京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo. 80~82 小倉山・山上ヶ峰・嵐山

令和元年10月6日(日)

小倉山(296m)は嵐山の保津峡の出口に鍋を伏せたような山で古来和歌に名を残している。山上ヶ峰(482m)は保津峡南部唐戸越一体の最高峰で円錐形の美しい山。嵐山(382m)は云わずと知れた渡月橋背後の山、これら京都百名山3座を一挙に登った。

【メンバー】 山本浩史L、安宅 耗人、加藤 一子
【山  域】 京都市右京区西京区
【行  程】 京都7:35-7:48嵯峨嵐山7:55~9:03小倉山9:10~9:54トロッコ保津峡駅~10:51山上ヶ峰11:26~12:07烏ヶ岳~12:26嵐山12:38~13:06松尾山~13:49西芳寺林道~14:19松尾大社~14:46嵐山16:14―桂-16:32烏丸
【登山データ】 晴れ一時曇り 歩行17.8㎞ 6時間51分 延登高1,103m 延下降1,111m 5座登頂

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JR嵯峨嵐山駅は外国人観光客の増加で年中賑わうようになった。しかしまだ8時前、静かな嵯峨野の竹林の小径を歩き小倉池に達した。トロッコ嵐山駅前で大河内山荘から亀山公園に至る道にあわや行ってしまいそうになったが小倉池の畔を通り登山道に入って行った。小倉山の稜線道を通り越して巻道コースに入った。稜線に上がって行くと思しき分岐が幾つも現れるが指導標は一切なく稜線への誘惑が続く。樹林帯で現在位置の確認も儘ならず意外と遭難が多いのも頷ける。
小倉山の南側から登頂しようと目論んでいたが巻道の続きが草生して誘惑に負け斜面を登って行くと道は略なく小ピークの作業道に乗り上った。嵐山高尾パークウェイに繋がる作業道で暫く歩き、「小倉山山頂へ」の標識の処から登山道に入り小倉山(296m)に登頂した。展望のない山で給水休憩を取っただけで作業道に戻った。パークウェイに達すると道は人の通行が禁止された自動車専用道路で道路の脇に登山道が付けられていた。
六丁峠の手前で保津川清滝川の合流する辺りを俯瞰することが出来た。六丁峠に達すると二人の女性が休憩中で京都トレイルを栂ノ尾まで歩くそうだ。六丁峠は嵯峨と越畑を結ぶ府道50号線が越えておりその上空にパークウェイの橋が架かっている。カーブの連続で高度を下げ落合橋に到り清滝川を渡った。保津川沿いの道を歩き、吊橋を渡ってトロッコ保津峡駅に到った。保津川右岸の護岸に下りて線路に沿って少し進むと築堤が短い鉄橋で切れた処の沢を這い上がり鉄橋を潜った。
鉄橋の向こうから登山道が始まり等高線の詰まった急斜面を這い上り稜線に達した。尾根道となるが再び急登となる。駅から歩いて40分ほど経った頃右手に林道が現れ飛び出した。作業小屋があるがひと気はない。直ぐに登山道に戻り緩やかになった斜面を登った。「稜線本道」と標識の掛かる巻道と分かれ直登路に入った。左手に獣害防止ネットが現れ、倒木でルートが右へ左へと迂回しながら山上ヶ峰(482m)山頂に到った。3等三角点「上山田」があり小さな山頂標識も設置されていた。
以前に来た時は南東側から取付いたが、獣害ネットがあり「立入禁止」と表示もあるので北東側の取付きに戻るしかない。“稜線本道”に戻り南下して烏ヶ岳を目差した。小さなプレートに団子が三つ串刺しにしたような表示が目に入った。烏ヶ岳、嵐山、松尾山とこれから行く縦走路の名前があり団子の上か下に山名が書かれているのでどうやら何れの山も巻道(稜線本道)があることを示しているようだ。十七号橋坂を書かれた分岐に達すると登って来るグループがあった。どうやら西芳寺林道の奥から発する登山道のようだ。
烏ヶ岳直下に到ると標識のとおり“稜線本道”と称する巻道と山頂に向かう踏み跡が分かれ予定通り山頂に向かった。烏ヶ岳(398m)山頂には小さな山名プレートが掲げられていたが樹林帯で展望はなかった。給水休憩だけで先に進むと“稜線本道”が合流したが倒木で結構険しそうな道だった。暫く行くと嵐山(382m)の巻道分岐で此処も忠実に稜線を辿った。山頂域は嵐山城の遺構で広く比較的平らな山頂が曲輪跡と知れる。然も本丸跡と推定される。嵐山城は、明応6年(1497)香西元長によって築かれた城で、永正4年(1507)主君細川政元の暗殺を謀ったが敗死、城も炎上したと云うがその後の経緯は不明。中世の城で明瞭な石垣もなく土塁と曲輪跡に面影を留めている。
南東の曲輪跡で巻道と合流し再び“稜線本道”を行く。木の間越しに街並みが望めるが展望の利く処はなく歩を進めると法輪寺への下山路が分岐し少し入ると展望台があった。愛宕山から沢山、比良の蓬莱山(1,174m)や先週登った横高山・水井山、比叡山の姿が素晴らしかった。直ぐ近くに目をやると渡月橋や岩田山モンキーパークに観光客の姿が望めた。
分岐に戻り少し行くと松尾山(276m)で3等三角点「松尾」が設置され比叡山方向だけが開けていた。山頂部に大岩が重なり、その下に隙間が見える。これは古墳の石室の跡のようだ。この山一帯は、松尾山古墳群と云われ古代、秦氏一族の勢力圏であったことから所縁のある豪族が葬られていたのではないだろうか。縦走路は京都トレイルの道となり登り返すと3ピークの頂、ここも石室の跡が露出していた。最後のピークに登ると地形図に山頂から稜線を通る水線が水色で記されている。谷地形でない所に水線に違和感があり興味を持って現地を見たがやはり水が流れているような様子はなかった。
下り切って西芳寺林道に下り立ち苔寺の門前に到るがひっそりとしていた。拝観のハードルが高くなって落ち着きを取り戻して40年余りの歳月が流れた。嵐山へは山端の道を辿った。途中、華厳寺鈴虫寺)、月読神社等があり奈良の山の辺の道のように歴史を感じる静かな道だった。松尾大社の神饌田は、稲穂が頭を垂れ10月12日の抜穂祭を待っていた。11月23日は新嘗祭で、皇室の祭祀を彷彿とさせる。さらに北上すると薬師禅寺や妙珠寺、蔵泉庵、無量壽寺、西行法師旧跡の西光院等、歩いて初めて知れるお寺を味わった。最後は十三参りで知られる法輪寺の前を通り嵐山温泉風風の湯(ふふのゆ)に達した。

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