博物館研修シリーズ」も本日で今冬3回目。一応今回の最終回
No.2992 2010年3月14日(日)
「RDBの会」第17回 博物館研修③京都大学総合博物館と吉田山
50期 奥野 淳子
【参加者】L西田和美 岩波宏 四方真知子 山本憲彦 井上純子 奥野淳子 木本美紀子 宮崎みち子(会員8名) 岩波昌美 岩波岳人 岩波美穂(非会員3名)
計11名
【天 候】晴れ
【記 録】10:00京都大学総合博物館12:00-(昼食)-13:45吉田山-14:50解散
マレーシアの熱帯雨林“ランビルの森”。再現された巨木は吹き抜けの2階の屋根を突き破ったかに見える。現地で収録された「森の音」が小さく響いている。
カキ(牡蠣)の進化についての展示。ご先祖は三角錐の殻をかつぎ、岩礁を足で動き回っていた。殻が割れて二枚貝となり泥や砂に住むようになる。多くはそのままだが、カキは足を無くし、物に固着する。動けないカキが泥に埋もれず生き延びた方法は①前世代の殻の上へリレー式に固着 ②殻を上へと伸ばし、肉体は殻の先端に ③軽い殻で泥に浮く などなど。細長~いカキの標本が並んでいる。年齢30歳を超えた大きなカキもある。進化とは進歩ではなく、環境に適応したものが生き残ったという。
昼食後、吉田山を散策する。大木にロープをかける不審な二人組を発見。木登り練習中の庭師さん達だった。垂らしたロープに腰掛け、腕で引き上げて行く。「足にも掛けろ」山屋のアドバイスに当惑しつつも、無事、上の枝へ到着。青い空に桜が一輪咲いていた。
【感想】 44期 山本憲彦
前日は、井上純子さんが初めて自らがみずからの企画でリーダーをした記念すべき日。「六甲全山縦走シリーズNO1」でした。小雨が時々ちらついたのですが、なんと今日は登山日よりの最高の天気。そして、博物館の中へ。
いよいよ「博物館研修シリーズ」も本日で今冬3回目。一応今回の最終回。最後を京大博物館にもってきたのには、西田リーダーのいかなる意図がありや?
一般的には、京都大学は国立大学で、私などは本来は京都やその近辺の若者の高度な教育をするために設立されたものと思いこんでいた。ところが今や、在学生の大半は府外の若者が集まっているそうです。その予算も潤沢な国立大学の経営する博物館ですから、当然、京大の研究の成果をこれみよがしに見せる「場」ではないでしょうか。
以前に私はここで初めて「スプリング・エフェメラル」という言葉を知りました。このような啓蒙は大学付属の様な啓蒙を意識した博物館でないとできないでしょうね。そこで初めて、春の他の花が咲く前の、一瞬間の早春の「すきま」に開花と結実をしてしまう一定の花のグループがあることを知りました。 しかもそれが他の生き物との共生を組み込んでいるのを知るとまた改めて自然の仕組みの妙を知ってしまったのです。
この大学の類人猿、特にゴリラやチンパンジーを対象とする研究は有名ですし、その成果も高く評価されています。
ここでもおもしろいものを見つけました。チンパンジーと私が暗記力を競ったのです。チンパンジーは、1から5までの数字をアトランダムに並べたものでも、最初に0.1秒くらいの表示の後も確実にその数字を順番に押さえていきます。そしてエサをもらいます。私も1-5くらいまでは間違いながらもなんとかついて行けましたが、最後に20個近い数字をバラバラに置いた数字のカードを一瞬の表示の後でひっくり返されて、その真っ白なカードを間違いなく数字の順番に押さえていくチンパンジー君に驚異をもって脱帽したのです。あまりの悔しさに、帰って少し調べました。これは人間ではかる知能指数でははかれないのだというコメントを見て、ホッとしましたが…。それにしてもなぜチンパンジーは脳の容量も人間の1/3近いにすぎないのに、なぜあのような瞬間的な確実な暗記力を持っているのだろうか?不思議です。人間ならユリゲラー並みです。
聞いた話では、樹上生活で、木の実や食糧や敵などを瞬時に判別して記憶しないと自分の生存にかかわるというのです。そうしないと、生きていけないのです。人間はそのような能力を持たなくても、生きることの根底的なリスクを負う訳ではありません。
おそれいりました。負けて当然だったのですね。(もっとトランプの神経衰弱をしておけばよかった)
また、今回は地理学の分野でも面白いことをしている学者がいることを知りました。「ツイン・タイム・トラベル イザベラ・バードの旅の世界」です。
「…イザベラ・バードは、英国「王立地理学協会最初の女性特別会員」の栄誉を得た、史上屈指の旅行家です。本写真展では、地理学者 金坂清則(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)が20年をかけて撮影した写真から選んだ100点を、バードの写真や銅版画、記述と対比することで、彼女の旅の世界をたどりながら、1世紀を隔てた風景を「持続と変化」という視点から理解する面白さを伝えます。ツイン・タイム・トラベルという新しい旅の形を、是非体感してください。…」と説明文にはあります。
「うーん、税金使うて、こんなに楽しいことやっとんのか!」とつくづく思ったのですが、この写真の展示を追っていくと、この追憶の旅は実は大変な困難をした旅であったろうと思い出した。なによりも250年ほど前の風景と同じ視点を探し求めて、そこから同じ視点で同じ風景を「変遷」と見るものに感じさせるものを撮る苦労が20年も続いたと言うことだから。うーん、これは道楽ではなく、やっぱり「研究」か?と思わせるものがある。結果は「すばらしい追考の旅を我々も共有できた!」と言うのが結論でした。
もう一つ私がすばらしいなと思ったことは、売店の商品選びです。前々回の大阪でも、滋賀の博物館でもそうでしたが、特にここの売店の商品は実は私は密かにここのファンなのです。 すべてが厳選されているのです。いうことありません。
さて、次にすばらしいのは、この大学のあるクラブが成し遂げた成果の展示です。もちろん常設展です。その名は「探検部」です。私もこのクラブのメンバーである今西博士のお顔は何回もある谷でお目にかかります。特にクリンソウで谷がピンクにそまる時には同博士の笑った顔も心なしかほほが赤く見えます。彼の文庫本などを読んだことがあります。西陣の商家に生まれて何不自由なくそだったやんちゃ坊主の彼が苦労をして京都帝国大学に入ります。それからが面白いのです。あの「皆子山」もこの人の命名です。「京都北山からヒマラヤへ」を地でいった偉大な岳人でもありました。この人の人脈はすばらしく、そのような人脈作りのうまさの上にレベルの高さを維持し続ける伝統を失わずにいることが、今も日本の有数の大学の一つとして成り立たせている理由なのでしょう。
さて、その今西博士のレリーフのある谷にある植物が京都府ではレッドデータブックのIAにランクされています。お約束通りここで「京都府レッドデータブックカテゴリ」を紹介して「感想」を終わります。
京都府のホームページには以下のような記述掲載されているので、転記させて頂きますが、われわれRDBの会のメンバーの多くは「京都府レッドデータブック」の冊子を全員が持っています。 転記部は別項を参照してください。
【感想】 50期 木本美紀子
自然史展示室の化石、昆虫・動物植物、多様な生物の研究成果が緻密に解りやすく展示されていて、見入ってしまいます。知的な空間に入り込みました。
今西錦司先生のコーナーでは、日本の山岳登山の草分けの方であり、生物の進化における“棲み分け理論”を提唱されたこと、中国大陸での調査探検の話など、聞きかじりながら知っていましたが・・・フィールドワーク資料ひとつひとつから凛とした気概が伺え、やり遂げられた業績の偉大さに圧倒されます・・ただただすごいなーです。
特別展イザベラ・バードの旅の世界写真展、テーマはツインタイム・トラベル19c~20c世界中を旅したイギリス人女性冒険旅行家の作品と、地理学者金坂清則先生の旅の時空を重ねた展示です。彼女は明治の始め来日し、日本各地・東北~北海道まで通訳と2人で旅をされ、日本の自然や暮らしを“日本奥地紀行”という本に著しました。私はまったく知らなかったので、帰宅して調べました。勇気と行動力のある素敵な女性です。私は東北地方はほとんど未知の世界なので興味津々心が動きました。
特別企画展・“いま御土居がよみがえる”も京都の歴史に思いを馳せて、京都を歩く楽しみが増えました。
昼からは吉田山散策です。以前来た時よりも、山が明るく光が入って樹木の手入れが行き届いている印象でした。2人の植木屋さんのトレーニングに出会いました。しばし皆で見学です。滑車を付けツリークライミング宙吊りで高い木に登っていきます。巨木や老木の治療や剪定のための訓練との事、裏方の支えがあってこその自然環境です。皆でがんばてー!拍手!有り難う!でした。
桜には少し早かったですが、皆さんとゆったりと散策が出来気持よい一日でした。
【感想】 48期 井上 純子
RDB博物館シリーズに皆勤で参加しました。山とは全く関係ないですが、チンパンジーの生態ビデオなどがとても興味深く、夢中になって見入ってしまいました。ただ、展示の仕方に工夫が足りない(目線よりかなり高いところにキャプションが・・・。
参加の皆さん、首が痛かったですよね!)点などが大変気になりました。一考を促したいところです。
【感想】 40期 西田 和美
草木が芽吹き、花々が咲き競う春がようやくやってきました。博物館研修も何とか無事に終了することができました。参加者の皆さんには、冬眠中、これらの施設でしっかりとお勉強された数々の知識を、今後の山行で少しでも役立てていただければ幸いに思います。
また、今回の研修を通して、みなさんには普段馴染みの少ない、私の大切な友人である“きのこ”の本当の姿を知ってもらえたことも私にとっては大きな収穫でした。