平成31年2月2日(土)
牛松山(636m)は、亀岡盆地の西に位置するどっしり落ち着いた山で山頂にはしっかりした社殿を持つ金毘羅神社が鎮座している。山麓には愛宕山の総本社愛宕神社の根源の愛宕神社が鎮座している。保津町の長閑な田園地帯を歩き雪山ハイキングを楽しんだ。
【メンバー】 山本浩史L、梅村重和
【行 程】 京都7:35-8:06八木8:25=9:04原9:14~9:43送電鉄塔~10:39標高点~11:09牛松山11:38~12:23元愛宕神社~13:30保津小橋~13:52馬堀13:55-14:19京都
【登山データ】 歩行12.9㎞ 4時間38分 延登高 597m 延下降 949m 1座
JR嵯峨野線京都駅7:35発の快速は山屋が多く乗る。山屋は八木駅で降り午前中1本だけの京阪京都交通バス“原”行に乗り換える。この日は10人程が乗り込んだ。一般客は残念ながら誰もいない閑散路線。我々を除く全員が越畑で下車した。地蔵山を目指し芦見峠からの一般道を目指すのだろう。細い道を一杯になってバスは進み終点の原に到着すると20m程先の回転場所で方向転換し26分後の発車まで待機に入った。
バス停で登山準備を整え府道50号線を南に少し行くと愛宕神社の鳥居があり、樒ヶ原からの登山道に続いている。樒ヶ原は棚田が美しくその奥に千歳山(630m')が鎮座していた。バス停から0.9㎞程進むとロープの張られたゲートがあり牛松山への登山道が分岐した。積雪は5㎝程で心地よい明瞭な道の新雪を踏んで倒木を避けながら進んだ。送電鉄塔のあるピークに到り南の稜線に戻ると展望が良く先にあるP643が前方に見え、西の方には南半分を伐採された地蔵山(948m)が雪景色で美しい。
送電線から辿って来た京都市と亀岡市の境界がP643の手前で西の稜線に去って行った。その地点に「界」の標識があり、側面には「元千歳国分~」と書かれているが下部は判読できなかった。縦走路はピークの脇を掠り南側で西の方から来た林道に飛び出した。略々稜線の直下を進んでいたが徐々に稜線を離れ谷へと入って行きそうになった。此れは違うと稜線に復帰すると登山道が続いていた。
稜線を進みP578に達すると送電鉄塔があったが樹林で展望は利かなかった。50m程下り登り返すと最後の登りで牛松山(636m)に達した。山頂にはパラボラアンテナが設置され広場となっていた。先客の男性と挨拶を交わし昼食休憩とした。此処まで南下してくると積雪も少なくなりパラボラアンテナの向こうに雪化粧の愛宕山(924m)だけが望めた。山頂の南東側にある金毘羅神社に立ち寄り参拝、しっかりした社殿があり休憩舎も備わっていた。巻道を東に進み山頂域の端にある3等三角点「金毘羅」を見て千歳町国分への下山路に入った。
展望箇所もなく単調な道を下り林道に飛び出すと登山道の入口には「牛松山ハイキングコース→」や「オートバイ乗り入れご遠慮ください」の標識が立てられていた。「ご遠慮ください」ではなく「禁止」とは書けないものだろうか。少し下ると比較的大きな神社があり、杉の古木が神々しい。此処は愛宕神社で「元愛宕神社」や「愛宕神社本宮」などと通称されている。案内板によると継体天皇元年(507)創祀とあり、天武天皇の頃京都鷹ヶ峰に分霊され、大宝年間(701~704)に役小角と泰澄によって創建されたのが現在の総本社の愛宕神社で親元はこの神社だと云う。本殿は鎌倉時代(1280年頃)のもので国の重要文化財に指定されている。
今日は保津町の里を歩き保津小橋を渡り馬堀駅をゴールと目論んでいる。なるべく府道に出ないように田の畦道のような所を辿ったが保津ヶ丘の住宅地前で止むなく府道に出てしまった。溜池の処で再び里道に入り長閑に歩いていると田圃の畔から牛松山や愛宕山が美しく眺められるスポットがあった。保津町訳目では旧亀山城の新御殿玄関を移築したと案内板のある風格ある木造建築があった。残念ながら門は閉ざされ公開されていないようだった。私有地なのか公道なのかよく分からないので何時しか保津橋に近い保津八幡神社に出てしまった。
請田神社への道を通って河川敷の工事中エリアの中を歩き保津小橋で保津川(桂川)を渡った。年谷川も渡り田圃の畦道のような道を真っすぐ南下した。東の方、保津峡の入口方面に目を向けると完全な田畑と山の織り成す風景で人工物がなく素晴らしい。JR嵯峨野線を潜ると旧街道の街並み歩きで馬堀駅に達し軽いハイキング山行を終えた。予定通り13:55発の列車で京都駅に戻り、京都タワー大浴場で汗を流し、ビアホールで反省会を行い17時過ぎに解散した。