一望できた。京都駅のビアホールで反省会をして解散した。

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