京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

[番外・岳連関連 個人山行] 比良・望武小屋撤去手伝い

小松が「シリセード」でボブスレーコースのようになっているトレースを楽しそうに降りるのを見て、女性2人もアイゼンを外して参加

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(写真:滑って降りる)

[番外・岳連関連 個人山行]

2011年1月23日(日)

比良・望武小屋撤去手伝い

52期 秋房伸一

【参加者】AT、秋房伸一、須河麻衣、(同行取材)藤松奈美

【天候】晴ときどき雪

【記録】船岡山6:30=東山三条7:00=JR山科7:20=イン谷口8:10-8:50→青ガレ手前9:50→金糞峠10:35→八雲ヶ原11:30→望武小屋12:20-13:30→金糞峠14:30→イン谷口16:15

 1934年(昭和9年)に当時の粋を集めて建築された望武小屋がその寿命を終え、管理者である京都岳連の手で解体された。地元との借地契約( 地代負担)を解消するには更地にする必要があるからだ。

 岳連といっても、そういったことをやってくれる誰かがいるわけではなく、加盟の山岳会の会員がボランティアで作業することになる。連日の協力で、雪の中、作業は順調に進み、我々が参加した時には小屋は完全に撤去され、廃材のトタン等を背負子で降ろす作業が残っている状態であった。

 前日にも参加された四方会長からイン谷口でレクチャーと見送りを受け、出発。昨日体験山行に参加した藤松さんが、今日は取材者として参加している。取材だが、しっかり旧式背負子の重たいのを担ぎ上げてもらった。

トレースがはっきり付いて踏み固められており、ツボ足で問題なく金糞峠。雪が付いている方が、ガレている無雪期よりも歩きやすいくらいだ。金糞峠を越えると雪質がサラサラになった。

 八雲ヶ原ではスノーシューやワカンを装着したが、ツボ足で十分ということで、外す。

 望武小屋では、岳連理事長と理事の方が作業をされており、当会の小松・本田両名も前日からの山行で釈迦岳にて幕営後、集結していた。作業を手伝った後、雪洞作りに励んでいた。

 トタンや不要物を背負い、帰りは全員で山を下った。金糞峠でアイゼンを装着したが、アイゼン無しの小松が「シリセード」でボブスレーコースのようになっているトレースを楽しそうに降りるのを見て、須河・藤松の女性2人もアイゼンを外して参加。苦手意識のあった下りが楽しいものになったようだ。積雪量が多いからか、青ガレも滑って降りており、無雪期では考えられないことだ。

 望武小屋撤去という歴史的事象に立ち会うと同時に、雪中ハイクを楽しめた1日となった。

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写真:取材を受ける四方会長

【感想】51期  AT

 八雲ヶ原で小松さんらと合流し巨大な雪だるまを作ろうと計画しておりましたが、小屋を解体している目と鼻の先で雪だるまを作って遊んでいてはまずいだろうということで、急遽予定を変更して参加させていただくことになりました。

 一人で望武小屋まで行くものと思っていたら、秋房さん、須河さん、藤松記者と思わず賑やかなパーティーになり、一日楽しく過ごさせていただきました。

 藤松記者は取材ということでしたが、重たい背負子をケロッとした顔で担いでいて、見かけによらず力持ちで驚きました。

 今回はカメラを忘れてガックリきましたが、カメラが無いと体が軽快で、日頃いかに無駄な物を持っているかと思い知らされました。

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(写真:帰路の金糞峠にて)

【感想】 須河麻衣

 今回、お役に立てないと思いつつも参加させていただきました。前日に購入したスパッツをまさかの置き忘れをしてしまい大丈夫かと不安でしたが、四方会長にお借りでき助かりました。本当にどうもありがとうございました。

 出発の際に背負子を担ぎまさかの重さに、皆さんについて行けるかと思いましたがなんとか到着でき良かったです。青ガレの登りがきつかったですが、それ以上に振り返って見た琵琶湖の美しさに心癒されました。

 帰りは、小松さん、本田さんと合流して楽しく下山出来ました。シリセードの謎もとけて良かったです。それにしても小松さん、藤松さんのシリセードは素晴らしかったです。一緒に登っていただいた皆様どうもありがとうございました。」

【感想】 藤松奈美

 「地に足をつけて生きろ!」。どこかの父親が息子に言っていそうな言葉だ。

前日に続く、2度目の雪山。比良山の急勾配の青ガレの道を登っているとき、地に足をつけるとはそういうことかと得心を得た気持ちだった。足裏を全部、踏み固められた雪に付けないと、すべってしまう。一歩一歩がゆっくりと、足を全部付けることの繰り返し。少しでも油断してつま先だけで歩こうとするとすぐにすべる。ごまかしや、はったりは通用しない。そんな風に私がこわごわと歩く中、前を行くT先輩は、すいすいと私にとってはありえないスピードで登っていく。わたしは先輩の足跡を探し、さらに踏み固めようと試みる。地に足をつけるのにも、経験がいる。確かに。

 スノーシューでなく、登山靴で雪山を登るのも初めて。急斜面では、足下を見るのに必死だったけれど、そのあとの長く続く平らな道がものすごく美しかった。川の上に木が倒れていて、その上に覆い被さった雪の、こんもりとしたユニークな形。

 

京滋の岳人に愛されたという望武小屋が解体されると前の日に聞き、すぐにニュースになるなと思った。秋房さんに写真撮ってきてくださいとお願いしたが「登れるよ」と言われ、須河さんも行くと知り、無謀にも同行した。四方会長に登る前、大学時代の心温まる思い出話を聞き、イブルキノコバでユニークな府山岳連盟理事長に経緯を聞き、解体され、トタンとストーブしか残っていない山小屋跡の写真を撮った。前日から山で一泊していた小松さんと本田さんが雪洞を掘っておられたのに驚き、須河さんと一緒に入らせてもらった。中は意外と温かい。

 初のアイゼンを付けての降下。昨日は下りが本当に怖くて、また滑ったら、と気が重くなっていた。僕はアイゼンつけてないから滑りますーと笑顔の小松さん。何のことだろうと思っていたら、本当に大型滑り台のように真横ですごいスピードで滑っていく。楽しそうだけど、止まれなかったら大変だからやめておこう。と思いつつ、小松さんの歓声に、須河さんとわたしはだんだん我慢ができなくなった。滑りたい。

 尻滑りで降りたときの楽しさ、わくわく。あんなに怖い思いをして登った青ガレを、須河さんとはしゃぎながら降りた。子どもに戻ったような気分。笑いすぎて、めまいがしそうでした。連れて行ってくれたみなさま、ありがとうございました。

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京都新聞の記事 2011.1.30付)

望武小屋、76年歴史に幕 大津・武奈ケ岳

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取り壊される前の望武小屋。老朽化が著しかった(写真上)。雪山を長い時間をかけて登り、解体した「望武小屋」を撤去する登山愛好家(24日、滋賀県大津市・武奈ケ岳)

 比良山系の中心にあり、京滋の登山家に愛されてきた「望武(ぼうぶ)小屋」(大津市)が昨年末に取り壊され、76年の役割を終えた。生態学者で登山家の故今西錦司さんが建設に際して助言し、常時無料で開放する部屋があり、山岳訓練や交流会の拠点として利用されてきた。老朽化で維持管理ができなくなったためだが、「岳人(がくじん)の思い出が詰まった小屋。とてもさみしい」と惜しむ声が絶えない。

 望武小屋は1934年、のちに「比良の父」とも言われる日本アルコウ会の故角倉太郎さんが中心となり、武奈ケ岳を見上げるイブルキノコバといわれる標高約1000メートルの丘に建てられた。地形を吟味し、強風や豪雪にも耐えられる場所を選んだ。今西さんの助言に従い、誰でも緊急避難できるよう無施錠の部屋を設け、食料や燃料を備えるなど、当時では画期的だった。

 京都府山岳連盟が1953年に譲り受け、ピーク時の60~70年代は、年間400人以上の利用があった。しかし、登山愛好家の高齢化やテントの高性能化などで利用が減り、老朽化で約5年前に閉鎖した。復旧のめどがたたず、取り壊しに踏み切った。登山愛好家がボランティアで、昨年末から毎週末、トタンなどを背負子(しょいこ)に積み、担ぎ降ろしている。

 1月下旬に雪山を約4時間かけて登り、担いで降りた四方宗和さん(67)=寝屋川市=は「立命館大ワンゲル部の新歓合宿で使った。新入生は小屋に入れてもらえず、テントを張った。その後も山岳会の交流会などで何度も利用し、思い出がいっぱい」と懐かしがった。

 府山岳連盟の宮永幸男理事長(62)は「多くの岳人を見守った小屋で惜しむ声も多いが、若い愛好家は知らない人も多い。長年の役割を終えたということだ」と話した。

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