弘法大師の開いた高野山は明治5年まで女人禁制であった。高野七口に設けられた女人堂、これを繋ぎ金剛峯寺や塔頭群を取り巻くように付いた山道が女人道だ。女性は遠くから弘法大師の徳を偲んだことだろう。この稜線上に高野三山がある。楊柳山を主峰として摩尼山、転軸山を言い。これに弁天岳を加え女人道を駆け抜けた。
楊柳山(轆轤峠付近より)
例会No.2957 楊柳山・高野三山 《関西百名山シリーズNo.27》 平成21年9月27日(日)
48期 山本浩史
弘法大師の開いた高野山は明治5年まで女人禁制であった。高野七口に設けられた女人堂、これを繋ぎ金剛峯寺や塔頭群を取り巻くように付いた山道が女人道だ。女性は遠くから弘法大師の徳を偲んだことだろう。この稜線上に高野三山がある。楊柳山を主峰として摩尼山、転軸山を言い。これに弁天岳を加え女人道を駆け抜けた。
【行 程】 桂川6:43-7:34難波8:00-(南海こうや号)-9:21極楽橋9:39~10:26不動口女人堂10:32~10:52弁天岳11:11~12:09相の浦口女人堂跡付近12:35~13:29奥の院前13:33~14:21摩尼山14:27~14:57楊柳山15:04~15:45転軸山15:48~16:08奥の院前BS16:15=16:32高野山ST16:56-17:01極楽橋17:06-(南海こうや号)-18:26難波19:54-20:44桂川
【メンバー】 四方宗和L、中尾論、辻野喜信、畑中里子、堤潤、奥野淳子、植田健司、小泉賀奈子、 尾崎稔(非会員→後日入会)、TC山本浩史 会員9名 非会員1名 計10名
【登山データ】 歩行17.4㎞6時間29分 延登高 1,219m 延下降 974m 4座登頂
南海こうや号は全車指定席、難波で集合し8時の始発に乗り、河内長野で奥野さんがJoinし皆が揃った。終点の極楽橋ではほぼすべての乗客がケーブルカーへと向かったが。我々のグループだけが改札口を出た。
入会後初参加の小泉さん、体験山行の尾崎さんを交え、駅前で皆がそれぞれ自己紹介、四方リーダーの訓示とコース説明があった。さあ出発と行きたいところだが、ここで本日のミッションがいきなり始まる。「女人堂到着時刻を予想」で、距離2.7キロ、標高差320m、終始登り続ける歩き易い道という条件。皆さんに所要時間を予想してもらったところ40分から1時間40分という大きな差のある予想時間が出た。勿論パーティーでの行動なので、時間合せに走るわけには行かない。
9:39四方リーダーを先頭に歩き始めた。登山道沿いにはミカエリソウやアキチョウジなど秋の花が目を楽しませてくれる。まずは体験山行の尾崎さんにコンパスの使い方をレクチャーしながら進み、曲がり角に来る度に方向を定めた。もう着いた!と勘違いをした人もいた、立派なお堂は清不動。女人堂はまだ800m先である。やがて車道に出てくると右にはバス専用道路のゲート、左に進み車道を少し行くと不動口女人堂に達した。七口の女人堂のうちここだけ建物が残っている。
時刻は10:26、さてミッション1の結果は47分だった。10分以内の誤差の人は5人、最も近かったのは50分を予想した植田さんだった。お祝いに畑中さんのキスをと、向けると2歩も3歩も引いてしまったのは一寸失礼か?そして最も外したのは21キロの歩荷に挑戦し、子供と歩くペースで予想してしまったと弁解の某府庁職員。
暫し休憩の後は、車道を離れ女人道を辿り西へと進む。900mの登り道で弁天岳(984m)に登頂、山頂には神社があり、3等三角点も設置されている。樹木の隙間から僅かに展望があり北の方向、紀泉山脈が望める。ここではミッション3「龍門山を山座同定」をしなければいけないが、山頂から龍門山の西北西の方角は樹林で見通しが利かない。少し先に進んだところでそれらしき姿を捉え龍門山の山座同定を行った。初めての人にはベテランのメンバーが指導し、皆コンパスの先に龍門山を見つけることができた。この山も関西百名山で1月に例会実施の予定だと説明した。ミッション1の次にいきなりミッション3になった。ミッション2はと言うと「今日の歩行ルートの地図への書き込み」これは極楽橋からずっと続いている。
山頂を後にし大門口女人堂跡を過ぎ車道に飛び出すと大門(だいもん)に到る。その名のとおり高野山の総門で300年前に再建された重要文化財の立派なものだ。道路は3叉路でその横に女人道は続く。“助けの地蔵”から再び登山道となり、入り組んだ道を行くので地図上の位置を見失なってしまった。伐採地に出て漸く現在地が確認でき、振り返ると弁天岳が姿を見せてくれた。
相の浦女人堂跡を過ぎるとお腹が空いてきた。鉄塔跡の台座の残る広場で昼食を取った。今は国道トンネルで越えている轆轤峠(ろくろとうげ)の旧道に達すると、大滝口女人堂の跡だ。樹木の切れ目から目指す楊柳山が見えた。森の中に円通律寺が厳かに佇んでいたが時間がないので参拝は省略し先に進んだ。弥勒峠の大峰口女人堂跡を過ぎ車道が見えてくると奥の院前、レストハウスや観光バスの駐車場もあり一大観光基地になっている。
弘法大師御廟に到る川の左岸の道を進み摩尼山を目指す。ルートと思しき鎖のゲートのある曲がり角には「→×」、指導標に従って直進し、次の角を右に入って行った。どうやら単に遠回りを強いられたようで最初の「×」のところでも行けたのだろう。あっと言う間に摩尼峠に達したがここからの登りは一寸きつい。
摩尼山(1,004m)の山頂に展望なく祠があった。6分の休憩で先に進む。黒河峠(くろことうげ)は920m大したアップダウンもなく楊柳山(ようりゅうさん・1,009m)に達した。今回の主目的地だがここも樹林帯で展望はない。ここまで四方リーダーに引っ張られ高速歩行してきたが時刻はすでに15時、帰りの列車までの時間は2時間、極楽橋まで歩き終えるには時間的にも体力的にもきつくなった。漸く繋がったiモードで時刻をチェックし奥の院からバス・ケーブルで戻ることにした。
それでも余り余裕はなく足早に駆け抜ける。子継峠を過ぎ川沿いの道になったころでツルニンジンの花を見つけた。車道を横断して転軸山(915m)に登り返し高野三山を制覇した。やはりここも展望はなく時間が気になり3分の滞在で通過した。本来西に下る予定だったが東への短絡ルート「→×」になっているが構わず突入するが、しっかりした道で何の問題もなく僅か8分で弘法大師御廟に達した。
参拝者の姿を横目に、御廟の参道を歩き奥の院前BSに戻る。その両側は墓地。流石は高野山だ、江戸時代の大名家や大企業の大きな墓標、一段高いところには豊臣秀吉の廟まであった。16時27分バスを目指して歩いてきたが15分発の臨時バスに乗ることができ、高野山駅では余裕でお土産を買うできた。
17:06発の最終の“こうや号”に乗り難波へと向かった。車内で最後に残ったミッション2のルート書き込みをして今日歩いたルートを確認した。河内長野で下車した奥野さんと畑中さんを除いた8人で駅前居酒屋で反省会を行い解散した。
【感想】 51期 植田健司
高野山に行ったのは初めてでした。弘法大師の、そして真言宗の信仰の山というだけあって各所、各山に大きく壮麗なお寺、お墓、祠のようなものがありました。それらを見れただけでも参加した甲斐があったと思いました。
実際に歩く方では観光客も多いためか、登山道は非常に良く整備されており歩きやすく、摩尼山への最後の登りを除くとアップダウンもきつくなかったため軽快なハイキングができたと思います。龍門山を山座同定した弁天岳付近、摩尼山へと向かう途上の木々が伐採された場所などでは展望がよく利き、さすがに紀伊山地と思わせる山々が並び壮観でした。
今回の山行は、最後の転軸山が過ぎて道をショートカットしたとはいえ、長距離の歩行だったので、多少疲れは出ましたがいい練習になったと思います。そして、文化遺産なども見学することができたので、非常に嬉しかったです。貴重な体験をありがとうございました。
【感想】 52期 小泉賀奈子
入会して初めての例会参加となりました。高野山は大学時代、毎年夏合宿で訪れていた地であり、遠いながら私にとっては縁の深い場所であります。
京都から約3時間かけてようやくたどりついた極楽橋は、山深い神聖な空気につつまれていました。金剛峯寺や大門、奥の院へは幾度か足を運んだことがありましたが、今回のルートである女人道は聞いたことがある、という程度で、実際に歩くまでは「修行」のイメージが強く、三山も踏破できるか少し心配もありました。
登山日和の澄み切った青空のもと、四方リーダーのあいさつがあり、参加者10名による自己紹介を行いました。女人堂までの到着時間を予測していよいよスタートです。1時間半と読んだところ、実際は55分。植田さんがニアピン賞でした。読みが外れたと言えば参加者のみなさんの年齢。私の予想は、下山する頃には勝手な思い込みであったことを知り、反省、反省です。山を愛する人は気持ちが若いのですね、きっと。
高野山の町を囲むようにして山道を歩くこと1時間半。弁天岳を過ぎたところで山座同定。西に位置する龍門山はどこか…。四方さん、山本さんの手ほどきを受けながら、シルバーコンパスの正しい使い方を教えてもらいました。目から鱗です。
町の南側に位置する女人道では正午を告げる梵鐘を聞き、その後も快調に歩き続けて三山を目指しました。中尾さんの牛のアップリケを見ながら。みなさん気持ちがいいくらい健脚で、久しぶりに足の付け根に痛みを覚えました。お昼には奥野さんのリンゴの差し入れをいただいて元気回復です。
やっとの思いで奥の院に到着。歴史上の人物の墓や戦没者の墓、シロアリの墓なんていうのも横目に見ながら摩尼山の登山口へ。畑中さんによるストレッチ講座開講。いよいよ三山を登ります。堤さんは珍しい鳥を見つけた様子。私にはどこにいるか分かりませんでした。三山はほどよいアップダウンを繰り返して踏破することができました。転軸山に着く頃にはバスの時間もあって小走りに。久しぶりに歩いた~!と思える素敵な山行でした。当初心配していた「修行の道」というイメージは払拭され、ハイキング気分で臨むことができました。
参加された皆様、どうもありがとうございました
【リーダー所感】 6期 四方宗和
「高野三山」と云う名にひかれて例会参加を申し込んだ。「三山」はあちこちにある。立山三山、鳳凰三山、白根三山などがいい例であるが、それらの縦走となるとなんとも気持ちをそそるではないか。ところがツアコンの山本(浩)君の方よりリーダーをとの依頼が来たのでいつものように簡単に引き受けたが少々後悔するはめになった。と云うのもあまりのも事前勉強不足でもったいない思いをしたからである。無知な私は高野山が明治の初期まで「女人禁制」(これについては山本TCが詳述)であったことを知らずに「女人道」、「女人堂」などを歩いてきたのである。さらに恥の上塗りになるが・・・・。
三山は金剛峯寺等を中心とする高野山のはずれの弘法大師(空海)廟を取り囲むように座する山々で南海・高野線終点・極楽橋駅から長い女人道を歩いて昼食も済ませて、まず「摩尼山」に着く。ここで歩き始めからワイワイガヤガヤと話し合っていた畑中さんと山名の由来を考えてみて「摩尼山」はチベット仏教の用具「マニ車(マンドラが刻まれ経文が入っている筒)」から来たに違いないと・・・。三山三つ目の「転軸山」はインドの旧名・仏教の発祥の地「天竺」から来たに違いないと・・・。二つ目の「楊柳山」は適当な仏教にちなんだものが思い浮かばなかったが畑中さんによると中国において古来「柳は別れを意味する」のでこの山はなにか「女人結界(禁制)」を意味するのではないかと・・・。しかしこの解説は間違っていた!
帰宅して不勉強を補うべくネットで調べた結果は以下のようなものであった。
「摩尼山」には明確な山名由来は無いようである。大峰山を開いた役行者が摩尼山に住んでいたとか弘法大師が如意宝珠を埋めたとか伝わっているそうで「マニ車」とは無縁のようである。
「楊柳山」の頂上には衆生を済度すると云う「楊柳観音(手に柳を持ている)」が祭られておりこれが山名の由来であることは間違いない。
「転軸山」は宝剣と経軸が埋められ経軸の本紙部分は朽ち果て金銅製の「軸」だけが残り、「転」は「巓(てん・いただき)」が転じて「転」になったようである。
いずれにしろ下調べをしていたらもっともっと楽しい山歩きになったのにと反省している。
写真:ミアエリソウ(不動坂にて)
写真:弁天岳(相の浦口付近より)
写真:楊柳山山頂にて