京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

 企救山地・峰入古道

北九州は日本海側で山陰程ではないが雪が降る。前日の積雪は期待外れだったが霧氷が見られて満足。北九州の企救自然歩道と英彦山西側の峰入古道の長距離縦走を行った。

20130209企救峰入3

写真3: 2/9要塞地帯稜線の向こうに関門橋と風師山(362m)

[個人山行] 企救山地・峰入古道           平成25年2月9日(土)~11日(月)

北九州は日本海側で山陰程ではないが雪が降る。前日の積雪は期待外れだったが霧氷が見られて満足。北九州の企救自然歩道と英彦山西側の峰入古道の長距離縦走を行った。

【メンバー】 山本浩史(単独)

1日目(2/9): 企救山地

【行  程】 桂川5:10-新大阪6:00-(みずほ601号)-8:08小倉-8:19門司8:25~8:37戸上神社~9:35戸ノ上山~11:43足立山~12:07妙見山~12:22砲台山~13:18小文字山~13:39メモリアルクロス~14:40小倉15:21-16:20△田川伊田

【山データ】  天候:晴れ一時曇り 歩行 19.1㎞ 6時間15分 延登高 1,380m 延下降 1,383m 5座登頂

20130209企救峰入地図1

北九州市小倉駅から新幹線に乗ると直ぐに新関門トンネルに入る。海底部は関門海峡に突き出した和布刈(めかり)の先端で壇之浦に渡る。それまで長い陸上部は全て企救(きく)山地の下を走る。今日は門司駅から歩き出し、大里戸ノ上町の戸上神社に登山の無事を祈願し登山道へと入って行った。「企救自然歩道」のしっかりした標識があり整備が行き届いている。戸ノ上山は直登する訳ではなく北側を巻き込み先ずP374に乗り上がる。ピークは登山道から外れるが踏み跡を辿りピークに立ってみるが特段何もなかった。

昨日は北九州にも積雪があり期待していたが1㎝程度だった。もう足跡が付いている。大都市の至近距離にある山では仕方がないだろう。登山道の途中で北の方を見ると矢筈山(266m)、風師山(362m)が連なっている。縦走して門司港に到るが、今日はそこまで登る時間がない。戸ノ上山(518m)は同名の3等三角点があり展望が素晴らしい。眼下に関門海峡、これから目指す足立山は遥か彼方、山頂東側に戸上神社の上宮があり、その前には戸ノ上山山小屋がある。ストーブが設置されているが扉がなく意味がなさそうだ。

南への縦走路に踏み出すと眼下は薄の原っぱで爽快、標高が低いにも拘らず高原の気分を楽しめる。再び樹林帯に入るとどうも2.5万図の道ではないようだ。分岐はなかったし道が変わったのか地図が間違っていたようだ。谷を横断して50mも下るのは何か不自然だと思っていたが実態は稜線通しに道が付いているようだ。低山ながらアップダウンが連続し決して楽ではない。やがて3等三角点「谷山」のあるピークに到る。名前があっても良い山ではないだろうか。点名の「谷山」をそのまま山名にしてもいいのに・・・

北九州市の3区(門司・小倉北・小倉南)の分堺点となるP444に到ると少し様子が違う。古びた石柱に「陸軍省第二要塞地帯」と書かれ、傍には「防衛庁」の用地杭、2.5万図には小倉北区のエリアに陸上自衛隊富野分屯地と書かれている。この分屯地を取り囲むように稜線に防火帯のような草原が続く。将に要塞地帯と云えそうだ。登山道はこの“防火帯”に沿って続くが草原の中にも道がある。展望が良いのでついついそちらを歩きそうだが防衛省による「立入禁止」の看板がある。そして何故か充実していた企救自然歩道の指導標が支柱を残して外されている。要塞に案内は無用と云うことだろうか。

明瞭なピークを3つ越え、最後の登りで足立山(598m)に達する。桃山登山道分岐点から此処までの縦走路は全く踏み跡がなく処女雪を踏んできたが山頂には2組の登山者が来ていた。1等三角点「霧ヶ岳」があり、山名も別名「霧ヶ岳」と呼ばれている。展望は素晴らしく関門海峡北九州市の市街、八幡の裏山である皿倉山や長い縦走路を歩いて来た戸ノ上山への稜線、その左肩には関門橋も望める。昼食を取っていると次から次から登山者がやって来た。恐らく地元の人達だろう。京都から来たと言ったら変人扱いされそうだ。

2.5万図には西微南に向けて下ることになっているが実際は“防火帯”に沿って北西に下る。鞍部で妙見山、小文字山、砲台山方面の3方向に道が分れる。先ず妙見山(519m)に立ち寄る。分岐から100m余り石段を登ると妙見神社上宮がありひっそりしている。来た道を引き返し砲台山(442m)に立ち寄る。415m位まで高度を下げ軽く登り返すと山頂に到る。その名の如く嘗ては要塞で砲台があったのだろうか石垣やコンクリートの遺跡が散見される。山頂には登山道整備の作業員らしき人たちが休憩、時刻はお昼時だ。山頂は広い広場でピクニック気分だが長く休むと寒いだろう。

来た道を引き返し分岐から妙見山の東側を巻いて“防火帯”の稜線を進む。P433手前に乗り上がると足立山妙見山、砲台山が全て見通せる展望地だ。小文字山(366m・こもんじやま)には山頂付近に「小」の字の字型がある。登山口の案内板によると昭和23年、翌年の国体の催しの一環として当時の小倉市が京都の大文字を模して「小文字焼き」を行ったもので、今でも毎年8月13日に行われているそうだ。

実は小文字山からの下山路が何処に下りるか把握していなかった。指導標に「メモリアルクロク→」とあるが何処なのか分らない。道なりに下ると西に向っているようだ。車道に飛び出した。その先にメモリアルクロスなるものがあるようで見に行ってみると石段の上に大きな十字架、これは朝鮮戦争で戦死した国際連合将兵の霊を慰めるために米軍小倉師団の司令官達によって建設され、日本に譲渡されたそうだ。現在地はどうやら2.5万図にある96.4mの4等三角点「丸山」の位置で探し回るが発見できなかった。

三角点を探しているうちに藪の中に大きな3体の石仏を見つけた。踏み跡もなく「何故こんな所に?」と不思議に思ったが車道に戻る途中に今度は首のない石仏が散在しているのを発見した。近くに案内板があり、寛政4年(1792)、小倉藩の商人が願い出て建立した五百羅漢で首のないのは明治始めの廃仏毀釈で打ち落とされたのではないかとされているが定かでないようだ。指導標はないが下山路らしい道があり五百羅漢の立ち並ぶ古道を下った。首のない羅漢の中には落とされた首を繋ぎ合わせたものあり哀れさと不気味さを味わって降りたところは墓地の端だった。小倉駅へは4㎞ほどの車道歩き、バス便もあるが時間もあるので小倉の街を歩いてみた。

今日の宿泊地、田川市は嘗ての炭鉱の町、伊田駅前の商店街はアーケードの続く立派なものだったが人影はなく、日が暮れると街の明かりも少なく寂しい街だった。

2日目(2/10): 峰入古道

【行  程】  △田川伊田5:37-6:12彦山6:13~7:40鬼杉登山口~7:55鬼杉~8:39籠水峠~9:07猫ノ丸尾~10:29岳滅鬼峠10:42~11:07岳滅鬼山~11:23岳滅鬼山西峰~11:47三国境~12:04浅間山12:14~12:33三国境~13:28湯谷越~13:54釈迦ヶ岳~14:15斫石峠~14:49大日ヶ岳~15:44林道出合16:07~17:37彦山18:19-18:50△田川伊田

【登山データ】 天候:晴れ 歩行 29.5㎞ 11時間24分 延登高2,176m 延下降2,176m 6座登頂

20130209企救峰入地図2

九州の夜明けは遅く今日の日の出は7時05分。まず登山口までは車道歩き7㎞あるので地図も見えない真っ暗な中ヘッドライトも点けずに、英彦山に登る国道500号線を歩き出した。この道は平成18年に犬ヶ岳から縦走し彦山駅まで歩いたのだが余り記憶が戻らない。暗いせいだろうか?歩いた道は旧道で、鍛冶屋で分れる。。シャクナゲ荘の前から林道に入り汐井川沿いに遡る。今日は冷え込んだ田川市で氷点下3℃だったのでこの辺りだと更に3℃くらいは低いだろう。道路脇の岩盤から浸み出した水が完全に凍り長いツララが垂れ下っている。玉屋神社登山口には駐車場があり登山者の物であろう車が1台止められていた。歩き始めた時は真っ暗だったが鬼杉登山口(標高700m)に着く頃にはもうすっかり明るく指導標に導かれ登山道に入って行った。

少しガスっているようだが晴れている。そして峰を見上げると霧氷が付いているようだ。山頂が楽しみだ。杉木立のなか一際太い杉が現れる。「鬼杉」と呼ばれる樹齢1,200年の大物で、2.5万図にも「英彦山の鬼スギ」と書かれている。ここは前回も通った。英彦山から下りてきて玉屋神社へと抜けて行った。今日歩くこの先のルートは彦山への道から分岐して籠水峠へと向かう。指導票などはなく怪しげに着いた赤テープの処から踏み込み微かな踏み跡を辿る。踏み跡はどうも英彦山へ向かっているようでコンパスの示す方へトラバースした。道らしいものはなく小動物のトレースが幾分参考になった。途中切り倒された大木の芯から水が滴り落ちている。何んと水道管のようになっているではないか!

自然とは思わぬマジックをするものだ。

籠水峠(標高970m・こもりみずとうげ)は福岡県と大分県の県境で指導票があり「↑裏英彦山、↓鬼杉、猫ノ丸尾・岳滅鬼峠→」とある。猫ノ丸尾・岳滅鬼峠の下には「※断崖をへつる難所あり」とおまけ付き。裏英彦山は何だろうと気になったがどうやら英彦山南岳・北岳の南山麓を巻いて薬師峠に到る道のようだ。北側を見上げるとP1071の絶壁が凄い。西の方を見ると昨年11月に登った古処山や馬見山が見えている。峰入古道は地図を見るだけでもアップダウン激しく気が引き締められる。稜線に出ると風があり寒い、長居は無用だ。

南の稜線に取り付き顕著な小ピークに達すると少し開けて英彦山南岳(1,200m)と北岳(1,180m)が望める。木々に霧氷が付いて素晴らしい。此処の周りの木や草も霧氷で白くなり暫し時間を忘れる。次の1,044mのピークは縦走路が直角に折れ曲がっている。南側は伐採地で展望抜群、斜面に雪を持った稜線の先に岳滅鬼山が望める。ふと横の木を見ると「猫ノ丸尾1,044m」の標識が掲げられている。昭文社地図ではこの先のP1020の位置に山名が書かれていたが間違っていたようだ。伐採地の縁を東に進み次のピークに登り返す。また方向を南に変えると右手に猫ノ丸尾が見通せる。小ピークをもう一つ越えると「最低鞍部」の標識があり西方に鬼杉下、湯の山への“避難路”が案内されている。標高は約925mで東側は道があるかどうかは分からないが下れば耶馬渓に到る。

P1020は展望もなくやはり猫ノ丸尾ではなかった。おや人の声がする。男性二人がやってきた。岳滅鬼峠から鬼杉へ周回するようで玉屋神社登山口にあった車の主だった。急傾斜を下り添田町中津市・日田市の3市町界のピークに達すると「上塚山→」の指導標があり大分県中津市・日田市の境界尾根にも道があるようだ。振り返ると猫ノ丸尾の向こうに霧氷の英彦山が美しい。険しさは徐々に増して最大の危険地帯に到る。岩稜の南を巻いて通るが左側は急な谷、張り出した岩をへつる。固定ロープがあるが足元も危うい。籠水峠の指導標にあった難所はここだ。P998から急斜面を50m下ると岳滅鬼峠に到る。指導標には「←籠水峠、難・荒路 岳滅鬼山→、東峰まで急登」と書かれている。傍らに大きな石碑があり「従是北豊前國小倉領」と江戸時代の境界標があった。まだ10時半だがお腹が空いて昼食タイムにした。

岳滅鬼山(がくめきやま)とは何んと仰々しい名前だろう。昔、山伏がこの山の岩場で餓鬼道を取り去る修行をした。この「餓鬼の心を滅する」修行と云うのが山名の由来らしい。地図でも分るピークを3つ越え、岳滅鬼山(1,040m)に到る。山頂標識には「岳滅鬼岳」とあるが誤り。山頂域は石楠花の林で展望はない。峰入古道の指導標に導かれ南西に進むと岳滅鬼山西峰(1,037m)がある。こちらには3等三角点「岳滅鬼」があり、日田市ではこちらを岳滅鬼山山頂としているようだ。ただ山頂標識には標高1,036mとあるが最新の基準点成果では1,036.81mあり四捨五入すると1,037mが正しい。北西方向に見える障子ヶ岳(948m)は杉の林が茶色く染まり、気温が上がれば一気に放出されそうな花粉満載と云う恐ろしさ。しかし飛散はもう始まっているようで鼻がヒクヒクしている。岳滅鬼山西峰は東側の展望がよく、東峰英彦山、P1020の後方には犬ヶ岳(1,131m)の姿も見える。此処まで英彦山南岳の後に隠れていた中岳が姿を現し、英彦山神宮上宮が天空に鎮座しているのが見通せるようになった。

西峰を過ぎると幾分険しさが和らぎ三国境まで驚くほど早く着いた。今日唯一のピストンで浅間山(832m)を目指す。三国境は豊前・豊後・筑前の国境が接する。南西に張り出した筑前・豊後の国境尾根を下り直角に南に折れて登り返すと山頂に達する。4等三角点「浅間」があり南が開け、宝珠山川の谷が俯瞰できる。右岸に城ヶ迫(546m)の鋭鋒が望める。三国境に戻るが帰りの方が登りになる。三国境を下ると直ぐ「深倉越」の表示があり宝珠山林道へ下ることができる。本来の深倉越は、2.5万図で点線道が越える地点で400mほど先の地点が正しそうだ。次の目標は屋椎三角点、西に張り出したピークで稜線の転換点で分かりやすく「ここは屋椎三角点」と標識まであり探し回ったが三角点は見つけられなかった。

次のP814からは南の展望があり先程寄って来た浅間山が対面に見ることができた。湯谷越では南側にだけ道があり宝珠山林道に下る。湯谷越の直ぐ下には別の林道が見えるが2.5万図には載っていない。比較的なだらかなP830を過ぎるとまた急登が始まり釈迦ヶ岳(844m)に達する。2等三角点「宝珠山」があり山頂から見る英彦山は中岳と南岳が完全に双耳峰の姿を見せ、今日歩いて来た猫ノ丸尾からの峰入古道の稜線が全て見通すことができた。南の方には城ヶ迫(546m)、台山(726m)、北西方向には古処山系と素晴らしい展望が広がる。

釈迦ヶ岳の西面も等高線が詰り険しい。斫石峠(きりいしとうげ)へ僅か400m程の距離で200m下降する。登り返す大日ヶ岳は830mで登り返しもキツイ。3つ前衛峰があり南に方向を転じたところが大日ヶ岳山頂で4等三角点「竹」が置かれている。展望はよろしくなく隙間から辛うじて英彦山が見えるだけだった。峰入古道はこの先、添田町東峰村の境界尾根を進み小石原の行者堂に到る。予定では南に進み台山を経由して日田彦山線筑前岩屋駅に行こうとしていたが時刻は14時を過ぎでその稜線には道もないので冒険は諦め、道成りに峰入古道を進んだ。

やがて地図にない林道に飛び出す。行者堂への峰入古道は道路の反対側に登山口があり続いている。このまま進むと行者堂に着く頃には暗くなるかもしれず国道500号線の車道歩きで彦山駅に戻るとなると昨年11月の古処山に行ったと同じ道になり潔しとしない。林道には指導票もなく右に行くべきか左に行くべきか判断に迷う。東峰村側に下れば途中まで書かれている林道に繋がりそうだがその後筑前岩屋の更に先の駅大行司まですごい距離を歩くことになる。北に下ると恐らく斫石峠を越える県道に出て彦山駅に到るのではないかと予想するが繋がっているかどうか確信はない。まあ最悪藪を漕いでもと決心し彦山へと下りだした。直ぐに倒木が道路を塞ぎガードレールを越えて迂回、これで車は通っていないことが明白になった。谷を巻くように林道が続き県道に続いていそうだ。1.5㎞歩くと期待通り県道に合流しひと安心。然しまだ駅まで5.6㎞、長い車道歩きだ。車の通行量は極僅かで気楽に歩ける。林道からは大日ヶ岳釈迦ヶ岳、障子ヶ岳の姿を望むことができ楽しめた。小石原からの国道500号線に合流するとここからは嘗て歩いた道、日田彦山線彦山川を渡る橋梁はコンクリートのアーチ橋で古い時代を感じる。明るいうちに彦山駅に辿り着くことができた。駅前の食堂で“やまめ定食”と生ビールで夕食を取り18:19の列車で田川伊田の宿に戻った。《山紀行795》

【登山データ計】 歩行 48.6㎞ 17時間39分 延登高3,556m 延下降3,559m 11座登頂

20130209企救峰入1

写真1: 2/9戸ノ上山 518m (草原のP364ピークより)

20130209企救峰入2

写真2: 2/9砲台山山頂広場と妙見山(519m)、足立山(598m)

20130209企救峰入4

写真4: 2/10英彦山南岳1,200m、北岳、猫ノ丸尾(岳滅鬼峠付近より)

20130209企救峰入5

写真5: 2/10英彦山中岳1,180m、南岳(釈迦ヶ岳山頂より)

20130209企救峰入6

写真6: 2/10釈迦ヶ岳844mと後方に英彦山大日ヶ岳付近より)