修験道の道は9月23日で行者の季節が終わり大峰奥駈道は山屋だけの世界となる。紅葉が始まり秋晴れの清々しい3連休、前鬼から入山し釈迦ヶ岳、八経ヶ岳、行者還岳、大普賢岳の関西百名山4座を縦走し台高山脈との結節点伯母峰峠を目指した。
写真1 (10/6): これより南奥駈道(太古の辻にて)
[個人山行] 関西百名山シリーズNo.73~76 大峰奥駈道釈迦ヶ岳から大普賢岳
平成24年10月6日(土)~8日(月)
48期 山本浩史
修験道の道は9月23日で行者の季節が終わり大峰奥駈道は山屋だけの世界となる。紅葉が始まり秋晴れの清々しい3連休、前鬼から入山し釈迦ヶ岳、八経ヶ岳、行者還岳、大普賢岳の関西百名山4座を縦走し台高山脈との結節点伯母峰峠を目指した。
【メンバー】 山本浩史L(車)、井上純子、植田健司、鈴木かおり 計4名
1日目(10/6)
【行 程】 京都5:58=上鳥羽IC=(第二京阪・南阪奈道)=8:59前鬼P 9:02=9:09不動七滝P 9:14~9:42前鬼P 9:50~10:24小仲坊10:27~12:37太古の辻12:56~13:24大日岳~13:51深山の宿~14:40▲千丈平
【山データ】 晴れのち曇り 歩行 7.8㎞ 5時間26分 延登高 1,547m 延下降 262m 1座登頂
奈良県の下北山村は南北に長い奈良県の最南部で和歌山県・三重県との境に近い。葛城ICで高速を下り国道169号線で吉野川を遡る。新伯母峰トンネルを越えると分水嶺を越えて流れが逆になり北山川となる。池原ダムによって堰き止められた池原貯水池跨ぐ前鬼橋を渡ると前鬼口BS、ここから前鬼林道を8㎞走ると前鬼の林道ゲート(標高600m)に達する。予定より大幅に早く着いた。皆を降ろすと車は再び林道を走り2.8㎞手前の不動七滝への登山道が分岐する駐車スペースに車を置いた。これは2日後の車ピックアップを考えての事だ。靴を履き替え急いで皆の待つゲートに戻るが標高差は160mあり30分近くかかった。
都合50分ほどゲートで待っていた皆と合流し鈴木さんを先頭に登山開始。以前の地図では吊橋を渡って小仲坊に達する登山道があったが、今は吊橋が閉鎖され通れないので林道を歩き小仲坊を目指す。小仲坊は修験道の歴史の詰まった宿坊で伝説では修験道の祖、役小角(えんのおずぬ)が従えていた夫婦の鬼である前鬼と後鬼の五人の子が夫々五鬼継(ごきつぐ)、五鬼熊(ごきくま)、五鬼上(ごきじょう)、五鬼助(ごきじょ)、五鬼童(ごきどう)の家を立て、この地に宿坊を開き夫々行者坊、森本坊、中之坊、小仲坊、不動坊と称した。明治の初め1868年の神仏分離令(廃仏毀釈)と1872年の修験道禁止令により宿坊は成り立たなくなり行者坊、中之坊、不動坊、最後に森本坊が廃業し現在五鬼助家の小仲坊だけが残る。この前鬼五家の男子は代々名乗りに「義」の字を付けることが習わしで、現在の小仲坊は五鬼助義之氏と云って第61代当主と云うことだ。
小仲坊を出発すると石垣が残り五鬼童家跡や五鬼熊家跡と表示されていた。杉林を抜けると白谷沿いの道となり白い石がゴロゴロする広い谷道となるが水はない。やがて傾斜が急になり階段や梯子が出て来る。男性二人が下山してきた。急登が続き標高が1,200m位に達した時左に小仲坊へ下る分岐があった。地図に記載がなく何処を通るのだろう? 分岐を過ぎると二つ岩に達する。勢多迦童子(せいたかどうじ)、矜羯羅童子(こんがらどうじ)に擬えているようで第33番靡(なびき)の行場となっている。蘇莫岳(そばくさだけ)の北に回り込むようにして進むと険しい道も笹原となり太古の辻へと乗りあがった。標高は1,450m、大峰奥崖道の稜線だ。「これより大峰南奥駈道」の指導標があり周りの木々が色付いている。
大休止を取り南奥駈道ではなく“北”奥駈道を進む。屹立している大日岳に北側に回り込んで取り付く。分岐点にザックをデポしピストンする。前衛峰を越えると斜面を這う岩が見えてくる。鎖が懸かり一枚岩の表面を登る。鈴木さんは恐れをなし鞍部で待機、3人で這い登った。一般的な登山道で固定ロープや鎖は使わなくても登降できるところが殆どだがここは全体重を預けなければ登ることはできない。山頂には大日如来の銅像が立ち第35番靡の行場で山岳修験道の厳しさを実感できる所だ。行場には那智青岸渡寺や京都聖護院の板塔婆が置かれていた。釈迦ヶ岳が大きくその鞍部に今日の宿泊地、深仙の宿(じんせんのしゅく)の小屋が見える。晴れていた空は雲が覆ってきた。
鈴木さんが待つコルに下り、ザックを背負って進むと直ぐに今日の宿泊予定地、深仙の宿に着いた。小さな小屋で土間の周りにベンチ状の板の間があり4人位は宿泊できるがそれ以上はきつそうだ。泊まれなかったら困るのでテントを持ってきている。時間もまだ早く少しでも距離と標高を稼ぐため千丈平に進むことにした。釈迦ヶ岳の西を巻いて行く。途中に“かくし水”と呼ばれる水場があるので注意していると、限りなく細い水が滴っていた。千丈平は近く、給水に相当の時間が掛りそうなので植田さんと山本はテントを設営に先行した。営業小屋に付属するテン場のように平に整地されたサイトが3つ程あり、持参の6テンも余裕で張ることができた。まだ15時だと言うのに随分暗くなってきた。給水交代に植田さんに水場に戻ってもらい女性陣の到着を待いると周りで草を食べていた鹿が恐れる様子もなく徐々に近づいてくる。人馴れしているのか、それとも闖入者に怒っているのだろうか。
女性陣だけが来ると思っていたら植田さんも一緒に帰ってきた。30分掛って6リットル給水できたとのことだ。案外早かった。山本持参の漏斗が役に立った。荷物を下ろしてやれやれと一息ついているとポツポツと雨が降り出したので急いでテントの中に避難した。夕方雨になるとの予報は当たった。その後一時強い雨が降ったりして明け方まで断続的に降ることとなった。それにしてもこうみち行動中に降ることなく、着くと同時に雨が降り出すとは強運の関西百名山シリーズの本領発揮だった。
2日目(10/7)
【行 程】 ▲千丈平5:24~5:47釈迦ヶ岳6:06~7:05橡の鼻~7:57孔雀岳~9:00仏生ヶ岳~9:52楊子の宿10:16~12:17禅師ノ森直下~13:07八経ヶ岳~13:43弥山小屋~14:55弁天の森15:07~15:52一ノ垰~17:05△行者還山小屋
【山データ】 天候 晴れのち曇り 歩行 17.5㎞ 11時間41分 延登高 1,231m 延下降 1,481m 6座登頂
夕べからの雨は止んでいるが風がビュンビュン吹いている。防寒と昨夜の雨の滴を避けるため雨具を着て植田さん先頭に歩き出した。今日は長丁場で奥崖道を順峰で北上する。順峰とは熊野から吉野へ向けて北上することで主に天台宗系の修験者が行った。また吉野から熊野へ行くのは逆峰と呼ばれ主に真言宗系の修験者が辿ったとされているが現在では天台宗の那智山青岸渡寺だけが順峰を行っているそうだ。釈迦ヶ岳への登りは昨日高度を稼いでおいたので標高差140m足らず。ご来光を求めて早朝に出発したが、空には雲がありご来光は拝めなかった。山頂からの展望は良く恒例のミッションで「八経ヶ岳を山座同定」を行った。近くで然も大峰最高峰と云うこともあり一目瞭然だったが山頂部を雲が隠していた。
ミッション2は「第41番靡『空八岳』を探す」で釈迦ヶ岳と孔雀岳との間にあるはずだ。釈迦ヶ岳の下りは厳しい岩稜で橡の鼻(くぬぎのはな)までの僅か0.8㎞のコースタイムは30分と記されているが一行は1時間近くかかった。岩を攀じての下降は気を抜くことが出来ない。橡の鼻と思われるあたりに達すると行者さんが置いた木簡が積まれている此れは靡だ。ミッションの「空八岳」に違いない。橡の鼻から見ると釈迦ヶ岳は円錐形の切り立った山容は素晴らしくも荒々しい。よくあの斜面を下りて来たものだと感心させられる。
険しい道はまだ続き「貝ズリ」や「小尻返し」などの名が登山地図に記されている。孔雀覗に達すると南東側に開けた断崖から昨日登った大日岳やその向こうに南奥駈道の山々が横たわっている。釈迦ヶ岳から孔雀ヶ岳に掛けての稜線南側は巨岩が屹立し五百羅漢と名付けられている。孔雀岳(1,779m)は西を巻いてしまうが、山頂へ明瞭な道があり直登する。山頂は木立の中で展望は一部しかなく台高山脈の一部が見える程度だった。北尾根の下山路は不明瞭というか無いようで斜面を西寄りに下り巻道に達した。“鳥の水”と書かれた水場があるが完全に涸れていた。仏生ヶ岳(1,805m)は100mの登り返しで山頂展望はない。200m下り楊枝ヶ宿の小屋で大休止を取った。小じんまりした気持ちの良い小屋だが近くに水場はない。
この時点で予定より1時間遅れている。今日は行者還ノ宿小屋まで行かなければならない。このペースでは陽のあるうちに辿り着けるか微妙な状況となってきた。登山道を外れるピークは全て飛ばして先に進もう。少し行くと笹原の丘で七面山や大台ヶ原の展望が得られ、目前の楊枝の森(1,693m)が笹原の続きで穏やかな山容を見せている。楊枝ノ森に登路はあるが東を巻く。山頂から下りて来る道と合流する所には七面山を示す指導標があり山頂を通って西の尾根に分岐する。やがて舟の垰(たわ)に到る。標高は1,594m、此処から大峰最高峰への登りが始まる。標高差は320m程あり途中に五胡峰、禅師ノ森、明星ヶ岳の3峰があるがピークを通っていない。今日もだんだん雲が出てきて八経ヶ岳に雲が掛りだした。二重稜線の泥濘んだ道は苔が美しい。
大峰山脈最高峰の八経ヶ岳(1,915m)は日本百名山で山頂が賑わっている。昨日から出合ったのは男性ばかりだったが、ここには山ガールもいる。行者還トンネルからピストンすれれば日帰りが可能なのだ。山上ヶ岳の宿坊を除いて唯一の営業小屋である弥山山小屋に泊まればもっと行動範囲は伸びる。山頂はガスの中で展望なし、大台ヶ原山を山座同定するミッションを用意していたが、視界不良で断念した。弥山に向う道は見違えるほど整備されすれ違う人も格段に多くなった。弥山小屋は綺麗な小屋で登山者用のトイレも設備されている。時間が押しているので弥山登頂も諦め東尾根を下る。標高差300m余りを下ると聖宝(しょうぼう)ノ宿跡、理源大師聖宝に因む宿跡で第55番靡、傍らには理源大師の銅像がにこやかに座っていた。登り返して次のピークは弁天の森(1,600m)で山頂の3等三角点は点名を「聖宝」と云う。
休憩している間に数組の登山者が追い越して行った。行者還トンネルに下る人達なのだろう。我々の行程はまだ3.7㎞ある。コースタイムは1時間30分だが明るいうちに着けるだろうか。一ノ垰(たわ)では行者還トンネル東口へ下る道が分岐している。たしか荒廃した小屋があったはずだが見当たらずもう倒壊して撤去したのかと思ったら少し進むと小屋があった。屋根は破れ、窓はなく、中は土間があるだけで全くの廃屋が残っていた。P1486の標高点ピークを越えるころには薄暗くなってきた。そして17:05まだ陽のあるうちに何んとか行者還小屋に到着することが出来た。立派な小屋で先客が1階を占めていたので2階に上がり余裕の寝場所を確保した。水は小屋の中に引かれ蛇口を捻ると水が出て、トイレもあり居住性の良い小屋だった。
3日目(10/8)
【先行隊行程】 △行者還山小屋5:29~5:52行者還岳5:57~6:06行者還岳分岐6:08~6:42七曜岳~7:18国見岳~7:37弥勒岳~7:57大普賢岳~8:58伯母峰辻~10:00笙ノ窟尾根下降点~10:58和佐又口BS 11:28=12:08前鬼口BS 12:08~12:58不動七滝P 13:05=13:51和佐又登山口 14:20=14:28入之波温泉15:37=17:10葛城IC=(南阪奈・第二京阪道)=18:00京都
【山データ】 天候 晴れのち曇り 歩行① 11.5㎞ 5時間28分 延登高 865m 延下降 1,580m 5座登頂
歩行② 5.4㎞ 50分 延登高 205m 延下降 150m 0座登頂
【本隊行程】 (隊分割)行者還岳分岐6:10~7:02七曜岳~7:56国見岳~8:39弥勒岳~9:12大普賢岳9:27~11:07伯母峰辻~12:01和佐又山~12:31和佐又ヒュッテ~14:15和佐又登山口(合流)
【山データ】 天候 晴れのち曇り 歩行 12.1㎞ 8時間46分 延登高 902m 延下降 1,580m 6座登頂
4時20分起床、音を立てないように気を付けるが4人がガサガサすると煩かっただろう。5時30頃出発しが1階の住人は皆まだ寝ていた。井上さんを先頭にヘッドライトを付けて出発したので直登路は避けて順路の巻道を通り行者還岳北東の分岐にザックをデポし行者還岳(1,546m)山頂を目指した。今日の日の出は5:50、東の空が焼けているがご来光はどうだろう。5:52に山頂に着いたが木立で視界が遮られている。3等三角点「行者還」にタッチし記念撮影をして直ぐ下山にかかった。空は晴れているが下の方は雲が厚くなかなか陽が昇らない。分岐に戻った頃、朝日が溢れだし漸く雲の上に陽が昇った。
今回の山行は無理やり3日間の縦走をしたので今日は前鬼に置いた車の回収に行かなければならない。和佐又口から下北山村へ行くバスは1日に2本、11:28と17:48しかなく、どうしても11:28のバスに乗りたい。コースタイムを1時間近く短縮しないと乗れない。此処でパーティーを分割し山本が一人先行し車回収に行くことにした。本隊は前鬼から戻って来る14:30までに下山すればよくリーダーを井上さんに委ね先に出発した。
行者還岳と大普賢岳の間は岩稜が続き険しい。七曜岳(1,584m)は岩稜で展望良い。第59番靡「七曜岳」、昨日歩いた八経ヶ岳や仏生ヶ岳は存在感があるが、その前にある行者還岳は小さく見える。今日のミッションで用意しておいた「稲村ヶ岳を山座同定」はやってくれるだろうか? なんて思いながら特徴ある尖がった山を眺める。稲村ヶ岳に続くバリゴヤの頭も懐かしい。昨日出来なかったミッションの大台ヶ原山も今日は良く見えている。七曜岳を下ると大きな窪地、水はなく地の底を覗き込むと苔むし倒木などが横たわる。ここが七つ池だ。またの名を“鬼の釜”と云う。七つ池の東の縁を進み国見岳に登り返す。やはり厳しさは変わらない。直下の鞍部に第60番靡「稚児泊」が僅かの平地となっている。
登山道は国見岳(1,655m)の西を巻いている。登山道の途中に国見岳の標識があり踏み跡を辿り山頂に達するが展望はない。弥勒岳も同様で、大普賢岳との鞍部で展望地“水太覗(みずぶとのぞき)”に到る。断崖で東から南にかけての展望が良く大普賢岳、小普賢岳、日本岳と続く円錐形のコブが行儀良く並んでいる。少し外れて和佐又山、向うに大台ヶ原も素晴らしい。大普賢岳への登りで一人の男性が下りてきた。和佐叉からの登って来たと云う。和佐叉からは和佐叉山中腹のヒュッテから登り七曜岳まで縦走し無双洞経由で和佐叉に戻る周回ルートがある。京都比良山岳会でも平成19年の秋に例会が行われている。
急登をこなし大普賢岳(1,780m)山頂に達すると直ぐ後から和佐叉からの男性登山者4人が登って来た。山頂には3等三角点「普賢森」があり展望は良い。縦走路も此れで終わりなので、十分瞼に焼付け下山に掛った。縦走路を暫く進むと右手に和佐叉への道が分岐し急な下りが始まる。登山道は整備され鉄梯子や鎖が物々しい。和佐叉からの登山者がどんどん登ってくる。7組目位までは数えていたが、もう分らない。10組目位だろうか34人のツアーと出くわした。鉄梯子の箇所では待つしかなくこれには閉口した。前回行った小普賢岳のピストンはカットし日本岳のコルに達する。日本岳ピストンもパスし先を急ぎ笙ノ窟に到った。高い絶壁から雫が滴っている。断崖の最下部にポッコリと掘り込まれたようなスペースは行場で第62番靡、神々しさを感じるパワースポットだ。断崖の上は稜線上の日本岳なのだが、ロープなしで稜線を東側へ抜けることはできない。
笙ノ窟尾根の南麓を進み登山道は和佐叉へと南下して行く。今日は伯母峰辻から笙ノ窟尾根に入る。笙ノ窟尾根は大峰山脈と台高山脈を唯一繋ぐ分水嶺尾根(川上村・上北山村の境界)で大台ドライブウェイの伯母峰峠に達する不明瞭な道だ。今日のミッション2は「笙ノ窟尾根をルートファインディング」を設定しているが独りになったので詰らない。分岐を見極め折り返すように日本岳東側をトラバースし笙ノ窟尾根に乗った。踏み跡も殆どなく急斜面の歩けそうな所を選んで進んだ。昭文社地図にはブッシュと書かれた赤点線道だが現実はブッシュはなくなり、何処でも歩ける尾根になっている。ダラダラと標高を下げ踏み跡も乏しい道ながら突然指導標が現れ、「←伯母峰峠 笙ノ窟・大普賢岳→」を示している。やがて和佐又ヒュッテからの巻道が合流し明瞭になるかと思ったらその先はやはり怪しい道だった。
P1132を越えて地図に記す新伯母峯トンネンルの真上の鞍部を登り返した辺りで可憐に咲く花を見つけた。アケボノソウだ。今山行ではオヤマノリンドウ、トリカブト、元気のないアザミ位しか花を見なかったが最後に心を躍らせてくれた。登り返して標高1,160mのピークは南へ張り出す尾根を分けている。特に何の標識もないが笙ノ窟尾根を離れてこの尾根を下る。少し行くと西側に展望が広がり、大普賢岳、小普賢岳、日本岳が並んでいるのが見える。
少し離れて和佐又山、その麓にはヒュッテも見える。思ったより高い所に建っている。踏み跡は微かだったが、2.5万図にあるヒュッテからのトラバース道が合流すると一挙に明確になった。丸太階段も整備されもう大丈夫だ。緩やかにジグザグに下るのでなかなか標高は下らない。和佐又谷の枝谷を大きく回り込んでやがて和佐又登山口に達した。登山口にはトイレもあり、直ぐ下の谷ではアマゴ釣の営業が行われているようだ。
和佐又口BSは新伯母峯トンネルの出口直ぐのはずだが、下りのBSはカーブが危険で更に100m以上先にある。コースタイムを1時間22分短縮し11:28バスに余裕で乗ることが出来た。少し遅れて奈良交通の小型バスが到着した。こんな田舎バスでもICOCAで乗れる。先客はお祖母ちゃん一人、途中停留所で降りてしまった。その停留所は「西村宅前」だったか停留所の前にあるお宅の名前がそのまま停留所名に! 北海道でよく目にしたがまさか奈良県にまでとは目から鱗だった。40分の乗車で前鬼口に到着した。
登山はまだ終わっていない。前鬼林道を5.4㎞、車のデポ点まで歩かなければならない。重いザックを背負って行く必要もないので道端の目立たない所にザックを隠すようにデポし空身で歩いた。林道は池原ダムに湛えられた貯水池の水を右手に見ながら地形に沿ってぐねぐねと付いている。直線距離なら半分しかない。貯水池の畔なので谷の入り組みにアップダウンがある程度でキツイ登りもない。途中崖の上から猿に威嚇されたりしながらも50分で車に辿り着いた。
出発準備をしていると一人の男性が林道を下ってきた。何処まで行くと聞くと前鬼口だと云うので乗せてあげた。神戸の住人で天川村から1泊で縦走してきたそうだ。昨日は楊枝の宿に泊ったので何処かですれ違ったかもしれない。前鬼口14:58のバスに乗るとのことだがかなり時間がある。そこは何もないので上北山温泉まで送るから温泉入って待ってはどうかと提案すると喜んで乗ってきた。山屋は相身互いだ。
和佐又口に戻り携帯の電源を入れると井上さんから2度着信があったようだ。アンテナ3本立ち連絡すると林道を下っているところだと言う。迎えに走るがすぐそこまで来ていて無事ピックアップ。本隊は笙ノ窟尾根をパスし和佐又山に登り和佐又ヒュッテへ下り、ヒュッテでゆっくりして約束の14:30を目指して林道を下ってきたのだった。時間はまだ早いので秘湯の川上村の入之波(しおのは)温泉に立ち寄った。此処は平成20年9月の関西百名山シリーズNo11大台ヶ原山の後も立ち寄った。18時思ったより早く上鳥羽ICを下りたので餃子の王将で反省会をして解散した。 《山紀行782》
【感 想】 48期 井上 純子
いつか行ってみたいと思いながら、アクセスの悪さで行けずにいた釈迦ガ岳から大普賢岳までつなぐロングコースを無事歩き通せて、達成感でいっぱいです。大峰に限らず、山の楽しさは縦走に尽きる!と思いました。割愛したピークもありましたが、たくさんのピークを踏むのが楽しく、紅葉が始まりつつある景色を眺めながら、黙々と歩いていると、いつの間にかこんな所まで歩いてきているんだという感じでした。
リーダー他同行の皆様、楽しい3日間を過ごさせていただき、ありがとうございました。
【感 想】 51期 植田 健司
奥駈道は以前から行ってみたい山の一つでした。行者が修行の道として歩くので、山が深く険しい山道だと想像していました。実際に歩いてみると鎖場も多くて道も険しく、また霊気のようなものが漂う普通の登山とは違う雰囲気のようなものを感じていました。山が深いということもあって、覗きの名称がある場所から見る景色には圧倒 されました。テントを張ったすぐ傍で数頭のシカが自然に餌を食べている光景にも驚かされました。今回は2泊3日という行程で歩きましたが、機会があれば吉野から熊野まで大峰奥駈道を完全踏破したいと思いました。今回の山旅に連れていってくださってありがとうございました。
【感 想】 54期 鈴木 かおり
子供の頃、近所のお豆腐屋のおじさんが聖護院で山伏をしていて母から大峰の行の話を聞いていました。また、熊野の山で生まれ育った方に出会った事があり、その方のお話にも山伏の行の事が。山や森で生きる人々に関心があるのです。わあ、どんな山々なんだろう、と思っていました。「行けるかな」とドキドキしながら参加を決めました。 案の定、私がバテてしまい、皆の足を引っ張ってしまい、申し訳ないことになりました。一番軽い荷物なのに、ごめんなさい。山本さんには、車のことでご足労をかけ、他のことでも大変お世話になりました。井上さん、植田さんにも、いろいろサポートして助けていただきました。最後まで無事歩けたのは、山本さん、井上さん、植田さんのおかげです!改めて、ありがとうございました。
まだまだの私の山の課題は山積みです(山だけに)。とはいえ、なかなかおもしろい山行でした。次々と登って降りて、岩場、鎖、梯子、仏像(大小いろいろ)やお札、行場、お地蔵さんのような岩、崩れた道などなど。鹿も挨拶に来てくれたし、ずっーと連なる山々に「この先に熊野本宮があるのかあ」と感慨深かかった。窟もなかなか見応えがありました。バテなかったら、もっともっと楽しめたなあ。行場だけに、日頃の行いのせい?で神仏にしごかれたのかもしれません。帰ったら、目と足腰の調子がいい。山からエネルギーをいただいた感じです。白装束はちょっと?ですが、プチ山伏修行体験してみたい気がします。そして、歩きながら、何回も私の心に浮かんだのは、お豆腐屋さんのおじさんのこと。ぷーぷーと豆腐屋のラッパが聞こえると、母から鍋とお金をもらい、路地に飛び出した思い出があります。その時の、あの日焼けした優しい笑顔でした。
写真2 (10/6): 大日岳1,568m(直下の鞍部より)
写真3 (10/7): 釈迦ヶ岳1,800m(橡の鼻付近より)
写真4 (10/7): 八経ヶ岳山頂にて
写真5 (10/8): 行者還岳と仏生ヶ岳・八経ヶ岳(七曜岳南尾根より)
写真6 (10/8): バリゴヤノ頭1,580m・稲村ヶ岳1,725m(弥勒岳付近より)
写真7(10/8): 八経ヶ岳1,915m・弥山1,895m(大普賢岳山頂より)
写真8 (10/8): アケボノソウ(笙ノ窟尾根にて)