京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.2883  関西百名山シリーズNo.9 皆子山


床山の南、二ノ谷のKPC北山ロッジで行われる、新緑祭に合わせて京都府最高峰の皆子山に関西百名山シリーズは登った。皆子山の一般ルートは皆子谷、寺谷、ツボクリ谷を詰めて山頂に到る。今回は前坂峠から西尾根を登り、平へ東尾根を下るという地図に乗っていないルート。おまけに芦火谷を越えて二ノ谷に達するというバリエーションばかりの山行を計画した。
【日程】2008年5月17日(土)晴れ
【参加者】6名
【行程】
桂6:15=北山ST6:42-50=前坂峠7:37-46~P897 8:27-30~P926 9:09-11~皆子山9:32-48~P941 10:08-12~P837 10:28~平11:04-33~足尾谷橋12:03~ツボクリ谷出合12:52~府県境15:00-06~府県境ピーク16:15-28~△ニノ谷・KPC北山ロッジ17:03
【登山データ】  歩行 13.8㎞ 9:17 延登高 930m延下降 985m 1座登頂



北山駅に最終集合し、リーダー車とTC車の2台で大原大見町へと走る。尾越町との境、前坂峠に車を置き登山準備を整えリーダーを先頭にいざ出発! もちろん道はない。そこで今日のミッション1:「松谷峠までのルートを地図に書き込む。」が早速始まる。
斜面を這い上がり皆が前途に不安を感じ出した頃、尾根道に微かな踏み跡が現れ、安心すると同時に若干の失望を覚える。下草の殆どない尾根筋を辿り高度を増す。今回の山行は読図が重要なウェイトを占め現在位置の把握とルートファインディングを課題とした。 P897の西端を掠めて松谷峠に向かうが位置確認のために一旦ピークに登る。南に進路を振り松谷源頭の松谷峠であろう地点に達しミッション1は無事終了。稜線を忠実に進み南に派生する顕著な尾根の結節点で休憩を取る。その尾根の先にP889やP819の標高点があり踏み跡もあるようだ。きっと百井川の修道院村に下りられるだろう。そしてその東側に、皆小谷の枝谷の源頭がなだらかになんとも優雅な明るい斜面を見せている。
西に90°進路を振るとP926に達する。「P926」のプレートが設置されているはずで辺りを探すとありました。僅か5㎝ほどの小さなプレートが枝に掛かっていた。皆子山まではあと0.9㎞、小さなコブがいくつもある複雑な地形をしている。この間もルートファインディングの面白い部分だ。最後は皆子山の西に突き出した稜線の端に乗り上がり山頂に到る。
皆子山京都府の最高峰で標高は972m。3等三角点「葛川」が置かれている。山深い京都府なのに近畿2府4県で1,000m峰が無いのは京都だけこれは一寸寂しい。誰もいない静かな山頂には私製の山頂標識がそこかしこにぶら下がり登頂の感動を伝えている。切り開かれた東面の展望が良く少し霞がかかった武奈ヶ岳から蓬莱山を望むことができる。
山頂から少し南下すると皆子谷ルートと寺谷ルートが分岐し、左の寺谷ルートに入る。さらに5mほど先の左手に比較的明瞭な踏み跡が続いている。これが東尾根で稜線を忠実に進む。ミッション2:「P941を特定する」は近い、皆に注意を促し地形の変化を見つつ歩く。北東に進んでいた道は南東に振り小ピークでまた北東に進路が変わり鞍部から登り返しは急登となる。P941はそのピークにあった。地図どおりに現れる地形をしっかり読みミッション2を達成した。
P941からは平への下りとなりP837を登り返す他は一貫して下る。尾根を忠実に辿っていたが、標高750m辺りから目星を付けていた主尾根ではなく1本北の尾根に踏み跡が続いている。国道を走る車の音が近づき、墓地が現れ平の集落へと下りてきた。お寺の境内でお昼にして何というお寺かと玄関や門を見るが何の表示も無く鐘楼の屋根の工事をしていた人に聞いてみたが「さあ~」と言うばかりで、結局お寺の名前は分からず仕舞いだった。しかしこのお寺には立派な石楠花の木と大きな楓の木がある。楓はなぜか紅葉しまるで秋のようだった。

国道367号線を500mほど歩き左に分岐して旧道に入ると野の花が咲き白い小さなスミレを見つけるが何すみれなのだろう帰って図鑑で調べてみたがよく分からなかった。スミレはなんと種類が多いことだろう。
芦尾谷橋を渡り足尾谷の林道に入る中村発電所を過ぎ林道終点となる。暫し休憩した後、沢沿いの登山道に入る。2.5万図には「足尾谷」と書かれているが、一般的に「芦火谷」で通っているが、どこかで谷の名前が変わるのかそれとも、どちらかが通称なのか、平のお寺から疑問が3つもできてしまいモヤモヤモヤ・・・・
右岸に丸太橋で渡り、「く」の字橋で左岸に戻り、再び丸太橋で右岸に戻ると登山道は南西方向に向かう。これがツボクリ谷で皆子山に登るメイン登山道だ。流れをほぼ二分する谷で、本流の芦火谷はここからが難コース早速ツボクリ谷の渡渉に一苦労、右岸を高巻いて進んで行くと左から流れ入る枝沢は断崖で河原に下りなければならないが道が途切れている。進退窮まり念のために持ってきたロープを出し懸垂下降で3m余りを下る。その先は渡渉しかなく飛び石は危険なのでTCが先に渡りリーダーと2人でロープを確保し一人づつ渡渉した。
左岸の進路はやはり高巻き、急斜面を攀じ登る。巻き道は斜面が崩れ非常に危険な部分があり小西Lのリードで通過。その後も高巻は続き、切れ込んだ枝沢の通過は最大の難所、辛うじて残置ロープで沢を越え乏しい手懸り足懸りを頼りにTCが進むが皆の通過はとても無理。三たびロープの出番となった。ぼろぼろ崩れる足場を慎重に、慎重にリーダーの指導により、全員無事に通過することができた。
高巻はさらに続き歩を進めるが次に現れた枝沢は何処にも道は見出せず下の木に付けられたペンキを頼りに河原に下りる。比較的穏やかな川面でざぶざぶと沢の中を遡行する。そしてこの日設定したミッション3「京都府滋賀県境を特定する」は丁度この辺りだ。遡行も目前に現れた滝は沢屋でない我々には通過不能。右岸は切り立った崖で左岸の急斜面を攀じ高巻く。
上に微かな踏み跡あり、乗り上がるが最後は急すぎて滑落の危険があり、またもやロープを張りアシストして踏み跡に上がった。先に続く谷も深すぎて巻き道はないようだ。仕方がないので尾根筋を登り続ける。どうやら府県境尾根の1本西の尾根を登っているようだ。ここまで登ると芦火谷に下ることは諦め、山越えで二ノ谷のロッジに出ることにした。予想通り府県境尾根に乗り標高860m位の小ピークまで来て大休止、水に濡れた靴を脱ぎ、靴下を絞り一寸さっぱりした。
一つコブを乗り越えて北西に進むと八丁平からの林道が見えてきた。そこから分岐した登山道に下り立つとみんな一安心、イワカガミの群落の写真を撮る余裕も生まれ二ノ谷に到る。ツボクリ谷の分岐から4時間余り掛かってようやく新緑祭会場の二ノ谷のKPC北山ロッジに到着した。
S方さんの車に乗せてもらい前坂峠に戻る。日帰りの3人リーダー車で京都へ、TC車は二ノ谷へ戻った。
《山紀行645》


【感想】48期 M.K.
初めての皆子山は沢に落ち、2度目の今回は水中渡渉と何れも新緑際で靴を乾かす事に。前半の前坂峠付近からのバリエーションの尾根ルートはしっかりした道で、ミッションを楽しむ余裕がありました。新緑にミツバツツジが彩りを添え、ルンルン気分で皆子山に登り平に降りました。後半も足尾谷林道からツボクリ谷出会いまでは明瞭なルートでした。後は高巻きと渡渉を繰り返し最後に大きな滝、スケールの大きさに圧倒されました。よじ登った斜面には、イワカガミ・イワウチワが多く、普段なら「きれい」と言って立ち止まる所ですが全く余裕がありませんでした。芦火谷の凄さを見せてもらった山行でした。K西さん、Y本さんには大変お世話になりました。
新緑際会場に着くと、I波さん親子が作られたピザが焼きあがった所で進められるままパクついてしまいました。ダッチオープンで焼かれたピザ美味しかった。楽しい新緑際でした。準備して頂いた皆様、ありがとうございました。


【感想】50期 J.O.
今日は友人と二上山に登る予定だった。が、自分達だけでは登れそうにない皆子山例会へ二人で参加させてもらえることになった。
取り付きは藪だった。私同様に経験の浅い友人の顔が強張った気がした。が、急登は初めだけで、すんなり皆子山山頂に到着。下りながら「今どこに居るか、分かる?」とTC。その度あわてて地図を見るが「わかりません」としか答えられない。この頭はどうなってるの?とウンザリだが、そう言いたいのはTCの方か。
のんきにしていられたのは足尾谷橋まで。沢へ出ると苦手な徒渉の連続だ。いきなりはまる。水は深く一度で靴の中までジャブジャブだ。ずっと沢沿いなんだからいいや。と思っていたら甘かった。徒渉も難しい場面では高巻きとなる。崖ではTCがロープを出して安全を確保してくれる。まずは崖を垂直に下りる。ナンと友人は初めての懸垂下降を練習無しのぶっつけ本番だ。嫌でも真剣みが増す。無事下りてヤレヤレ。とホッとしたが今度は水平移動。ちぎれたロープが垂れている。その端とTCのロープを結んで、はるか向こうの大木に掛ける。道は崩れて狭い。一人が結び目をつかんで座り、ロープを固定する。順に結び目まで進み役目を交代。自分が座った時には、手から離して誰かが落ちたらどうしよう!と緊張した。全員が無事通過。
TCのロープは何度も活躍した。リーダー、TCがTPOに合わせて手際良く張ったり結んだり。が、滝が現れ、ついに沢沿いを断念。尾根を歩いて北山ロッジを目指す。これまでチョットした茂みで「藪漕ぎだぁ」と愉快がっていた罰が当たったか。これでもか!という藪を300mほど登り返した。半ば放心状態でロッジ近くの登山道に出る。8時間近く歩いただろうか。新緑祭の皆さんの顔を拝み、緊張が解けた。
期待以上の面白い山行だった。あまりのアドベンチャーに当惑していた友人も、河内長野の駅で「今になると面白かった!」と笑顔で帰って行った。


【感想】非会員 S.M.
山岳会の山行に参加させていただきましてありがとうございました。実は七月に白馬行きの予定があって、その訓練に、と大きいザックで参加したのですが、何度もザックを捨てたくなりました!
午前中は新緑の中快適な山歩きでしたね。
午後は、一転、スリルとサスペンス!!!!!!!!!!!!!!!!
ザイルのお世話に、あんなになるとは思ってもみなかったです。でも、今思うと未曾有の経験だらけ。家族や友達にちょっと自慢??できそうです。ともあれ、山慣れしていない私が同行して、ご迷惑おかけしました。
K西さん、Y本さん、大変お世話になりありがとうございました。
K城さん、U田さん、はぎっちょさん、お疲れさま、ありがとうございました。


【リーダー感想】8期 H.K.
~京都北山雑感~
京都北山の百井集落は親父の里です。大見はお袋の里でした。もう、二人とも死んでしまいましたが、私は百井に生まれ、大見で育ちました。百井、大見の集落には哀愁があります。中でも皆子山塊は私の幼い日の思い出が色濃く、皆子山麓の松谷(マッタン)や火打谷(ヒユッタン)には親父の炭焼小屋跡が幾つも残っています。その小屋で親父と火が尽きないよう夜通しで見張ったこともありましたし、出来た炭を俵に詰めて、背中に背負って「炭だし」をしたこともありました。
北山での1回目の「炭だし」は冬の前の10月か11月頃、2回目は厳冬期の1月頃と決まっていました。炭俵1俵は1貫目、4kg、小学校に上がると炭1俵を背負って、狭い谷を下り、丸木橋を渡って村まで運びました。それが山の子の冬の仕事でした。雪に滑らないよう素足に草鞋だけを附けて、厳冬期の「炭だし」は辛いものがありました。
でも、辛い仕事のその心の奥底にはいつも「思古淵(しこぶち)」さんがおられました。仕事のしんどい時はいつも「しこぶちさん」とお話しをし、高熱を出してうなされている時や家の外で獣がうねりを立てている時はいつも「しこぶちさん」を呼んでいました。「しこぶちさん」は優しい神様です。「しこぶちさん」は北山の山や谷、淵に住んでいる神様です。誰も「しこぶちさん」を見た人はありませんが、百井や大見のみんなは「しこぶちさん」と一緒に生活をしていました。百井や大見の村には田植えの水争いや山の境界を巡る紛争は一度もありませんでした。「しこぶちさん」は平和の神様でもありました。 毎月1日の早朝、親父は村外れの「しこぶち神社」に暖かい白米のご飯と野菜の煮付けのお膳を持ち、私はお酒の瓶をもってお参りしました。そして親父は、いつも村人の平和と安全をお祈りしていました。親父と同じように村人はそれぞれの思いを「しこぶちさん」に告げていました。「しこぶちさん」には何の決まりもなく、村人全員がそれぞれの思いを「しこぶちさん」に告げ、それぞれのお祈りをしていました。「しこぶちさん」は心の広い神様です。村人みんなの願いを聞いてくれる神様です。願いを聞いて、それを調和してくれる神様だったのです。
10年程前、私はテントとシラフを背負って四国八十八カ所を廻ったことがありました。その途中、野犬に取り囲まれたり、深夜の恐ろしさに鐵縛りにあったこともありました。又、一人で全長1700kmの熊野古道をさまよったこともありました。その途中、夜道に倒れて意識を失ったこともありました。そんな時、いつも心で「しこぶちさん」を呼んで、助けを求めていました。神道や仏教、信仰心の薄い私ですが、「しこぶちさん」のことは今もいつも思い続けています。幼い日の「しこぶちさん」は私の信仰となって今も残り続けています。
(あとがき)
「しこぶち信仰」は安曇川水系の土着の信仰で、本社は久多にあり、末社は百井他7社があります。現在は鳥居や本殿があって神社の形態となっていますが、これも明治維新の国家統制の一環として廃仏棄釈の流れに棹さし、生き残るための方途のように思っています。
「しこぶち信仰」は安曇川の筏師に篤い信仰を集めたと言われています。筏師の仕事はそれだけ危険だったからでしょう。今回の例会で、皆子山の尾根や芦火谷を歩いて「しこぶちさん」に出会えたように思え、楽しい山行となりました。
幼い日の思い出を書きました。