
【メンバー】CL:A、SL:S、T、N、I、M 会員6名
【行程】2024年5月25日(土)晴れ
ロッジ前7:00=出町柳7:10=広河原下之町(車デポ)8:24〜9:20ダンノ峠〜9:44同志社小屋〜10:00四郎五郎峠〜10:40廃村八丁(八幡跡も)11:30〜12:06ソトバ峠(丹波広域林道交差)〜12:53小塩東谷(衣懸坂とりつき)〜14:01(撤退)〜14:54小塩東谷〜15:26ソトバ峠〜(丹波広域林道)〜15:47衣懸坂〜17:07広河原菅原町〜17:20デポ地
☆『北山の峠』掲載峠:ダンノ峠・四郎五郎峠、卒塔婆峠、衣懸坂
【記録と感想】 52期 A
今回は、廃村八丁を巡る峠。ダンノ峠には尾根筋から順当に到着し、緩くて広い谷沿いに下った。同志社新心荘を横目に、四郎五郎峠へ。つづら折りで高度を下げ、何度か徒渉を繰り返すと廃村八丁が現れた。
なんとなく暗い雰囲気のところかと思っていたが、天気が良いこともあってか、爽やかに感じた。かつて有名な存在であった土蔵は潰れて久しく、跡形もない。
八幡宮も残骸となっており、住民が土地権利取得に至った記念碑も倒れていた。
ソトバ峠へは難なく到着。丹波広域林道が交差している。交差地点が峠かと思っていたが、小塩側に少し登ったところに風格ある本来の峠があった。
古道感に満ちたつづら折りを下り、堰堤に出たところで道が崩落しており、若干ルートファインディングに時間を要したが、川沿いに下り、小塩東谷からの舗装道路に出た。
そこからは素直に進めば衣懸坂かと思っていたが、すぐに道が無くなってしまった。地形図アプリにある登山道とりつきも、単なる山の斜面。
しばらく川沿いに前進し、何度か、地形図アプリに表示されている小径を探しに斜面を登り降りしたが、道は存在せず。
前進を断念し、ソトバ峠を登り返して、尾根筋の丹波広域林道を歩いて衣懸坂へ向かうことにした。
衣懸坂の丹波広域林道からの入り口は明瞭だったが、すぐに道が不明瞭になった。進行方向を定めて斜面を下り、水流のあるところまで行くと、道が現れた。このままスムーズに降りられるのかと思ったが、途中から数年前の台風の被害なのか、倒木等で道がたいそう荒れていた。
帰宅してから調べると、私自身、1986年4月に計画したコースを歩いていたことが判った。衣懸坂も難なく通過しており、峠での写真もあった。いつのまに衣懸坂は山に還ってしまったのだろう。
【感想】66期 M
今回はダンノ峠四郎五郎峠から廃村八丁、衣掛道です。
こぢんまりとした慎ましい道に慣れてきて気分良さも倍増してきた北山の峠です。
本を読んだから慎ましく感じるのか、慎ましさを受け取る準備が本を機会にいただけたのか、さっぱりわかりませんが、著者の表現力に感服です。
ダンノ峠は明るくほっこりとします。四郎五郎峠を過ぎると廃村八丁に近づきます。家があった場所なので、木はまだ生えておらず、明るい素敵な空間です。私に廃村に住む根性は無さそうですが、ここに帰ってくる家があったら帰宅が楽しみになりそうです。
そのままソトバ峠から衣掛坂に。衣掛坂に入ると道は憶測でしか分からない状態でした。何度も道があるか確認していただき、最終的には戻りました。とても楽しいアドベンチャー体験ありがとうございました。これも個人ではとても不可能な体験。
Aリーダーはじめみなさま贅沢な1日をありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
【感想】54期 N
北山の峠をたどる例会も数回参加させてもらうと、さすがに知識の浅い私にも風景としての峠がわかってきた感じがしてうれしくなりました。
林道上の“卒塔婆峠"の標識のあと登山道を進んでいくと少し開けた所がありSさんが「ここ峠ぽい」と言われてまわりを見渡すと小さい“卒塔婆峠"の標識がありたぶんここが本当の峠と言う事でさすがと思い感心しました。
廃村八丁は開けたところに石積みや、神社跡があり昔の風景が垣間見られたようでした。
沢沿いの道は荒れていて、きつめの山行でしたが、アドベンチャーな感じで楽しかったです。

【感想】67期 S
廃村八丁は、学生の頃にガイドブックで蔵や神社の写真を見て、一度行ってみたいと思いながらもながらく果たせずにいた場所である。当時はものすごく遠くに思えた八丁も、今では広河原まで車で1時間ちょっと。そこからダンノ峠を越え、八丁川源流の美しい風景のなかをのんびり歩いて2時間強。突然ぱっと石垣があらわれ、すぐにそこが村のあった場所だとわかった。
新緑に覆われた八丁はあまりにも明るくのどかで、かつてはシンボル的存在だった蔵もなくなり、苦難と悲しみの歴史をしのぶ場所というよりも、キャンプ場でもあったらはやるんちゃうかなと思うほど。しかし、村の中心部に進むと、八丁人が何百年にもわたる山論の末に山林の権利を勝ち取ったことを示す記念碑は無惨に倒れ、神社も崩壊して朽ち果て、時の流れの惨たらしさを感じる。20年か30年くらい前までは蔵も神社(神社は7,8年前の記録では残っている)も民家もいくつか残っていたはずで、このかんの自然環境の激烈な変化を思い知らされる。
ところで八丁は、村があった頃よりも廃村になってからのほうがその名を知られるようになったということだ。この日は誰もいなかったが、かつては多くのハイカーが行き交った八丁。それを最初に紹介したのは、森本次男『京都北山と丹波高原』(朋文堂、1938年)だろうか。確認できたのは1944年の版だが、森本の名文はたしかにハイカーのロマンを掻き立てるものだったのだろう。
村を出て卒塔婆峠に向かう途中、かつての村人たちのお墓があった。お墓はきれいに保たれているように思える。今もお参りに来られる方々がおられるのだろうか。
広域林道を渡って卒塔婆峠を越えると、美しい古道が見事に残されていた。味わい深い道を沢に降り、馬場谷をさかのぼって衣懸坂の取り付きを探す。しかし、道の痕跡はまったくない。一箇所だけ滝を右岸に巻いたところで明瞭な道の跡を発見したが、それはすぐに消えてしまう。谷が二俣に分かれ、左俣に少し入ったあたりで古道は左岸の山腹をつづら折れに上がっていくはず。Aさんが山側に登って、僕は沢沿いを登って道を探すが、どうしても痕跡を発見できない。残念ながら、ここで時間切れとなり、卒塔婆峠に登り返して広域林道をたどることなった。またぜひ衣懸坂にはチャレンジしてみたい。
衣懸坂は、Aリーダーは30年前に歩いたことがあってそのときにはふつうにハイキング道として残っていたとのこと。伝説に彩られた歴史的な古道が何百年も残っていたのに、わずか30年で完全に消えてしまう。無常というか、20世紀末以後のわれわれの社会がもたらした大きな環境変化の影響なのだろうか。多くのハイカーに愛されてきた北山のハイキング道も、あと10年もたつとやがて消えてしまうのだろうか。われわれ人間社会と山、自然をめぐる問題について、多くのことを考えさせられる山行となった。

【感想】62期 I
北山の峠歩き、“廃村八丁”に惹かれて参加させてもらいました。
この約1か月前に、同じくAさん企画の『小野村割岳』に参加させてもらった際、分岐で『廃村八丁↑』とのプレートを見ていたので、どんなところだろう?と思っていました。
8時半前にスタートし、廃村八丁に着いたのが10時半過ぎ。2時間とちょっとで到着。マップでは、廃村八丁がほぼ折り返し地点。『ちょっと早く着いてしまいましたね~。』ということで、休憩も長め。ここまでは、ゆる~いハイキングという感じで、このままゆる~くハイキングが終わって、早めの帰宅になるかな、と思っていました。
廃村八丁は、のんびり穏やかで趣もあり、ここでテント泊したら楽しいだろうな♪と思いました。
廃村八丁を出発し、卒塔婆峠を越えたあたりから、先に進むにつれて、登山道が不明瞭になり、道がない、とか、これ道かな??といいつつ、斜面を登ったり。何回もAさんが、斜面を登って道がないか偵察に行ってくれて少しずつ進んでいくも、結局、道がなくなっている、ということで、途中で引き返すことに。
卒塔婆峠まで引き返し、林道を通って衣縣坂の方へ。衣縣坂からまた山道に入ったけど、すぐに激下り…。人が歩いた道っぽいのもなく、でも、ピンクテープはあるので、ピンクテープと、ずいぶん先に降りて行ったAさんの声の方向を頼りに、その辺の木や枝を掴みながらおりました。
激下りが終わったと思ったら、倒木がたくさんの沢沿いの道。しばら~く歩いて、先頭を行っていたAさんが「林道にでましたよ!」と言ってくれた時はちょっと嬉しかったです。林道にでても、時々ぐちょぐちょなところがあり、それまでなんとか汚さずにいたトレランシューズも、最後に泥で汚れてしまいました(残念!)。
廃村八丁辺りでは、今回はだいぶゆるハイクだなぁ、と思っていたものの、終わってみると、9時間弱の山行でまあまあ歩きごたえのあるハイキングで、楽しかったです。
Aさんを初め、みなさまありがとうございました。