京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.27~29 三国岳・経ヶ岳・イチゴ谷山

平成29108()

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写真1: 三国岳(959m)山頂にて

 

岩屋谷には自然の岩屋が3箇所ある。登山道沿いにあるのは一ノ岩屋だけで他は登山道から離れている。三ノ岩屋分岐から尾根に取付き山城丹波・近江三国境の三国岳(さんごくだけ959m)に乗り上った。山城近江国境尾根を下り経ヶ岳(889m)、イチゴ谷山(892m)の京都百名山三座を一挙に縦走した。下山は道のない市後谷南尾根を下った。

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【メンバー】 山本浩史L(車)、加藤 一子、葛城 美智子、高橋 秀治()、江村 一範、市橋 淳平

【行  程】 桂川駅6:517:16堀川寺之内7:218:31岩屋谷出合8:449:03一ノ岩屋~9:18三ノ岩屋~10:21三国岳10:3411:15久多越~11:43経ヶ岳12:1112:32ミゴ越~13:04イチゴ谷山~13:39 P909 13:5214:52イチゴ谷出合~15:18岩屋谷出合15:2716:00朽木温泉てんくう17:0719:00桂川駅

【登山データ】 曇り後晴れ 歩行距離11.4㎞ 延登高947m コースイタム6時間34

 

京都市左京区の山深い集落久多の最奥にある岩屋谷と滝谷が出合う地点に車を止めた。岩屋谷の林道には鎖が掛かり一般車の侵入はできない。林道の終点に到ると京都府立大学久多演習林の事務所と案内板がありこの一帯が演習林のエリアであることを示していた。此処から岩屋谷沿いの登山道となり江村さんを先頭に進んだ。先ずは枝沢を木橋で渡るが対岸に近づくに連れ、橋は傾き危なっかしい。東側から2.5万図に明確な水線の描かれた久良谷が合流し200m程行くと一ノ岩屋に達した。間口の広い洞窟で奥に不動明王役小角が祀られていいた。二ノ岩屋へは登山道から分岐し少し遠いようなので立ち寄らなかったが道もあるかなしかのようだ。三ノ岩屋は三国岳南尾根への取り付き地点から分岐し岩屋谷を少し遡った処にあり洞窟の奥には不動明王が祀られていた。

取付いた尾根は等高線が詰まり急坂でジグザグに付けられた登山道を登った。40分程歩くと城丹国境尾根に達した。三国岳(959m)山頂へは10分余りの登りで到着した。高島トレイルの標識があり2等三角点「久多村一」が置かれている。厳密にはこの地点は単なる城丹国境尾根上の地点で近江は接していない。東にあるピークが三国境なのだが一番標高の高い地点が三国岳山頂とされたようだ。全国にある三国岳は「みくにだけ」と読ませる山が多いが此処は「さんごくだけ」と読ませる。樹林の隙間から武奈ヶ岳(1,214m)を望むことができた。

山頂で少し休憩して北東に進み、その三国境から山城近江国境尾根を東南東へと下りだした。稜線の切れ目から振り返ると三国岳が望め、P885に達すると経ヶ岳を望むことができた。その背後には比良山系が見え蓬莱山から武奈ヶ岳まで望めた。緩やかにカーブして南に進路が向くと久多越(丹波越)で滋賀県高島市の桑原橋への道が分岐していた。経ヶ岳までは派生する尾根が幾つもあり広い稜線は何処でも歩けるのでルートファインディングには注意を要するエリアだ。西側から回り込むように斜面を登り経ヶ岳(889m)山頂に到った。展望はなく木の根方に自然石の平たい岩が恰も仏像のように立てられその前に「ここが経ヶ岳です」のプレートが置かれていた。葛城さんがちゃんとした標識があった筈と言って、大木の反対側に回ると小さなプレートが掲げられていた。

昼食休憩を取っていると蠅が纏わり付きうるさい。此のことから五月蠅と書いて「うるさい」と読ますようになったのだろうか。南に歩を進めミゴ越を目指すが方向の変わり目が2ヶ所あり要注意だ。ミゴ越は久多側の見後谷と高島市側の平良谷への道があったかと思われるが登山地図には平良谷への点線道が描かれているだけだ。

ミゴ越を過ぎ90°左に向きを変えイチゴ谷山を目指していると短パン素足のトレラン2人組と遭遇、途中から走ってきてまた戻ると云うが一体何処を通ってきたのだろうか。そしてイチゴ谷山は全然「苺」じゃなかったと云うので「苺」ではなく「漢字で書けばいちだと思う」といい加減な解説をしたが、何となく腑に落ちたような顔をして走り去った。

最後の山、イチゴ谷山(892m)に達した。滋賀県側では「ヘラ谷奥」とも呼ばれるようだ。展望はなく、最後の集合写真を撮った。古びた山頂標識の下に3等三角点「久多」が置かれており、反対側の木の高い所には真新し山頂標識も設置されていた。今日の3座の登頂目標は達したが最大の試練はこれからでP909から市後谷南尾根を下る心算だ。登山地図にルートはなく。歩けそうな傾斜であることだけで選んだルートだ。P909への稜線も迷い点が多く読図を慎重にして進んだ。案に相違して展望の良い標高点で比良山系や箱館山、マキノの乗鞍岳を望むことができた。

此処からは山本Lが先頭に立ちピークの少し南から西に下り出した。コンパスをセットし進んで行くが幾度か左に逸れそうになりながらもなんとか予定の尾根を下ることができた。所々踏み跡があったが人のものではないだろう。標高550m位まで下ると植林帯となりルートを示しているようなそうでもないようなピンクのテープに沿って下ると無事市後谷の林道に下り立つことができた。50m程進むと久多川の車道に飛び出した。此の辺りは大切に育てた木が盗伐被害にあっているようで、「盗伐26本」と云う悲しい事実を記した掲示があった。

駐車地点の岩屋谷出合まで1.6㎞の車道歩きで戻り周回登山を終えた。立ち寄り湯は朽木温泉てんくうで国道367号線を走っているとイチゴ谷山の稜線で出会ったトレランの女性が朽木方面に歩いているのを見つけた。窓を開けて「お疲れ様」と挨拶するが、相方の男性の姿はないし途中に帰ると云っていたのに反対方向に歩いているし、どうも謎が残った。

市内中心部に住む高橋さんと葛城さんとは堀川寺之内で別れ、桂川駅まで乗る4人は桂川イオンの中華で反省会を行い20:40頃解散した。

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写真2: 国境尾根から三国岳(959m)を望む

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写真3: 経ヶ岳(889m)を望む P885より

No.3688 雨飾山 周回コース

 2017107日(土)~8(日)

 

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写真:雨飾山頂から笹平を望む

 

【メンバー】L秋房伸一、松井篤、ts、yn 会員4

 

【行程】

7日(土)ファミリーマート山科三条通9:40=(湖西道路)=敦賀=(北陸道)=糸魚川IC15:30雨飾山荘(梶山新湯)(幕)

8日(日)曇 4:10起床、幕地5:356:35一ぷく処~7:15池~7:54稜線(梶山新湯道標)~8:13雨飾山8:408:59(梶山新湯道標)~9:07小谷温泉分岐~9:33金山分岐~11:14鋸岳分岐~11:46渡渉~12:30雨飾山荘(幕地)14:15=(北陸道)=19:40山科駅

 

【記録】52期 秋房伸一

 雨飾山荘のテン場は、クルマで入れる温泉建物の敷地内で、テン泊でも温泉に入り放題、食事も予約すれば提供してくれる。

 翌朝は登山道が混雑する前に出発。途中、1人に抜かれただけで、静かに歩けた。山頂でその人に「どれくらい(の時間)で上がりました?」と聞いたら「2時間15分」とのこと。我々は無理のないペースで2時間40分弱だった。登山口の道標には(ゆっくり歩いて4時間)とあるが、登山道は狭くて急なところも多いので、行き違いや追い抜き(抜かれ)等が多ければ、結構余分な時間がかかるのかもしれない。

 稜線に出て小谷温泉方面からの道と合流すると、一挙に人が増えた。百名山なので仕方ないか。

 山頂からは360度の展望。八ヶ岳の間から富士山も見えた。糸魚川の街と日本海も広がり、眼下の笹平も美しい。

 山頂を8:40に出発。鋸岳方向への周回コースをとっても十分、時間に余裕がある。

 余裕の山行かと思ったら、前日までの雨の影響で山道はスリップしやすいこともあり、結構歩き応えがあった。ちょっと悪いトラバースや梯子も複数あり、子ども連れ等には、おすすめではないかもしれない。 すれ違ったのは鋸山に登るというベテラン1組だけであった。

 地形図をみると、最後の雨飾山荘手前に沢を渡る箇所がある。橋が壊れていたり、増水で渡れなかったりするとゴール直前にして引き返さないといけないと心配したが、橋ではなく砂防工事で作った道路の下を暗渠で川が流れるようになっており、全く心配なかった。

 温泉入浴後、小屋でラーメンを食べ、帰京した。名神で渋滞があったが7時半過ぎには山科駅に到着した。

 

【感想】59 ts

雨飾山は1963m。低いが100名山の1つである。100名山すべてに登ることを目指してはいないが、どんなところか興味はある。

 AM5:30行動を開始した。寒くはないかと心配していたが、大丈夫だった。就寝中は暑かった。登り始めるとチラホラ色づき始めた木々が見えて、高度を上げるにつれて黄や赤の色が増えていく。稜線の手前で空気が冷たいと感じたが、上がってしまうと暑かった。紅葉した山々を眺めることはできたが、この暑さは季節外れだった。

笹平は素晴らしい眺望だった。草原の向こうに雨飾山が見える。

 山頂からはアルプスの山々を見ることができた。昨年9月に登った鹿島槍ヶ岳が見える。登ったことがある山が少しずつ増えていることが嬉しかった。ガスのため日本海が見えなかったのは残念だった。

 帰りは往路ではなくて、周回路を辿った。落ち葉がたくさん積もっていて、人が入っていないのは明らかだった。初めは歩き易かったが、途中から危険なトラバースやハシゴ,クサリ場があった。「山と高原地図」では点線になっていることと、人が通らないことに納得した。途中で会ったのは、鋸岳に向かう1パーティーだけだった。ひっそりとした、少しスリルがあるこのルートを、私は気に入った。

 

 

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写真:雨飾山頂にて

 

 

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写真:幕地

 

【感想】46期 松井 篤

初秋の好天のもと、360度の景色が楽しめる名山で大名登山を満喫させてもらいました。

乗り心地最高の高級車に乗せてもらい、早めに宿泊地に到着し、混む前に天然温泉に入り、小屋でゆっくりと夕食をいただき、とまるで初日はごく普通の観光旅行のようでした。

2日目は早朝こそ曇天でしたが、高度を上げるに伴い徐々に晴れて、稜線に出た時は晴天に。

ピークからは後立山の山々はもちろん、遠く富士山まで望めて、いつまでも留まっていたいような絶景でした。

また、下山ルートは秋房リーダーらしく、一人ではあまり行かないような少しマニアックなコースで、百名山でも少しルートを変えると、これだけ静かに楽しめることを改めて認識しました。

 

【感想】60期 yn

 紅葉の時期と重なる百名山、そんなイメージにつられて参加した。

 山荘近くまで車で来られテン場代で温泉も入り放題、リーダー曰く大名山行と納得。

AM5時半発、ゆっくりと歩く、明るくなってくると共に晴れ間が広がり、背面の鋸岳や鬼が面山もはっきりと見える。ピークでは360°見渡せ、後立山連峰と富士山も見えた。復路は笹平から山荘までの周回コース。往路途中や雨飾山頂から見えた紅葉が多く見られる方面だった。道ははっきりとあるが、あまり人が通らない様子。金山分岐までは急斜面と前日までの雨で濡れた草でよく滑った。分岐から尾根に出ると紅葉絨毯の縦走となった。いくつかの鎖場や梯子もあり中々危険なコースだが、静かで 遠近の紅葉を満喫できた。

鋸岳分岐から山荘までは1パーティにだけ出会う。ブナ林が広がっていたが、紅葉はまだだ。日陰に落ち葉の積もった急斜面と所々にトラバースしなければならない道がありここもなかなか危なっかしい道だった。

山荘に帰る温泉とラーメンを頂く。山荘の案内には鋸岳方面~山口?への周回コースもある様だった。またいつか行きたい理由が増えた。秋房リーダー、ご一緒させていただいた皆様ありがとうございました。

〈個人山行〉京都百名山シリーズNo.25・26 傘峠・ブナノキ峠

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写真1: ブナノキ峠(939m) 内杉谷川右岸尾根より

 

平成29923()

 

京都北山芦生には京都大学の研究林があり豊かな自然が守られている。勝手な入林は規制され事前許可が必要だが、エリアによっては届け出だけで入林できる。今回はと名乗る、傘峠(935m)とブナノキ峠(939m)を目指した。

 

【メンバー】 山本浩史L(車)、鹿嶽眞理子、河合美香、梅村重和()、船木徹、YN(車)    計6

【行  程】 京都国際会館7:028:25芦生山の家P8:419:25幽仙橋~10:45稜線出合~11:24欅坂登山口~12:04ブナノキ峠12:3013:41傘峠14:0415:17欅坂登山口~16:04幽仙橋~16:47芦生山の家P 17:0317:22自然文化村河鹿荘18:3020:08京都国際会館

【登山データ】 晴れ後曇り 歩行19.8 8時間06 延登高1,029m 延下降1,029m 2座登頂

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今日の参加者は京都市北部の人が多く国際会館駅集合とした。花脊峠、佐々里峠を越えて最短ルートで芦生に入った。芦生山の家駐車場で現地集合のYNさんと合流した。今日の行程は全て京都大学研究林のエリアで研究林事務所前に届を出して入林した。内杉谷川沿いの林道を3.3㎞歩き幽仙橋に達した。川を渡って対岸の斜面を上って行く林道と分かれて内杉谷川の点線道に踏み入れた。2.5万図には点線で描かれているが踏み入れると道形は殆ど失われ渡渉を繰り返して進んだ。

西からの顕著な枝谷を越えて尾根の張出しを過ぎると点線道は稜線に取付いている。しかし道形は全く見出せず強引に斜面に取付いた。急斜面で木に摑まって這い上り、40分掛けて稜線に達した。途中2.5万図通り道跡らしきものが横切ったが、やはりすぐに途切れてしまった。稜線に上がると点線道が描かれているので安心していたが2m余り幅のある林道があり、稜線直下を巻くように並行していた。稜線を忠実に800m程進むとしっかりした林道に達した。標識に「←中ノツボ線1. 3㎞、杉尾・権蔵線(杉尾4.3㎞)→」の標識があった。中ノツボ線は中ノツボ谷の方に向かいそうだが1.3㎞の行き着く先は何処だろう?

欅坂方面へと林道を進むと真新しいショベルカーが置かれていた。アームには何と京都大学の表示があり職員が乗るのだろうか? 研究林事務所から来た林道欅坂に達し、南側のブナノキ峠登山口から再び登山道となった。10分足らずで2.5万図に記載のない林道に達し、ブナノキ峠は傘峠に行ってからの予定なので林道を東に進んだ。地図に無い林道なので稜線を歩いていないことに不安を感じ始め稜線に這い上がった。そして現在地の確認を誤り反対方向へと進んでしまい、乗り上った処は何とブナノキ峠(939m)だった。

昼食休憩を取り今度はしっかり地図を見てコンパスを合せ分岐点に達した。傘峠までの稜線は谷の源頭が深く食い込む複雑な様相で方向転換点の見極めが難しい。2.5万図に記載のない林道が概ね北側の稜線直下を巻いておりこれは何処に行くのか分からないので稜線を忠実に歩いた。稜線には栗の木が多く栗拾いをしながら進んだ。名前はわからないが白い軸の頭の丸い可愛らしいキノコを見つけた。樹林の途切れた所から傘峠の姿が望めたが対岸の稜線のように見えた。

90°方向を変え北東に進んで傘峠の西の肩に乗り上り、東に向きを変えて傘峠(939m)山頂に到った。山頂標識を探すが何の表示も見出せなかった。暫し休憩し来た道を引き返したが、帰りもルートファインディングは難しく、1回間違ってしまった。欅坂に達し後は長い林道歩きで研究林事務所へと戻る。徐々に高度を下げ内杉谷川へと下って行く途中、しっかりした枝谷を3つ越えた。綺麗な地層を現した滝があり中々の景観を示していた。

往路で谷道に入った幽仙橋に達したが、林道歩きはまだ半分、登山靴の足は疲れて重い。林道歩き1時間27分で漸く登山口の山の家駐車場に帰り着いた。京都大学の院生の女性がアンケートの依頼に来たので入林の感謝を込めて皆で協力してあげた。立ち寄り湯は河鹿荘で鹿嶽さんのモンベル会員証で100円引の400円で入浴することができた。園部に帰るYNさんとは此処で別れ、来た道を通り国際会館駅に戻り、帰りを急ぐ船木さんを皆で見送り、駅前の王将で夕食会をして解散した。

 

【感 想】 60期 YN

自分にとって京都百名山シリーズ3回目、今回は行ってみたかった京大演習林芦生の森。数日前の予報とは打って変わり、当日は絶好の山行日和だ。自分は京大演習林事務所前に現地集合し、メンバーの皆さんと合流する。舗装されたメタセコイヤ系林道が終わると、明瞭な道のない谷筋を歩き、急登へ取り付く。しばらくして稜線に出ると林道も平行しており尾根筋と併用しながら歩いて行く、途中から林道が急に広くなってきたなと思ったら京都大学と書かれた大小2台のショベルカーが眼前に。おそらく近年の深刻なナラ枯れ等から山を保存するのに林道が必要なのだろうが何か違和感を覚えた。

欅坂からは傘峠とブナノキ峠の2つのピークを目指し進むが、林道歩きから尾根歩きに修正するが間違ってブナノキ峠に先についてしまい昼食となる。地図にない林道に迷わされリーダーやメンバーのGPSに修正されながらようやく傘峠に着く。明瞭な標識がなかったのが少し残念。下山時も迷う分岐に山本リーダーから度々修正をされつつ林道に降り出る。所々にあらわれたトチやブナの大木は神々しく感じたが400年物のナラの木はほとんどが枯れてしまっているそうである。昔来た人がうらやましい。ラップで処理された沢山のナラの木は痛々しかった。機会があれば紅葉の時期にまた訪れたい。

 

 

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写真2: ブナノキ峠(939m)山頂にて

 

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写真3: 西に続く稜線より傘峠(935m)を望む

No.3685  堂倉谷沢登り交流会

2017年9月9日(土) ~10日(日)

【参加者】L髙橋秀治 SL秋房伸一

 NF TW MK 

計5名

【天候】曇りのち晴れ 遡行中小雨

【コースタイム】57期 TW

9月9日(土)16:00烏丸御池ロッジ前・集合⇒21:00大台ケ原ドライブウェイ駐車場(幕)

10日(日)5:00大台ケ原ビジターセンター前(交流会参加者顔合わせ)/5:10発~

5:30日出ヶ岳~7:00堂倉避難小屋~7:50堂倉橋(入渓準備)/8:00発~

8:40入渓~10:00アザミ谷出合~11:00奥七つ釜~11:50堰堤(遡行終了)~

12:30林道発~13:30粟谷小屋(見学)~15:00日出ヶ岳~15:20大台ケ原ドライブウェイ駐車場・解散式⇒ホテル杉の湯⇒京都

【記録】57期 TW

この例会は、京都府山岳連盟主催の沢登り交流会が堂倉谷で行われるのを機に、高橋さんと秋房さんが例会化してくださったものである。関西一の美渓と名高い堂倉谷で、和気藹々とした沢登り交流会に…と思いきや、出発前からどんでん返しの多い沢山行となった。

まず、出発の数日前。我らが比良山岳会の沢大将(と、勝手に内緒で呼ばせてもらっている)小松さんより、『今回は、日帰り行程としては時間的にシビアであり、先行パーティーの状況や難所での渋滞を考えると、最悪ビバークに可能性がある。装備・日程を検討した方が良いかもしれない。』とのアドバイスが届く。検討の上、ビバーク有での日程が難しい土井さんが、残念ながら参加キャンセルとなった。残った参加者はビバーク装備を追加し、集合時間を1時間早めて当日に備えることとした。

そして本番の10日、比良山チームは集合場所に一番乗りし、交流会の参加者と顔合わせをした。ん??・・・前評判では、『岳連参加者は初心者から上級者まで、様々な技量の方々が入り混じっており、ご年配の参加者が多い傾向がある(=難所で渋滞が発生が)』。と聞いていたのに、フタを開けてみると、参加者は沢(と山)のエキスパートらしき30~40代の屈強そうな人々が殆ど。ヤバい、私が渋滞を起こす側やった・・・、と焦る。参加者は比良山のパーティーを合わせて16人、解散迄この16人で行動することになる。

5:10駐車場発。うすうす予想はしていたが、全員歩くのが早い。猛烈なスピードだ。山の景色を楽しむ余裕もなく、懸命に先頭に付いて歩き、日出ヶ岳に到着。普通30分~40分程かかる日出ヶ岳の行程が20分だった。ここで、秋房さんが体調不良のため離脱。比良山パーティーにさらに不安が走る。

日出ヶ岳からはトップが交代して歩行速度も落ち着いたが、開始早々の高速歩行と堂倉橋までの標高差900mの下りは身体への負担が大きく、入渓後も尾を引く人が多いようだった。

堂倉避難小屋を通過し、7:50堂倉滝吊橋に到着。轟々と音を立てているが、堂倉滝はいつもより水量は少ないらしい。滝を見ながら、ゆっくりと沢装備を付ける。曇り空だった為か、水が暗く少し濁って見えたが、堂倉滝は大きく、とてもカッコイイ形の滝だった。晴れた下で、もう一度見てみたい。

 

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▲堂倉滝吊橋から見た堂倉滝

8:00堂倉滝吊橋を出発。またしても猛スピードな歩調。すてきな堂倉滝を見て、沢に入りたい気持ちが昴まっている為だろうか?高巻きに差し掛かっても速度は衰えず、全員どんどんと進む。感服するやらしんどいやら。堂倉滝吊橋の次の橋の基部から、階段を伝ってモノレール架線場跡まで上がり、残置ロープを使ってゴボウで沢へ降りた。

 

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▲堂倉滝まきの取り付き

 

8:40堂倉沢中に到着。沢の幅いっぱいにナメ滝が広がり、奥に7mと30mの斜瀑が見える。広々として、とてもいい気持ち。先行者は泳いで7m滝を直登し、30m滝の下で遊んでいる様子だった。ちょっと悔しいが、体力を温存すべく、7m滝手前から左岸を上がり、30m滝と合わせて巻く事にする。

巻き終わって、中七つ釜。ここで急遽、岳連の湯浅理事長の沢スクールが開校される。選抜メンバーは、他会のIさん、Fさん、私。「さっさとせえ!」「あかんときはあかん!」「大丈夫やから付いてこい!!」と、かなりグイグイくる指導で、楽しい。夢中で後ろを付いて行く内に、自分が思っている以上に体が動くことが分かり、嬉しかった。湯浅理事長、ありがとうございます。その後、中七つ釜の3m(←記憶曖昧です)や斜瀑10mでは、ロープを出してもらって登ったが、ロープの出し入れが非常に早く、とても感動した。

10:00、アザミ谷出合いで鹿を見たりしながら、着々と進む。そこここに、残置ロープが点在していて、堂倉谷ルートの人気を窺い知れる気がした。小雨が降りだしたが、通り雨で済んだ。

11:00奥七つ釜到着、小休止。水量が少ない為か、噂に聞く、ナメ滝は見られなかったが、巨大なポットホールが列をなしていて、異様な景色。ポットホールは深く澄んだ緑色で、飛び込みたい気持ちになるが、我慢した。奥七ツ釜は、というよりも、堂倉谷は、巨岩・奇岩が多く、ゆっくり観察して写真でも撮りたい気持ちになったが、私の体力と時間的余裕が不足しており、大変残念であった。引き続き、湯浅スクールは開催中で、景色を楽しむいとまもなく、どんどんと進む。奥七つ釜を抜けると、あっという間に、堰堤に到着した。

11:50堰堤(遡行終了)。驚くほどに早い終了だった。堰堤の手前の左岸から林道に詰めあがり、途中、粟谷小屋を外から見学しながら帰る。延々下ってきた900mを登りかえして、15:20大台ケ原ドライブウェイ駐車場に到着。交流会の解散式は、一緒に沢を楽しんだ仲間同士ならではの和やかな雰囲気だった。

 

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▲ナメ滝

【感想】 52期 秋房伸一

夏風邪が長引いていましたが、さすがにもう大丈夫だろうと思って予定通り参加しました。迷いはありませんでした。

しかし、スタート直後の日出ヶ岳まででリタイアしました。すみません。深く息をすると咳き込むので、酸素を有効に取り込めず、クルマでいうとアクセルを踏むとノッキングを起こしてエンストしそうになる感じ。普通に過ごす分には問題なくても、荷物を背負って負荷がかかると、駄目でした。やはり健康管理は大事です。山では平地以上に自己管理が大切なことを肝に銘じました。同行の皆さんには、誠に面目無い次第ですが、またよろしくお願いします。

 

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▲斜瀑10m

 

【感想】 60期 MK

岳連主催の沢登りに初めて参加させていただきましたが、堂倉谷はアプローチと下山がカクシン?いう感じでした。

会でパーティーというより、16人全部で沢登りという感じで、主催の湯浅さんの惚れ惚れするほどの足さばきと的確な判断、滑ってバランス崩しても即座に立て直せる体幹の強さに感動しました。

最後に振り返った時の太陽にてらされた釜のブルーが名残惜しい程綺麗な沢でした。

色々心配りして頂いた高橋リーダー、ご一緒させて頂いた皆様、ありがとございました。

 

【感想】57期 TW

いつか行けたらいいなと思っていた、憧れの堂倉谷。技術も体力も足りない私が、今年遡行できたのは、ひとえに高橋リーダーが連れて行ってくださったおかげです。お天気、メンバー、全てに恵まれたからこそ、無事に日帰り遡行ができた、ラッキー山行でした。

しかし、私にとっては色々とハード過ぎたのか、他会の方に着いていくのに必死で、堂倉の景色を楽しんだり、深い釜へ飛び込んだり、という余裕が全くなく、全てが猛スピードで過ぎ去ってしまった感じでいます(もちろん、他会の方達との交流も嬉しかったし、湯浅理事長からのスパルタ教室など、有難い経験もいっぱいありましたが…)。

下山後3日経った今も筋肉痛に泣いている状況ですが、堂倉谷の素晴らしい景色をゆっくり楽しみ、巨大ポットフォールに飛び込み、沢を満喫すべく、また来年、堂倉谷に行きたいなぁと思う次第です。

高橋リーダー、ご一緒いただいた皆様、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 

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▲アザミ谷出会

 

【感想】54期 NF

数年前に一度訪れた堂倉谷。川の色や奇岩が大変美しく、とても印象に残った沢でした。

再行できる機会に恵まれ、今のわたしの体力だと不安かなと思いつつ、誘惑に勝てずに参加しました。

他会との交流会ということでどんな方がいらっしゃるのかと思っていたら、

猛者そろいで、歩いたり滝を登ったりするスピードの速いこと早いこと。

湯浅理事長に叱られながら、ついていくのがやっとと言いたいところですが、

ついていけてないレベルでした。みなさまにご迷惑かけてすみません。

しんどかったせいか、高速遡行だったせいか、水が少なかったせいか、前回行った時より、沢の美しさが少し色あせていたような…気のせいかもしれません。

それでも、最後、林道に詰めるときに上から見た釜の、なんともいえない深く透明なブルー色が忘れられません。

また力を付けて、行きたいと思います。

余裕がなさすぎて他会の人とほとんど交流できませんでしたが、それでも、遡行後はパーティに何となく連帯感が生まれた気がしました。交流会もなかなかよいものです。

髙橋リーダー、ご一緒した皆様ありがとうございました。

 

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▲奥七ツ釜の巨大ポットフォール

 

【感想】53期 高橋秀治

3年前より是非行きたいと思いながら実現できず、昨今では体力的にもテント装備を背おって遡行するには無理かと半ば諦めていたら、岳連主催でそれも堰堤までの遡行と言う企画。これなら憧れの堂倉谷遡行が出来ると理事会の席で秋房さんに声を掛け、例会として実現できました。

しかし、3時間弱と言う速さで堂倉橋までかけ下り、また3時間弱で堰堤に着き遡行終了。

これが憧れていた堂倉谷と実感するには少し時間が少なすぎました。確かにスケールの大きい谷だと実感し、またここが奥七つ釜だと確認はしましたが、そこに飛び込まず必死に着いて行くだけで精一杯の遡行でした。

そんな堂倉谷遡行でしたが、岳連の他の山岳会メンバーとの沢登り交流もでき、さらに自分の実力等も確認できた充実した時間でした。皆さんありがとうございました。

「来年は堰堤から上をやる」と湯浅岳連理事長が宣言しておられましたが、それまでに体力アップを目指します(笑)

 

No.3684 唐沢岳 B沢より唐沢岳に登る

 2017年9月8日(金)夜~10日(日)

 

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【メンバー】L A.T、辻 博史、藤井康司、T.S、増川雄太 5名

 

【記録】59期 T.S※(太字)部分は51期 A.Tが加筆

 

98日)夜 快晴

21:30 京都を出発~2:30 七倉山荘駐車場着~3:00 就寝~2:30 七倉山荘駐車場に到着した。暗いので分かりにくかったが、駐車場には空きがあった。明日に備えて仮眠をとる。寒さを警戒していたが、それほど寒くはなかった。

 

99日土) 晴のち雨

5:00 起床~6:20 七倉山荘をタクシーで出発~6:34 高瀬ダム下到着~6:50 唐沢入渓~7:30 梯子が掛かった堰堤~9:00 金時の滝~10:10 B沢~10:50 幕岩北側ルンゼ~11:50 唐沢岳山頂へ続く稜線に乗る~16:45 幕営

 

910土) 快晴

5:00 起床~6:30 出発~7:40 唐沢岳山頂~10:56 餓鬼岳山頂~11:30 餓鬼岳小屋から下山開始~15:28 白沢登山口

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【9土)】

タクシーで高瀬ダムへ向かう。乗り合わせで対応してくれていたので、待ち時間は短くて済んだ。入渓を予定していた高瀬ダム下では降車できない。ダム上まで乗車しないとけない。(ダム下の唐沢本流から入渓して山行開始。)入渓したしばらくは踏み跡があり歩きやすい。7:30 堰堤に到着した。架かっている梯子は歪んでいたが、意外にしっかりしていた。

 

 

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9:00 金時の滝に至る。右側(右岸)のルンゼを巻いた。急傾斜で、落石を起こさずに登ることができないくらいにガレている。過去に落石による負傷者を出していた。今回の山行の核心部であるとこの時までは思っていた。落石対策のため、パーティー5名は間を空けずに進むことにした。(行く手に幕岩が見えてきて、A沢と合流。A沢を過ぎてしばらく遡上したところでB沢の合流点であるワシの滝の前に到着。ワシの滝を登ってB沢に入った。2011年に苦戦したCS滝8m滝だが、前回は右岸から登ったはずだが明らかに左岸の方が登りやすい。ロープも出す必要が無いほどのものだったが念のためロープ確保。その時は自分の登攀技術が上がっていたために簡単でルートをみる目も変わったのかと思ったが、あとから2011年の写真と見比べるとB沢自体がずいぶん土砂で埋まって滝が4mほど低くなっているのがわかる。この後も顕著な滝は無く、当時と比べて面白いところは大分埋もれてしまったのだろうと思う。)我々は幕岩下(B沢を)を北上(北に遡上)して、唐沢岳ピークへ続く尾根(主稜線)を進む予定だったが、途中で発見した稜線に続くであろうルンゼ(左岸の支沢。この支沢の前にも左岸に左方ルンゼがあったが、こちらは急峻だったのでパスした。)を進んだ。ルートとしては良い選択だった(ショートカットにはなったものの落石・浮石多く危険度が高かった)。稜線に上がった。楽に歩けることを期待したが、大間違いだった。ここから幕営地までが今回の核心部であった。

急登、ヤブ漕ぎ、危険な岩場がミックスされいた。ヤブはものすごい茂り方でをしたいた。

 

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上手く枝を分けてその上に足を置かなければ、枝が絡まって足を抜くことができない。上半身も同様にしないと枝に捕まってしまう。力任せに進もうとすると、体力を無駄に消耗するだけだ。ときどき、クマのものと思われる獣道があった。歩き易く助けられた。Sクラスのヤブと急登に体力を奪われ、危険な岩場で集中力を消耗していった。疲れ果てて日没が近づいた時、ベストタイミングで稜線上の幕営適地に至った。テント設営を完了した後、雨が降り出した。慌てて、5名はテントの中に入った。「することもないので」ということで、みんなで回し飲みしたウイスキーは人生で一番うまかった。無理をして、この幕営地を過ぎて餓鬼岳小屋を目指していたら、疲労困憊しているところで雨に濡れることになったていた。

 

【10日)】

6:30行動を開始直後からヤブ漕ぎになる。ヤブの強度は昨日よりも軽い。

 

 

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7:40唐沢岳山頂に到着した。稜線に上がってからの困難なルートを克服してのピークハントだった。嬉しさが溢れる。みんなで握手をした。ここまで、来ればこの山行の成功はほぼ間違いない。ケガをしないで下山すればよい。餓鬼岳小屋で大休止した。ビールの回し飲みで祝杯を挙げ、カップヌードルの昼食を摂った。うまい!小屋にタクシーを白沢登山口への配車を頼んだ。11:30下山を開始した。ここからが意外に長かった。進んでも高度が下がらない。途中で水場があるので、小屋で水を買う必要はなかった。魚止めの滝は見事だった。15:28白沢登山口に到着した。タクシーの運転手は「大町小町」と呼びたくなるような美人だった。彼女が指南してくれた大町駅近くの「昭和軒」のソースかつ丼は美味しかった。他のお客さんが食べていたカツカレーのカツがとても分厚かった。次はカツカレーを食べる。

(翌日、主稜線をつめて午前7時40分、無事に唐沢岳の山頂に到着。餓鬼岳まで縦走し、白沢登山道から下山した。下山しようとすると餓鬼岳小屋の主人と思われる人に呼び止められ、どこから来たのか尋ねられたので答えると、主人が言うには我々のような「もの好きが年に何人かやってくるのだが今年はあんた達がはじめて」だそうである。それにしてもどうして我々が変なところから登って来たということが察知されてしまったのだろうか。)

 

【感想】59期 T.S

どんな状態になっているのか、予定通りに目的地にたどり着けるのかわからない、登山道ではないルート。道がないところに道を見出す「探検」をしたくて参加した。

高瀬ダム下から入渓してしばらくの間は明瞭な踏み跡があり、堰堤には梯子まで掛けられていた。しかし、その先はすぐに落石が起こるルンゼ、恐ろしい岩壁、前進不可能かと思われるほどの密集度のハイマツ帯があった。進むことも引き返すこともできなくなって、「ハイマツ遭難」もあると思った。歩行可能であることは約束されておらず、危険もそのままの形で存在している。これがありのままの自然の姿だと実感した。

私にとっては体力的にも技術的にも難しかった。特に、幕岩北側のルンゼを登った時、間違ったルートを修正するためのトラバースはほんとうに落ちそうで恐かった。そうやって、唐沢岳山頂に立てたことは最高に嬉しかった。

バリエーション登山は高いレベルの体力、登山技術、知力、判断力などを必要とすることを思い知らされた。

 

【感想】57期 藤井康司

当初練習会だけでもと思って参加を申し込んだ。あっさり参加を了承され、登攀技量のない自分がチームの足を引っ張ることが心配になり、遅まきながら人工壁での練習と筋トレを始めた。

出発前共同装備のテントとロープを振り分ける最初のジャンケンで一人負けし、ロープを背負うこととなり、あとあと泣かされることとなる。

前半は沢ステージ。筋トレが効いたのかウォームアップ後の足取りは軽かった。前回撤退の原因となった落石不可避の岩溝。リーダー判断により近接方式をとり、体重の軽い順に進むこととなった。チームで唯一メタボ体形の自分は最後尾に立つ。死ぬならやはり最年長の自分か、と思う。案の定、こぶし大の石が何度か落ちてきたが、かすりもしなかった。この後も1トン級の岩を抱くようにとりついた途端、崩れた。うまい具合に自分と反対側に2メートルほど落下し止まった。天は我を見捨てず。縦走路にはない初踏みの石は容易に崩れる。

要所要所でリーダーの出すお助け紐に助けられ、滝やチョークストーンを配するルンぜ帯を突破し。尾根への取りつきを開始。これまでザラザラ、ガラガラ、ゴロゴロとすれば、この後はグズグズ、ボロボロ、バシバシの世界。リーダーは熊の足跡と野生の感を頼りに巧みにルートファインディングしていく。後続は藪の急斜面を草木の根元をつかみながら這い進んでいく。ふくろはぎと胸の筋肉が悲鳴を上げる。

やっと尾根に出たと思ったら、塔状の岩稜を取り囲むように深いハイマツの藪が延々と続く。弾力のある高さ2~3メートルのハイマツ帯を空中遊泳さながら押分け、踏みつけ、漕いでゆく。ザックとはみ出たロープが引っ掛かる。この夏5~6時間藪漕ぎした涸沢岳西尾根をA級とするなら、ここはS級だ。

餓鬼岳小屋のビールと平な寝どころを目指していたが、夕暮れ近くなり唐沢岳手前1時間のところに奇跡的にキャンプ適地を見つける。テントを張った途端夕立ちが始まる。2500メートルの稜線行動中、雨に濡れたらと思うとゾッとする。その夜は熊しか来ないような場所で満点の星空が広がる中深い眠りについた。

翌朝唐沢岳にたどり着いた時には感動した。思わず涙が出そうになった。快晴の中、槍や裏銀座の稜線が広がる。他の登山客からどこから来たんですかと聞かれ、誇らしげに「いやあのダムから」と道なき山を指さす自分がいる。

そこから餓鬼岳までは登山道だがちょっとした登りで息が上がり、亀の歩みとなる。チャカ類とロープの重さに辟易し、水の携行をセーブしたため、脱水気味だったようだ。小屋で回し飲みしたビールがうまかった。4時間かけて鎖と梯子が連続する登山道を下山する。50メートルはあろうか、魚止めの滝が見事だった。

立ち寄った温泉で湯上りに体重計に乗ったら先週71キロあった体重が今世紀最軽量の66キロになっていた。帰京し一夜あけたら4キロ戻っていた。今までで一番キツイ山行だった。無事に戻ってこれたことを、リーダー、同行者に感謝したい。行動中は二度とこんな山は御免だと思っていたが、しばらくしたらまた、行きたくなるんだろうな。

 

【感想】54期 辻博史

今回の山行はただのバリエーションルートでは無く、本当に人が入っていないバリエーションルート。

山頂まで行けるかどうかもはっきりわからない開拓要素を含んだ物でした。

地形図では谷筋から尾根に乗越せれば山頂までいけそうだが…

過去の敗退記録を読んで悪いことは分かっていたが、谷筋はザレて足場も手掛かりも怪しく、気を抜くと崩壊・崩落する岩ばかり。

緊張しつつ谷筋を這い上がり、尾根筋への取付きがうまくいったので、やれやれと思いましたが、ここからが本当の苦難の始まりでした。

木登りと藪漕ぎの連続で一歩一歩の歩みが非常に遅く、木々にはじかれながらの前進でした。

行く前から想像がついていましたが、想像以上の藪漕ぎでへとへとになりました。

思わずトラバースして藪の薄いところに逃げたくなるところを、A.Tリーダーは着実に尾根筋をたどられ、そのメンタルに改めて感服しながら付いて行きました。

こうゆう状況ではたいてい惨めなビバークになるのではと思っていたのが、非常に快適な幕営地が見つかり、まったりと疲れをいやすことができました。

よく休息をとれたこともあり、翌日は1時間ほどで唐沢岳山頂に到着。

下山は登山道のありがたみを噛みしめながら快調に降りましたが、下山道は登山道でありながらはしごや人口の足場、崖など危険個所があり、これなら登りのルートを整備して登山道にした方がよいのでは?と思いながらの下山でした。

ご同行いただいた皆様、ありがとうございました。また、過去何度かこのルートに挑戦されたA.Tリーダーのおかげで安心して歩けました。

なによりもみんな大きなけががなく(おそらく擦り傷、切り傷、軽い打撲はあったと思いますので)下山できたことが良かったです。

今回のようなルートは山岳会に入っているから行けたルートで、改めて皆さんのご協力・ご同行に感謝します。

 

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【感想】59期 増川 雄太

青空と白い雲、気温も高すぎず、湿度もちょうど良く、まさに登山日和と言える気候の中、山に足を踏み入れます。

沢筋を歩いて行くと、サイズ表に -KON- と書いてある、泥だらけのNorth Faceの帽子があり、私はそれを拾いました。ヘルメットの上からでも被りやすく設計された帽子です。

小1時間程度で森林帯を抜け、岩場に出ます。ほとんど人が踏み入れない場所のため道は固まっておらず、高い確率で浮き石に乗ります。

岩場を出てすぐ、我ら比良山岳の親方が負傷した悪名高き、急勾配の泥・岩の道に取り付きます。

腐りかけのロープを時折掴みながら、滑る足元の覚束ない泥道を、散弾のように降る小さな落石、一発で人を仕留められるような落石を躱しながら、なんとか全員無事に登りきりました。

しばらくすると、10~20mそこそこありそうな滝に出ます。リーダーが滝の左を巻きながら進みます。沢の経験がない私は、「ホールドが全て滑る」岩登りの緊張感をはじめて味わいました。ホールドの掛かり具合を丹念に検証し、なんとか登りきりました。

その後、前回の涸沢岳西尾根を超える、終わりなき藪と戦います。生命力が尋常ではない植物、その群勢に常に行くてを阻まれます。

足下はハイマツ、頭上に枝あり、足を取られると、上ではザックが引っかかる場面が何度もありました。これはフラストレーションが溜まります。

一本一本のハイマツの生命力が強く、帯重なる枝の上にに乗ると、トランポリンのように跳ねつつ、空中歩行ができました。

逆に、岩場に生息しているハイマツはもろく。岩登りの際にホールド代わりに掴み、体重をかけると折れ、冷や汗を何度かかきました。

こんな道を、たまに小熊と思しき踏み跡に助けられつつ、6時間以上歩くと、唐沢岳が見えてきました。

山頂まで少しということで、リーダーがテン泊に適当な場所を見つけました。整地をすませ、テントを張ると、ちょうど雨が降ってきました。

テントに入り込み、全員で回し飲みした、ポケットボトルのJIM BEAMは、最高級のお酒でした。疲れ切った気持ちと身体に、ようやく居場所を得た安心感が、お酒の味わいを深くしました。

あくる日、朝イチの藪漕ぎをすませると、唐沢岳の山頂に取り付き、はじめてのバリュエーションを終えました。

その後、リーダーがドローンを飛ばしましたが、通信不良でうまく映像が撮れず断念。餓鬼小屋は、ものしずかな佇まいが良かったです。あとは、たまに雄大な滝を眺めながら、無事に怪我なく下山しました。

先行く道がわからず、景色も特別いいわけでもない。ただ、自分自身や目の前の自然に向かい合えた、今後の糧に、記憶に残る登山だったと思います。

最後に、-KON- のご加護に感謝いたします。

 

【感想】51期 A.T

どうしてこんな一風変わった山行を行うことになってしまったかということについて説明しておかなければいけない。

そもそも唐沢岳に登ろうということになったきっかけは随分前の話になり、2009年の9月のことになる。

当時山岳会に入ってまだ数年という時だったと思うが、豊田さんに例会を組んでいただき、シルバーウイークを利用して北アルプス表銀座へ連れて行っていただいた。

そのとき常念岳からスタートして餓鬼岳まで縦走したのだったが、最後のピークであった餓鬼岳から見えた唐沢岳の姿がとても美しく神々しく感じ、ぜひ登りたいと思ったのが初めて唐沢岳を見たときであった。

しかし唐沢岳は縦走して抜ける登山道が無く、餓鬼岳から半日かけて往復しないと登れない山。その時は日程の関係で登る機会を得られず、下山せざるを得なかったのであった。

その後、上坂師匠に色々な事を教わり、山へ連れて行っていただくようになって、上坂さんより「行ってみたい山はあるか?」と尋ねられた。

そこでパッと頭に浮かんだのが唐沢岳である。

唐沢岳に登りたいということを上坂さんに伝えると、当時は自分も上坂さんにかわいがっていただいていたもので、2010年の秋に上坂リーダーに例会を組んでいただけることになった。

そしてここから話がややこしくなるわけだが、上坂さんのことだからただ登山道から登って帰ってこよう、ということにはならない。

そして唐沢岳といえば西壁に有名な幕岩という大岩壁が聳えている。

この幕岩にある大凹角という有名な登攀ルートがあるのだが、ここから山頂に登って、今度は沢筋を下降しながら高瀬ダムの方へ下山するという計画になったのである。

言われるままについて行ったものの、今思えばこの計画はかなり無謀で、当時は沢登りを多少やった程度で、登攀やロープワークも覚束ない様な技術しかなかった。

幸いにも?山行当日は天候が優れず、ガスで何も見えなかったので大凹角の取付きがわからずさまよった挙句、計画は失敗。

結局壁の南側の弱点部分から立木を伝って取付き、壁の途中で危険になってきたため撤退。

懸垂下降を5、6回繰り返し、闇の中をヘッドランプでD沢を下降。途中でビバークして高瀬ダムまで戻ってくる羽目になった。

その翌年の2011年9月、上坂リーダーの例会で再びリベンジと称し唐沢岳へ。

前回の反省点?を踏まえて今度は取付きやすそうなB沢を辿って山頂へ行こうという一風変わった計画となる。

天気もよく、今度こそ山頂へ立てそうだと思ったが、金時の滝の巻きの急斜面での落石が上坂さんの脛に刺さって出血が止まらず、途中で山行は中止。

救急で大町の病院で診察してもらう騒ぎになってしまった。(幸い大きな怪我ではなかった。)

その後、上坂さんから「どうや?来年リベンジするか?」と聞かれ、「いや、もう良いでしょう」と返答したためこの計画は休眠することとなったのである。

他にも美しい山、登りたい山はたくさんあるのに、あの地味な山の地味なルートにそこまで情熱を傾ける必要はない、と当時は思ったのである。

しかしそれから数年が経ち、自分も山行を重ねるうち少ないながらも経験を積んで、記録の無い沢や尾根を辿る、この冒険心に満ちた計画がいかに興味深いものであるか、ということがようやく自分にも解ってきたのであった。

また義務感の様なものもあり、日に日に「いつかあの時の山を登りたい」という思いが強まっていった。

そこで、ここ数年で勢いのある新しい会員の方々が入って来られ、良いメンバーが揃い今回の機会を得た次第である。

じっさいに登ってみて、「落石と藪の殿堂」と言うべき非道い山行内容だったのにも関わらず、心からワクワクし、ほんとうに楽しい山登りだった。

ただ、反省点もあり、B沢を最後まで詰めずに支沢へショートカットしたが、この支沢が落石も多く、パーティーを危険にさらす結果になってしまった(特に藤井さん)ことについては反省し、次回の教訓にしたい。

帰りは餓鬼岳から下山する白沢登山道を、豊田さん達と一緒に下山したことを非常に懐かしく思いながら、山登りって良いものだな、と思いながら下った。

上坂さんの計画が無ければ、こんな登山的登攀的に価値の無いところにここまで血道をあげて登ろうということは無かっただろう。

ご一緒いただいた皆さまをはじめ、上坂さんや自分にご指導いただいた会の方々に心から感謝したい。

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