【日程】2007年8月9日(木)~12日(日)
【参加者】計2名
【天候】8/10快晴のち曇り、8/11快晴のち曇、8/12晴れ
【記録】
8月10日
7:00室堂着~7:25出発~8:00雷鳥沢~9:30別山乗越~10:20三田平~12:05真砂沢出合(幕)
アルペンライナーは乗り換えなしで室堂に到着。雷鳥沢までの遊歩道がわかりづらく少し遠回りになった。朝の雷鳥坂を快調に登る。三田平で水場を確認して、30分ほど下ったところからアイゼンを着け雪渓に入る。真砂沢出合まで雪渓は途切れることなく続いていた。
午後は、ビールを飲んだり昼寝をしたりしながらダラダラ過ごす。夕方からガスが湧いて来たが雨にはならなかった。明日の行動に胸をときめかせながら早めの就寝。
8月11日
2:00起床~3:30出発~7:30Cフェース剣稜会ルート取り付き~10:30Cフェースの頭~13:00池ノ谷乗越~14:00三ノ窓(幕)
暗い中をラテルネをつけて出発。30分で長次郎谷に入りⅣ峰の下あたりのインゼルで一本たてる。Ⅵ峰基部まで来るとDフェースの周囲は大きなシュルンドが開いていたので、Cフェースからシュルンドづたいに接近を試みるがつながっていなかった。
仕方なく剣稜会ルートに変更する。3ピッチ登ったバンド状のテラスからカンテに出るべきところを右手のフェースに入ってしまいルートをはずれてしまう。少ない支点を頼りに5ピッチ目でリッジに辿りつき正規ルートと合流するが、すでにハンドトラバースを過ぎてしまっていた。次のピッチでCの頭に出てしばらく休憩。
Dの頭を越え、Ⅵ峰の先のアンサウンドを10mのラペル。Ⅶ峰は三ノ窓谷側を巻き、そのまま巻き道づたいにクレオパトラニードルの基部まで行くが、先の状態が読めないのでⅦ・Ⅷのコルに戻ってⅧ峰を登る。ここからは数パーティーがチンネ左稜線を登るのが見えた。Ⅷ峰から5mのラペルでコルに降り立つと八ツ峰の頭の基部に池ノ谷乗越につながるバンドがあったので八ツ峰の頭には登らず10mのラベルでバンドに出て池ノ谷乗越へ出る。
池ノ谷ガリーの不安定なガレ場を下って三ノ窓に着いたときには時間が遅かったので三ノ窓ビバークとする。水は小窓王の下の雪渓で取った。辛うじてメールがつながったので留守本部に三ノ窓到着を報告する。この夜は当会を含めてツエルトが二張り。日が暮れると遥か西に富山の夜景が浮かび上がった。少し雨がパラついた。
8月12日
4:00起床~6:00出発~8:10劔本峰8:50~10:40伝蔵小屋11:05~14:00馬場島
前日の疲れもあり遅めの起床。薄明にチンネ、小窓王、劔尾根が聳え、後方には池ノ谷が不気味に覗く三ノ窓はクライマーの聖地である。それで今回はビバークに当たってキジ袋を用意した。使い慣れないせいか照準はイマイチだったがパッキングは思ったよりも軽量コンパクトであった。
朝食後にスケジュールを検討するが、結集例会という制約を考慮すればチンネを登れても下山の残業に耐えるには力量が不足している、とCLの判断により撤退とする。すでに熊の岩から続々と登って来る巡礼者たちを横目にモルゲンロートに輝くチンネに別れを告げる。北方稜線は適当に巻き道を使いロープは出さずに通過した。
伝蔵小屋には早月小屋と伝蔵小屋の二枚の看板が掲げられていた。早月尾根を下るにつれ夏の暑さが戻ってくる。馬場島では「試練と憧れ」の碑の出迎えを受け、久しぶりに有線で下山報告をして山行を終えた。
【感想】48期 J.U.
手元の文献によれば剣稜会ルートは2級(初級?)、チンネ左稜線は4級下(中級?)である。残念ながら今では先人たちがRCCグレードの体系に込めた意味を理解できる機会はめっきり少なくなってしまった。
今回の山行をなぜ「ACRシリーズ前半の山場」として位置づけ、告知グレードを「体力★★★+α、精神力∞」としたかは、一連のシリーズによって証明されたと思う。 かつてA.F.Mummeryは「登山には危険と困難はつきものだ」と言ったが、とりわけこの山域では今回のような絶好の気象条件であってさえ困難よりも危険の比重が高いのである。例えて言えば、金毘羅のホワイトチムニーはデシマルグレードでは5.4に過ぎないのだが、これをフリーソロで上り下りするような登山特有の集中力が求められる。また、別の例え方をすれば、サッカーで何十本シュートを打たれても絶対にゴールを割らせない、わずか一本のシュートでも確実に決めるような「計算や確率では求められない解」を出せるかどうかが問題なのである。そこで勝敗を決するのは技術や体力がどうとか装備がどうだとかいった姑息な理屈ではない。
アルパインクライミングとアプローチの長いマルチピッチクライミングとの相違点は、どこまで「自分を信じることができ」、どこで「自分を許してしまうのか」を自らに問うための道楽だということである。そういう心性を抜きにして量的な経験を重ねたとしてもチンパンジーがゴリラに進化しないのと同じ結果しかないのではないだろうか?系統発生の原点にあるものを再確認するという意味を込めて、本シリーズには「アルパインクライミングルネサンス」と命名をした。
以後、後半課題にうつるが物好きな方がいればご参加を歓迎する。
【感想】43期 H.M.
三日間、好天に恵まれた剣合宿だった。以前から行きたかった八つ峰Ⅵ峰から北方稜線の縦走ができたのは大きな収穫だった。景色も最高で、北方稜線の縦走はとりわけ楽しかった。ただ、リーダーに当初の計画を縮小してチンネを登らずに撤退してもらった点ではいろいろ課題を残したかと思う。トレーニング段階で御在所や錫杖に参加していたT中さんやOさんが参加できず、飛び入り的に私が参加したものの、11日の長次郎谷~八つ峰~三の窓で、すでに課題が山積していた。
- 17キロ担いでの登攀では、簡単な壁でもスピードが出ない。2級・標準タイム1~2時間のⅥ峰Cフェースではそれほど難儀したわけでもないのに3時間を要した。4級標準タイム3~4時間のチンネなら5~8時間を覚悟しないといけないだろう。
- 八つ峰上半部に2時間半かかった状況からみて、チンネのピークから剣本峰までの行程に3~4時間必要と思われた。午後はガスも出るのでさらに遅くなる可能性もある。朝6時にとりついても、剣本峰まで9~12時間、テント場である剣沢キャンプ場までさらに3時間で、合計12時間~15時間行動が想定できた。(下手をすると山頂で日没ヘッドランプで下山か三の窓に戻って連続ビバークとなる)
- 水は行動用に1リットルを予定したが、あまりの好天で、長時間行動になれば後半は脱水状態での行動を余儀なくされると思われた。
- U坂さんは体調良好であったが、M山が体調不良で3日目を迎えた。以前からの右手人差し指の負傷に加え、極度の睡眠不足で明らかに注意力や集中力が低下し、居眠り運転のような状況が登攀中や縦走中に時々現れた。
集中力の欠如のせいか、八つ峰での懸垂では、初歩的なミスで小ハングの懸垂下降中に足を滑らして、制動をかけている右肘を強打し、あやうく墜落するところだった。(左手のごぼうで止めたが)チンネが済んでも、落ちればただではすまない場所が連続するルートで、3日連続3時間程度の睡眠時間と脱水状態で長時間行動に突っ込むのはリスクが高すぎると判断してリーダーにエスケープをお願いした。
チンネ自体の難易度や高度感への不安はあまりなく、精神的には冷静で安定していた。正直なところ「こんなにいい条件なのにもったいない」「U坂さんに申し訳ない」「次に登れるチャンスはなかなかないだろう」と思う気持ちの方が強かったが、「欲や見栄や遠慮」に流されて正確な判断力を欠けば、窮地に追い込まれる確率は高かったと思う。ある程度リスクを犯してつっこまなければ目標は達成できないという面もあろうが、「結果オーライ」に期待する登山は事故への近道だろう。
今後、このレベルのアルパインクライミングに参加するためには、もう少し体力的な余裕を持つこと・体調管理のミスを犯さないこと(工夫すれば回避できた)が最低条件かと思う。リーダーには私の力不足でご迷惑をおかけしたが、寛大な判断をいただいたことを深く感謝している。