京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3093 三上山・恭仁京  植生観察&歴史探訪

リーダーの山本さんが参加できなくなり、急遽私にリーダーが回って来た。元々後半の歴史探索を担当する事になっていたので植生観察のほうはいささか不勉強、かなり歴史よりの例会になった。

三上山3

大極殿跡・参加者

 

 

[No.3093]2011年3月27日(日)

三上山・恭仁京  植生観察&歴史探訪

25期 穐月 大介

【参加者】

穐月 大介(CL)、西田和美(SL)、小西春代、辻野喜信、井上純子、向昌宏、岩波宏一家(大人2名子供2名)、谷由美子(非会員)

会員7名 非会員4名 計11名

【コースタイム】天気・晴

(山菜採り、解説、観察を適宜行ったのでだいたいの時間)

JR棚倉駅9:10―神童寺(10:45)―鳶ヶ城(11:45昼食)―海住山寺(13:30)―恭仁宮(15:00)―JR加茂駅 (16:45解散)

 

【記録】

 リーダーの山本さんが参加できなくなり、急遽私にリーダーが回って来た。元々後半の歴史探索を担当する事になっていたので植生観察のほうはいささか不勉強、かなり歴史よりの例会になった。木津川市周辺は私がボランティアに通う京都府山城郷土資料館のテリトリーなので、少しはこの地域の背景を紹介できるかと思い例会を始めた。

 コースはJR棚倉駅で湧出宮にお参りし旧伊賀街道を神童寺に向う。湧出宮は縄文時代の遺物も出土するという古くからの信仰の場で、何より凄いのは今も祭祀が続いている事で有る。

 旧伊賀街道は京都からの近道で大きな道ではなく田んぼ道を行く・土筆とノカンゾウが旬でいっぱい有る、野カンゾウは摘んでかじったら甘くて美味しかった。

 神童寺は三つ葉ツツジの名所で5月初めには境内はピンクに染まるのだが今日は1~2本そっと咲いていた、ここは西吉野と呼ばれた昔大きなお寺だったそうだ。

 ここから狛山の尾根に上がる、初めは荒れた竹林が続くがそこを抜けると雑木林が増える。ちょうど木津と加茂の中程に鳶ヶ城跡がある、狛氏の城と立て看に書いてあった、頂上は平にされ、堀切、縦堀も見られる極小規模な中世の土塁の城、此のあたりにはこういった城跡がたくさんある。

明るくて広いのでここで昼食にする、さっき採ったフキノトウと持参の味噌を混ぜてフキ味噌を造りふるまった。春の香りがして美味い。

 ここから次第に三つ葉ツツジが増え三つ葉ツツジの垣根のようになるが残念ながらほとんど咲いていない。正面に三上山が見えてくる、昔は花崗岩のはげ山だったのをオランダ人技師デ・レーケが植林し今は緑の頂きになっている。昔は禿げ山だった三上山の写真と現物を見比べるとデ・レーケが日本の河川の治水のために此所で砂防提と植林の実験をしたことが良く分かる。今日は時間が無くなり行かないことにした。

 巨大な椎の林が表れ次に竹藪が見えるともう海住山寺だ、此所も昔は八つの尾根に僧坊が建ち並んでいたと言われる、今は規模を縮小したと言えどもまだ生きた寺院として信仰を集める。

ここからは瓶の原(加茂)の恭仁京右京、宮殿跡が一望できるので、恭仁京の歴史と聖武天皇のことを想像してもらった。

此所には国宝の小さな五重塔が有るが、もう一つ巨大なカゴノキとこれまた巨大な楊梅(やまもも)の大木があった。

海住山寺から山を下り加茂の村に入る、例幣の地名の由来、なにげな細い溝が実は大井手用水という此の村が大切に守っている灌漑用水路であること、を紹介、いよいよ恭仁宮に入る。

聖武天皇の御所、当時の都なのだが恭仁小学校の裏に大極殿の基壇が残るのみ、遺跡地図を見ながらかつて此所に平城京大極殿が移築されてそびえ、内裏、朝堂院、朝集殿院、朱雀門などが立ち並んでいたことを想像してもらうほか無い。日が傾くとまだ川風寒い川縁をかつての都を忍びながら加茂の駅に急いだ。

皆さんつたない解説に付き合って下さり有難うございます、私も色々発見がありました。

 

【感想】 40期 西田和美

観察できた主な春の植物

①てんぷらにして食べたら美味しそうな植物

ツクシ、フキノトウヨモギヤブカンゾウノカンゾウ、ノビル、ホトケノザ、セリ、オランダガラシ、アザミ、ハコベタンポポ、スミレ、ナズナ、タケノコ

②食べられないけど、きのこ

ヌルデタケ、ハチノスタケ その他不明の硬質菌

③花を付けた樹木

ミツバツツジアセビ、サクラの仲間、シキミ、キブシ、マンサク、ヤブツバキ

 

例会の題名でもあった三上山は時間の都合上、割愛させていただきましたが、神童寺、海住山寺恭仁京跡と歴史講和に耳を傾けながら、のんびり歩いた一日でした。

何と言っても、穐月リーダーお手製の即席ふき味噌の美味しかったこと!この次も大いに期待しておりますのでよろしく。

 

【感想】  36期 辻野喜信

 里山歩きと穐月さんの「歴史探訪」を楽しみに、久しぶりのRDB例会参加でした。

三角点318.3m付近は中世の山城「鳶ヶ城」跡で竪堀、武者隠し、土橋などを教えてもらいました。ここは伊賀街道の神童寺と和束を結ぶ戦略拠点だったとのことです。

地図に載っている桜峠からの道は数年前から廃道になっているとのことで、気をつけて稜線を歩いていましたが、やはり道は分かりませんでした。

海住山寺では五重塔の構造の勉強。心柱が地面に固定されていない事や分骨の話が興味深かったです。

地図をあらためてみると、山すその川は等高線に沿って流れています。鎌倉中期に海住山寺の僧・覚真が村人と共に瓶原郷の農業用水不足を救うため掘った大井手用水です。和束川から6755m、勾配1250分の1で水を引いています。高低差わずか5.4m。すごい工事です(後で調べたら夜に提灯を並べて流路を決めたとか)。

その後、恭仁京の変遷の歴史を習い、充実した一日を過ごしました。

 

【感想】 岩波岳人(34期 岩波宏 長男)

昨日山に行きました。電車の中でどきどきしていました。はじめにみんなに挨拶しました。歩いていっぱいきたら山の中に入りました。山に入って行くと険しくなってきました。でもそれを乗り越えていきました。

山の中を抜けるとお寺に行きました。次にお寺参りをしました。お金を入れて鐘を鳴らしました。また山の中に入りました。道を細くなってきました。これのことを「土橋」といいます。かんばんに書いてありました。

三上山という山を行かないでいきました。

城跡をみました。そこで、昼にしました。三角点の石がありました。それは4個ぐらいありました。デ・レーケ堰きを見に行きました。けれどなんにもなかったです。

 

【感想】  48期 井上 純子

 普段の山行は下山時刻を気にしながら先に進むことが多いのですが、時に立ち止まりつつ、歴史ロマンに浸ることができたのは里山例会だからできたことだなあと思いました。そして、穐月リーダーの歴史講話があってこそ成立するものでした。ただただ聞くだけでしたが、楽しい1日をありがとうございました。

 

【感想】  52期 向 昌宏

今回のルート、半分は昨年の忍術武術マラソンという変わった大会で走ったコースでした。その時は素通りでしたが穐月さんに説明してもらっていろいろ見所があったのだと勉強になりました。今年も走るつもりなのでおさらいしてきます。

植生では放置竹林が目立ちました。整備竹林とのギャップが激しすぎてこの先どうするんだろうと言葉がなくなりそうでした。

人工林もそうですがひとが入れたものは最後まで面倒をみないといけないですね。

ご一緒いただいた皆さまありがとうございました。

 

三上山1

未登の三上山

 

 

三上山4

ミホちゃんと岩波さんの絵