京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

箕面《山紀行662》

名残の紅葉を求めて勝尾寺から箕面の山を巡った。勝尾寺の紅葉は掛け値なく美しい。古道に1,300年前に思いを巡らせ過ぎ行く秋を楽しんだ。里山の面白さは2.5万図で道のない三角点を訪ねたり新たなルートを見つけたりと存分に楽しんだ。

明ヶ田尾山山頂標識

【日程】2008年11月29日(土)

【参加者】48期 H.Y.

 

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【行程】 桂6:47-茨木市7:04-21=新家BS7:55~勝尾寺南山8:50-54~最勝ヶ峰9:45-50~石堂ヶ丘10:38-40~高山登山口11:19~明ヶ田尾山11:36-56~鉢伏山12:23-26~堂屋敷山12:51-53~天上ヶ岳13:05-07~三国岳13:58-14:01~箕面温泉14:45~箕面15:48-木幡17:43

 

茨木市駅から阪急バスに乗り新家BSで下車した。市街地を抜け田園風景となり養殖池を越えたところが外院尾根登山口。勝尾寺への旧参道で車道ができるまではこの山道を辿って参拝していたようだ。しっかりした道だが、地図にない枝道が多く注意していないと迷ってしまいそうだ。

展望もない道を進むと分岐点がある。指導標は右を示しているが、左には古参道の古い道しるべ、登山地図では"古参道"と"旧参道"が分岐している地点のようだ。古参道を辿り勝尾寺が近づいてくると政の茶屋に下る道が左に分岐する。登山道を少し外れるが3等三角点「萱野」(407m)があり探索に行く。

分岐してすぐ登山地図に"しらみ地蔵"とある所で豊野自然歩道に入り南下し取り付き口を探すが道はないようだ。三角点の直下と思われる地点で斜面に取り付く。下草は殆ど無く急坂を這い上がり山頂に達すると三角点があった。傍には勝尾寺南山の山頂標識が掲げられていた。

何処からともなく踏跡が上がってきているが何処に通じているかは分からない。明瞭な踏跡の方向は元の登山道とは違うようで、ヤブの中にテープを見つけその微かな踏跡は"しらみ地蔵"の方に向いているようなのでコンパスの示すままに下って行った。

外院尾根に復し小ピークを越えると勝尾寺は近い。2.5万図を見ると縦走路を100mほど外れた所に430mの標高点がある。萱野三角点には山名があったのでもしやここもと立寄ってみるが山頂には何もなかった。

車道に下りると向かい側は勝尾寺、開けた山肌に広がる境内は紅葉真っ盛り。陽の光を浴びて一段と美しい。思わず歓声を上げると門前の寺男がにっこり微笑む、その隣には法螺貝を持った山伏。時間は9:15まだ観光客の姿はまだ少なく400円の拝観料を払って山門を潜る。弁天池に写る秋の風景にカメラを向けていると、古参道の方からぶぉ~という響き、演出ではなく本物の行者さんの吹く法螺だった。

境内を奥へと進み本堂の東側に「東海自然歩道→」の指導標があり辿っていくと、そのまま裏山の尾根に這い上がることができる。ということは裏から入ればタダ! 山道に入ると「最勝ヶ峰・開成皇子の墓(540m)」の表示、これは是非とも行かなければならない。稜線に出ると東海自然歩道が通っている。南西1.5キロ下の政の茶屋が東京高尾山に到る永い自然歩道西の起点となっている。ただこの歩道あまり"自然"の歩道ではなく"人工"の車道が多いのであまり魅力はない。

分岐から左に5分ほど行くと最勝ヶ峰山頂に達する。

山頂には開成皇子の墓があり宮内庁の管理で整備されている。奈良時代勝尾寺を建立したといわれる皇子だが歴史的には同寺の寺伝に伝わる程度であまり記録がない。墓域を迂回するように北側に木道が張り付き裏側の最高所に達するとラミネートされた小さな「最勝ヶ峰540m」の山頂"札"があった。

折り返して東海自然歩道を行くと西側が北摂霊園になってくる。私の2.5万図には載っていないが新しい4等三角点「北摂霊園」があるはず。本道を反れピークに登るが境界標しか見当たらない。見晴らしがいいので境界を越えると霊園の休憩所、果たして三角点はその端にあった。真新しい標石で点名からも北摂霊園が作られた後に設置されたもののようだ。ここからはこの後行く鉢伏山、明ヶ田尾山、石堂ヶ丘が一望でき山麓には紅葉が美しい。

霊園内の道路に下り茨木高原ゴルフ場へと北上する。やがてゴルフ場の取り付け道路となり、「関係者以外立ち入り禁止」の看板がある。石堂ヶ丘(680m)山頂を目指して行くのだがあまり"関係者"ではなさそうだ。咎められはしないかとびくびくしながら道の端を歩くが10時を過ぎてあまり車の出入りのない時間帯なのが幸いし、一台も出くわさずにクラブハウスまで来た。ピークはそのすぐ北東にある。山頂近くに貯水槽がありその後ろに1等三角点「泉原山」、"用事"が済むとそそくさと元来た道を引き返し、無事ゴルフ場を脱出した。

北摂霊園の分岐から車道を高山集落へと下ると今登ってきた石堂ヶ丘が良く見える。高山集落は戦国の武将高山右近の出生地で小さな石碑が建っている。高山右近と言えばキリシタン大名で摂津高槻城主となるが秀吉のバテレン追放令により大名の座を捨て信仰を守り通した。徳川の世となりキリシタン追放令が出されるとフィリピンに逃れ客死した数奇な運命の人だった。

歴史に思いを派せ集落の裏から山道に入り沢道を行く。途中から短絡道を求めて登山道を外れ斜面を登るが下草もなく問題なし。稜線に乗ると登山道があり明ヶ田尾山(620m)に到る。3等三角点「一本松」があり頭を僅かに出していた。山頂標識の下には20センチ位の木彫りの仏様が鎮座しておられた。

minoomap.jpg

 

昼食を終え出発する頃、空は雲に覆われてしまい厚くなってきた。稜線を下り谷筋に入る頃ポツポツとしだした。今日は晴れのはずでは!と裏切られた気分でザックカバーを付ける。鉢伏山の急斜面を登りだすと雨は止み雨具を着るまでに到らずに済んだ。

鉢伏山(604m)は縦走路から20mほど西が山頂で展望はない。しかし山頂のすぐ南に送電線が通っており電線に邪魔されながらも展望は利く。数人の登山者と出会うが場所柄みんなハイキングの感じだ。南西に下ると道は"エキスポ'80みのお記念の森"に入る。季節はずれで余り人は居ない。西端の道を通り南端で車道に出る。少し行くと3等三角点「堂屋敷」のあるピークが南側にある。上に送電線が通っているので巡視路があるはずだが、踏跡ともつかないところを登り送電鉄塔に達する。そのすぐ南側に三角点はあった。標高553m、展望もなくよほどの物好きしか来ないので点標は綺麗なままに残っていた。そして"堂屋敷山"という山名を記したプレートがあったので1山としてカウントすることにした。尾根通しに進むと、当初大迂回を覚悟していた天上ヶ岳への道に出られ結果的にかなり短絡することができた。天上ヶ岳への分岐となるピークは谷越しに堂屋敷山や鉢伏山を望むことができる展望地。分岐から100m弱南に入ると天井ヶ岳(約500m)に達する。役の行者小角の像があり展望も利くが臭い!なんと足元を見るとシカ糞だらけで長く居られるものではない。

車道に戻りしばらく行くと箕面市池田市の境に到る。その東側のピークは2.5万図に511mの標高点、踏跡もあり、もしかして山名があるのではと登ってみるがここはハズレだった。車道に戻り南に進むと"ようらく台園地"の分岐点。駐車場もあり東側に山道が続き展望台などがある。箕面大滝へ下りようと東へと進んで行くと三国岳(396m)に到る。若干展望あり。猿の自然回帰運動で滝への道は閉鎖されている。下山路は箕面滝の500mほど下流に出てくる道で、途中木の間越に滝が見通せるところがあった。箕面川沿いの車道に下り立つとそこは観光客の行列、上りも下りも凄い人、滝見は諦め駅へと向かった。

今日の立寄り湯は箕面温泉、スパーガーデンと言われる古いホテル、山の上にあり昔は無料のケーブルカーで行くことができたが今は100円取ってエレベーターに乗せている。ばかばかしいので車道を歩いて登る。入浴料は1,300円、広い浴槽があるだけでシャンプーもなく洗い場は狭い。しかも脱衣ロッカーは100円が戻らず、ぼったくり温泉だった。

【登山データ】歩行距離 26.1㎞、所要時間7:00、延登高1,579m、延下降1,514m、8座登頂