令和元年6月8日(土)
半国山(774m)は亀岡市の最高峰の山で、音羽渓谷、金輪寺、神尾山城跡などが山域にあり自然と歴史が楽しめる山である。山名の由来は、丹波、山城、播磨の三国がそれぞれ半分だけ見えるからとも言われている。
【メンバー】 山本浩史L、土井司、梅村重和、小前 竜吾
【行 程】 桂川8:00=8:40赤熊8:52~音羽渓谷~9:56烏帽子岳10:06~10:19小池山~10:46半国山11:17~12:21神尾山城址~12:30金輪寺12:41~13:02宮川神社~13:29赤熊13:40=13:48湯ノ花温泉15:04=15:30桂川
【登山データ】 曇り一時小雨 歩行9.9㎞ 4時間37分 延登高798m 延下降798m 3座登頂
天気予報の降水確率は日を追うごとに下がり、最大40%となった。一時小雨の降る時間もあったが雨具の必要もない一日だった。亀岡市東本梅町赤熊の音羽川の林道のゲート前に車を止めた。ゲートには「半国登山道、先の豪雨で大荒れの状態です。歩くのが困難な所が多くあります。」と平成30年9月の台風被害について地元住民による張り紙があった。獣害防止の扉を開け林道へと進むと浸食された登山道が無残だったが危険個所はなかった。
音羽渓谷と称されているだけあって小さな滝が連続する。落差4m程の斜めに落ちる滝があり近づく「音羽の滝」との標識があった。これが音羽の滝だと思っていたがどうも音羽の滝と云うのは固有名詞ではなく「音羽川にある滝」の意であるようだ。その後も「音羽の滝」と表示のある個所や同じ規模の滝が現れ混乱してしまった。半国山北稜線の牛つなぎ広場へのメイン登山道と分かれ「烏帽子岳→」の方向に進んだ。稜線の鞍部に乗り上ると何の表示もないが北の斜面に取付き烏帽子岳へと登って行った。
烏帽子岳(648m)山頂は広く開かれているが周りの木の背が高く展望は得られなかった。すぐ東側に送電鉄塔があり巡視路が付けられている。パラパラと雨が落ちてきてこれはダメかと思ったがほんの一時的なものだった。鞍部に戻り登り返すとピーク(661m)に「小池山」と表示があった。樹林帯で何の変哲もないピークだった。南に下ると「牛つなぎ広場」と表示があり音羽川を登る時分岐した道が乗り上って来た。地形図には記載がないが西側に「←るり渓」の表示があり登山道が続いているようだ。一貫した登りとなって半国山への登って行った。花期を過ぎたエゴノキは花が落ち登山道を白い絨毯としていた。
半国山(774m)山頂は広く開けて展望が素晴らしいのだが、今日はガスの中、時間は少し早いが昼食タイムにした。単独行の男性が南から登って来た。彼がこの日唯一の登山者との出合だった。南に下り音羽川の源頭を巻き込むように右岸尾根に入った。地形図に幾つかピークがあるがP655を目標に進んで行ったが西側を巻いていた。稜線には踏み跡も無くそのまま巻道を進んだ。次のピークも登山道は大きく西を巻いている。稜線に踏み跡が認められるので辿って行った。しっかりした踏み跡が続き北端から北東方向に下って行った。
一寸した登り返しでP506に達したが何もなく東へと下って行った。P506の東に横たわるピークは神尾山(かんのおやま436m’)で城跡がある。神尾山城は、本目城とも呼ばれ此の辺りの地名本梅町にも通じる名がある。大永6年(1526)に柳本賢治(波多野氏の出で細川氏の被官)が築いた山城で後に明智光秀の城となった。階段状の曲輪跡が残り中世の城跡の面影を良く残している。城跡を下ると神尾山金輪寺(きんりんじ)があり嘗ては多くの寺坊を伴う大規模な寺であったようだ参道を下り、獣害防止扉を開けて外に出ると宮前町(みやさきちょう)宮川の集落で左手の奥まった処に宮川神社があり、神々しそうなので参拝した。
集落内の道を歩き赤熊の駐車地点に戻り登山を終えた。今日の立寄り湯は湯の花温泉・烟河(\700)で露天風呂もあり寛いだ。桂川に戻りイオンの“串まる”で反省会をして19時前に解散した。