【日程】2007年5月3日(木)~6日(日)
【参加者】計7名
【記録】
5月3日 晴:JR京都駅8:04発、JR紀伊白浜、アドベンチャーワールド、民宿望海
JRの切符が朝早くしか取れなかった為、午後の時間をアドベンチャーワールドで楽しむこととなる。自分達では、めったに行く事が無いであろうイルカショー、アシカショー、サファリーパークと、気持ちは子供の頃に帰ることができた。連休中という事と、パンダの双子の赤ちゃん人気で大変な人出だ。
民宿へはタクシーを利用。運転手さんから「望海」の食事は評判だと聞いたが、まさしく満足満足。民宿であっても温泉、これも満足満足。
5月4日 晴:民宿発タクシー利用(途中コンビニ)、草堂寺9:30/9:40-里塚跡、七曲り登山口10:15/10:20-七曲り終わり10:50/11:00-峠の茶屋跡(昼食)11:40/12:30-安居の辻松12:55/13:05-祝の滝出合14:10/14:55-庚申塔15:20-三ヶ川バス停15:50、バスが無い為民宿の車に迎えに来てもらう
晴れた気持ちの良い朝。今日は富田坂から安居の辻松峠越え。民宿よりタクシーで登山口の草堂寺迄行ってもらう。りっぱな石垣の上に建てられた城の様にみえる寺だ。石垣にそって登山口がある。ここからが今日の始まりである。「大和路街道」のしっかりした案内板がある。石垣沿いの道を一息進むと一里松跡に着く。林道を進めばやがて馬谷城跡があり、ここにもりっぱな案内板がある。日置川流域を中心に勢力をほこった安宅氏が進出拠点として築造した城跡で、城の南側で軍馬が飼育されていた事から馬谷城と呼ばれていた。杉林の林道をさらに進めばここは七曲り登山口の標識あり。いよいよ富田坂の登りだ。ゆっくりゆっくり一歩一歩前進。七曲りというより曲りの少ない急な登りが続く。20分程の登りでやがて自然林となり樹林の隙間越しに白浜から田辺湾の眺望が開ける。春霞で見えにくいが心が安らぐ。ゆるやかな登りを進めば富田坂茶屋跡に着く。この茶屋は大正8年まで店を開いていたそうだ。大きな広場になっていて木が椅子代わりに設置されている。ここで昼食となる。充分休憩を取り次の目的地へ。安居の辻松峠はアップダウンが続く歩きやすいなだらかな道を行く。峠は標高390mで日置川と富田川の分水嶺となっている。又、日置川町と白浜町との境でもある。峠には石地蔵も祀られている。りっぱな案内板もあり道に迷う心配は無い。前方に紀伊水道の海を見渡す事が出来る。やがて、ジグザグの道を急下降する。本当にきついくだりだ。ストックに助けられる。急下降すると三ヶ川沿いの林道にぽっと降り立つ。祝滝への出合いの橋のたもとで休憩。ここで往復30分の祝滝へ行くか行かないか意見が分かれる。説明書には少々見づらいとあり誰も動こうとしない。1人K西J次だけ行く。カメラには立派な滝が写っている。あぁ行けばよかった。損をした様な気分だ。このあたりは姶良火山層が見られると説明板がある。2万2千年前、九州桜島が大爆発を繰り返し吹き上げられた火山灰が偏西風にのって約5百キロも離れた日置川町安居の三ヶ川や本宮中辺路にも約30cmの火山灰が積もって現在これが地層として見られる。ほんの少しではあるがそれらしき地層をはっきり見ることが出来る。平坦な林道を30分程進めば三ヶ川梵字塔がある。が、何が書いてあるか読むことが出来ない。さらに進めば庚申塔あり。これも何が書いてあるか読み取る事が出来ない。たいがい歩きくたびれた所で人家がちらほら。炭焼窯もあったが三ヶ川バス停迄直行する。バス停の時刻表を見てもバスの1日の回数の少ない事。ここから民宿迄は後三つ程峠を越えなければならないとの事。民宿に電話をして迎えに来てもらう事となる。2台の車に分乗して民宿に着く。山と田んぼに囲まれた静かな静かな民宿だ。「おまけ」で民宿への途中、車の中から、えびね温泉を見つける。宿の主人と交渉の結果、温泉まで送り迎えしてもらう。今日も温泉につかる事が出来、身体はリフレッシュ。明日の為にもバンザイ。
5月5日 晴:安居の渡し場北側8:15-安居の渡し場南側9:05-桂松跡9:50/10:00-仏坂の茶屋跡、入谷不動尊11:35-仏坂東登り口11:50-地主神社入谷橋(昼食)12:00/12:30-周参見王子神社13:40-周参見駅14:00/14:30-民宿カワベ14:45
安居の渡し、仏坂から周参見へ。
今日も晴天なり。宿の車で安居の渡し場近くまで送ってもらう。主人は2往復。バスの便が利用できない所では大変ありがたい事だ。
渡し場は廃止となっていたが、3年前に地元有志の方々が保存会をつくり再開された。利用するには前もって予約が必要だ。船を利用しない場合は約1時間かけて南側登山口まで歩かなければならない。同宿の青年は予約してないと言って私達よりも1時間30分程先に宿を出発された。口ヶ谷橋を渡り道標に沿って進んだが途中で落石の為通行禁止で戻ってこられた。渡し場に着くと保存会の人達と新聞社の人が待ち受けていて私たちが渡し再開後の利用千人目に当たるとの事で写真は撮られるは、感想は問われるは、何のグループかと問われるは、平均年齢68歳…不思議に思われてもしかたないか。でも、記念として米14kgと梅干を頂くことが出来た。後々新聞と写真を送って下さるとの事。良い思い出となった。川幅は10m程。一番深い所で7m。2人の船頭さんがゆったゆったと船をこぎ10分もかからず対岸に着く。ここから今日の登りの始まり。すぐに薄暗い杉林のつづら折れの急な登り坂である。手入れされた整然とした杉林である。やがて桂松跡である。ここにも立派な案内板あり。江戸時代の文献にものこっている有名なかつら松という松があったそうだ。又、一里塚の松として記されていて、和歌山から25里(100キロ)の地点に当たる場所だそうだ。10分程休憩してさらに進めば仏坂の茶屋跡に着く。茶屋は江戸時代から延々と続き明治期には人々の通行が多くなって常設の茶屋が昭和13年頃まで営業されていた。又、大正3年から茶屋そばの広場で牛市が昭和17年まで偶数月の15日に開かれ、市の日には大勢の人で賑わったそうだ。今考えればよくもまあこんな不便なところで?昔の人は偉い。手入れの良い杉林を進めば林道へ出る。林道を横切り、手すりのついた登り坂をゆっくり、ゆっくり登る。50m程の登りだ。途中に見晴らしの良い場所が何カ所か有、周参見港が見える。その都度休憩となる。シダが繁っている道が多くやがて急な下り坂となる。入谷不動尊に着く。不動尊が風雨にさらされ何代目であろうかと思われる。元は露天にさらされていたが、地元入谷の人達により祠が造られている。さらに自然林の中を進めばやがて国道38号線にポッと出る。すぐに太間川が流れていてここが仏坂の東登り口である。地主神社はすぐ右手に入った所にある。社殿が無い。これが特色だそうだ。背後の巨岸を含めた森全体が神体とされているようで今も祭壇の中央に立神木のサカキによって象徴されている。太間川にかかった入谷橋を渡った農道の坂道で昼食をとる。昼食は宿で用意してもらった、おにぎり3個(多いんだね)とおかずをおいしく頂く。ゆっくりと休憩をとり出発。これからはJRと太間川と平行した舗装道路を歩くこととなる。日照りのきつい中、紀伊周参見駅へ向ってひたすら歩く。途中、大師堂や梅干し工場がありJRと平行して歩いたり離れたりの状態で進む。古い小さな街並みの中を進めば周参見王子神社に着く。このあたりで全員ぐったり。舗装道路はイヤッダッー。ここで電話で民宿の場所を確認する。とりあえず周参見の駅までくればもうすぐだ、との事。さあもう一息ガンバロー。周参見駅到着、本当にご苦労様でした。飲み物の補給をする。駅の待ち合い室はゆったりしていて休憩するのにもってこいの場所である。駅前も静かで食堂が2軒位。みやげもの店、レンタカー店とほんのわずかな店々があるだけだ。休憩している間にN村さん、T石さんが明日のバス乗り場の確認に行くもバスの本数はほんのわずか。1日5本位で適当な時間設定が難しい。民宿カワベもすぐわかり、今日の日程を終える。前宣伝では露天風呂もあり温泉がひいてあるので皆の期待は大きく膨らむ。料理は周参見独特のケンケンかつお魚によるかつおの刺身を中心とした料理のオンパレード。68歳ナニガシの半分層には食べすぎに注意と言いながら箸が進む。ごちそーさま。
5月6日 雨:山行中止
朝から雨。TVの天気予報も今日は一日中雨降り。かなりの雨量との事。山中行動は中止。今日の予定では、バス停西浜から長井坂を登り枯木灘の眺望を楽しみながらの山行予定だったが何も見えない。雨に濡れるのならば無理をすることは無いと全員意見一致。来年の楽しみとする。予定変更でJR11時43分発で一駅、見老駅へ。江須崎のエビとカニの水族館へ駅からは国道42号線沿いに傘をさし車に注意しながらひたすら歩く。20分程で到着。小さな水族館だがカニやエビを投資飼育の形をとっていて水槽に「私が飼育しています」と有名人の名札が付いていた。めずらしい種類が多かったが一つ一つの水槽が狭い為、可哀想だ。館内も雨で行き場を失った親子連れが来ているだけですいていた。
駐車場横の童謡の里公園の展望台の下で雨を避けながら昼食をとる。童謡公園の遊歩道を歩くと昔懐かしい童謡が流れ思わず口ずさむ。急な階段を下ると海辺におりたつ。海にかかった橋を渡り、江須崎へ。島全体が神域になっていて暖地性植物群落になっている。シイやウバメガシワ等多い。また春日神社がまつられていて江崎の人達は新しく船をおろす時は必ずおまいりするそうだ。この頃より雨が小降りとなってくる。童謡公園へ戻るため、急な階段を登る。遊歩道を歩いている時事故発生。K西J次が舗装道路から砂利道へ前向きに倒れ額を切る。見ればかなりの出血。救急車を呼び周参見病院へ。けつまづいて倒れたのか、階段を登ってしんどさから倒れたのか自分でもわからない様子。額を3針縫い、あとは打撲。大事にいたらずよかった。歳としか言い様がない。他のメンバーは見老浦駅から周参見駅へ戻り全員合流できて一緒に京都まで帰る事ができた。心配をかけてしまった。今、病院で検査を受けている。心臓関係異常なし、あと頭のMRIを受診する為予約中。一つの事故が全員の山行に影響を与えます。山中でなく、なによりの幸いでした。皆さん体調管理は常に第一に。
【リーダー所見】M.N.
天候は最終日を除いて、良い天気だったのがまず良かった。最初の日は、山へ入るだけの時間が無かったので、観光のようになり、最終日も風雨が強いのとのTVの天気予報だったのでシニアのメンバーなので中止にして、又観光のようになった。その日に、アクシデントがあったが、大した事もなく皆な一緒に無事帰京できた。
今年は、噂を聞いて、元会員の名古屋のY崎君も参加して、さながら比良山岳会同窓会のようになったが、若いころには皆な一緒に山行した仲間で気も合っていたのがまず良かった。
宿泊施設も、夕方とれたての美味しい魚を食わしてくれたり、まずまず、良かったように思う。
昭和10年に廃止されていた日置川の、安居の渡し舟が、平成17年10月に復活してから今日渡る我々7人の内の誰かが丁度、1000人目になると言うので、渡し舟保存会の人や、地元の新聞記者が来て、表彰して記念品を贈呈すると言うので、米15キロと梅干を、K西H代さんが頂いて、写真をとってくれた。思わずのハプニングもあった。