京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.33・34 品谷山・ソトバ山

平成291112()

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写真1: オバナ谷を登る 道はあったりなかったり

 

桂川上流を辿って行くと城丹国境佐々里峠の手前に広河原スキー場がある。今や京都市内唯一のスキー場となったが積雪がなく営業できない年もあるようだ。オバナ谷を遡り佐々里峠から城丹国境尾根を歩き品谷山(881m)、ソトバ山(806m)の京都百名山2座を登った。下山は衣懸峠からオリ谷を下る周回登山を行った。

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【メンバー】 山本浩史(単独) 車5

【行  程】 桂川5:587:18広河原スキー場P 7:298:21佐々里峠~8:50品谷山分岐~9:14品谷山~9:35品谷山分岐~10:44 P89211:05 P84711:54卒塔婆峠~12:15ソトバ山12:3412:54卒塔婆峠~13:14衣懸峠13:2613:45オリ谷出合~14:25尾花町~14:43広河原スキー場P 14:5616:42桂川

【登山データ】 曇り一時晴れ 歩行17.6 7時間14 延登高1,160m 延下降1,160m 2座登頂

 

山里の秋は深まり椛の色づきは艶やかさを増してきた。京都市左京区広河原の最奥、広河原スキー場の駐車場に車を止め佐々里峠を目指して府道38号線からオバナ谷林道に入った。1㎞程林道を歩き、林道終点に到ると早速オバナ谷の渡渉が始まり右岸に渡った。登山道は有ったり無かったりで河原を飛び石伝いに進む部分もかなりあった。総じて歩かれていない谷筋で倒木も多い。二俣に到ると左に行くのが本谷ようだが佐々里峠へは右の谷で左岸の道を進んだ。滝は高巻きいて上方に府道のガードレールが見えてくると峠は近く峠の小屋の人声が聞こえてきた。驚かせてはいけないと小屋のある方は避け左岸の壁を這い上り車道に乗り上った。谷の源頭を回り込んで峠に到ると車が56台あり小屋にいる人達と、今恰も出発しようとしているパーティーがいたが方向は逆のようだ。

佐々里峠は城丹国境の分水嶺尾根を越える峠で京都府の無線中継所がある。その傍に大杉があり北山を感じさせてくれた。城丹国境尾根を進み品谷山を目指した。所々木の間越しに所々展望が得られた。ダンノ峠への分岐に達し城丹国境尾根を離れて品谷山に足を伸ばした。京都市右京区(旧京北町)と南丹市境の尾根を南西に進むと展望の利く処が何か所かあり写真を撮りながら進んだ。しかし北山の山は形で分かる山が殆ど無く同定に苦労した。東の方に見える比良山系の山の方が分かり易い。

1.1㎞進み品谷山(881m)に達した。黒字に緑文字の山頂標識が中々よく、2等三角点「佐々里村」が置かれていたが山頂からの展望は利かず、3分の滞在で元来た道を引き返した。国境尾根の分岐点に戻りダンノ峠へと下った。地形が複雑でレーキのように南に刃を伸ばす支尾根のどれが正解か地図見ながら進んだが、樹林が濃く現地確認が難しく、進み過ぎてしまった。そのまま 真直ぐ行くと広河原スキー場の稜線だったがすぐに気づいてよかった。

ダンノ峠(767m)は広河原と八丁を結ぶ峠で登山地図にも赤実線で登山道が記されている。八丁は、知井庄と弓削本郷との間で山林を巡って争いとなっていた山地で、周山の庄屋吉大夫が経営のため権利を取得し元禄14(1701) 5軒が入植したのが始まりと云う。昭和83mを越える豪雪に見舞われ残っていた3戸が離村を決意し、昭和16年には最後の1戸が離村し廃村となった。村に通じる道路がなく、今では廃村八丁と呼ばれ登山者の聖地のような存在となっている。(出典Wikipedia

峠を越え南へと進んだ。小ピークが32.5万図から読み取れるが展望もなく先に進んだ。縦走路から少し飛び出して892mの標高点があり、八丁周辺の最高峰で八丁山と呼ぶ人もいるようなのでとして認知した。蓬莱山(1,174m)の展望が利くしっかりしたピークだった。縦走路は90°南西に曲がり下って行った。登り返してP847に到ると衣懸峠への道が南西に分岐した。此処からは10年前に歩いた道だが、逆方向で殆ど記憶にない。道なりに進んで行くと何時しかコンパスの示す方向が変になりしっかり確認するとテープに釣られて地図に無い廃村八丁への道を辿ってしまったようだ。

分岐のピークに引き返すと「←廃村八丁・ソトバ峠 ↑廃村八丁(悪路) 衣懸坂・菅原町→」の指導票があった。この「↑廃村八丁(悪路)」に入り込んでしまったようで気付くのに時間を要してしまった。「←廃村八丁・ソトバ峠」方面に進んだが、主尾根の左に下りる処が要注意で間違えそうになりながらもテープに導かれて卒塔婆(697m)に到った。10年前に工事中だった丹波広域基幹林道(深見大布施林道)が完成し衣懸峠と越木峠方面を結んでいた。一般車は入れない筈だが1台車が止まっていた。フロントガラスの内側に「怪しいものではありません廃村八丁を守る会 何某」と記されていた。此れは先日TVに出ていた会長の車のようだ。この峠から木の階段の続く登山道を下ると最短距離で廃村八丁に達することができる。

卒塔婆峠の指導標に「ソトバ峠を経て小塩上ノ町バス停→」とあり、旧道をベースに地図を見るとこの先の尾根の出っ張りを乗越す処が従来の峠なのかもしれない。この道を辿り乗越から西の斜面に取付きソトバ山北東稜線に這い上がると北側に再び新しい林道が現れ尾根は切り通しで分断されていた。一旦林道に下り少し戻るようにして木の階段のある所から反対側の尾根に取付いた。木の階段も数mで道が無くなり斜面を這い上って稜線に達した。北から回り込むようにして卒塔婆(806m)山頂に到ったが展望は得られなかった。昼食は此処でと思っていたが意外と時間が掛かってしまった。12:15お腹が空いた。

新しい林道は2.5図にないので惑わされている。2.5万図には北尾根を3040m下った所に稜線を巻くように点線道が記されているので、その道を通ってみようと下って行ったが何処まで行ってもそれらしい道形はなく、諦めて元に戻り来た道を引き返した。切り通しからは林道を歩き卒塔婆峠に戻った。2.5万図の道は林道建設もあって完全に失われてしまったようだ。衣懸峠へはこのまま林道を歩いた。急傾斜の斜面に付けられた林道なので結構展望が良い。遠く愛宕山、・地蔵山なども確認できた。

衣懸峠(きぬがけとうげ754m)は馬場谷とオリ谷を結ぶ衣懸坂が越えている筈だがどちらもそれらしい道は無くオリ谷への下り口を探して林道を鍋谷山方面に少し歩いてみたが谷は急斜面でとても下れそうにない。峠に戻りP847への尾根に取付き探してみると意味ありげなテープが斜面を下っているので辿ってみると直ぐに道は途切れ谷に下ってしまうにはリスクが大きく北側の急な尾根にトラバースし木に摑まりながら下った。半分ほど行くと何処からともなく踏み跡が現れオリ谷出合に導いてくれた。

オリ谷にも明瞭な道は無く飛び石伝いに右に左に渡渉して下った。右岸に林道が現れ這い上って林道を歩くと荒れ方が酷く、路肩が崩壊し30㎝程残された道に危険を感じながら通過した。倒木は凄まじく、倒木が林道の崩壊を進めているようだった。八丁山に源を発する谷から現れる筈の林道支線も痕跡すらなかった。林道ゲートを越えると民家が現れ広河原尾花町に到った。ホトケ谷と出会い菅原バス停で桂川本流に達した。府道38号線を歩いて広河原スキー場駐車場に戻り周回登山を終えた。

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写真2: 品谷山(881m)山頂

 

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写真3: ソトバ山(806m)山頂