2017年4月29日(夜)~5月2日
【メンバー】L A.T、辻博史 計2名
【天候】快晴→吹雪→快晴
【行程】4月29日夜:京都〜平湯
4月30日:平湯〜上高地5:30〜明神館6:30〜瓢箪池9:30〜ラクダのコル16:50(幕)
5月1日:悪天候のため停滞
5月2日:ラクダのコル5:00〜明神本峰9:00〜明神Ⅱ峰11:00〜Ⅲ峰12:00〜前明神沢下降14:00〜岳沢登山道16:00〜上高地16:40
【記録と感想】51期 A.T
明神岳といえば2015年の夏に、辻さんと2人で今回と同ルートを辿っていて、我々は明神岳の素晴らしさに感銘をうけ「次回は残雪期にもぜひこのルートをたどりましょう」という話をしていた。
それでその翌年は何となく時間が過ぎてしまい実現出来ずにいたものだったが、今年こそはということで、企画することになった。
メンバーははじめ、四人くらいいたので、これは賑やかになりそうだなと思っていたが、何だかんだの事情で一人二人と参加中止となり、けっきょくのところ、夏を同じように辻さんと二人で行くことになったのであった。
4月29日
夜から出発し、平湯料金所前で仮眠。
4月30日(快晴)
暗いうちから起きて、あかんだな駐車場へ。
バスに乗って上高地へ到着。
トイレへ行ってからさくさく歩いて明神館へ。
明神館から明神岳を見上げると、夏に歩いたひょうたん池手前の大平原みたいなところはすべて雪で埋まっていて真っ白に光っている。
明神館で少し休んでから出発。
宮川を少し登ると雪が出てきて、圧雪された固い雪の急斜面をどんどん登る。
夏と違ってガレ場が雪で安定しているので歩きやすいといえば歩きやすいが、斜面が急で疲れる。
途中、辻さんがアイゼンを着けると言うので、自分もあわせて装着。
少し上がるとさっそく宮川のコルが見え出したので、「これは楽勝ですね」「今日のうちに主稜まで出てしまいますか」何て話をしていたのだったが、やはり夏にも同じような会話をこの辺りでしていて、結局すぐにバテバテになってしまったのだった。
そして今回もまあやはり、まったく同じようにその後すぐにバテバテになって歩みが遅くなってしまった。
やたらと息が上がって苦しい。
特に辻さんは疲労がひどく、ひょうたん池までたどり着くと、「今日はもうここで」ということを言うので「いやいやそれはさすがに有り得無いでしょう。」と辻さんを励まし、前進することに。
ひょうたん池で大休止したあと、ハーネスを装着して第一段階に取り付く。
取り付きのところで、左側直登方向の頭上からロープが二本ぶら下がってきている。
二本というところからみると懸垂下降で使用した様子だが、未回収で置いていったものなのか、それともロープが抜けなくなってあきらめて残置していったものなのか。
このロープをつかんで登ろうか、とも一瞬思うが、ロープが草付きの中途半端なところまで登らないとつかめないのと、下手にロープをつかんで上がっても、撤退用のラインであればその先で詰まってしまう、ということ。
そもそもぶら下がっているロープが信頼出来る支点によってセットされているのか解らないということで、このロープを使うのはやめておくことにする。
一方で右を見ると草付きを少しトラバースしたところに立ち木などがあり、こちら側からなら支点をとりながら登れそう。
また、踏み後もあることから、ロープを出して確保しながら右側に進路を取ったが、これが間違いだったかもしれない。
踏後はどんどん右にトラバースしながら、うまく弱点を突いて登っていくルートで、ルートの取り様は悪くないというか、ここから以外では難しいだろうというルート取りだが、右から大きく回り込んで登っていくために直登するよりもかなり遠回りで長い。
たしか1~2ピッチで行けるはずの第一段階を6~7ピッチかけて登ることになった。
また、悪い草付きや、午後からの気温の高さで雪が腐って足元がいつ崩れるか、という雪壁を長いことトラバースさせられ、大変に神経をすり減らしながら登った。
けっきょくラクダのコルに到着したのは日の沈む一時間前くらいだった。
二人ともかなり疲労困憊している体にムチ打って、スノーソーとスコップで急いでテントサイトを作る。
その日の夜から天気が荒れる予報で、そうでなくても地形的に風も強そうなので、念入りに壁を作った。
テントをたて 、ご飯を済ませて就寝。
夜になりときどき強い風が吹いて、テントがバザバサとバタついて、吹き飛ばされやしないか、と心配しながらウトウト眠る。
5月1日(吹雪)
4時頃、テントを少し開けて外を覗くが、真っ白になっていて一寸先も見えない。
また眠って6時ころ、日が出るがあたりは相変わらず完全にホワイトアウト。
辻さんと相談し今日は完全に停滞することを決める。
テントの回りを雪かきして、壁をさらに高くしたり、テントの張り綱をしっかり張り直したりする。
それでも天気がここまでひどいのはまだ早朝だからだろうと思っていたが、けっきょく夕方くらいまでずっとホワイトアウトしていて、1日テントの中で寝て、起きて雪かきして、の繰り返しだった。(こうなるとわかっていれば文庫本のひとつももってくればよかったが。)
夕方になりようやく天気が回復する。
辺りは絶景。
踏み跡は、来た道の分も行き先の分もすべてきれいさっぱりなくなってしまった。
この日登ってくる人は誰もいなかった。(当たり前か)
5月2日(快晴)
4時頃起きて準備し5時頃出発。
見るとバットレスの岩は下半分は完全に雪に埋まり、右半分も雪がかぶさっていて、こんなコンディションはどの記録の写真をみても無かったというくらい雪が多い。
雪が多いので岩が埋まって楽に登れるかと思ったがそうではなく、ガリガリの固い雪の表面にパウダーの層が積もった様な微妙なコンディションの雪壁で、安定せず心もとない気持ちで登る。
ときどき露出する木の枝を掘り出して、束にしてガースヒッチで支点にしたり、岩のクラックを見つけてカムを使ったり。
2ピッチほど登ってバットレスへ着くが、岩登りセクションも下から考えていた様に簡単ではなく、雪に埋まっていることでかえって難しい。
雪は岩の表面にパウダーが少し被っているだけで踏み固めたり出来るものではないし、岩のホールドやスタンスを隠してしまっているため非常に困難な登攀。
一歩上がっては雪を払ったり氷をピッケルで砕いたりしながら、次のホールドやスタンスを探さないといけないが、何しろ安定している姿勢ではないので、早く次のホールドスタンスを見つけないと滑り落ちてしまう。
そのため、一歩一歩上がるのも覚悟しながら登る。
本来はスラブ壁を右に登るのが一般的の様だが、すべて雪と氷に覆われているため、支点を探し出せるとは限らない。
そのため、左のクラック沿いから登ることにするが、こちらのクラックにも氷が詰まっていて容易ではない。
ピッケルで氷を砕いて砕いて、ようやくホールドを探り当てながら一歩体を引き上げ、クラックの上部にカムをセット。
もはやフリーで上がる気もさらさら無いのでカムや残置ハーケンをつかみながら上に抜ける。
荷物も冬山テント泊装備なので、岩の上に体を引き上げるごく簡単な動作でもとても力がいる。
後ろにひっくり返りそうになりながら必至で体を岩の上に上げて、ようやく乗り越すことができた。
その後のピッチも雪壁を登れば良いだけなので余裕かと思ったが、雪の状態も良くなく、なかなか支点も取れずに恐い思いをしながら、最後山頂の小さな雪庇状を壊して山頂に到着。
上空ではヘリが飛んでいて、何度も我々の上空を旋回して様子を見ている様だったが、頂上に着く手前くらいからいなくなった。
辻さんをビレイして辻さんも登頂。
前に夏に登った時もそうだったが、とても充実感があり、苦労したぶん、とても嬉しい気持ちになった。
辻さんと握手をする。
天気も快晴で、登ってきた東稜や前穂高岳、奥穂高岳、焼岳や上高地、御岳、果ては富士山までよく見えた。
その後のルートだが、辻さんはもうそのまま奥明神沢で下山してしまいたい様子だったが、自分はどうしても明神主稜をたどって行きたかったので、辻さんに頑張りましょうと言うが、辻さんはとてもウンザリした様子である。
明神Ⅰ峰から慎重にⅡ峰とのコルに下りる。
コルからⅡ峰を見上げると、これまた下1ピッチ分はほとんど雪に埋まっていて、これはまた簡単に登れるのではないか、と考えたがこれまたとんでもない話で、雪で埋まっているのはあくまで表面だけであり、足場のほとんど無いような岩を、雪を掘り出してホールドスタンスを探したり支点を探したり。
時には無い雪を無理に固めてごまかして上がったりしながら登る。
登りやすそうなところから登っていたが、気がつけば夏のルートからはだいぶ上に外れてしまっている。
一歩一歩恐い思いをしながら、大きく岩が露出している所まで何とか上がり、クラックにカムを入れ、安堵のため息が出る。
夏の1ピッチ目終了点の少し手前あたりで、ロープの流れが悪くなって一旦ピッチを切る。
2ピッチ目は完全に岩が露出していて登攀はとても容易。
ここへ来てようやく爽快感のある登攀が出来た。
本来例年通りの積雪なら、バットレスも先ほどの1ピッチ目も、岩が露出している筈なので、このような感じで登れたはずなのだが。。。
Ⅱ峰の上から登ってきた東稜を見るが、今日は誰も登ってこなさそうで、この日に登頂したのは多分我々だけだったろうと思う。(昨日の吹雪では当然だが)
その後Ⅲ峰からⅣ峰(だったかな?)への下りでラッペル用に岩に捨て縄が巻いてあり、見ると確かに急な下り。
辻さんは疲労からだいぶ弱気になっているようで、懸垂下降で下りたいとのこと。
辻さんの持参した捨て縄を拝借し、岩に二箇所巻いて懸垂下降で下りる。
先行して懸垂で下降してみるが、途中で空中懸垂になるところがあり、荷物が重いため疲労した腕に応える。
懸垂の途中でうっかりピッケル(バイル)を下に落としてしまう。
ちゃんと脱落防止ヒモを着けていたはずだったのだが、懸垂下降のセットをする拍子にうっかり外れてしまったのかもしれない。
このバイルを落とすのは楊梅の滝から落としたのとで、これで二回目になる。
直前に辻さんに「このバイルが登攀中にいちいちひっかかってイライラして、投げ捨ててやりたくなりましたよ」という様な話をしていたので、もしかするとバイルが世を儚んで身を投げたのかもしれない。
幸い、ちょうど下りたところの斜面にバイルが横たわっていたので、無事に回収が出来、心のなかでバイルに詫びた。
そこからしばらく歩くと、這松帯から先に下りやすそうな沢筋がある。
これが前明神沢とみて違いないだろうということで、雪渓をさくさくと下って行く。
長い雪渓を、脚がガクガクになるまで下った頃に岳沢登山道に合流。
16:50頃、なんとか無事、明るいうちに上高地まで戻ってこられた。
上高地で登ってきた明神岳を見上げながら安堵でガックリ脱力して、最後に辻さんに「こんなことに付き合っていただけるのは辻さんだけですよ」と言うと辻さんに「もう二度と付き合わない」と言われた。
今回の山行は、登攀もさることながら山行中のトレースはほぼ雪で埋まっていて、自分でラッセルして足場を固め無いといけない、テント場もナイフリッジ状の雪稜を一からならして作らなければならないしで、本当に大変だった。
また、明神主稜の縦走は自分の希望でお付き合いさせてしまった。
しんどい目、恐ろしい目にあわせてしまって、誠にすみません。
しかし辻さんも毎回怖い目を見て、「これで最後だ」という様なことを言っておきながら、それをすっかり忘れて結局また次も来ているという懲りない人である。
今回の山行で愛想をつかされてしまったが、そうは言っても、次回もけっきょくお付き合いいただけることだろう、というのが自分の見立てである。
【感想】53期 辻 博史
明神岳は以前夏季に同ルートを登ったことがあったので(この時もA.Tさんに連れて行っていただきました。)残雪期の方が登りやすいかもと思っていました。ところが過去の記録よりも雪の量が多く、その雪も腐れ雪でピッケルも足元も安心ならぬ状態でさんざんでした。
ひょうたん池からラクダのコルまでの間で、記録では1~2ピッチロープを出した記述の物ばかりでしたのでそのつもりでしたが、今回は5~6回はロープを出して上りました。また、夏の時もそうでしたが一気に高度が上がるため、すぐに息切れする状態になり、初日の幕地(らくだのコル)に到着したのは16時過ぎでした。(夏場は同じルートで12時前に到着していた)
2日目は予報通りのガス、強風、雪の悪天候停滞となりましたが、正直、この停滞があったため、ゆっくり休息できて助かりました。
3日目に登頂をしましたが、核心部といわれるバットレスにいたる取付きが前日の風雪で状態が悪く、岩に付いた氷雪を払いながらの登攀となり、その後のバットレス登攀後もロープなしでは上がる気がせず、ずいぶん時間を掛けての登頂になりました。
また、主稜登頂後の2峰の登り返しがまたまた状態が悪く、今回の山行で一番怖い思いをしました。
今回、雪の付き方や雪の状態によって、山行の難易度がこんなにも違うのかといろいろと学ぶところが多かったです。また、久々に「やばい!」と思うこともありました。2峰の登り返し後は弱気になり、3峰からの下降は懸垂下降をお願いするなど、まったくダメダメでした。(今思うとクライムダウンした方が早かったですね。)
毎回、厳しい状態でもリードされるA.Tさんはすごいと思います。技術・体力だけでなく、メンタル面でも非常に強いなと毎回関心します。今回もA.Tさんが全行程リードをしていただいたおかげで無事、帰ってこられました。ありがとうございました。