京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉焼岳から西穂高山荘

9月の連休、酒井さん向さんと共に北アルプスを縦走しようということになった。

上高地の横っちょにある焼岳から北進して、槍ヶ岳まで行くというちょっとした長旅の計画であった。

残念ながら、結果的には台風の影響で悪天候になり焼岳しか登れなかったが、焼岳までは好天に恵まれて有意義な山行になった。

YAKIDAKE1.jpg

 

 

[個人山行] 焼岳から西穂高山荘

 

【参加者】

AT、向  昌宏、酒井 敏行  計3名

 

【日時】 2011年9月15日(木)夜~9月17日(土)

【行程】

(15日夜)20:30京都=(マイカー)⇒新穂高温泉駐車場

(16日快晴)6:00新穂高温泉駐車場⇒6:35焼岳登山口⇒8:40秀細神社⇒9:20中尾峠(荷物デポ)⇒10:10焼岳山頂⇒10:50中尾峠⇒11:00焼岳小屋⇒14:10西穂高山荘

(11日雨)7:00西穂高山荘⇒8:30ロープウェイ始発⇒新穂高温泉下山

 

【記録と感想】51期 AT

9月の連休、酒井さん向さんと共に北アルプスを縦走しようということになった。

上高地の横っちょにある焼岳から北進して、槍ヶ岳まで行くというちょっとした長旅の計画であった。

残念ながら、結果的には台風の影響で悪天候になり焼岳しか登れなかったが、焼岳までは好天に恵まれて有意義な山行になった。

 

9/15(木)夜

夜、自宅まで酒井さんが車で迎えに来て下さる。

車に荷物を積んで乗り込むと、酒井さんが「いや、緊張しますね」と言った。

焼岳から槍ヶ岳というと、西穂高から奥穂高までの岩稜を歩くことになる。

かつて極度の高所恐怖症であったという酒井さんは、「このルートを歩けるようになるために岩登りや山登りの練習をしてきたようなもの」なのだそうである。

 

そこで、行きの車中で酒井さんは「決死の覚悟をしてきた」とか「この山行は今までの自分の山登りの集大成だ」(なんとういう集大成の早さだろうか。)とか たいへんな意気込み様で、僕が平静にしていると「どうしてそんなにテンションが低いんですか」とがっかりされてしまった。こんなに意気込んだ酒井さんというのも珍しい。(旧知の仲というわけでないのにこんなことを言うのも何だが)

 

出発が多少遅かったので、少し予定より遅れて新穂高温泉駐車場に到着した。

新穂高温泉駐車場では、車が満車かと思われるほど停まっていたので心配したが、駐車場の上部までいくと何台か停められるスペースが残っていた。

車を停めてさっそく仮眠しようとテントを張りにかかると、隣に車を停めてテントを張っていた人が「テントを張っていたら警察がやってきて、テントを張るのは禁止だと注意されました。我々もいまからテントをたたむところです。」と教えて下さった。

そこで、それならテントを張らず直接地面に寝るということなら文句はあるまいということで、酒井さんと向さんは車で寝たが、僕はスペースが無いので地面にマットをひいて寝ることにした。

 

9/16(金)

翌朝、天気は快晴。

見上げると北アルプスの山々が朝日を浴びて輝いている。

計画ではとりあえず焼岳の登山口までタクシーで行こうと思っていたが、早朝なのでタクシー会社も営業していないらしく電話が通じない。(よく考えてみればこれは当然としてタクシーの予約をしておくべきだった。)

仕方がないので車で焼岳登山口まで行って、新穂高に下山したときタクシーを拾って戻ろうか、という話になり、駐車場まで歩いて戻っていたところ、新穂高温泉へ向かうタクシーが横切っていった。

そこで、これは新穂高で登山客を降ろして、また戻ってくるものだろうと待っていると、果たして戻ってきたので、手を挙げてタクシーをとめた。

 

すると、運転手はせわしない様子でどこへ行くのか尋ねてきたので、僕も何となくあわてて地図を見せ、焼岳の登山口までと早口で説明すると、運転手はそれなら良かったと言ってタクシーを出してくれた。

何でも沢渡にまだ待たせている客がいくつかあるらしく、あと何往復かしなければならないから、あんまりひどい寄り道であれば断ろうと思っていたとのことであった。

タクシーが中尾温泉を過ぎて林道にさしかかると、運転手がどこまで行くかたずねてきたので、出来るだけ歩きたくない我々は「行けるところまで」とお願いしたが、林道にチェーンが張ってあってすぐに行き止まりとなってしまった。

 

運転手にお礼を言ってタクシーを降り、しばらく林道を歩いていくと「焼岳登山口」と書いてある看板があって、そこから樹林帯を登っていく登山道になった。

ゆっくり高度を上げていくと、遠方に焼岳が朝日に照らされて白く輝いて見えている。

焼岳は大正池のあたりから眺めるいつもの山容とは違い、岩が崩れたような異様な姿をしていていかにも厳しい山に見えた。(ほんとうに登山対象なのだろうか?とすこし疑ってしまうほどであった。)

 

登山道はよく整備されていて、非常に歩きやすい。

ところどころ展望が開けて見えるところがあり、途中「白水滝」という大きな滝を遠方に見たり、雄大笠ヶ岳の山容を眺めながらゆっくりと登って行った。

焼岳へ近づくにつれ、鼻についていた硫黄の臭いがだんだん強くなってきて、いかにも火山に近づいている実感がある。

 

登山道は焼岳山頂すぐ下の中尾峠まではずっと樹林帯であったが、向さんは「こういう森が好きだ」とのことで、少し屋久島の森に似ている気がする、ということであった。

そう言われて森の様子を観察すると、なんとなくいつもの森とは少し雰囲気が違っているような感じがする。

YAKIDAKE2.jpg

 

 

二時間ほど登って道が平坦になったところで「秀細神社」と書いてある鳥居があって、そこから少し歩くと樹林帯が突然開け、中尾峠に到着した。

眼前に迫った焼岳はたいへん迫力があって、三人とも歓声をあげる。

ここから西穂高への道との分岐点となっていたので、我々は峠に荷物を置いて山頂を往復することにした。

 

山頂に登っている途中、眼下に大正池上高地・岳沢をミニチュア模型のように見下ろすことが出来る。

いつも歩いて通過するだけのところを、こうして上から眺めるというのは初めてで、なかなか新鮮な景色である。

YAKIDAKE3.jpg

 

 

北東に続く稜線をふり返ると、我々が辿る予定である西穂高、奥穂高の稜線が見えた。

この旅は、はじめ、西穂~槍ヶ岳間に訪れたことがある僕にとっては、焼岳~西穂高間こそが実は一番の楽しみであったが(わざわざ行かなければなかなか行く機会のある道ではないので)、とうぜん向さん酒井さんは西穂~奥穂間を歩くことが目的で焼岳など眼中に無い、といった風であった。

しかし眼前に見える焼岳の迫力に感銘を受けた我々は大いに充実した気持ちになり、向さんと酒井さんも「もうこれだけで満足したよね。」という感想を洩らした。

YAKIDAKE4.jpg

 

焼岳の山頂までくると、ところどころ硫黄のガス?がシューっと噴出していていかにも活火山という雰囲気である。また眼下には火口湖なのだろうか?美しい池が見える。

 

山頂は多くの登山者で賑わっていて、顔に登山地図をかぶって昼寝をしている人や山座同定をしている人などさまざまである。

翌日は雨が降るという予報となっていたが、とてもそうとは思えないような雲ひとつ無い良き日よりであったので、我々も昼寝などしたいような気分であった。

しかしそうそうゆっくりもしてられないだろうということで、記念写真を撮ってから下山にかかる。

YAKIDAKE5.jpg

 

YAKIDAKE6.jpg

 

荷物が置いてあるところまで戻ってきて、焼岳小屋がすぐそこなのでそのまま焼岳小屋まで歩く。

焼岳小屋に着くと小屋の前に大きな岩があり、その下にボルダリングマットが敷いてあって、岩を見上げると誰かが岩に登ってボルダリングをしていた。

 

YAKIDAKE7.jpg

 

年の頃は三十くらいの人だろうか。こんなところでボルダリングをしている人がいるとは思いもしなかったので、三人で珍しがって見学していると、登っている人が「あ、落ちる、やばいやばい」と言った。

そこで、僕がちょうど飛び降りられる位置にボルダリングマットを持ってくると、その人は飛び降りてマットに着地し、我々に「ちょうど通りかかってもらって助かった」と言った。

 

登っていた岩について、ここに何かボルダリング課題があるのですか?と尋ねたところ、いやこれは自分で勝手に登っているだけで特にルートなどは無いのだ、ということであったが、岩の上のところを指差して「しかし、あそこにハーケンが打ってあるでしょう。あれは誰かが登って練習したのでしょう。ここらへんには、結構そういうものがありますよ。」と言った。

「焼岳も、登山道から外れて岩のほうから登ってみたことがあったのですが、いや本当はそこから登ってはいけないのですけどね。岩は意外に安定していますよ。それで、登ってみると途中の岩の上に古いシェラカップが置いてあったりして。ああ、誰かが昔に登っていたんだなあってね。」

 

この人とこうして話をしていても一向に小屋の主人らしき人影が見当たらないので、「もしや、あなたは小屋の人なのですか」とこの人に尋ねたところ、「小屋の人でなければ、誰がわざわざこんなところまでボルダリングをやりに来るものですか」と答えた。ごもっともな話である。

話をしていると他の客が来たので、小屋の人に会釈をして西穂高小屋に向かう。

 

焼岳手前の森林限界は、火山の影響でそうなっているものらしく、そこよりも高度が高い西穂高までの道は、ずっと樹林帯の中を歩く道であった。

時間もお昼をまわって気温が上がり、景色も鬱蒼としているため、いままで景色の美しさで忘れていた疲れが急に出てくるような気持ちである。

途中いくつか展望があったが、昭文社の登山地図に記載された「槍見台」というところがどこだったのかは、よく解らなかった。

 

いい加減くたびれてきたな、と思ったところで視界が開けて西穂高山荘に到着。

今までほとんど人気が無かったものが、西穂高山荘ではロープウェイに乗ってきた大勢の登山客で大変賑わっている。

 

テント場は昼過ぎということもあって空いていたので、小屋に最も近い場所にテントを設営し、小屋で受付を済ませる。

さすが西穂高山荘というか、山荘には生ビールはもちろん、ソフトクリームまで販売していた。

快晴の暑い日だったので、三人ともまずはソフトクリームを食べ、その後生ビールで乾杯をした。(完全に夏バテするパターンである。)

 

明日からの天気予報は、台風の接近による雨の確率が濃厚とされていたが、あまりに天気が良いのでそれはきっと何かの間違いではないだろうか、などと話をしていた。

だがしかし、テントに戻り夕食を採っていると、雲ひとつ無かったものが、南の空からみるみるすごい勢いで暗雲がたちこめてきて、あっという間にドンヨリとした曇り空になってしまった。

よく言われるように、山の天気は変わりやすいものである。

 

ともかく今後の山行は明日の天気しだいだ、ということで早めに就寝する。

夜中にぼんやり目が覚めてみると、テントを叩く軽い雨音が聞こえ、「ああ、ついに降ってきたか」と思いながら、また眠りに入った。

 

9/17(土)

翌朝、早朝に目を覚まして朝食を採る。

外はガスにより完全に視界不良だが、雨はほとんど降っていない。

小屋の食堂に行ってテレビを見ていると、天気は翌々日まで雨予報で、関西では豪雨災害が発生しているというニュースがさかんに流れていた。

これでは縦走はもちろん、西穂高山頂にも登ったって仕方が無い。ということで、とっととロープウェイで下山することにした。

YAKIDAKE8.jpg

 

 

足早にロープウェイの駅まで行ってみると、まだ始発までに時間があったので、ターミナルでしばらく待ってから、始発に乗り込む。

 

その後下山してから奥飛騨温泉郷福地温泉「石動の湯」に入り(この温泉が当たりだった)、高山の町並みなどを観光しながら帰った。

 

帰路の高速道路を走っていると、名古屋あたりで突然空が晴れあがってきて、あまりの天気の変わり様に呆気にとられていると、車中でかけていたFM愛知のDJも「まったく訳が分からない天気ですね」とコメントをしている。

その後京都に帰ってからも空はずっと晴れていて、帰宅したその翌日も京都は快晴だったので、気になって松本の天気予報を調べてみたところ、松本の予報も快晴となっていた。

 

我々が地団駄を踏んで悔しがったのは言うまでもないことである。

 

 

【感想】53期 酒井敏行

 西穂・奥穂そして槍への岩稜歩きは、根っからの高所恐怖症だったわたしにとって(人工壁のクライミングで2m上がるだけでも足がブルブル震えた)、山登りを始めてからの大目標のひとつだったので(そのために高所恐怖症を克服しようとクライミングの真似事も始めた)、今シーズン最大のチャレンジと(勝手に)並々ならぬ意気込みで臨みました。それだけに、西穂山荘で撤退が決まったときには残念でならず、ものすごい脱力感に襲われて下山後も数日間ぼーっとしてたほどでしたが(とはいえ、内心ホッとした自分がいたこともたしかです…)、初日、快晴の焼岳からのぞむ槍・穂高連峰の勇姿は素晴らしく、次こそは!といま思い出しただけでも胸が熱くなります!(ああ穂高よ、ああ槍よ!) というわけで、当面の目標は残念ながら来シーズンに持ち越されましたが、焼岳からは笠ガ岳方面への展望も素晴らしく(笠に登った時には地味な山だという印象しかありませんでしたが)、また登ってみたいなとも思いました。今後一年間、できるだけクライミングもやって高いところにも行って、高所恐怖症とビビリ症を克服し、ぜひ来シーズンには槍穂大縦走を貫徹させたいと思いますので、みなさまどうぞ気長にお願いいたします。