京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3107「金剛童子山の植生観察」―丹後半島の自然を訪ねる― RDBの会 第28回

 RDBの会、春の植生観察は4月の由良ヶ岳に続いて、京都府北部の山々の植生観察を継続します。今回は早春の金剛童子山に登ります。日本海側の自然が豊富な地域ですが、なかなかこちらからは近づきがたい山域です。が、今年は挑戦します。

RDBの会の例会は、京都府下の植生を観察しています。今回の金剛童子山例会は一昨年の上世屋地域の植生観察に続くものです。

金剛童子21

 

 

[No.3107]「金剛童子山の植生観察」―丹後半島の自然を訪ねる― RDBの会 第28回

 

 RDBの会、春の植生観察は4月の由良ヶ岳に続いて、京都府北部の山々の植生観察を継続します。今回は早春の金剛童子山に登ります。日本海側の自然が豊富な地域ですが、なかなかこちらからは近づきがたい山域です。が、今年は挑戦します。

RDBの会の例会は、京都府下の植生を観察しています。今回の金剛童子山例会は一昨年の上世屋地域の植生観察に続くものです。

 

【日時】 平成23年5月8日(日)

【L】   CL山本憲彦 SL西田和美  

【山域】 金剛童子

【行  程】

6:30京都駅八条口=(レンタカー)=9:15細川ガラシャ幽閉記念碑のある広場~(付近散策)~9:45登山口~10:06丸太の橋~11:00金剛童子山~(休憩30分)~11:48西側の展望地~13:56七堂伽藍跡~14:31ふるさと味土野之跡の碑~14:37細川ガラシャ幽閉記念碑のある広場=(レンタカー)~17:15京都

【参加者】

CL 山本 憲彦 SL 西田 和美 25期 穐月 大輔 48期 井上 純子  鈴木 かおり(体験山行)

(以上5名)

 

48期 井上 純子

【記  録】

 京都駅八条口で集合した後、レンタカーで京丹後市弥栄町へと向かいました。京都縦貫道はすいていて、快適でしたが、味土野集落近くになると、カーブの多い狭い林道が続いていました。駐車場に最適な広場に到着しましたが、その日、ガラシャ祭りが開催されるらしく、地元の人に確認のうえ、車道脇に駐車して付近散策をしました。

地形図によれば、標高370メートルの広場には細川ガラシャ夫人が幽閉された女城(めじろ)跡があったということで石碑が建っていました。マイクロバスもいつの間にやら到着して、団体様ご一行が石碑の前で写真を撮ったりして、観光地そのものでした。天候はぼんやり霞がかかったようで、先月末の由良ガ岳例会の再来かと思わせるような怪しい天気に不安を感じつつ、歩き始めました。

広場に出るまでの車道を少し戻って、登山道入り口の標識に従い、山道へ。はじめは沢沿いの道で、西田さんによれば、「沢に橋が架かってないのでは」とのことでしたが、最近整備されたのか、綺麗な丸太の小橋が架かっていて、難なくクリアすることができました。途中に猪のおりを発見し、あっちにイカリソウ、こっちにヤマルリソウ、そっちにエンレイソウがあるよと教えてもらいながら、歩いていたら、それほど苦もなく(勾配も緩やか)、お堂のある金剛童子山に到着。お堂の中を覗いてみると、木像が安置されていました。ここは窪地になっているようで、三等三角点のある山頂で昼食休憩をとることにしました。30分休憩の後、西側の展望地から新緑燃える金剛童子山を眺めることができました。 

さらに降りていくと、途中で2方向への分岐(作業道方面と高原、等楽寺方面)の看板があり、右手にある高原、等楽寺方面の道をとりました。この道が結局、間違いだった(というか、行こうとしていた道は廃道になっていたようだった)ことがわかり、1時間10分のロスタイムを経た後、作業道を伝って、林道に出ました。集落の歴史を伝える碑(七堂伽藍跡や阿弥陀堂跡など)を幾つか見送ると、朝、車を停めた広場脇に無事到着しました。

 

 

   体験山行  鈴木かおり

今回は山行に体験参加させていただきました。

ありがとうございました。

 

5/8朝 京都駅に集合。

事前に詳しく連絡をいただいていたので、すぐにメンバーの方々と会えました。

久々の丹後半島ですが、道路が整備され、「あっ!」という間に着いてしまいます。雉子撃ち?のおじいさんとかを見ながら、細い道を登山口の集落へ。

登山口は霧が出ていて、また、その日はガラシャ祭りーなかなかミステリアスな朝です。

登山道の草花、樹など教えてもらいながら歩いているうちに山頂に着きます。

山桜が好きなので、山桜とも出会えて嬉しかったです。

山頂でお昼の後、下山始めてすぐに日本海まで見える、見晴らしのよい場所に。

結局、雨にも合わず。

登山口の集落に降りると、集落の歴史が刻まれた石碑などなど。

皆さん、草花や樹、歴史に詳しくて、ひと味もふた味もおもしろい山行でした。

車の運転や、いろんなお話していただき、ありがとうございました。

また、写真も送っていただき、ありがとうございます。

 

 

40期 西田和美 感想

 

 外界のけがれから護られているかのように深い霧に包まれ、その集落はありました。味土野…不思議なひびき…。細川ガラシャ夫人幽閉の地とのこと。例会当日はガラシャ碑の前でミサが行われていました。

 架けかえられた真新しい橋を渡ると、新録の森は豊かな自然の恵みに溢れていました。登山道脇の落ち葉の上に、いくつかのツチグリがその役目を終え、転がっているのを見つけました。土の中から生まれた小さな星たち。新しい星の命が、優しいガラシャ夫人の子守歌を聴きながら、地球の中で育っているのかと思うと、とっても嬉しくなりました。

 

 

感想 25期 穐月大介

 

金剛童子山は09年に行った同じ丹後の上世屋高原に植生が似ており、驚くほど山菜が豊富だった。地元の人にとっても貴重な食材であり収入源でもあるようであまり大ぴらな採取ははばかられるのでワラビを少し取って帰った。知らなかったのだがワラビには出血性の毒性がありやはりアク抜きは必要らしい。

帰って「武士の一分」に出てくるワラビのタタキを作ってみた。

 

味土野に大きな石碑があり以下のような碑文が書いてあった、

「ふるさと味土野之跡

 古代から山岳間道の要処で中世に七堂伽藍を完備した真言宗の山寺があり近世の始め宗門の□□(削り取られている)為廃寺となり住民は改宗して曹洞宗洞養寺の檀徒となつた。山寺の御本尊は洞養寺に安置され奥の院の金剛童子と鎮守の座王権現は集落の守護神として継承し阿弥陀堂跡附近には真言時代の名残を留めている。女城は細川忠興夫人の隠棲地であり男城は地頭支配時代の城塞跡に忠興夫人の家来が駐在した所である。

 端郷小杉は慶安元年に拓け昭和三十八年に廃村となつた 天明の飢饉に味土野小杉合せて六十余人死亡している 又日華事変から太平洋戰爭の戰死者も多く其内未帰還遺骨多数外地外洋に眠る。六十余戸あつた戸数は明治の後半から減少し昭和三十八年の豪雪後離村者急増遂に集落機能喪失荒廃は続き尚変遷急速な時勢なり古代から住民の相互扶助と悲嘆、歓喜、共に労苦の滲む墳墓の地であり出身者の終生忘却出来ない処である。

碑文 木下英司

書 木下弘一

昭和五十九年五月吉日」

此の後碑の建立の企画立案者として八人の名が上がっている

 

少しネットで検索してみたら

坂口慶治先生(京都教育大学)の論文「近畿内帯山地における廃村現象とその自然的条件についての分布論的考察」というのに中でも丹後山地における廃村発生率は22.2%(162集落中36集落)で,旧脇ヶ畑村のある鈴鹿山地とともにとても高くなっているということだ

別のHPでは

『味土野誌』より:主な生業は田(ほとんど小作農)・養蚕(多くの家で行っていた)・焼畑(そば・小豆など)小豆は戦後米に次ぐ換物商品。塩・醤油・魚・菓子などを手に入れていた、炭焼きは少数だったが、養蚕が盛んになってからは蚕室の煖房に多量の木炭が必要になり、炭焼きを行う家が増えた。

 また『味土野誌』に掲載されている新聞記事によると、冬になると積雪で集落は孤立し、記事が書かれた昭和61年当時でも除雪車が入らず、自動車が通れるようになるのは3月になってから。麓からかんじきを履いた郵便配達員が登ってきてくれていたという。

そのブログによると明治5年頃の戸数は44戸、現在の味土野の住民数は7人とのこと。

又、山中には七堂伽藍跡、味土野古寺跡、等の新しい石碑も散見され此も少しネットで調べてみたが古代寺院跡のことは何も分からなかった。

機会が有れば丹後資料館関係者に聞いてみたいと思う。

 

 

「感想」 44期 山本憲彦

 前回と言っても一昨年になるのだろうか、本会で例会として初めて訪れたはずの上世屋と高山。丹後半島にわずかに残るブナ林を中心とする森を巡って、その植生を調べました。

 そのときの印象は、私がまだ子供の頃のままに残されたレベルの植生を見ることが出来たという印象が強く残りました。にもかかわらず、あの湿原は消えようとしていたのです。

 それから2年が経ちました。また久しぶりの丹後半島です。今回は前に高山から真っ正面に見た、あの金剛童子山に登るのです。

 結果、すばらしい山でした。植生も以前のあの内山ブナ林に劣らず、豊富でした。このようなすばらしい山はあまり人を入れずに残して欲しい。

 下山途中に、土地の人に会ったのですが、今、改めてガラシャ夫人とともに村おこしをしているとのこと。そうなると、またここにもたくさんの人がマイカーと共に入り込むことでしょう。

 荒れるであろう前に私達はその山塊の中心部に入ることができました。

特筆すべき植生は多々ありましたが、特に、カタクリ、ズミ、イカリソウ、ヒゴスミレ、ユリワサビ、…など数え切れないほどの野草が判別できました。

 いずれにしてもすばらしい山でした。毎年でも入りたくなる山です。歴史的な背景は、穐月さんが書いてくれていると思います。穐月さん、記録や説明ありがとうございました。

 みなさん、お疲れ様でした。体験山行で参加された鈴木さんには、今回の行程はもの足りなかったかもしれませんが、京都比良山岳会には、このような例会もあることを知って頂ければ幸いです。

 RDBの会の例会は6月19日もあります。7-8月は休んで、9月には再開します。

 

  

金剛童子山1