平成28年4月9日(土)
北鈴鹿は静かな山が多く玄人好みの山がある。昭文社登山地図にはほぼ赤点線道で記された領域を時山藪谷橋の袂を起点に烏帽子岳(872m)、三国岳ダイラの頭、東横根を周回縦走した。
【メンバー】 山本浩史L(車)、鹿嶽眞理子 計2名
【行 程】 京都5:35=(名神)=関ヶ原IC=7:29時山・藪谷橋ゲート7:34~7:52時山養鱒場~9:16烏帽子岳9:32~10:57三国岳11:18~11:22三国岳南峰~11:46阿惣三角点~12:33ダイラの頭~13:57東横根~15:00五僧峠~15:44時山・藪谷橋ゲート15:50=16:21阿下喜温泉17:53=八日市IC=19:41京都
【登山データ】 晴れ 歩行16.4㎞ 8時間20分 延登高1,357m 延下降1,357m 5座登頂
最近人気がなくなった近畿百名山シリーズだが今日は参加者があった。竹田駅で鹿嶽さんをピックアップして名神に乗り関ヶ原ICから国道365号線で上石津から時山に到った。昭文社登山地図に書かれた時山バンガロー村を目指して行ったが、バンガロー村は既になく養魚場になっていた。牧田川の橋を渡ったところにゲートがあり、下山時の便を考えて2年前に高塚からソノド歩面へ縦走したときに利用した藪谷橋の袂、林道ゲートの前に車を止めた。
1.6㎞県道を歩き養魚場に到った。女性が一人登山準備を整えているのを遠目にみてゲートを越えて登山道へと入った。送電巡視路のしっかりした道で大きく東へ迂回し勾配を緩和している。周辺の山は少し花期を過ぎた山桜がまだら模様に山を染めていた。稜線に取り付き送電鉄塔が現れると周りの樹木が切り開かれ展望が良い。振り返ると高塚(720m)が大きく聳えている。再び樹林帯に入ると所々にイワウチワが咲き出していた。三国岳への巻道が分岐し山頂域に到ると三国岳方面に巡視路が分岐している。此処から烏帽子岳は500m程東に飛び出し円弧状に進んで山頂に到った。
烏帽子岳最高点(872m)には何もなく、80m程先の3等三角点「烏帽子岳」の位置に山頂標識があり標高865mとなっている。こちらの方が展望も利くので三角点で休憩し御池岳や天狗岩、頭蛇ヶ平の姿を楽しんだ。この山頂域でカタクリの花がたった1輪見事にそっくり返り我が世の春を誇るかのように頑張っていた。分岐点に引き返すまでに男性の単独行と2人パーティーが登ってきた。岩場に展望が得られるところがあり、今日のミッション1「霊仙山(1,094m)を山座同定する」を行い優美な姿を確認した。三国岳への吊尾根は岩稜帯に細かいアップダウンが続き険しい。疲れのせいか時々鹿嶽さんの足が攣り心配だ。
三国岳の手前のピークには水溜りのような池があった。直下に到ると見上げるような斜面で三国岳への最後の登りは急登を強いられる。10:57三国岳(894m)山頂に達すると早速昼食休憩を取り御池岳や鈴ヶ岳の展望を楽しんだ。此処は美濃・伊勢・近江の国境の山で全国に25あると云われる三国境の三国岳(山・峠も含む)の一つだ。
休憩していると先ほどの単独行の男性が登ってきが挨拶を交わすと立ち止まりもせず先に進んで行った。先に食べ終わった鹿嶽さんは南峰に先行した。残ってコーヒーを飲んでいると二人組も到着した。この二人は阿蘇谷を下り時山に戻るそうだ。鹿嶽さんの後を追い南峰に到ると単独行の男性も休憩していた。鞍掛峠から登り烏帽子岳を往復してきたと云う、道理で帰りの三国岳に立ち止まりもせず行ってしまったのが了解できた。南峰には展望なく待っていた鹿嶽さんと共に直ぐに引き返し本峰に戻ると女性の姿があた、養魚場で見た女性だ。この女性もこの山域にかなり入っているようでダイラの頭に登りこれから烏帽子を目指すと云う。ダイラの頭へ登るルートはよく分からない。もっと聞いておけばよかった。
北西稜線に踏み出すとミッション2「阿惣三角点を発見」を念頭に置いて進んだ。100m程高度を下げると前方の顕著なピークを尻目に道は西側を巻いて行く。巻道から男性が一人やってきた。阿惣三角点はきっとこのピ
ークと、この男性を避けるように稜線の微かな踏み跡を辿って行くと果たしてピークに3等三角点「阿惣」はあった。北東方向の展望が得られた。三国岳へ行くだろうと思っていた先程の男性が後から登ってきた。聞くと阿惣三角点に来ることが今回の目的だと云う。相当なベテランと云うか物好きなのだろう。折り返すように下らなければいけないところ会話した勢いで地図を見ずに歩き出しまっすぐ行ってしまっていることに気が付き引返した。三角点に戻ると男性が休んでいて一寸気恥ずかしい思いをした。
稜線通しに進むと恐ろしい急斜面で木に摑まり何とか下って行くと右から巻道が合流し道は安定した。送電鉄塔に到ると展望が良く、少し進むと送電巡視路が右に分かれて行った。2.5万図の道とは変わってこれが阿蘇谷コースであるようだ。この後は殆ど人が入らないようで石楠花や灌木が行く手を塞ぎ歩き難い。ダイラの頭(803m)へは100m程の登り返しがあり急斜面を登った。山頂からの展望はなく木に括り付けられた私製の山頂標識だけが山頂を誇示していた。
今日最後のミッション、「P676の位置特定」は越えてきた小ピークの数と地形の変化をしっかり見て歩いたので確信を持って乗り上がったピークに「P676」の表示があり一寸がっかりした。五僧峠への稜線はまっすぐに進まずかなり入り組んでいる。それなりにルートファインディングをしっかりやらないと違った尾根に入り込んでしまいそうだ。しばらく歩いてコンパスを確認すると方向がずれている。こんなミスを何度かやりながらも時々現れる赤テープに助けられながら先に進むと東横根が近づいてきた。その姿は大きく登り返しは130m程あり、登路もはっきりせず藪漕ぎも時々あり、結構時間が掛かってしまった。
東横根(757m)は南西にある西横根と対をなし、更に西に横根最高峰が控える複雑な山域だ。山頂からは遠ざかった三国岳が南峰と双耳峰を美しく見せ、ダイラの頭もしっかり望めた。山頂には私製の標識が掲げられているが一方は標高750mと間違ったものだった。東横根の下りも早く北に取り過ぎて谷が現れトラバースして修正し五僧峠を目指した。P760にも表示があり小ピークの数を数えながら進んだ。
時山多賀林道が見え隠れして近づいてくると五僧峠も近い。もうすぐと云う所で「測點 地理寮」の石碑を見つけた。表面は真新しい彫刻された文字に見たが裏には明治9年4月の文字が読み取れた。「地理寮」は明治開国後初めて内務省に設置された測量部門で裏面の記述からこの碑は美濃と近江を分ける国境標識のようだった。急斜面を這い下り五僧峠に到るとやれやれだ。
昭和58年に多賀町教育委員会が立てた五僧峠の案内板があり、其れによると昔美濃の時山に住む五人の僧が移り住んだことから地名となったとある。昭和49年に廃村となり今に到っている。峠は古くから近江と美濃を結ぶ交通の要地で慶長5年(1600)関ヶ原の合戦に破れた島津の軍勢が逃げ落ちた道とされる。元禄13年(1700)には大火があり五僧集落の全戸が消失すると云う悲劇もあったそうだ。この峠を越える時山多賀林道は平成22年に開通した。それまでは2.5万図に描かれた道が使われていたのだろうが谷の覗いても道形すら見出せず下りに使おうと目論んでいたが無理はできない。
時山多賀林道は一昨年災害で通行止めだったが今日は車や単車が走ってくる。そう云えば林道のゲートも開いていた。林道歩き3.4㎞は疲れる。地元のお婆さん3人が花見散歩なのか寛いでおられ挨拶をするとにこやかに話しかけてこられた。峠から40分ほどでゲートに達し駐車地点に戻ってきた。車に戻り荷物を片付けているとおばあさんたちが下りてきて再び会話した。今日の立ち寄り湯は阿下喜温泉あじさいの湯、入浴料は500円と格安で夕食も済ませて帰路に就いた。