京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉《山紀行693》 安土山・繖山

ポッカリと空いた初冬の日曜日。ストックしておいた登山プランの中から安土城観音正寺の山行を引っ張り出した。前日にメールで同行者を募ったところ3人も同行してくれた。畑中さんの名(“迷”)ガイドにより安土桃山時代に思いを馳せ穏やかな日差しの中、ハイキングを楽しんだ。

 

20091206安土山1

 

見寺本堂跡にて

 

 

《山紀行693》 安土山・繖山   平成21年12月6日(日)

48期 山本浩史

 

ポッカリと空いた初冬の日曜日。ストックしておいた登山プランの中から安土城観音正寺の山行を引っ張り出した。前日にメールで同行者を募ったところ3人も同行してくれた。畑中さんの名(“迷”)ガイドにより安土桃山時代に思いを馳せ穏やかな日差しの中、ハイキングを楽しんだ。

 

【メンバー】  畑中里子、葛城美知子、小松久剛、山本浩史 計4名 

【行  程】  京都8:37-(JR琵琶湖線)-9:21安土9:26~9:41活津彦根神社9:48~10:28安土山10:37~11:30北腰越~12:47繖山~13:07観音正寺13:25~14:03地獄越~14:13雨宮龍神社14:26~14:57猪子山(北向岩屋)15:07~15:38能登川15:48-(JR琵琶湖線)-16:36京都

【登山データ】  歩行12.5㎞ 6時間12分 延登高 720m 延下降 720m 3座登頂

 

参加表明不要としたので、安土駅に着いて初めて4名の参加ということが確定した。30数名の別グループが集う駅を後にして安土の街を北へと進んだ。1キロ余り先にある活津彦根神社に参拝、なんと読むのだろうとああやこうやと言いながら近づくと道標により「いくつひこねじんじゃ」と言うことが分った。東に折れ安土山を目指す。百々橋を渡ると安土城の石段があるが、入山が有料となり今はここからは登ることができない。そのまま東に進み大手門跡の入口で500円払って“入城”する。

安土城天正7(1579)年に織田信長が建てた山城で日本初の天守閣を持った華麗な城であったそうだ。本能寺の変で焼かれ僅か3年しか世に存在しなかったわけだが、石垣だけは往時のままの姿を今に伝えている。山頂の天主台に続く石段には、石材を急いで集めるためお地蔵さんなどの石仏がそのまま使われ無神論者の信長の凄まじさを留めている。今ある建物は奇跡的に焼失を免れた見寺三重塔(重要文化財)と二王門そして徳川家康邸跡と伝承される地に昭和7年建てられた見寺仮本堂があるだけ。

名残の紅葉は城地の至る所で楽しませてくれる。山頂の本丸まで標高差が100mほどあり、歩くしかなかったあの時代、毎日の出仕はさぞ大変だったろう。黒金門跡を入り二の丸に達すると織田信雄四代供養塔や織田信長本廟がある。山頂付近は本丸跡から続く天守閣の跡で、石垣と礎石が残っている。北方向にだけ展望があり伊庭湖を見ることができる。築城当時は南だけが平地で三面を琵琶湖に繋がる湖であったそうで400年後の今は伊庭湖、西の湖を残して近江平野の一部になっている。

下山路は見寺三重塔を通り、百々橋へと続くが途中でトラバース道によって大手門へと強引に戻された。通称朝鮮人街道の県道を歩き北腰越(105m)に到る。安土山と繖山の括れの峠で下を東海道線が近江平野唯一のトンネルで抜けている。“近江風土記の丘”の石碑があり背後の椛が見事な赤でコントラストを添えている。指導標に導かれ繖山の西の稜線を登る。気軽なハイキングでもここは300m余りの標高差、無風でじんわりと汗が滲み繖山三角点(433m)に達した。最高点は440mあるが三角点もあり展望も一部あるのでここが事実上の山頂とされている。登山者は結構あり観音正寺参拝と合わせ手軽なハイキングを楽しんでいるようだ。昼食後歩き出そうとすると30人余りのパーティーが南稜線から来て狭い山頂は満員電車並みの混雑になってしまった。そう駅前で集合していたグループだ。

稜線を少し南に進むと分岐点にある指導標が非常にややこしく結局どっちから行っても行けそうなので右に折れ本当の山頂と思われる最高点に達した。表示などは一切ない。この辺り一帯は六角氏の観音寺城の遺構で比較的規模の大きな石垣が残っている。信長に攻められ廃城となったが安土城を凌ぐ規模の山城だった。

観音正寺に立ち寄ろうとそのまま下っていくがいつまでも下っていきそうなので不安になり引き返して尾根ルートに出た。鼠岩で車道に出て観音正寺に到る。スピーカーから御詠歌が流れ西国三十二番札所で少ないながら参拝者は絶えることは無い。

寺伝によると推古天皇13(605)年創建、聖徳太子が自ら刻んだ千手観音を本尊とし栄えたが六角氏がこの山を居城としたため、山麓に移され度々戦火に会うなど苦難の時代があったが、六角氏が滅びた後は再び山上にその寺域を広げた。明治15年彦根城の欅御殿を移築し本堂としたが、平成5年に本尊と共に火災により消失した。平成16年5月、白檀造りの千手千眼観音と共に再建成り再び信仰を集めている。

境内から近江富士の三上山が優美な姿を望むことができた。観音正寺を後にし周回するように繖山三角点に戻り、北への縦走路を進む。地獄越までは明瞭な道のあることを確認していたが、その先には道が無いかもしれない覚悟していたが、繖山三角点の西尾根分岐点には「←北向岩屋3.4キロ」の指導標があり、ヤブ漕ぎは免れたようだ。

暫く進むと木が斑になり展望が良い。400mの低山とは思えない稜線だ。鈴鹿山系や比良山系が一望で山頂よりよほど景色が良い。度々立ち止まり撮影、この所畑中さんも携帯で写真を撮るようになり要所要所でバシャッ。地獄越は5差路でその昔から交通の要所であったのだろう。

急坂を登り返し縦走路から東に飛び出し石段を登ると雨宮龍神社の立派な社殿がある。山頂の無人の社にしては透かし彫りの龍が素晴らしく立派すぎる。玉垣で囲われた岩座と注連縄の張られた御神木があり御神体のような厳かさがある。

あまり変化のない稜線を進み4等三角点「上山」を探す。近くに北向岩屋があるはずだ。そして見つけた三角点の傍らには立派な猪子山(268m)の山頂標識、山名があり一つ儲けた。すぐ下に注連縄の張られた巨岩があり回り込むと朱塗りのお堂、背後に続く岩屋には北向十一面観音が祀られている。

ここからは登山地図にも道が描かれ、コンクリートの階段と車道で麓に到る登山口付近は古墳群があり石室が露出している2基の石室を目にすることができる。案内版に導かれ磐座に立ち寄り、岩船神社の裏手には大きな船形石を見てこの地域は巨石信仰が有ったのだと確信した。

能登川の街中を歩きこの日のカルチャー登山を終えた。京都駅で喉を潤して解散した。

 

20091206安土山3

写真: 安土山、長命寺山、後に比良山系(繖山西尾根より)

 

20091206安土山4

写真: 鈴鹿山系霊仙山(繖山北尾根より)