京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉瀬場谷

2020年8月1日(土)~2日(日)

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登攀前のTSさんとKM2先生(於:F2) 

【メンバー】TS、KM2(会員外)、TW 計3名

 【記録】TW

今年も元会員のKさんと、愛媛県新居浜市の瀬場谷へ沢登り夏季特訓?に行ってきました(※KM2さんは、TSさんとTWの沢登りの先生です☆)。

入渓直後から滝に登りまくり、F2ではTSさんが華麗なるリード!!時間が無くなるほど滝に登って遊んできました。

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上部まで連続する大小の滝、ゴルジュ、豊かな緑、キラキラした鉱石で彩られたきれいな沢で、四国の自然の豊かさに感動しながら遡行しました。

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八間滝

 

〈個人山行〉Go to Hokkaido ~南暑寒別岳と雨竜沼~

2020年7月19日(日)

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雨竜沼

【メンバー】59期 梅村重和

【行程】道の駅たきかわ=南暑寒荘6:00-白竜の滝8:00-雨竜沼湿原入口10:20-南暑寒別岳12:30-雨竜沼湿原入り口14:00-南暑寒荘16:30

【記録】

今年の夏休みは昨年に続き『働き方改革』の恩恵を受け、海の日の連休に引っ掛けて10日間の長い休日となった。よって昨年台風でドタキャンとなった北海道の旅のリベンジ。ちょっとコロナの心配もあったが、感染予防対策を念頭に置きつつ、7月17日夜の敦賀発東苫小牧行フェリーから旅は始まった。

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7月19日

“雨竜沼 <うりゅうぬま> ” なんて素敵なネーミングなんだろう。ずっと前から是非訪れたかった。雨竜沼は暑寒別岳の東側に広がる湿原である。道の駅たきかわを早朝にスタート。いよいよ北海道のお山のデビュー戦である。暑寒湖を過ぎたあたりから登山口までは、時折現れる舗装道路とダートの狭い道。対向車が来たらどうしよう、とビビりながら、深い水たまりを避けつつ登山口に向かう。途中、3度ばかり道端にキタキツネを見かける。京都ではそこいらに歩いている野良猫のごとく、ごく自然な感じ!さすが、北海道である。滝川方面からは南暑寒荘が登山口となる。駐車場も2カ所あり人気のほどがうかがえる。6時、南暑寒荘をスタート。クルマの中に忘れ物をして駐車場まで引き返し、1時間30分ほどのロスタイムがあったものの、登山口から山道を正味2時間足らず、急登をクリアしてトラバース気味に登山道を行くと空が大きく広がり雨竜沼に着く。

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雨竜沼

湿原の魅力って何なのだろう。広々とした草原と大空。この開放感が何とも言えない。池塘に夏空が映り込み、池塘の淵に咲く花が安らぎを感じさせてくれる。

雨竜沼は高原の中の小さい沼地のイメージであったが、実際はとっても広大な湿原である。この景観は北海道ならでは。湿原の向こうに南暑寒別岳暑寒別岳が大きく広がっている。湿原の中の木道は山の端まで伸びている。山の端から登山道は南暑寒別岳までダラダラとした登りとなっている。登山道の両サイドは高さ2~3m程の密生した笹薮となっている。登山道のあちこちにヒグマのウ〇チがあり、好物のハクサンボウフウの根っ子をほじくり返した跡がそこかしこに見受けられる。 

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雨竜沼 正面に南暑寒別岳

ここはヒグマの生活圏であることを実感させられる。両サイドの笹薮にヒグマが潜んでいても、全然不思議じゃない。巡礼のごとく熊鈴を打ち鳴らしながら、12時30分、南暑寒別岳山頂に到着。帰路は雨竜沼で写真撮影。日がな一日のんびりして居たい心地いいところである。ヒグマに遭遇することなく無事下山。

 

【山行メモ】

・北海道に入るルートは時間が許せば新日本海フェリーがお薦め。のんびり船旅は

日頃味わえない贅沢なひと時となります。

・雨竜沼から暑寒別岳はヒグマの生活圏であり、早朝や夕暮れの行動はご法度。

・熊鈴は必携。出会いがしらの遭遇は絶対に避けたい。

・南暑寒荘前のテント場は、綺麗な芝生のテントサイトとなっており快適な一夜となりそうである。次回はここでテントを張り、雨竜沼でのんびりするのもいいかも。

〈個人山行〉北八ヶ岳スノーシュー山行

2020年2月21日(金)夜~23日(日)

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【天候】22日 曇り一時晴れのち雪、23日 曇りのち晴れ

【場所】北八ヶ岳 縞枯山茶臼山

【メンバー】CL鹿嶽眞理子、SL高橋秀治、橋本満里子、KY

【行程】21日 20:20山科三条Fマ前集合~24:00過ぎ諏訪湖SA幕

22日 7:00諏訪湖SA~8:00北八ヶ岳ロープウェイ駐車場8:40~ロープウェイ山頂駅8:54~9:06縞枯山荘9:30~雨池峠~10:10縞枯山~10:25縞枯山展望台~10:50茶臼山~11:10分岐~11:50五辻~12:30山頂駅~12:45縞枯山荘13:23~13:29雨池峠~縞枯山荘泊

23日 8:00縞枯山荘~8:10雨池峠~8:30分岐~8:50雨池9:05~9:30分岐~10:00雨池峠~10:50ロープウェイ山頂駅~11:20北八ヶ岳ロープウェイ駐車場~18:00京都着 

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【記録と感想】53期 高橋秀治

アルペン的山容の「南八ヶ岳」と違い、「北八ヶ岳」は、神秘的で日本有数の美しさと言われる原生林と湖が広がり、厳冬期でもロープウェイで一気に2337mまで上がることが出来、晴れていれば楽しい冬山スノーシュー遊びを味わえますと言う誘い言葉を目にして、鹿嶽さんにリーダーをお願いして行って参りました。

週間天気予報では、土曜日は曇りのち雨、日曜日は曇りのち晴れとの予報です。また、てんきとくらすでは北横岳や縞枯山の山頂付近は風速17m以上の強風予報で山登りには適さないCが連続しています。しかし、縞枯山茶臼山は樹林帯の中の道歩きだし、ダメで有れば山荘に停滞していれば良いかと行く事で現地に向かいました。

今年もふもとは雪がなく、北八ヶ岳ロープウェイ駅の駐車場もがらんとしています。乗り場には山頂の温度は-3、風速10mと表示されていました。

山頂駅をでると、アカゲラの看板が迎えてくれています。先ずはパシャリと記念撮影。ツボ足で山荘に向かい、食材等をデポして縞枯山スノーシューを履いて歩き出しました。雨池峠から直ぐに急登がはじまり、アイゼンに履き替え進みます。足元を確かめながら進むと、山頂に出ましたが展望はなく、さらに展望台まで進み皆さんようやく冬の2400mの景色と強風を肌で感じている様子です。さらに茶臼山まで進むと、さらに頂上付近は風が強くストックとアイゼンで強風に暫し耐えながら、シラビソやコメツガの冬の森の風景を楽しみ、たまにうっすらと顔を出す青空が、テンションを上げてくれます。寒さと強風の中で記念写真を撮り速攻で樹林帯の分岐まで戻り、またスノーシューに履き替え、その森の中を五辻まで下ります。Kさんはワカンで飛び跳ねるように歩かれている。そこから山頂駅までは横移動で赤旗も立ててあり、風と雪で視界が悪いが真白の世界を思い思いに楽しみ、山荘に13時頃に到着。遅い昼食を小屋入口付近で済ませ、雨池山までピストンで行こうと出かけるが、さらに雪と風が強くなりあえなく小屋に戻り、早い宴の始まり。

夕食も済ませ、最後は炬燵に足を入れてスタッフのメンバーや宿泊客の方たちと冬山談議で盛り上がり、就寝する。しかし、一晩中風の音は止まず、何度となく小屋全体が揺れる。

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翌日は曇りのち晴れの予報でしたが、風もまだ強く白い世界。ツアーの宿泊者は入口付近で貯まり、出ていく様子も無く停滞。8時前になっても出ていく様子がないため、こちらが外に出てスノーシューを履き出発する。昨日の強風で綺麗なシュカブラ(雪面の波のような紋様)が出来ている。それを踏むとパリパリと気持ちよい音を聞きながら雨池峠に到着。そこから先は、踏み跡のない新雪スノーシューとワカンで雨池目指して進む。サラサラの新雪は中々低山では味わえない感触を思う存分楽しみ、気が付けば雨池の上に立っている。一面氷が張り、その上を雪が覆って白い面がどこまでも続いている。その上に強風が吹くとつむじ風が舞う。やはり来て良かった実感して、来た道を急いで戻る。途中でテレマークスキーの跡を確認するが、先に道一杯にこちらが踏み荒らしている。

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縞枯山展望台

山荘まで戻り、アイゼンに履きなおし北横岳を目指しますが、どんよりした空模様で、登ることを止めてロープウェイで降りる事にする。

ロープウェイ駅に着くと、何と乗車待ちの長蛇の列。駐車場も車が停めるスペースは無い。前日に止めた所に戻ると車に20㎝以上雪を乗せていた。

八ヶ岳ブルーを見る事は出来ませんでしたが、フカフカ新雪を踏み、アイゼンを履き強風の中で山頂にも立つ事も出来た、有意義な厳冬期の北八ヶ岳を楽しめた山行でした。

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茶臼山展望台

【感想】57期 橋本満里子

新年会の折、鹿嶽さんより声を掛けていただき内心「え・・・冬の北八ヶ岳、、、大丈夫かな」と不安に思う反面 楽しみで仕方なくなり、2か月間あれやこれやめくるめく想像で楽しませていただきました。(雨具、買い換えておいて良かった~)

当日は、風雪もありトータル丸一日ほどの歩行になったかと思いますがアイゼンもスノーシューも堪能でき大変満足です。

きりっとした冷たい空気や、木々のこすれる音、新雪を踏みしめる音、風に流される雲、凍って姿を変えた湖、その上を舞う雪。稜線の突風とか、轟轟しい風雪など今までまだ経験できていなかった自然を体感でき、相当に冬の山に惹かれてきました。

行動中、アイゼン取り付けやスノーシュー取り付けであたふたし、行動食を摂る隙間時間が上手く確保できていなかったのか、帰宅後3日間は猛烈な食欲に襲われた次第です(笑)
ご一緒できたみなさま、ありがとうございました。色々と教えていただき安心して歩くことができました! ありがとうございます。また、機会がありましたらよろしくお願いします。

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【感想】60期 KY

初北八、今季初ワカン、久しぶりの山小屋泊を楽しみに参加させていただいた。新雪を踏みしめ、森を抜けてたどり着いた雨池までの道のりが特に思い出深い。雪化粧した針葉樹の森、ウサギの足跡、パウダースノー。「北八とはきっとこういうところ」のイメージそのもので感激だった。関西では、雪山でも登りは半袖T(+アームカバー)が定番だったが、北八では一度も半袖になりたいと思わなかった。自炊組で席をご一緒した、山に相当通っている人の雰囲気を醸し出す、素敵なお兄さんお姉さんとの出会いも楽しかった。帰りに立ち寄った、元旅館だったという「小斉の湯」も、レトロで楽しい温泉施設(源泉かけ流し)だった。

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雨池

【感想】54期 鹿嶽眞理子

八ヶ岳ブルーと素晴らしい景色にあこがれて北八に行きましたが、天気が良かったのはほんのしばらくで、ほとんどが曇りで時々雪がばらつき、強風が吹き荒れる時もありました。

雨池山と北横岳は強風のために断念しましたが、ふかふかのバージンスノーをスノーシューで楽しみ、12本アイゼンを使っての散策もできてよかったです。また晴天の時にリベンジしたいと思いました。

〈個人山行〉冬の真教寺尾根

2020年1月26日(日)~27日(月)

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【天候】26日曇り時々晴れ、27日曇りのち雪

【場所】山梨県八ヶ岳真教寺尾根

【メンバー】43期 丸山 弘(単独)

【行程】26日(日)4:00京都発〜9:00美し森駐車場着〜9:30駐車場発〜13:00牛首山山頂幕営

27日(月)7:00テント発〜9:00 岩稜とりつき〜10:00稜線分岐着(終了)〜12:30テント帰着・撤収〜15:00駐車場着〜19:30京都帰着

【記録と感想】 

年末の山行が雪不足で中途半端に終わったので、休みをとって1月末の冬山に出かけました。西側からのアプローチは大賑わいの八ヶ岳ですが、山梨県側からの登山道は人も少なく、展望もよいので偵察をかねて、昨夏、真教寺尾根から赤岳を越えて県界尾根を下る周回コースを日帰りで歩きました。

真教寺尾根は末端から竜頭峰山頂まで一本道のきれいな尾根で、山頂直下の2700mあたりから岩とガレの長い鎖場になります。夏道はちょっと難しめの一般道ですが、冬は八ヶ岳にしては雪深く、最後の岩場も夏道が埋もれるとロープが必要なルートです。甲斐駒黒戸尾根を少し短くした感じでしょうか。

強いパーティーは冬でも日帰りで行くようですが、私は体力不足で、初日は5合目の牛首山までテントをあげ、翌朝早くにアタックすることにしました。天候は曇り、月曜午後から下り坂、関東地方で大荒れの予報です。

久しぶりにテント・ロープ・ギアなどフル装備で25キロくらいあるザックを担いだので、予想通り初日はバテバテでテント場に到着。

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風に備えて、張り綱をいつもより多い6点からとって設営、午後3時にはレトルトカレーの夕食を食べて就寝。

ところが、真っ暗になった18時半と20時すぎに2回も大勢の足音とヘッドランプで起こされました。

聞こえてくる話の内容から、両パーティーとも日帰りを目指して入ったものの上部岩稜の登下降に苦労して,登攀と離合の待ち時間もあって数時間の遅れが出たようです。2つ目のパーティーは下山が午後10時を回りそうなので、他人事ながら心配になりました。

翌朝は4時起きで朝食に豚汁雑炊を作り、行動用のお湯を沸かしてテルモスに入れ、ゆっくり夜明けを待ってスタート。高曇りながら視界は十分、中間地点からは富士山も後ろにそびえ、なかなかの絶景です。

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(振り向くと雲をかぶった富士山が)

7合目まではトレースもあり快適に登り、岩場のとりつきに到着。ここまでスマホで写真を撮っていたのですが、ここで突然画面が真っ暗になり、まったく起動せず、せっかくの核心部の写真が取れませんでした。バッテリー残量は60%ほどあったのに突然のことで驚きました。機内モードにしてあり、寒さもマイナス5度程度なのでこの「突然死」は予想外でした。こういうことはよくあるのでしょうかね?

手袋を脱ぐリスクを考えても、やはり写真は専用カメラにした方が良さそうです。

とりつきから稜線まではロープを出すなら3、4ピッチ、傾斜70度くらいの小さな岩場と雪壁が連続し、直上と左へのトラバース、最終ピッチ手前に短いナイフリッジがあります。全体としてまっすぐ谷底へ落ち込むように見えるので高度感があり、阿弥陀北陵より怖く感じるかもしれません。

今回は、雪壁をけりこむと靴半分でブッシュや浮石が出てくるほど雪が少なく、バイルのシャフトを刺しても自立しないので厄介でした。逆に雪の深いところは高温で溶けて再氷結した雪の表面5センチほどが氷化し、その下がフワフワなので、踏み抜くとバランスを崩すし、氷の板が割れて大きな氷板がカラカラと谷底へ滑り落ちていく様子はなかなか気持悪いものでした。

手足とも不安定な雪壁とトラバースをだましだましで通過してなんとか終了。下りに時間がかかりそうなので簡単な赤岳は省略し、下りは迷わずロープを出して懸垂下降4ピッチで取りつきへ戻りました。(懸垂支点は、鉄杭や露出している鎖の一部に捨て縄をかけたり、ダケカンバに回したりと豊富です)昨夜の下山遅れパーティーも大人数だけに、これでだいぶ時間をかけたのでしょう。先行者の踏み跡もヤバそうなのを含めて何種類も有り、いろいろ試した様子が想像できました。

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(ルートの略図)

平日のため、朝から下山するまで誰とも会わず、尾根は完全に貸し切りで贅沢な一日でした。テントに戻ったころに予報通り雪となり、急いで撤収してさっさと下山しました。

このところ体力的には冬山を登るのはもう無理かなと感じ続けています。テント泊の冬山は達成感も格別ですが、無理して皆さんに迷惑をかけないよう、少しずつレベルを下げて、もうしばらくは楽しめたらと思います。

〈個人山行〉京都百名山シリーズno.100 笠置山・柳生街道

令和2年1月25日(土)

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京都百名山シリーズは最終回を迎え南山城の笠置山(288m)に登った。笠置山後醍醐天皇が行在所を置いた山で巨石の散在する行場の山である。笠置の南に位置する柳生の里から奈良に抜ける間道のような柳生街道を歩き奈良に到った。折から若草山の山焼きの日で三条通から鑑賞することができた。

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【メンバー】山本浩史L、安宅耗人、加藤一子、岩波宏、土井司、小前竜吾、岩波昌美 計7名

【山域】京都府笠置町奈良県奈良市

【行程】京都7:04-8:24笠置8:36~9:08笠置寺~9:38笠置山9:43~19:59笠置寺~10:24阿対の石仏~11:04天石立神社~11:37阪原峠11:52~12:21南明寺~12:56夜支布山口神社~13:36円成寺~14:42石切峠~14:56地獄谷石窟仏15:06~15:28高円山~15:55大文字火床16:00~17:14なら町~三条通(山焼き鑑賞)~近鉄奈良22:10-22:58京都

【登山データ】晴れ後曇り 歩行28.6㎞ 8時間38分 延登高1,344m 延下降1,310m 2座登頂

関西本線の加茂から先は、ICOCAが使えず、ワンマン列車での精算に手間取った。笠置山(288m)は駅の東側に位置し、駅から一望することができる。車道が山頂部まで上がり参拝者は山門近くに車を止め行くことができる。入山には拝観料300円が必要で開門は9時、山門を入ると直ぐに受付があり9:10に有料エリアに入った。行場巡りは大岩が重なり修験の山であることが知れる。

正月堂の横には本尊の巨大な弥勒摩崖仏があるが光背だけで弥勒の姿は浮かび上がらなかった。笠置寺縁起では、天智天皇の子、大友皇子がこの地に鹿狩りに来た時断崖絶壁で立ち往生してしまい山の神に「もし助けてくれるならこの岩に弥勒の像を刻みましょう」と祈り目印に笠を置き、無事に帰還することができた。誓いを果たそうと後日この地を訪れると天人が現れ忽ち刻んだと云う。笠置の地名は大友皇子が笠を置いたことが由来だそうだ。

此の他にも磨崖仏は点在し、虚空蔵菩薩磨崖仏は線刻がしっかり残っていた。胎内くぐり、ゆるぎ石や平等石、貝吹岩など巨石が点在している。笠置山山頂部は後醍醐天皇の行在所跡とされ登り口には御醍醐天皇御製の石碑が置かれていた。大師堂から階段を下りると行場巡りが一周し受付の小父さんに挨拶して柳生への道に踏み出した。登山道は直ぐに真新しい舗装道路に吸収され“かさぎゴルフ倶楽部”の南端を辿って府県境を越えた。

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県道4号線に合流し、打滝川の右岸の遊歩道に逃れると摩崖仏の“阿対(あたや)の石仏”があり花が供えられていた。柳生下町の集落を進むと西の山麓に十兵衛杉と呼ばれる涸れた大杉が望まれた。柳生但馬守宗矩の子、柳生十兵衛三厳が旅立つときに植えたと伝わる。柳生家老屋敷を遠くに眺めて柳生陣屋跡の丘の処から東へ折れ天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)へと向かった。大岩が転がる谷を進むとご神体の前立磐と後立磐が人工物のように並び、奥の方に柳生石舟斎がこの地で修行中に現れた天狗を一刀のもとに切ったと思った瞬間、天狗は消え割れた巨石が現れたと云う。

引き返し国道369号線を横断し疱瘡地蔵に到った。これも摩崖仏で右下には正長元年柳生徳政碑が刻まれ、「正長の土一揆」の際に農民の側が勝ち取った「徳政令」を称えていた。里の中では昼食適地もなく阪原峠(357m)を目指した。一寸した陽だまりがあり皆思うままに寛いだ。地形図には峠のすぐ南に三角点峰があるので昼食は早く済ませて一人で標高差50mを駆け上がった。4等三角点「阪原」(405m)がある筈だが、ピークには小さな石仏があるだけで探し回ったが見つからなかった。

南明寺への指導標に従って阪原町へ下りて行くと山里の集落は耕作放棄地もなく民家からも豊かさが感じられた。南明寺は観光寺院ではなく立入りもできなかった。小さな峠を越えて大柳生町に入って行くと棚田が美しく集落の外れに差し掛かると石室の露出した水木古墳があった。田んぼの中の道を複雑に進むが柳生街道(東海自然歩道)として整備されおり指導標が充実し迷うことはなかった。

集落内の小高い処に夜支布山口神社があり、トイレも設置されていた。「夜支布」と書いて「やぎゅう」と読ませるらしく素盞嗚命(すさのおのみこと)が祀られていた。本殿に向かって右側に大きな摂社立磐神社があり春日大社の第四殿を延享4年(1747)に、ここに移したと云われる。山口神社よりこの摂社の方が古くからあったらしい。山麓を巻くように北上し白砂川を渡ると、橋の欄干に「東海自然歩道」とあり、自然歩道の為に掛けられた橋であるかのようだった。

人里を離れ登山道となり複雑な地形を指導標に従って進むと徐々に標高が上がり、人家が現れると忍辱山(にんにくせん)町に入った。忍辱山円成寺真言宗御室派の古刹で天平勝宝8年(756)聖武上皇孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚が開山したと伝わる。国宝大日如来を始め重要文化財が多数あり、短時間で見学するのが惜しく拝観はまたの機会に取っておいた。門前で観光バスから降りた団体があり、拝観するのかと思ったら柳生街道へと歩いて行った。軈て追い付き添乗員(ガイド?)に「奈良まで歩き山焼見物か?」と問うと「そうだ」と云っていた。

山間部の山歩きが続き上誓多林の集落に下りる直前に481mの3等三角点「誓多林(せたりん)」のピークがあり、此れも一人で立ち寄って見た。何もない山頂で三角点だけが静かに佇んでいた。上誓多林集落からは登りで石切峠の手前に達すると“峠の茶屋”があり、「営業しているのかな」とか喋っていたら、中からおじいさんが「やってません」と返って来た。すぐ峠で北に芳山(ほやま)へ行く道があるが時間が押しているので端折って南下し高円山を目指した。地獄谷へ下りる道は通行止めとなりバリケードで封鎖されていた。その脇から稜線道を辿ったが此方も結構荒れていた。

地形図によると地獄谷道に“地獄谷石窟仏”と書かれた処があったが場所が違っているようで稜線道の途中に出てきた。岩の庇の下に線刻された廬舎那仏が十一面観音と薬師如来を従え鎮座していた。鉄の門扉があり上部は有刺鉄線で囲われ、余りの厳重さに興ざめしてしまった。車道に下り立ち高円山へと進んだ。車道の分岐地点に高円宮憲仁親王殿下御手植の樹木が育ち傍らには大伴家持の「高円の 秋野の上の 朝霧に 妻呼ぶ牡鹿 出で立つらむか」の歌碑があった。実物は万葉仮名で書かれていたので現地では解読できなかった。高円山(461m)山頂は何もないが人の手が入った中途半端な広場で真新しい山頂プレートが掲げられていた。展望良く奈良盆地が一望でき生駒山(642m)が横たわっていた。その右肩は六甲山系のようだ。

北西の尾根を辿り2等三角点「白毫寺」(432m)に到ると“有志山の会”と記された「高円山三角点」の標識が掲げられていたが、点名が間違っていた。三角点から西に下ると開けた処に飛び出した。火床があり景色が素晴らしく、生駒山、六甲山、京都の愛宕山を望むことができた。此処は昭和35年に京都の大文字山を模して作られ毎年8月15日に送り火が行われているそうだ。因みに京都は8月16日に行われている。火床の草原に三脚を立てた人達が何人かおり、正面に見える若草山の山焼きの写真を撮ろうと2時間以上前から待ち構えているという。

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大文字の右足の部分の尾根を下り白毫寺町の人里に達した。春日大社に立ち寄って“大どんと”を見たかったが時間が押しているので此方もパスした。若草山山焼きは春日大社の大どんと焼きの火が種火として使われるそうだ。東海自然歩道の標識に従って歩いていると「円成寺→」の標識となり一周回って夜業の里に引き戻されそうになった。奈良教育大学の縁を歩き市街地に入り、猿沢の池から“なら町”に到り、草鍋のお店に入って京都百名山シリーズの打ち上げを行った。19時前に三条通りに行くと花火は終わった後だったが、山を線刻のように火が走り美しかった。奈良の名残が尽きず家に辿り着いたのは日付が変わる寸前だった。