京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.2941 「RDBの会」第9回 植生調査 北山・三国岳

登山道は急登になり、斜面にはイワウチワ・イワカガミの葉が多くしかも混ざっている。小さなウシガエルが葉の間で休憩していて近づいても逃げない。幹が5~6mありそうな大杉が見え、近づいて下から見上げると枝は上の方で広がっていた。このルートはトチ・カツラ・芦生杉・ミズナラ・ブナの大木が多い。

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植生調査中

No.2941 2009年6月21日(日)

RDBの会」第9回 植生調査

北山・三国岳

【参加者】CL山本憲彦、SL西田和美、小西春代、辻野喜信、葛城美知子、(國岡美千子:会員外)           計6名

【天候】雨のち曇のち晴れ

【行程】京都駅前8:20=久田上の町・演習林入口ゲート9:50~一の岩屋10:20~二の岩屋10:57(休憩)~三の岩屋11:29~休憩11:54~三国岳12:40(昼食)13:20~お茶屋跡14:09~経ヶ岳14:40-15:00~林道出合16:05~ゲート16:20-16:30=くつき温泉17:10(入浴)18:10解散=京都

【記録】 48期 葛城美知子

京都駅前に集合、国道367号線を北上して梅ノ木から林道を走り演習林入口ゲートに着く。ここは滝谷と岩屋谷の出合です。準備している間に又雨が降り出し、リーダーの「三国岳ピストンのつもりで、ゆっくり植物観察と岩屋巡りしましょう」の言葉で歩き始める。ゲートの車止めの鎖を跨いで岩屋谷右岸の林道を進むと、右手に久良谷の分岐がありトチの木に演習林の案内板がかけられていた。木からぶら下がったモリアオガエルの卵、下の水溜りには大きなイモリが見られた。

林道の終点奥には京都府立大学久田演習林の管理舎がある。右手にある三国岳の標識に従い、丸木橋で左岸に渡り再び右岸に渡ると左上に「一の岩屋」が見えた。階段を登り大きな岩屋を覗くが暗くて見えない。登山道を進むと次の谷との出合で「二の岩屋」に降りる標識があり、対岸に渡って斜面を登り探すが見つからない。諦めて戻ると辻野さんが渡った右下を探され、階段を登り「二の岩屋」を見つけられる。

登山道に戻り、少し登ると三国岳・三の岩屋分岐の標識があり荷物をデポして「三の岩屋」に行く。小滝の横の岩を巻くと「三の岩屋」があり写真を撮っていると、一瞬日が射してきたので皆で喜ぶ。ここまでは、満開のアサガラ・ツルアジサイ・サルナシの白い花が見られた。

登山道は急登になり、斜面にはイワウチワ・イワカガミの葉が多くしかも混ざっている。小さなウシガエルが葉の間で休憩していて近づいても逃げない。幹が5~6mありそうな大杉が見え、近づいて下から見上げると枝は上の方で広がっていた。このルートはトチ・カツラ・芦生杉・ミズナラ・ブナの大木が多い。

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三国岳手前の大杉にて

ゆっくり自然観察していたので、三国岳山頂到着は12時40分、遅めの昼食をとる。959mの三国岳山頂には二等三角点があり、なぜか山頂プレートがその上に置かれていた。東側が開けているので、地図で確認するが山に雲がかかり分ったのは経ヶ岳だけでした。

天気が快復してきたので経ヶ岳まで行く事になる。稜線の道は快適、咲き始めのヤマボウシや鈴なりのエゴノキの花が綺麗です。オオカメノキは早くも赤い実をつけている。登山道一面に落ちたエゴノキの白い花を踏みながら歩き、桑原からの道との合流点である、お茶屋跡に降って行く。開けた所からは経ヶ岳が見えた。変わった形の芦生杉が見られ、少し先に進むと経ヶ岳・三国岳・桑原橋分岐の標識があった。5分位歩くと又桑原橋2.4kmの標識、この下の広場がお茶屋跡らしい?ここからは又登り返しで経ヶ岳山頂へ向かう。

889mの経ヶ岳山頂は広いが展望は無く、スギ・ブナ・ミズナラ等の大木が多い。ここからは経ヶ岳の西斜面を稜線沿いに降る。降り始めは緩やかだったが、途中からは急勾配になる。ササが枯れているのでヤブコギはなかったが、つかむものが無い。木の幹以外はつかむと折れてしまうので低い姿勢で降る。40分位で沢音が聞こえてくる。少し休憩を取り、再び降ると杉林が見える。沢を渡り杉林を少し登ると、朝歩いた林道に出た。

小休憩後、ゲートに向かい歩きはじめると直ぐに車が見える。1時間余りで経ヶ岳から下山は嬉しい。くつき温泉「てんくう」で入浴後、解散する。このルートは余り歩かれていないのか、1日誰にも合わず静かな山を楽しむ事ができた。

その他の見た花とキノコはネジキ・タツナミソウ・サワフタギ・コアジサイ・スギエダタケ・サルノコシカケ 

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上図中の赤線が今回の、経ヶ岳からの下降ルート

【感想】     國岡美千子(会員外)

三国岳は前から行きたかったのですが、交通の便が悪いのでなかなかいけませんでした。梅雨の時期ですので雨は覚悟していましたが、林道から登山道に入ると雨が止みほっとしました。

2の岩屋はテープ印に惑わされて、右側の尾根に直登する等なかなか見つかりませんでしたが、辻野さんの努力でやっと発見し、3つの岩屋を見ることができました。

三国岳の登りは、オオイワカガミとイワウチワが多く緑の葉がとてもきれいでした。

三国岳から経が岳の尾根道は、エゴの花とヤマボウシの花が満開。花付きが良い木がたくさんあり、真っ白でとてもきれいでした。又、ピンクがかった木も2、3本あり。

又、ガスがかかったぶな林はなかなか良い雰囲気でした。

経が岳からゲートへの下りは、辻野さんのリードで無事に下山できほっとしました。2度ほど尻もちをつき、雨だったが泥だらけになるところでした。

春の花の時期に、高島トレイルを縦走したいけど、実現は難しそうです。

【感想】        40期 西田和美

 山行の2週間前、不注意で転倒。お尻を強打してしまいました。当日になっても痛みはとれず、左足を上げる度にズッキン、ズッキンと坐骨付近が痛みます。こんな調子でいつまで我慢できるかと心配でした。三か所ある岩屋の仏様も見に行くことができず、みんなの荷物番をしていました。

 我が家の庭のヤマボウシやエゴの木は、青い実をつけていますが、三国岳では白い花の真っ盛りでした。見たこともないようなエゴの大木が、高い枝いっぱいに簪のように花を咲かせている様は、言葉では言い表せないほどの美しさでした。夢中で花を見上げているうちに、ふと気がつくと、左足の痛みが少し楽になっていました。

 経ヶ岳からの最後の急下降も、ゆっくり下りてもらったお陰で、何とかみんなについて行くことができました。今後は、しょうもないところで転倒などしないよう、くれぐれも気を付けたいと思います。

【感想】        36期 辻野喜信

 この時期だから雨は覚悟のうえだが、カッパを着て中から湿ってくるのは不快だ。府立大の管理舎から山道に入る。一の岩屋を過ぎて二の岩屋を探す。川に下りると上流に踏み跡があり右の斜面にテープ。お参りするにはきついと思いつつ登る。先頭の葛城さんは稜線近くまで登ったが岩屋は無い。河原に下りて再度探す。すぐ下の斜面にあった。踏み跡とテープを過信した失敗例になった。三の岩屋のあたりは小さな滑滝もあってきれいな沢だ。

三国岳で昼食。雨は上ったが峰床、鎌倉の上部は雲で見えない。ここは高島トレールの南端になっている。

県境尾根を南東に稜線歩き。右・京都側は時々日も射しているのに左・滋賀県側はガス。このガスが稜線に上ってきてブナの稜線を幻想的にする。茶屋跡の峠(桑原への下山口・丹波越)までは手入れされている。ここから経ヶ岳は細い山道になる。

CLの計画では経ヶ岳から岩屋谷に下る。西に水平距離1Km、標高差430mでゲートと管理舎の中間に下ることを目標にする。尾根を外さないように下る。標高750mあたりの尾根の分岐を見落とさないように下ったが判らなかった。コンパスが西を指しているのでそのまま下る。後は下山口あたりに崖が無いことを祈るだけ。急斜面と枯れた笹に足を取られたりしたが、1時間ほどで岩屋谷に下れた。沢を渡り林道をゲートに向かった。この季節に予定のコースを歩けて大満足の一日でした。

三国岳から経ヶ岳の稜線は十数年前には登山道は無く、朽木の山岳会や先祖が峠で茶屋を営んでいた地元の人、古道・古峠を調べている人などの努力でこのあたりは整備されたようです。これからは滋賀県側からの登山がメインとなりそうです。

【感想】        44期 山本憲彦

 みくにだけ(三国岳)という名前の山は多い。三省堂「日本山名事典」にも同名の山が7山載っている。三国なにがしと名が付く山はもっと多い。昔の3領域のところに在った山だからそう呼んだのか、ちょうど目標になるポイントとして都合が良かったからそこで三分割する地点としてその名称が定着したのか、多義の不思議な山名のひとつだ。

 山頂には「高島トレイル」の終点としてサンゴクダケという読み仮名入りのま新しい標識が立っていた。

 私のまったくの私見だが、昨年例会で行った三十三間山。奈良時代に奈良の都まで長尺の檜材を運んだという。ということは当然この地域は奈良朝廷はいうに及ばず、平安時代になっても都の重要な造営の資材調達領域の一つでもあったにちがいない。

 奈良時代から修験者たちが岩山を求めて修行の場を求めていただろう。三国岳は格好の岩山であったにちがいない。奈良時代にさかのぼり平安時代に盛んになった修験道にとっては、あの3つの岩屋はそれなりに修行の跡だと考えるとあの不動明王の石像の意味も理解できる。

 その後は、修行の場は他に移っていった。というのはあの領域は都と若狭・北陸を結ぶ重要な街道になる。先ずは騒がしい。信長までが通る。戦になると騒がしくなる。それでは修行どころではない。そんな訳で後に、3つの岩屋だけが残った。村人はその岩屋を大切に残し、そこに安置された石仏を村祭りと絡めて大切にした。それが連綿と現代まで続いているのだ。いや、これはあくまでの私見

 京都府は、いや近畿地方はどこの山の歴史を掘っても都とのつながりがそこの歴史のバロメーターになることが多い。

 それにしても今回の目玉は経ヶ岳山頂からのゲートまでのバリエーションのルート探索だ。リードはいつものように辻野さん。なんと1時間でおりてしまった。うち会の女性は強い。走っても、歩いても、下っても強い。今回も帰りの正規ルートの3時間をたった1時間で降りてしまった。以下にそのルートを示しておきます。これから登る方、降りる方。参考に。ガスなどで迷ったときは、黄色のリードテープを今回のコース上に10カ所程付けたので、参考にしてください。

 コアジサイは終わりかけ。モチツツジも少し残っている。ヤマボウシエゴノキ、オオバアサガラ、ハクウンボク、サルナシなどの白い花が多い。それにしてもヤマボウシエゴノキのガスに煙る中での白い花の群落は見事だった。ムシカリも多く、もう実を結んでいた。ハンゲショウも遠くからでもあの白い葉が目立つ。

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  三国岳にて