京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉白滝谷&奥ノ深谷

2009年5月30日

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5月30日(土)曇り一時雨のち時々晴れ
参加者 松井篤 上坂淳一 秋房伸一 米山佳秀 小松久
7:40出町柳発(マイカー)=8:30坊村~9:00牛コバ~(スベリ石の上流から入溪)白滝谷~11:00夫婦滝(終了)~11:40牛コバ(奥ノ深谷入溪)~奥ノ深谷~15:00登山道渡渉点(終了)~<松井、上坂>大橋~無名沢~荒川峠~16:50荒川~<小松、秋房、米山>牛コバ~坊村

 

【遡行趣味】 48期 上坂淳一
 我が国で近代登山が本格的に展開されだしたのは20世紀初めごろとされている。
 爾来百有余年、先人の労苦の上に名のある岳峰には登山道が到達し、さらに土木技術の発達や観光産業の発展と相俟って今日の登山ブームの礎を築いてきた。

 今や僕たち大多数の登山者は登山道を辿り展望を喫するのみで、いつ誰がその道を開いたのかを知る由もない。これをもってすれば近代登山は爛熟期と言えるのかもしれない。
 少なくとも登山はその初期においては以前からあった作業道、交易路、登拝路などを利用して登山道の整備を進めたと考えられる。
それらのうち、交易路の多くは地理的な事情から、藪を避けつつ最短距離で峠に到達する沢筋にとられていた。つまり、沢登りは近代登山のジャンルの中でも、その前史を反芻する原始的な面影を色濃くとどめていることになる。

 沢を遡行すれば、滝への応接や煌めく飛沫、新緑から漏れる陽光と、技術的視覚的な楽しみは無数にあるが、同時に旧時代の人々が引き受けていた危険や困難を知ることにもなる。また、何を恐れ、どう立ち向かい、何を信じ、知恵を巡らせてきたのか?その一端に触れることもできるだろう。合わせて、今日の山登りを容易ならしめたものと、その代価として失ったものに思いをはせることもあるかも知れない。

 さて、今回の山行であるが、企画者である僕の意図は計画書によく表れていると思うので、以下に簡単にまとめておくことにする。今回の計画書作成は初心者が2名、顔を知らない会員が2名(重複1名)、それに新人担当理事が加わるという顔ぶれから、大変に興味深い作業でもあった。

☆ルート情報はほとんど出さなかった。
 (当日、松井氏が遡行図を配布してくれた。読めたかどうかはわからないが参加者には沢登りの文化を知る良い経験になったと思う)
☆共同装備は「なし」とした。
 (実は30mロープと救急パックを用意していた。松井理事も何か非常用装備を用意していたかもしれないが、あえて尋ねることはしなかったのでわからない)
☆個人装備は極めてあいまいな指示をした。
 (初心者の人はかなり迷われたのではなかっただろうか?実際は手ぶらでも構わないルートだったのだが、できるだけ自分で考えてもらいたかった。また、メンバーがどんなものを持ってくるのか?その判断を知りたかったこともある)
☆非常時に必要な情報は比較的丁寧に記載した。
 (会長、理事長ともなれば例会&個人山行で年間100本ぐらいの計画書が投げ込まれているのではないだろうか?100本/年×数年(=数百本)の中から下山報告の入らないものがいつ出るかは分からないので有形無形の負担は経験した者にしかわからないだろうが、少しでもそのことに思いをいたすべきと考えた。今回の参加者も自分が理事長になったつもりで下山報告がなかった場合の判断と捜索手順をシミュレートされてみるのも良いのではないかと思う)

以上全体として新人の人にはかなり不親切な計画書に映ったかもしれないが、これは松井新人担当理事が参加されたので、適当にブレーキをかけたりフォローしてくれるという信頼(甘え?)があったからである。
松井氏はご自身も大変な沢好きで、本山行の参加動機もおそらくそちらにあったはずだが、立場上ほとんど暴走リーダーのお守り役にされてしまったようだ。おかげで僕が遠慮なく突っ込めたことに感謝している。

 

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※この集合写真は全員が写るように2枚の写真を”フォトショップエレメンツ"ソフトで合成したものです


【個人山行報告】 52期 小松久
はじめての沢登りとして、上坂さん主催の白滝谷・奥深谷を遡行する個人山行に参加いたしましたので報告いたします。
今回は初めての沢登りと言うだけでなく、私にとっては初めてハーネスなど確保の道具を使う山行でしたので、出発前からかなり緊張しての参加でした。
道中は本当に無我夢中だったので、細かい報告が出来ませんが、総じての感想は、「沢登りは自由だ」と言う感覚です。
通常のハイキングのような登山であればだいたいどこを踏んでどう進めばいいか、と言う答えがありますが、沢登りは、答えが全くないわけではないのでしょうか、その幅が非常に広いように感じられました。

 沢の通りやすそうなところを通り、無理なら巻く、もしくは泳いでもいい。同じ場所でも遡行する者のレベルによっては答えが全く違ってしまうという沢の奥深さには虜になってしまいそうです。
今回生まれて初めて滑落という体験をしましたし、脚を滑らせてしまって自分を支えているのがお助け紐1本と言う経験もしました。
沢登りの楽しさだけでなく、危険も身をもって感じました。
ただ、それ以上に本当の意味で自然と戯れられた沢登りの楽しさは忘れがたいものでした。
好き勝手なことを書きましたが、このような楽しい経験が出来たのも、上坂リーダ、松井サブリーダーと言う超強力なお二人がいらっしゃったからこそです。
本当にありがとうございました。

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【感想】 52期 秋房伸一
会社に入った時、部長は生まれた時から部長であるように思いました。自分と近い年齢の人が部長と呼ばれるようになった時、部長といっても悩みや葛藤や仕事のチョンボやいろんなことがあって煩悩にまみれ、決して生まれた時から部長ではなかったということがわかるようになりました。
そんな歳になって山岳会に入会し、初めての沢登り。リーダーというか今回は個人山行の形をとっているのですが、リーダーとサブリーダーはすごいというよりこれは命の恩人だと正直思いました。入会してまだ半年ですが、これまでの人生で「恩人」だと思った人はそんなにないのですが――仕事とかそういうことではお世話になって恩に感じていても、それは自分の実力だと思いがちなのでありました――、山の世界では雪・岩・沢、と一挙に4人もの恩人を得ました。
というのは、今回、白滝谷と奥ノ深谷の2つを1日で遡行するというプランで、最初の白滝谷ではメーンの滝でビレイしてもらったものの特に危険を感じることもなく「沢登りって結構面白いじゃん!(西日本出身で京都に住んでいるのでそんな表現は決してしませんが、まあそんな感じ)」みたいな感じでしたが、奥ノ深谷の後半でスリップをしてズルズルと滑り落ち、それからは怖くなって、お助け紐やザイルをお願いし、なんとか遡行を完了し、大変恩義に感じているからです。「沢をなめるな!いい気になるな!」という神の啓示だと今となって思えるのは、無事に帰れたお陰です。

沢登りというのは大変アナーキーな行為だと思いました。まったく管理されてない空間で本当の自己責任で行う行動(あえて“スポーツ”という表現は使いません)。スポーツだとルールがあって、ルールを守れば安全で、安全が確保された上で競い合う世界だと思います。私が長らく続けている自転車での例えで恐縮ですが、例えば、鞍馬温泉から花脊峠までチームでタイムトライアルをして、自分は40分で走れる、トップは25分で走る、人によっては途中で自転車を押して1時間以上かかるかもしれません。トップの人はすごいとは思いますが、正直それだけで、自分の生命とは何ら関係ありません。ランニングでも自転車でも「大会」と名の付くものは、必ず管理者がいてアクシデントへの対応がとられていて、その中でフィジカルな能力を競いあいます。
沢登りは違います。「全日本沢登り選手権」などというものは、今後も存在することはないでしょう。沢登り能力を発揮できる人がいないとグループの安全と進退に直接影響します。皆が安全なところでそれぞれが“競う”世界と本質的に異なります。トップをビレイ無しで登るリーダーやサブリーダーに、万一何かアクシデントが起こった時、残りのメンバーでどうやって対応するのでしょうか。管理者、助けてくれる人は誰もいません。

何げないところにも危険は潜み、それをコントロールしながら進む。自己責任を理解しつつ助け合うことができるメンバーだけに許される世界で、管理されることと引き替えに安全を担保し、他者の責任を声高に叫びつつ自分自身には無頓着な傾向が強いと思われる現代社会では、希有な行為ではないでしょうか。
沢登りのベテランといわれる人でも、最初からベテランはいません。自分はどうなのか、どうなっていくのか、どうできるのか。そんなことを、帰宅して、まったく安全快適な風呂の中で考えました。