標高が増して針葉樹林帯を抜けると黄葉したブナが現れ、山は秋真っ盛り、天気予報では一日曇りだったが、外れて清々しい青空が広がりだした
(駒ヶ岳山頂にて)
3000回記念例会Aコース 与助谷山~駒ケ岳 分水嶺の山々
(48期 山本浩史)
2010.11.7 曇りのち晴れ
【参加者】 西田和美L、四方宗和、山本夏雄、安井一枝、穐月哲、穐月大介、辻野喜信、四方真知子、山本憲彦、田辺久美子、奥野淳子、鳥屋尾恵始、辻春見、岩坂弘、田辺姉(非会員)、山本浩史TC計16名
【行 程】 近江高島びわこ青少年の家8:10=8:55足谷口8:57=9:04木地山BS9:22~10:42与助谷山10:49~11:45駒ヶ岳12:21~13:03明神池13:18~13:35 P744 13:37~14:06池原山14:07~14:41足谷口14:44=15:30てんくう温泉
【登山データ】 天候:晴れ 歩行9.9㎞ 5時間19分 延登高 792m 延下降 817m 3座登頂
青少年の家出発時に5台と2台が離れてしまい、5台が先行した。下山口の足谷口BS付近に半数の車を置いておく計画が1台しか置けなかった。木地山BS前の駐車スペースは私有地で「誰に断って置いている!」と地元の小父さんに叱られ、会長が平身低頭でお詫びとお願いをして何とか置かせて頂くことができた。
この日、鳥屋尾さんは歩荷と読図ポイント取得に挑戦する。集会所裏で石を詰め20kgの荷重を確保して出発した。登りは池河内越の古道で与助谷山から南南東に伸びる尾根を行く。与助谷沿いの林道を入ってすぐ左手の斜面に登山口を示す赤テープがあり、ジグザグ道で尾根に出る。尾根に乗ると一貫した稜線歩きとなる。標高400mあたりで古びた鳥居をくぐる。指導標には「愛宕神社跡」と記されていた。80㎝四方ほどの礎石がかつて祠のあり木地山集落の人々の信仰を集めたことだろう。左手にアラカシの大木、RDBの山本憲彦さんの案内でそれと知れた。
標高が増して針葉樹林帯を抜けると黄葉したブナが現れ、山は秋真っ盛り、天気予報では一日曇りだったが、外れて清々しい青空が広がりだした。登山口から標高差450mの軽い登りで与助谷山(754m)山頂に達した。山頂はブナの原生林で小広い。樹木に遮られ展望はなく残念だ。池河内越の古道は山頂西側の鞍部で若狭側に越えていたようだが廃道となっている。痕跡はあるのだろうか。
与助谷山からは中央分水嶺、高島トレイルの江若国境尾根を行く。駒ヶ岳の前後は比較的なだらかな稜線で美しいブナ林が続く。今回は関西百名山シリーズではないが、ミッションを3つ用意した。その1「百里ヶ岳を山座同定する」で稜線の開けたところを探していると南面が開けた所に飛び出した。此処がいいと先に進んだ人達を呼び戻し百里ヶ岳を山座同定した。前知識がなくてもあれだと分る近さと存在感で、コンパスの使い方復習程度の簡単なミッションだった。木地山から焼尾谷東西の谷に挟まれた尾根を登ってくる登山道が合流すると駒ヶ岳は近い。
駒ヶ岳直前で稜線は北にぐっとせり出し縦走路から20m程入ったところに山頂がある。今日の最高点で標高は780m、一番高い岩場に 3等三角点「寺山」が置かれている。時間も丁度良くお昼の大休止を取ることにした。山頂からは東側の展望が開け武奈ヶ岳、蛇谷ヶ峰から高島トレイルの武奈ヶ嶽、三重嶽と三十三間山がぎりぎり見える。先客が1グループ、休憩中にもう1グループが到着した。
今日の読図ポイントの講習は四方会長や山本夏雄さんを始め多士済々、かつてない程の充実した指導で、鳥屋尾さん完全にマスターと自信を付け、会長直々に読図・歩荷ポイント認定を宣言された。
休憩の後はミッション2「河内越古道の痕跡確認」、これは滋賀県の木地山集落と福井県の河内集落を結んでいた古道で昭和の始め頃まで歩かれていたそうだ。今では廃道となり、その痕跡であろう点線道が2.5万図の駒ヶ岳のすぐ東の谷に河内から上がって来ている。まず此のポイントで道形らしきものを発見し岩坂さんが少し辿ってみるとすぐに怪しくなってしまったが地図の方向と一致しこれだと特定した。滋賀県側へは暫く稜線を進みピークを一つ越えたところの谷の北側の尾根から焼尾東谷へと続いている。2.5万図の地形と現地の一致を確認してこの尾根だろうと断定した。そこには「駒ヶ越」の表示がありいかにも古道くさい。
駒ヶ越の少し手前に森林公園への分岐があり直線側が森林公園へと続くので、先頭は知らずに直進してしまい最後尾で読図をしていた後尾が気づき深みに嵌る前に軌道修正ができた。
最後のミッションは「明神池の位置を特定する」、稜線にある池だが2.5万図には記載されていない。地形の変化を見ながら歩き、前方に現れた峠道のような括れを少し登り返した広い樹林帯に静かに眠っていた。落ち葉が池底に堆積し底なし沼のようになっている。境目が分りにくく奥野さんが身をもって“確認”に行った。紅葉に埋もれるように差し込む日を浴び秘境の美を醸し出していた。池畔の丘の上は大人数のグループがビニールシートを敷いて宴会中で休憩スポットとしても最適、西田Lが“歩荷”してきたアップルパイを16等分して振舞ってくれた。
(湿地に近い・明神池の紅葉)
明神池のすぐ南のピークに登るとき池に映る紅葉の木々に空の青が合わさり美しさが一入だ。池原山分岐のP744の登りに掛ると指導標があり明神谷への分岐を示している。明神谷がどこか良く分らず池原山への分岐かと思い池原山方向に入るが此れはP744ではなく更に登りが続いた。本当のピークに横谷峠方向と分ける指導標があり与助谷山以来ずっと続いて来たブナ原生林の稜線を離れ池原山の尾根に入った。
縦走中も時々滋賀県側に現れた簡易な林道(の跡?)がこの尾根に纏わり付き地図にないので登山道を惑わす。林道を歩いていると右手に池原山(605m)と思しきピークが現れ、9人は林道をそのまま進んだが物好き6人が山頂を取りに行った。展望のない山頂だが3等三角点「池原」があり、其の上に池原山と書かれた小さなプレートが置かれていた。ルートは右に曲がり二俣尾根の北側に進んで行く。昭文社の登山地図では南側の尾根にルートが記されている。両方の尾根を偵察してみると、赤テープがあり明瞭な踏み跡の付いているのは北尾根、南尾根も歩けそうだが明瞭な道はないとの結果で地図と違うが北尾根の踏み跡を辿ることにした。何れの尾根にしてもほぼ同じ所に下山できる。
林道を行った皆はどうしただろう?地形から見ると池原山の真南に派生する尾根に阻まれ足谷口とは離れた所に達するだろう。ヨウ谷か横谷のようだ。もし林道をそのまま進んでいるとすると下山口に迎えに行かなければならない。心配しながらも先行した。尾根はごく緩いカーブで左へ左へと回り車を置いた足谷口へと下山した。
先行チームの運転者はTCを含めて3人、足谷口にデポしておいた山本車で取敢えず木地山BSへ車を取りに行った。
10分後に戻って来るとなんと後のメンバーも先行チームの後を追って池原山経由で下りて来ていた。捜索に行かねばと思っていたのに流石は地図を読んで的確な判断をされたものだ。全員無事下山。後続チームの運転者を木地山に回送し車をPick up。朽木てんくう温泉に立寄る四方車、辻野車、山本車の他は此処で解散した。367号線は秋の観光シーズンで大原では渋滞の前兆があったので江文峠経由に迂回し京都へと帰った。
後日談:西田さんから貰った高島トレイルの地図には北側尾根に登山路が示されていて昭文社地図が誤って記載されていたことが分かった。《山紀行722》
【高島トレイル駒ヶ岳(感想)】
(40期 西田和美)
どこまでも続く明るいブナの森と、神秘のベールに包まれた龍神池。この池に太古の昔から棲むという龍神様の魔力にかかった名ばかりリーダーは、コースを間違えること二度三度…。そのたびに読図の山本夏雄先生や四方宗和比良山岳会会長に助けられ、6期から53期まで、総勢16名の比良山岳会会員たちは遭難の危機を回避することができたのでした。そして、幸運なことに天候にも恵まれ、3000回例会駒ヶ岳コースを何とか無事に歩き通したのでした。
それにしても、何と美しい光景だったのでしょう。この美しい場所に来年の秋、もう一度訪れることができるよう、地図読みにいっそう精進することを誓う名ばかりリーダーなのでした。