京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo. 87~89 吉田山・大文字山・如意ヶ岳

令和元年11月9日(土)


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吉田山(121m)は、京都大学の東側にある小高い山で山中は吉田神社とその摂社等が点在している。大文字山(465m)は云わずと知れた送り火の山で火床と共に山頂から京都市内が一望できる眺望の山。如意ヶ岳(472m)は、航空標識のある地味な山。陰山、諸羽山を経由して山科に下山した。

【メンバー】 山本浩史(単独)
【山  域】 京都市上京区東山区山科区滋賀県大津市
【行  程】 桂川6:37-6:53丸太町6:56~7:31吉田神社~7:55吉田山~8:16霊鑑寺~8:40大文字火床~8:59大文字山9:11~9:44如意ヶ岳9:58~10:34林道分岐~11:18陰山~11:40諸羽山~12:02山科12:32-12:44桂川
【登山データ】 晴れ 歩行16.1㎞ 5時間06分 延登高932m 延下降913m 5座登頂

早朝の地下鉄丸太町駅、観光客は未だ動かず静か。丸太町通は北側に京都御所、南側に裁判所がある。堺町御門から覗くと御苑の木々は色付き始めていた。丸太町橋から見る鴨川の流れは穏やかで心を癒す。京都大学とその関連施設を縫うように歩いて吉田山に近づくと京大の正門に達する。そのすぐ先には吉田神社の鳥居があり、いよいよ神域に入る。石段を上ると吉田神社本社があり参拝した。南に回り込むと吉田神社斎場大元宮(さいじょうだいげんぐう)がある。天照大神、豊宇氣比売神他式内神3,132座の天神地祇八百万神が祀られている。八角形の本殿は重要文化財に指定されているが通常は近づけないので様子が分からない。2月の節分祭は此処で行われる。吉田神社のホームページによると山内に10の摂社があるとされているがこの後立ち寄った宗忠神社は、単独の神社で黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る文久2年(1862)創建の神社だった。
吉田山の南麓に3等三角点「吉田山」(105m)があるが、竹中稲荷の参道を歩いたので見つけることはできなかった。山道は枝道が幾つも分岐し“茂庵”の横を通った。八瀬大原出身の谷川茂次郎が大正年代に建てた茶室、食堂などで現在茶室が2つと食堂の建物がカフェとして営業している。吉田山(121m)山頂は展望台として東屋があり大文字山が僅かに望める程度の眺望がある。下山路も縦横にあり東側は山頂近くまで大正時代の街並みが残り風情がある。下りて来た処には“茂庵入口”と書かれていた。
白川を渡り京都疎水に達すると哲学の道で川沿いの木々が色付き始めていた。あと1時間もすると観光客が溢れて来るのだろう。法然院に抜け霊鑑寺の南角を東に折れ住宅地が途切れた頃大文字火床への登山口があった。登山道に入り今日は大文字の右の足の火床を辿る。真っすぐに延びる火床を辿り大の字の中心にある弘法大師堂に到った。3組の登山者が来ており挨拶を交わし晴れ渡った京都市内の展望を楽しんだ。
大の字の横棒の上の線を辿り大文字山へと向かった。踏み跡が幾つもあってどれが正道なのか迷ってしまう。火床から0.9㎞東に進み大文字山(465m)山頂に到った。3等三角点「鹿ヶ谷」があり、その傍には八角形の大きなコンクリートの塊の「菱形基線測点」No.29があった。これは地球の表面の歪みを知るために作られたもので5㎞位の間隔で測標4点が設置され、その4点を結ぶと菱形を形成していることから「菱形基線」と呼ばれている。全国16箇所に設置されたがGPS測量に移行し今では使用されていない。大文字山のものはNo.30「追分」(逢坂山南600m)、No.31「花山天文台」、No.32「浄水場」(山科区勧修寺新山科浄水場)がセットで戦後に設置され昭和56年までに過去3回程測量が実施されたそうだ。
大文字山からの展望は素晴らしく、大阪の高層ビル群も確認できたが地表付近には煙霧が漂っていた。空気が澄んでいる南の方の展望は素晴らしく、生駒山は勿論のこと金剛山葛城山や何と大峰山脈がしっかり見えたのには感動した。大普賢岳山上ヶ岳稲村ヶ岳、弥山、八経ヶ岳と北部の主要峰が横たわっていた。八経ヶ岳までは直線距離で90㎞もあるのに素晴らしいことだ。ここにも先客が3組あり挨拶を交わした。
如意ヶ岳を目指して東に進むと昨年の台風による倒木が酷い。しかし登山道を塞ぐ木は処理され歩行に問題は無くなっている。いつもは稜線を歩くが今日は途中から稜線北側を巻く林道を歩いた。山中にポツリとある雨社大神に到り、真新しい祠に参拝した。此処から稜線に上がれば早いが更に林道を進み北の尾根を大きく迂回した。稜線に到る道が分岐する筈だが登山道はなく尾根を巻き込んでしまったので谷間を無理やり上った。間伐材がそのまま放置され跨いで行くのに骨が折れた。
稜線に戻ると直ぐに如意ヶ岳(472m)山頂に達した。山頂域は航空標識の施設で二重のフェンスで厳しく立入が制限されているので最高所には立つことができない。フェンスの南側を辿り反対側に行くと大津市による一級基準点があり此処を仮の山頂とした。近くに府県境はあるが完全に京都市のエリアなのになぜ大津市の基準点が置かれているのだろう。南側の展望が開け再び大和葛城山金剛山大峰山脈を見ることができた。
お腹が空いたので少し休憩し、藤尾川へ下る尾根を物色した。大回りする林道はあるが尾根を下る登山道も地形図にはあるが略道形はなく藪漕ぎ状態で下って行った。林道がジグザグに付けられているので3度交差するが3度目は断崖で降りられず谷迄回って下り立った。その先の尾根は下草が濃く然も急で林道を迂回することにした。其れでも次の谷で下に藤尾川の林道が見えたので谷筋を短絡して下りた。如意ヶ岳の南は京都府のエリアに滋賀県が深く入り込み藤尾川の源流迄、川から南尾根の北斜面は滋賀県大津市となっている。
藤尾川の林道を下り南尾根の斜面に登路を探していくと何処も急斜面で登路は見出せない。2本目の送電線を潜ると橋が架かり林道の支線が続いている。谷には簡易な堰堤が3つ見えかなり急な谷だ。急勾配の林道をジグザグに登り尾根に続き稜線に足した。送電鉄塔があり見上げると3方向に電線が分岐していた。藤尾川南の稜線には明瞭な登山道があり2本目の送電鉄塔に達すると北側の如意ヶ岳が綺麗に見えた。この先に顕著なピークがあり登山道は南側を巻いているがもしや山名があるのではと期待しピークに立つが何もなかった。
直進するとP381に達するが分岐して南の尾根に入った。登山道は明瞭で山科から大文字山に登る最もメジャーな道のようで数人の登山者と出会った。送電鉄塔を2本越え登り返した処は蔭山(310m’)、樹林の中の山頂に「蔭山302m」と表示があったが地形図では310mの等高線が入り標高は310mとした。進路が南西に変り前方にP261と諸羽山が見えるが木の間越しで写真に収めることはできなかった。諸羽山の手前に展望地があり山科駅や東山トンネルをでたJR琵琶湖線の列車を俯瞰することができた。
諸羽山(220m)も樹林帯で展望はなく山頂表示を撮っただけで下山に掛った。疎水公園に下山すると地元の人たちが散歩に訪れていた。階段を下りると住宅地で奥に諸羽神社の鳥居が見えたので無事の登山を報告に参拝した。JR琵琶湖線の高架を潜り京阪京津線沿いに歩いて山科駅に達しこの日の行程を終えた。f:id:hirasankun:20191111181306j:image

写真1: 吉田山(121m) 大文字火床より


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写真2: 大文字山山頂より大峰山脈が見える(大普賢岳稲村ヶ岳八経ヶ岳


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写真3: 2本目の送電鉄塔から対岸の如意ヶ岳(472m)を望む