京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.5・6 高山・鼓ヶ岳

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写真1: 高山(702m)山頂にて

 

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平成28年10月23日(日)

 

高山(702m)は豪雪で有名な上世屋集落の奥に登山口があり丹後半島の最高峰である。鼓ヶ岳(569m)は西国第二十八番札所成相寺の奥に繋がる山で、比較的近い位置にある2座を繋げて計画したがネットでもこの間の縦走記録は見つからず突入したが笹が生い茂り微かな踏み跡を辿っての縦走だった。

 

【メンバー】 山本浩史L(車)、土井司(車)、崎山康治(車)、Sさん(車)、江村一範、船木徹 6

【行  程】 綾部駅8:30=綾部IC(京都縦貫道)=与謝天橋立IC=府中P10:00上世屋登山口10:1410:43高山10:5411:00内山の大ブナ~12:00 P62512:21 NTTドコモ電波塔12:5113:10稜線取付~13:57鼓ヶ岳~14:30パノラマ展望台~14:49成相寺14:5915:18傘松駅~15:40籠神社~15:43府中P 15:4916:17上世屋登山口=16:53岩滝温泉18:00=与謝天橋立IC=沓掛IC20:00桂川駅

【登山データ】 曇り一時雨 歩行10.9 5時間29 延登高460m 延下降1,009m 2座登頂

 

参加者6名に車4台、下山口となるケーブル府中駅付近の駐車場に崎山車を置き、登山口の上世屋集落の奥へと走った。途中金剛心院前で土井さんと合流するとSさんの7月に買ったばかりのレクサスでは、この先のダートとなるのでやめた方が良いのではとのサゼッションで地元の強みを生かして土井さんが金剛心院の隣のお家に車のデポをお願いしてレクサスを止め、2台の車で上世屋登山口に達した。登山口は車4台程止められる駐車場にトイレも備えられていた。高山までの道はよく整備され1.4㎞の道のりは僅か30分で山頂に達した。山頂からは、太鼓山(683m)やその肩に権現山(601m)が見え、北北西に一際存在感のある山があったので読図の課題としてコンパスを使い調べてみるとシリーズ前回の山行で登った金剛童子(613m)であることが知れた。

コンパスに進路を設定し南西方向に出発するとすぐ宮津市域から京丹後市との境となり西に駒倉峠方面の道が分岐して行った。市境尾根を進むと内山の大ブナへの分岐があり100m先なので立ち寄ってみることにした。京都府下最大の山毛欅とされ太さはあるが根元から分かれて余り格好は良くなかった。稜線に戻り縦走を続けると山毛欅が多くなってきた。真っすぐに育った木は少なく曲がりくねったものが多い。ここ上世屋は丹後半島で最も雪深い所で、大雪になると「上世屋積雪何㎝」との報道をよく耳にする。

南東方向に進んでいたが踏み跡は柳平(やながなる679m)へ向かって行ってしまい、市境の稜線は南西に90°折れているが笹が被り道は不明瞭となった。この後NTTドコモ電波塔までの1.9㎞は密生した笹藪が続き足元の踏み跡も途切れがちになった。幾つか小ピークを越えてP625で休憩をと目論んでいたがやはり笹が密生して休む処はなく、この後の電波塔までは昼食はお預けとなった。電波塔へは世屋川に合流する川(名前は不明)の源頭部で尾根が微妙に分岐しているので間違いそうになりながらも南へと進んだ。1時間の激闘の末電波塔に飛び出すと一安心で12:25漸く昼食にあり付いた。

樹林を抜けると小雨が気になり雨具を着けて取付道路を下った。林道に合流すると北側の展望が開けた。鼓ヶ岳への登路は直ぐ先の谷で下世屋集落から登って来た道が交差している筈だったが道形は全くなく次の括れで稜線が接する所までは林道を迂回することにした。暫く進み「此処だ」と土井さんが取り付きを見つけ這い上がったが単なる藪で無理やりに稜線に這い上がった。稜線には微かな踏み跡らしきものがあり、笹を掻き分けながら進んだ。東屋が見えると道が現れ藪漕ぎから解放され、もう一段高い所に鼓ヶ岳(569m)山頂があった。展望は得られなかったが2等三角点「鼓ヶ岳」があり今日二つ目のメインの山として集合写真を撮った。

鼓ヶ岳の南側は林道が山頂に到り、問題なく下ることができた。先ほど歩いて来た林道と交差し成相山展望台の表示に従って登山道に入ったが、これまた藪で掻き分けて進んだ。電波塔のあるピークに展望櫓が設えてあったが周りの樹木や電波塔が邪魔で殆ど展望は得られそうにないので上るのは控えた。此処もまた取付道路を下り林道に戻るともう藪漕ぎはない。電波塔の尾根を南南西に下った先端にパノラマ展望台があり此処まで車で来ることができるようで車が2台ほど置かれていた。しかもレストランがあり営業中だった。少し遠いが天橋立宮津湾、栗田半島(くんだはんとう)が眺められた。

車道を下るとヘアピンカーブを繰り返し成相寺に達した。成相寺西国第二十八番札所で大きい。嘗ては堂塔伽藍がパノラマ展望台の辺りまであったようだ。一般車は西の方の谷を下り国分寺跡辺りで国道に達するが、傘松公園との間は専用道路をシャトルバスが走っている。これが寂しいことに空で走って往復行違った。1.6㎞のバス道を歩き達した傘松公園は直ぐ近くまでケーブルカーやリフトが来ておりもう少し賑わっても良さそうな感じだった。

此処まで来ると天橋立は眼下で砂嘴が湾の真ん中にあり、人工でないのが奇跡のような気がした。山屋はケーブルに乗る訳にもいかず西側に付けられた階段を下り府中駅に辿り着いた。此処まで来て籠神社(このじんじゃ)に立寄らない手はないと、少し東に足を伸ばした。元伊勢神宮とも呼ばれ彦火明命(ひこほあかりのみこと)を祀っている。

府中駅前の駐車場に戻り崎山車に全員が乗り込んで先ずは金剛心院前でSさんを降ろし上世屋登山口で土井さんの車と山本車を回収した。今日の立寄り湯はクアハウス岩滝(\500)で内湯が一つあるだけなのであまり長居もせず、温泉前で解散し夫々帰路に着いた。

 

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写真2: 読図課題で確認した金剛童子(613m)

 

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写真3: 鼓ヶ岳(569m) 林道より

No.3614 秋の北比良全山縦走

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【メンバー】CL長野浩三,富岡慶子,田辺久美子,松井篤,中村恵子

【日時】2016年10月10日(祝)

【行程】近江高島駅7:30~音羽~岳山~岩阿闍梨山~寒風峠~ヤケ山~ヤケオ山~釈迦岳~北比良峠~南比良峠~荒川峠14:00~志賀駅15:30

【天候】晴れ

【記録&リーダー感想】46期 長野浩三

 久しぶりに北比良の全山縦走を企画したところ,新しい方々が参加と思いきや,懐かしいメンバーが中心の構成となった。

 いつもながら,ヤケ山,ヤケオ山,釈迦岳の登って降りての行程はなかなかきつかったが,最近マラソンやトレランをやっているせいか,以前ほどしんどくはなかった。

 結構気温が低く,縦走にはちょうどよかったが,立ち止まると寒かった。

 最近は日が短くなったので,大事をとって荒川峠で下山とした。途中までだったが,それでも距離約22km,累積登高約1700mでそれなりにつかれた。

 今後も時々全山縦走を企画したいと思うのでまたご参加よろしくお願いします。

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【感想】54期中村惠子

絶好のトレラン日和だった。 山からの景色も最高に美しかった。リーダーの軽く走りますを真に受けて参加させて頂いたが、登りがきつく結構ハードだった。リーダーの下りの速さには、付いて行けずポイントポイントで、お待たせして申し訳なかった。風が、強く、何日か前の夏日がうそのような気温で、寒いぐらいだった。荒川峠からの帰り道は、下っても下っても荒れた道が終わらず、疲れた足には堪えた。 いつも一人さみしくRUNしているが、久しぶりに5人で走れて楽しかった。

 

【感想】46期 松井篤

久し振りに比良の全山に参加させてもらいました。

結果的には、荒川峠までとなりましたが、現在の自分の実力に見合った結果だったと思います。

気持ちのいい天気と素晴らしい景色、そして健脚のメンバーに助けられ、気持ちよく前に進めることができましたが、やはり暫くサボっていた体は正直で、ほとんど走ることはできませんでした。

冬場にもう少しトレーニングして、できれば来春に改めてトライできればと思います。

 

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〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.4 金剛童子山

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平成28109()

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丹後半島の中央部にある味土野集落は京丹後市弥栄町須川の最奥の集落で山深い。本能寺の変の際、明智光秀の娘である細川忠興夫人の玉(後洗礼しガラシャ)が隠れ住んだ地である。金剛童子(613m)役小角行場の山として嘗ては七堂伽藍が存在していたと伝わる信仰の山である。

 

 

【メンバー】 山本浩史L土井司(車)、崎山康治(車) 3

【行  程】 味土野12:3313:10金剛童子13:2913:33展望台~14:33細川夫人幽閉地跡~14:47味土野14:5615:37岩滝温泉16:31=与謝天橋立IC=(京都縦貫道)=園部IC17:54園部

【登山データ】 曇り 歩行5.7 2時間14 延登高357m 延下降357m 1座登頂

 

太鼓山の登山を終えて京丹後市弥栄町須川の味土野集落に移動した。大谷集落を過ぎると府道75号線は極端に狭くなり車の離合どころか車の幅いっぱいの広さしかなくなった。登山口と思っていた所より300mほど手前に「金剛童子山登山口」の表示を見つけ、車45台分の駐車スペースもあるので車を止めた。予定ルートとは明らかに方向違いなので点線道の先に登山道が繋がっているのかと思ったが崎山さんの持ってきた資料に宇川源流の谷から直登するルートがあるようで、この道を登ることにした。

崎山さんを先頭に進むと比較的整備された登山道にツリフネソウやミゾソバの花が見られ、アキノチョウジやリンドウも咲いていた。登山道の途中に石仏が真新しい祠の中に鎮座していた。登山口にあった案内板には役小角の行場のあった山ということで宗教施設が随所に残り信仰の山であることを物語っていた。話しながら登っていると早いものでまだあると思っていたのにいきなり山頂に着いてしまった。「金剛童子山頂上避難小屋」と看板のある小屋の壁に山頂標識があり扉を開けてみると役小角らしき像が祀られたお堂で1.5m四方程のスペースの板敷があった。役の行者の前で眠ることも憚られ泊まるには一寸不向きだろう。しかも中は馬追虫の巣窟で壁に一杯這っていた。この小屋の北側に3等三角点「金剛山」があったがほぼ全体が土に埋もれていた。北側の展望が利き、前回行った権現山(601m)や船津山(548m)、そして2時間程前に山頂に居た太鼓山(683m)を望むことができた。次回訪れる高山(702m)を探してみると南南西の方角に見つけることができた。

20分程景色を楽しみ当初予定の道を下山し南西方向に300m程進むと展望台があり、何と無料の双眼鏡が設置されていた。覗いてみると前回立ち寄った間人のはしうど荘や京丹後市役所のビルなどを望むことができた。日も射していたのに俄雨となった。樹林帯に逃げ込み下山を続けると直ぐに雨は止みまた日が射して来た。未明に寒冷前線が通過した後冬型の気圧配置になったようで冬の丹後の気候そのもののようだ。

西稜線の下山路は2.5万図に描かれない林道となり進行方向が全く反対になって不安を覚えると再びヘアピンカーブで元に戻った。車道特有の道の付き方で方向感覚が分からなくなってしまった。この後随所に指導標が現れ無数にある支線に入らないようにリードされていた。やがて「堂山、七堂伽藍之跡」の石碑が現れると簡易舗装の林道が交差し右は弥栄町等楽寺への下山路を示していた。視界が開け谷を回り込むように対岸に渡り歩いてきた斜面を離れると金剛童子山の頭を見ることができた。耕作放棄され長い年月の経過した田畑の跡は自然に帰りつつあるが蕎麦の花が白く咲く畑が健在で、その向こうに金剛童子山が望めるポイントは山里の長閑な光景だった。

府道655号線に達すると此処にも登山口の表示があった。当初予定していいた登山口は此処だったので、ピストンを避けられたことに喜びを感じた。ここ味土野は本能寺の変の際、明智光秀の娘である細川忠興夫人の玉が隠れ住んだ地として知られている。府道の終端部にある女城跡がその遺構で玉が2年余り隠棲した。隠れ住む玉を警護するため細川家の家臣が居住した処は男城と云い向かい側の尾根にあったようだ。女城の一番高い所には昭和11竹野郡や中郡の婦人会が建立したとされる「細川忠興夫人隠棲地」の碑があり傍の祠には新しい花が供えられていた。

石碑の出来た時点の味土野は50戸ほど民家があったそうだ。それも昭和38年の豪雪の後、離村し廃村を記念してか「味土野之跡」の石碑を立て氏名と移り住む地名が刻まれていた。その時点では3戸が在村していたようだが、今の住人はそれ以後に移り住んだ人たちだと云うことで味土野の血は離散したと云うことだろうか。

 

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写真1: 金剛童子山(613m)山頂、避難小屋は役小角のお堂

 

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写真2: 味土野集落より金剛童子山(613m)を望む

 

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写真3: 味土野の女城跡には「細川忠興夫人隠棲地」の石碑(昭和11年建立)がある

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.3 太鼓山

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平成28109()

 

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伊根町京丹後市に跨る太鼓山(683m)は、スイス村スキー場と風力発電の風車がある山として知られている。近畿百名山にも選ばれているが山頂域を縦貫林道が通り、超簡単に登れる山である。

 

【メンバー】 山本浩史L土井司(車)、崎山康治(車) 3

【行  程】 園部8:15=園部IC=(京都縦貫道)=与謝天橋立IC10:00スイス村10:3010:56太鼓山11:0011:10スイス村~11:20風車~11:37スイス村11:4512:11味土野

【登山データ】 曇り 歩行3.11時間07 延登高151m 延下降151m 1座登頂

 

太鼓山(683m)は、今年3月に近畿百名山シリーズで来たばかりだ。此の山はスキーリゾートで山頂域を縦貫林道が通りスキーゲレンデ内を少し歩けば山頂に到る。未明に降った雨も上がり今日は雨具の必要ないだろう。土井さんと登山口のスイス村で合流しゲレンデ内の作業道を歩いてリフト上部に達した。南側180°の展望が広がり、この後行く金剛童子山と前回の山行で行った依遅ヶ尾山を山座同定した。東の方を見るとスキー施設の左手のピークに風の学校京都の建物が見えた。前回来た時はあのピークから藪を漕いで稜線道を縦走したものだ。

ゲレンデに目をやると何やら黒いものが、大きな角を持った鹿、ニホンカモシカに見紛うばかり黒い色をしていた。他にも見かけたがこの山域の鹿は黒っぽいのだろうか。稜線を進み太鼓山山頂に達したが山頂を示す標識等は一切なく、1等三角点「太鼓山」が寂しくコンクリートに埋まっていた。リフト沿いの道を下山しようと思っていた下草が蔓延り雨上がりの露をたっぷり含んでいるのでゲレンデ中央部の踏み跡を下ることにした。

僅か10分ほどで駐車地点に戻り、風力発電所の風車を見に行くことにした。9時から開く筈の門は閉じたままだが脇をすり抜け風車に到った。近くで見ると大きいもので塔の高さは50m、羽根の長さは25mと云う巨大な構造物だった。平成13年の完成時には6機あったが相次ぐ故障で1機が休止、平成25年には3号機の羽根が落下すると云う事故を起こし、今では3機しか残っていない。発電量の表示板があり風速7.7m244kwの電力を生み出していた。風車からの展望を期待したが海は見えず、北側から見る太鼓山がいい形をしていた。駐車地点に戻り、次の金剛童子山登山口の京丹後市弥栄町須川の味土野集落を目指した。

 

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写真1: リフト上部から後で行く金剛童子山(613m)を山座同定

 

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写真2: ゲレンデに鹿発見、カモシカのように黒い

 

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写真3: 風力発電風車から見た太鼓山(683m) 

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.2 依遅ヶ尾山

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平成28101()

 

京都百名山シリーズNo.2は権現山山行の後、京丹後市矢畑に移動して、依遅ヶ尾山(540m)に登った。雨の予報が好転して曇り一時晴れとなったが依遅ヶ尾山山頂部だけは雲に覆われていた。

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【メンバー】 山本浩史L(車)、竹山昌孝、土井司(車) 3

【行  程】 河来見13:4514:20矢畑登山口14:2715:17依遅ヶ尾山15:3416:10矢畑登山口16:1716:31はしうど荘17:3017:40間人岡崎邸前18:07~与謝天橋立IC=(京都縦貫道)=沓掛IC19:50桂駅=19:58桂川駅

【登山データ】 曇り 歩行3.4 1時間30 延登高370m 延下降370m 1座登頂

 

依遅ヶ尾山は、関西百名山シリーズNo.128年前にも訪れた。今日は雨上がりで先に行った権現山では時々日差しもあったが、依遅ヶ尾山は頭を雲が覆っていた。登山口に達すると広い駐車場があったが、他に車はなく登っている人はいないようだ。登山道は林道で始まるが駐車場直ぐの所で土砂崩れがあり人一人通れる隙間を抜けて踏み出した。林道の途中に「ありが塔」と標識の掲げられた藁葺の竪穴式住居があった。8年前は真新しかったが今日見るそれは古びて蔦が絡み「ありが塔」の表示は最早判別不能になっていた。

「ありが塔」の直ぐ先から登山道が始まった。2.5図を見ても等高線の詰まり方は激しく急登が続いた。雨上がりで登山道は泥濘み田んぼ状態となっていた。滑らないように慎重に進むが足元が安定しないと疲れ方が激しい。途中2箇所程展望の利く処があり南の大石三角点のある峰(447m)や丹後の海を望むことができた。しかし大石三角点の峰は依遅ヶ尾山同様山頂部を雲が覆っていた。なお2箇所目の展望地には「ここでいっぷく」と云う標識が掲げられていた。

8年ぶりに訪れた依遅ヶ尾山(540m)山頂は何もなく、以前は転がっていた山頂標識も今日は行方知れずで石の祠の中に石仏が鎮座しているだけだった。晴れていれば今日登った権現山や経ヶ岬のピークも見ることもできる筈だが雲に覆われ何も見えなかった。此の山は一本道で来た道を引き返すしかなく休憩した後は温泉を楽しみに下山した。

立寄り湯は8年前と同じで間人の立岩近くにある“はしうど荘”、入浴料金500円でサウナ、露天風呂も備えていた。ユースホステルを兼ねているので一度泊まってみたい所だった。入浴を終えて外に出ると日没が迫り依遅ヶ尾山や海に屹立した立岩が焼けて見事な美しさを見せていた。この様子を見ていると地元の男性が夕日を見るならもっと良い場所があると間人市街の自分の家まで車で先導し案内してくれた。城島の付け根で将に日本海に沈もうとする夕日が雲間に映え美しかった。暫くすると沈んだ夕日が下から雲を染め上げ、これまた幻想的な雰囲気を醸し出していた。大阪から来た親子と共に暫し酔いしれた。

この男性は岡崎廣史さんでアマチュアカメラマンだが観光協会から写真撮影の依頼を受けたりしてパンフレット用の写真を撮ったりされている。またフォトコンテストで入選するなどの実力者であるようだ。自宅をギャラリーのようにされていて自慢の作品を拝見させてもらった。自宅前からの夕日の写真で雲がまるで竜の姿のようになるところや鴨川で撮った鷺が鮎を獲る瞬間の写真など印象的だった。

丹後の実家に戻ると云う土井さんと途中で別れ竹山さんと二人峰山の王将で夕食を食べて帰路に着いた。

 

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