2011年7月15日(金)夜~18日(月)
気持ちがよいためか、酒井さんが「ああ~南アルプス来てほんとうに良かった」と満足そうに言ったが、まだ歩き出して15分やそこらなのにあまりにも早い感想である。
[個人山行] 白峰三山縦走
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酒井 敏行
計二名
【行程】
07/15 京都20:00→奈良田27:00(幕)
07/16 奈良田P06:36→登山口08:58→白根御池小屋08:58→二俣と合流13:18→北岳肩ノ小屋14:10→北岳山頂15:32→北岳山荘(幕)16:35
07/17 北岳山荘05:00→中白根山05:39→農鳥小屋08:03→西農鳥岳09:21→農鳥岳10:18→大門沢への分岐10:53→大門沢小屋13:10(幕)
07/18 大門沢小屋05:00→第一吊り橋06:43→奈良田P08:05→帰京
【記録感想】51期 T
海の日三連休は北アルプスで沢登りでもやろうと考えていたところ、前週に足を怪我してしまったことから沢登りに行けなくなってしまった。
とはいえせっかくの早い梅雨明けであり、とてもじっとしていられない。縦走ならいけるだろうということで、縦走することにした。
久しぶりにアルプス縦走をしたいと思ったので、一緒に行こうと言っていた酒井さんと、メールで代わりの行き先について優柔不断なやりとりしていたら、無計画のまま出発前日になってしまった。
仕方がないので、アルファ米など買い出しついでに、ロッジで落ち合い相談しようということになった。
その間、行き先について自分の中ではだいぶ固まってきて、南アルプスか中央アルプスを縦走しようと勝手に思っていたが、酒井さんが以前に中央アルプスへは一座(木曽駒ヶ岳)登ったことがあるとのことなので、では南アルプスの白峰三山にしましょうか、と相談していると、ロッジにいた織田さんが「日本アルプス総図」のルート図片手に(南アルプスの地図は売り切れていた)、オススメのルートから温泉までこまごまとアドバイスをくださったので、我々はまるまるそのプランに乗っかることにした。
〔15日(金)〕
翌日金曜日の晩、8時頃に京都を出発。
夜中2時頃、奈良田の駐車場手前のゲートに到着。(途中道路工事により夜間はゲートでふさがれていた)
久しぶりのアルプス縦走にワクワクしてしまって、なかなか寝付けない。
一方酒井さんは、それほど楽しみという様子もなく淡々とした様子である。自分は酒を飲まないと寝付けないのだと言ってコンビニで買ってきた缶ビールを飲んだかと思ったら、飲み終えてしまうと今度はあっというまに眠りについてしまったようであった。
〔16日(土)晴れ〕
朝五時頃起床。けっきょくほとんど眠れず。
アクセスの良い北アルプスに比べ、行くだけで時間のかかる南アルプスには今まで中々行く機会が無く、登った山といえば以前に四方会長について、甲斐駒・仙丈ヶ岳の二座に登ったきりである。
織田さんによると、白峰三山は農鳥岳からではなく、北岳側から南進して行くのが良い(登山者の多くがそうであるように)とのことであったが、その理由を尋ねると「そのほうが後が楽だから」とのことであった。
そこで、翌朝バスに乗って奈良田から移動、広河原から北岳を目指す。
登山道に入るとしばらく樹林帯を登ってゆくが、標高も高く気候が良いためなのか非常にさわやかである。
また、ときおり東側から良い風も吹いてきて実に気持ちがよい。
気持ちがよいためか、酒井さんが「ああ~南アルプス来てほんとうに良かった」と満足そうに言ったが、まだ歩き出して15分やそこらなのにあまりにも早い感想である。
酒井さんはその週、五日連続で飲み会があったらしく、その週末にはこうして南アルプスにいるのであるから、この人も随分面白可笑しく生きている人である。
途中、登山道は二手に分かれ、多くの登山者が楽な谷筋の登山道から登るなか、我々はあえて尾根筋の道から登って行く。
それというのも、織田さんが尾根筋の「草すべり」から登ったほうが良い、というアドバイスを下さったからなのだが、その理由を問うと「そのほうが登った感があるから」とのことであった。
しばらく歩くと樹林帯が開けて、白根御池小屋が見えたので少し休憩。
そこからすぐの草すべりを登っていく。
草すべりの登りは日光を遮るものがなく、暑い。
登りつつ振り返ると白根御池が眼下に見え、その向こうには広河原を挟んで鳳凰三山が見えている。
草すべりを登ると先がまた樹林帯になっていて、南のほうを見ると北岳バットレスらしきものが見えた。
こんなとこ登んのか、こわそうやなー。今は崩落していて危険だとか。
樹林帯を休み休み登ると、とつぜんひょっこりと森林限界点に抜け、お花畑に出る。
植物にはとんと疎くて種類も解らないが、感性の鈍い僕でもこうして花が群生してお花畑になっているとさすがに「綺麗だなあ」と思う。
ここで二俣との合流になっていて、あたりは急に登山者が増えて登山道が軽く渋滞していた。
渋滞についてゆっくり登っていくとついに稜線に出て、北のほうと東のほうは雲がかかって展望が無かったが、北西には仙丈ヶ岳が大きく見える。
北岳肩の小屋まで登って一休みしていると、北のほうも雲が晴れてきて、甲斐駒ヶ岳がよく見えた。
甲斐駒ヶ岳は頭が禿げているのでとても解りやすい。はじめ仙丈ヶ岳が思ったよりもずっと近くに大きく見えていたので、それを仙丈ヶ岳と思わず、地図で近いところの無名峰ばかりと見比べ同定していた。
それで「あんな見事な山が無名峰なのか」と思っていたが、雲が晴れて甲斐駒ヶ岳が見えたため、その位置関係からようやくそれが仙丈ヶ岳であると気がついた。
その先の縦走路からも、仙丈ヶ岳は長くその姿を見ることが出来た。
肩の小屋で泊まっても良さそうなものだったが、織田さんの「肩の小屋で泊まったら翌日がしんどかったから、北岳山荘まで行ったほうがええよ」のアドバイスに従い、北岳山荘を目指す。
肩の小屋から山頂直下を登っていると、標高の高さから息があがりがちになってきたが、酒井さんはまったく平気そうである。
酒井さんは今までまともに高山病にかかったことが無いそうで、高山に強い体質のようである。
僕はというと、寝不足で高山に登ると必ずと言っていいほど高山病になってしまうので、とてもうらやましい体質だ。
案の定、北岳山頂までは良かったものの、北岳山荘のテント場に到着する頃になると、急に頭痛がしてきて、高山病にかかってしまった。
テントを張ったあと少し横になって休み、夕ご飯を食べてようやく元気になる。
その後、仙丈ヶ岳のほうに沈んでゆく夕陽を眺めていると酒井さんが
「こんなにゆっくりした気持ちになるのは久しぶりだ。」と言った。
〔17日(日)晴れ〕
翌日、五時ころ出発。
今日も天気は快晴である。
昨日の高山病は一晩寝て完全に順応し、体調は絶好調。
僕は高山病にかかりやすいが、いつも一晩寝ると体が順応してくれて、翌日は絶好調になるのが常である。(他の人もそうなのだろうか)
モルゲンロートのウキウキするような美しい稜線を、中白根山めざして歩く。
縦走路の東側には終始、富士山が大きく見えていて実に見事な眺めなので、少し歩いては撮りと、何枚も富士山を写した同じような写真を撮ってしまった。
すると酒井さんが不意に富士山のあたりを指して「あそこに見えている顕著な形をしたピークは何という山でしょう?」
と言ったが、そのあたりを見ていても、どうも富士山しか見当たらないようなので、失礼かと思い少し躊躇したが、もしかしてと思い
「それってまさか富士山のことですか?」と控え目に尋ねると
「ああー、あれは富士山ですか!」と納得顔。
富士山を見間違うとは酒井さん、あなたそれでも日本人ですか。
確かに顕著といえば、これ以上顕著なピークは他に無いのではないか。
中白根山から高度を下げて、鞍部にある農鳥小屋へ。
ところで農鳥小屋といえば、小屋の主人がなかなか有名らしく、酒井さんが「農鳥小屋」と検索すると「農鳥小屋のおやじ」について、たくさんの評判が書き連ねられていたらしい。
その評判だが、少し検索すれば山ほど出てくるのであえてここで書いたりはしないが、ともかくあまり良い評判ではないものらしい。
そこで、近づいてくる農鳥小屋を眼下に「そんな名物おやじなら、ぜひお目にかかりたいものですね。」と酒井さんに言うと、酒井さんが「Tさん、何かおやじの気に障りそうなことをやってみて下さいよ。」などと二人して楽しみにしていたが、小屋に着いてみると残念ながらおやじに出会うことは出来なかった。(小屋の中に、大声で無線で会話しているそれらしい人はいたが)
しかし、小屋に貼ってある張り紙を見てみると
「ゴミは必ず持って帰って下さい。どうしてもゴミを持って帰れないという軟弱な方は、小屋の主人にご相談ください。」
という中々味のある内容が書いてあり、いかにも一家言ありそうな雰囲気である。
「ゴミは必ず持って帰って下さい。」までは良いとして「どうしてもゴミを持って帰れないという軟弱な方は、小屋の主人にご相談ください。」という部分に、いやにトゲがある。
いったい誰が、「軟弱な方」呼ばわりされた上「わたしどうしてもゴミを持って帰れないんですが。」などと相談しにいくというのだろうか。
どうしてもゴミを持って帰れない相談をしに行ったら、はたして小屋のおやじにどのようなアドバイスをもらえるのか興味津々ではあったが、残念ながら今日は大門沢小屋まで下って宿泊予定なので、農鳥小屋をあとにして西農鳥岳へ向かう。
白峰三山は北岳、間ノ岳、農鳥岳の三つの山を指して「三山」と呼ばれているが、その三つの山の間には「中白根山」と「西農鳥岳」という山が二つあって、その二つの山は「三山」と比べても全く劣るところのない素晴らしいピークだった。
西農鳥岳などは「西」と頭に付くぶん、なんだか農鳥岳の弟分のような印象を受ける名前だが、実は農鳥岳より25mほど高く、尖った北岳の山容とは対照的な嫋やかで美しい山頂だったので、こちらが「農鳥岳」であちらを「東農鳥岳」とでもしておけば良かったのでは?と思ってしまうほどである。(弟が兄より背が高いというのはよくあることだけれども。)
西農鳥から農鳥岳はすぐそこのところにあって、
農鳥岳山頂でゆっくりと休憩したあと、記念撮影をしていよいよ下山にかかった。
ついにこの美しい3000メートルの稜線ともお別れかと思うと、なんとも名残惜しい気持ちになったが、その後大門沢への下降路まで、稜線歩きは案外距離があった。
黄色く目立つ標識のところから大門沢小屋へ、一気に1500m近く高度を下げるが、急斜面なのでごく短時間で大門沢小屋に到着できた。すぐにテントを設営してビールで乾杯。
ずいぶん歩いたので、怪我している脚がとても痛くなっていて、辛い。
大門沢小屋でテントの受付をしようとすると、座っていた小屋の主人と思われる人が、何故か僕を見てフンと鼻で笑い「またテントか?今日はテントばっかだな」といってえらい不機嫌そうな態度であったので、一発で僕の大門沢小屋に対する心証は悪くなった。
横にいるバイトの女の子も心なしか憂鬱そうな顔をして働いている。
そこで、これは農鳥小屋同様、大門沢小屋の主人(主人と決まったわけではないがあの態度で主人でなければ誰が主人であろうか)も評判が悪いのでは?と思い、家に帰ってからネットで「大門沢小屋 おやじ」で検索してみると、きっと農鳥小屋おやじのインパクトはこんなものでは無いのであろう、話題は全て農鳥おやじの事で一杯であり、大門沢小屋の話題といえば「床板をくりぬいただけのワイルドな便所」に関することくらいであった。(その便所に関しても、同じ構造でなおかつ3000mの風がお尻に吹き上げてくるらしい農鳥小屋便所の方が、ワイルドさでより上を行っているようである。)
ともかくいずれの小屋にしても、そこに小屋が建っているだけでありがたいというものであって、感謝こそすれ非難するような気持ちはさらさらないことは付け加えておく。(とはいえ何もわざわざ愛想悪くすることは無いだろうとは思う。)
大門沢小屋についたのはまだお昼過ぎで、テントを設営するとすぐに手持ちぶさたになってしまい、酒井さんに貰ったチキンラーメンを作って食べたり、酒飲んだり昼寝したりでゆったりと過ごした。
酒井さんは昼寝したままずいぶん熟睡して、3~4時間は眠ってしまったので、その夜はあまり眠れなくなるのでは?と思ったが、その後就寝時間になると、僕を置いてすぐ眠りにつき、述べ14時間くらいは熟睡されていたようであった。普段よっぽどお忙しいのだろう。お疲れ様です。
[18日(月)晴れ(のち雨)〕
朝4時頃に出発。
本日は、残り3時間の行程を下山するだけである。
しかし脚の怪我がはげしく痛くなってきて、歩みはだいぶ遅くなった。(酒井さんにはご迷惑をかけました。)
途中沢の冷たくて綺麗な水を飲んだりしながら下山。
最後は大きな吊り橋が3つかかっていて、そこを過ぎるとしばらく林道を歩き、ようやく駐車場に到着した。
それから織田さんオススメの温泉に入りに行くと、温泉旅館の入り口に立っていた人なつっこい雰囲気のご主人が快く温泉まで案内して下さった。
奥に案内された旅館の旧館はかなり古く味のある雰囲気で、熊や鹿のリアルな剥製などの素敵なインテリアに心癒されていると、旅館のご主人が「うちは創業1300年の歴史があって、あそこに見える部屋には、昔ウエストンさんが宿泊したこともあるんですよ」と教えて下さった。
風呂場の前までくると、ご主人から「この風呂は混浴ですから」と突然衝撃の事実を知らされる。
「まだ心の準備が」と思ったが、風呂に入ってみると、おばあちゃんとおじいちゃんの他、おじさん2人が入っているのみであった。
湯は心地よいがだいぶヌルかったので、熱々で「ふうー」という溜息が出るような温度を期待していた我々にすると、少し期待はずれであった。ともかく風呂というのはサッパリしてありがたいものである。
旅館のご主人が、「山ではどこに泊まったのです?」と聞いてこられたので北岳山荘と大門沢小屋に泊まったと言うと「大門沢は人多かったですか」と聞いてこられたので「まあ、多かったようですよ。」と答えた。
すると今度は「じゃあ農鳥小屋はどうでした?多かったですか」と聞いてこられたので「いや少なかったですね。我々が通過したときは時間も早かったせいかもですが」と答えると「やっぱりそうか。農鳥小屋は評判悪いからねー」と言うので「農鳥小屋の主人は、やはり評判が良くないのですか」と尋ねると「ずいぶん気まぐれな人だから」とのことであった。
なんでも農鳥小屋に二泊するつもりで行ったものの、水をやらんと言われ怒って一泊で帰ってきて、この温泉旅館に来たお客さんなどもいたそうだ。(旅館のご主人はまた、訪れた客から農鳥小屋の噂を聞くことを小さな楽しみとしている様子でもあった。)
農鳥小屋のオヤジについては、山行中に酒井さんとさんざん勝手な噂話をしていたが、帰りの車中で酒井さんが「いや、農鳥オヤジは実は悪い人では無いんですよ。」と、ついには会ったこともない人の弁護まで始めてしまい、我々の農鳥オヤジへの妄想は膨らむばかりであった。
その日、九州から台風が接近しており、我々の車が名古屋にさしかかった頃、急に激しい雨が降り出した。
雨は京都に帰ってからもずっと止むことが無かった。
【感想】53期 酒井敏行
3日間とも好天に恵まれ、素晴らしい縦走山行となりました。入会以来、ステップアップを目指して自分の実力よりちょっと上のレベルの(=ちょっと 怖い≒かなりマニアックな?)山行に意識的に参加してきたこともあり、のんびり夏山の縦走を楽しむのは久しぶりの感じで、樹林帯の気持ちのいい道 を歩き始めると6日連続飲み会のただれた日常のストレスも一気に忘れ、最高のリフレッシュができました。稜線に出る直前の白い岩肌と群青の空、日 本で二番目に高いピークの開放感、そして農鳥まで延々と続く3000mの雄大な稜線、いま思い出してもとてもいい感じです。
二日目以降、Tさんの足の怪我が悪化したようで、足を引きずって歩く姿は痛々しいほどでしたが、それでも稜線からの急な長い下降(標高差 1500m下る)を「こういう道は得意なんですよ」と言いながら下るTさんの早いこと。万全な状態のTさんだったら、私など軽く置いてい かれていたことでしょう。二日目の朝、目の前の雄大な富士山のモルゲンロートが想像以上に近く大きくて、南アルプスにこんな顕著なピークあったっ けと思い、Tさんには散々馬鹿にされて悔しい思いをしました(笑)。富士山を同定できないとは、もう読図とか以前の問題で、一から出直してき ます。
初日の奈良田Pではトイレに行っているあいだにバスが行ってしまうという大失態を演じ、「ああこれはもう切腹もんやな」と落ち込む僕をいっさい責 めず、なぐさめてくれたTさんの優しさに感動しました(内心では「切腹せよ」と思われていたかもしれませんが)。また、Tさんが登山道に 落ちているゴミを小まめに拾われていたのが印象的で、僕も見習わなければと思いました。
北岳、中白根、間ノ岳、西農鳥、農鳥と、それぞれのピークも趣深く、西農鳥で出会った雷鳥の親子も微笑ましかったです。この夏、どれだけ行けるか わかりませんが、北へ南へアルプスの山行を楽しみたいものです。次にこの山域を訪れる機会があれば、ぜひ農鳥小屋に泊まり、酒を酌み交わしましょう。また行きまし