2018年7月14日(土)〜2018年7月16日(月)
【メンバー】 59期 江村一範
【行程】
スタート奥多摩駅前広場→石尾根→鷹ノ巣山→ブナダワ→小雲取山→巻道→雲取山荘→雲取山→将籃小屋→山の神土→唐松尾山→雁峠→雁坂小屋→破風山避難小屋→甲武信小屋→甲武信ヶ岳→国師ヶ岳→大弛小屋→金峰山→大日岩→八丁平→ヤナギ坂交点→小川山→ヤナギ坂交点まで戻る→ヤナギ坂→瑞牆登山道で富士見平小屋→瑞牆山→不動沢→駐車スペースのあるところから、右岸に渡る→松平林道交点にあるカーブミラー→尾根線→石ッコツ→信州峠→横尾山→飯盛山→ゴール獅子岩駐車場
◯総距離 97km 累積標高 9650m
◯行動記録
14日
00:00 奥多摩駅前広場スタート
03:27 鷹ノ巣山避難小屋
05:54 雲取山荘CP IN (水補給)
06:12 雲取山荘CP OUT
06:37 雲取山頂
08:37 飛竜権現
10:02 将監小屋 IN (水補給)
10:25 将監小屋 OUT
11:29 唐松尾山
12:30 水干
12:46 3つの分水嶺
13:02 雁峠(10分休憩)
14:37 水晶山
14:57 雁坂小屋CP IN (水補給)
16:07 雁坂小屋CP OUT
16:22 雁坂峠
16:51 雁坂嶺 15分休止
18:03 東破風山
18:49 東破風山避難小屋 10分休止
20:00 甲武信小屋 20分休止
20:46 甲武信ヶ岳
23:14 東梓
15日
00:01 国師のタル
02:07 国師ヶ岳
02:48 大弛峠CP IN
06:22 大弛峠CP OUT
07:16 朝日岳
08:10 金峰山
09:32 大日岩 15分休止
10:23 小川山分岐 10分休止
12:01 小川山
13:16 小川山分岐 10分休止
14:10 富士見平小屋CP IN 昼食のちツェルト泊
20:54 富士見平小屋CP OUT
22:38 瑞牆山頂
23:40 不動沢 (水補給)
16日
00:38 松平林道
01:16 読図ルート取り付き
01:50 トラバース箇所を見つけられずロスト
03:08 巨岩
03:30 中央分水嶺復帰
05:00 信州峠 30分休止
05:40 信州峠出発
06:38 横尾山
07:09 豆腐岩
07:52 槍 大休止15分
09:41 飯盛山
10:23 獅子岩ゴール
【分水嶺トレイルの概要と準備】
ここ数年、7月の三連休は分水嶺トレイルという縦走大会に参加している。奥多摩・奥秩父山系の中央分水嶺を軸に、4つの百名山 雲取山・甲武信岳・金峰山・瑞牆山を超えて、長野・野辺山駅近くの獅子岩まで踏破する。トレイルランニングではなく縦走、但し夜を徹して歩くカモシカ山行の大会である。
AコースとBコースで2種類あり、Aコースは奥多摩・鴨沢出発の84km・累積標高8200m、Bコースは前夜発の更に距離の長い120km(今年は100km)・累積標高12000m。
基本的にエイドは無く、各自で水と食料を計算して背負わなければならない。ただ小屋のご飯は営業時間内のみ食べられる。小屋に泊まる事はできずツェルトなどの幕営装備を背負う。関門で制限時間が設定され山と高原地図コースタイムの7割弱で歩かなくては間に合わない。読図区間が一部あり、地図読みの能力も必要。 ボッカ力と持久力、そして山域や他の登山者へ迷惑のかからない様に歩く注意力が要求される。まぁまぁしんどい大会なのである。
(今回持っていった装備)
私は5年前に選手として参加して以来毎年出場している。3年前からは選手兼カメラマンを努めている。選手と同じ荷物を背負い、関門も間に合わなくてはならない。カメラの機材の分だけ重くなるが(予備機・バッテリー・フィルムなど含めて3キロ位増える)、選手と同じ苦しみを体験しないと撮れない写真があるのでこのスタイルになった。
カメラは防滴・防塵のミラーレス一眼を持っていく。また、壊れた時に備えて予備に「現場監督」という工事現場用のフィルムカメラも用意した。昨年は2台の一眼が途中で壊れたので後半「現場監督」が活躍した。今年は壊れた一眼を1台だけ新調して一眼と現場監督の計2台で挑んだ。
例年、大会の1ヶ月くらい前から走り込みのトレーニングをしているのだが、今年は食事制限も同時に行って一ヶ月で8キロ減量した。出発前に家でパッキングしたザックを測ると14キロだった。去年よりは軽いか。
【1日目】スタート奥多摩駅前広場
13日の昼に上京し、立川のネットカフェで仮眠をとった後、21時前にスタート地点の奥多摩駅前広場へ向かった。設営を少し手伝って、続々と集まる選手たちを撮っていく。
スタート地点では必携装備のチェックが厳密に行われ、終わった選手は仮眠を取ったり選手同士で談笑したりしている。今年は例年より20キロ短いので皆リラックスしてるように見えた。
23時頃、実行委員長より諸注意が伝達され、集合写真を撮る。
そして14日の0時、静かにスタートした。
(スタート直後、この後私は電柱にぶつかる)
住宅街を抜けて林道へ入っていく。スタート序盤、えらく皆のペースが早く私は早々に潰れかけた。また新調したてのカメラの操作が今ひとつ分からず撮影に手こずった。
3時27分、鷹ノ巣避難小屋を通過。避難小屋のベンチでは休憩したり仮眠する選手もいる。私も少し休憩して出発した。
4時頃、七ツ石山を通過して夜が明るくなってきた。例年なら心臓破りの日向沢ノ峰や長く退屈な長沢背稜を歩いているので、無くなった分だけ得した気分になる。
緩やかなこの七ツ石の稜線は歩いていて心地が良かった。
5時54分、雲取山荘のチェックポイントに到着。(Bの関門は9時)
まだ小屋の空いてない時間であるが、大会スタッフによってカップヌードルやコーラが売られ、ありがたいことにお湯も用意されていた。
自分はコーラを買って補給をとり、顔を洗って6時12分に出発した。
6時半に雲取山を通過。西の遠くに富士山が小さく見えた。
奥秩父主脈縦走路ではあまり選手にも登山者にも遭遇することなく黙々と歩いた。天気は晴れてだんだんと気温が高くなってくるが標高が高いのでまだマシだった。
8時37分、飛竜権現を通過。
10時、将監小屋に到着。将監小屋は豊富な沢の水が流れてきており、
この水の音が心地いい。顔を洗って水を補給し、水で戻しておいたアルファ米を食べる。続々と後続の選手がやってくる。
今回が初参加の愛知から来たという4人チームと少し話した。普段はロゲイニングをしており今回は試走せずに(分水嶺トレイルは試走を推奨)参加したという。
唐松尾山のトラバースコースは昨年に引き続いて通行止めとなっており、
今年も尾根歩きとなった。11時29分唐松尾山の山頂を通過。太陽がじりじりと稜線を照らし、標高が高くても暑くなってきた。そろそろAコースはスタートの時間帯だ。スタート地点の鴨沢は暑いだろうなとぼんやりと考えていた。この辺り例年の夜通過してた時は楽に歩いていたのだが、今年は暑さのせいか消耗した感じがあった。雁峠からの古礼山もなかなか山頂にたどり着かず、クタクタになってしまった。
(唐松尾山で仮眠する選手)
14時57分、第2関門の雁坂小屋に到着(関門は20時半)。さすがに大休止した。
小屋の食事を注文しようと思ったが、選手の注文が殺到しかなり待たされそうだったので、ガスバーナーでお湯を沸かして持参したラーメンを食べた。ここでも将監小屋で会ったロゲイニングのチームと会った。もう大体この辺りの選手は同じような足の速さなので、ここから抜きつ抜かれつの長い付き合いになっていく。
16時に出発し、雁坂峠についた所でさっき小屋で話していた選手に呼び止められた。どうやら私は補給食の入った袋をベンチに1個忘れてきたようだった。なんという失態。戻ると往復で40分近いロスになる。食料はまだ豊富にあったのでこのまま進むことにした。
雁坂嶺のベンチで仮眠をとろうと横になるが、ブヨや虫が寄ってきて刺されまくりとても寝ていられず10分で出発する。
18時50分、東破風山避難小屋で小休止。だんだん休憩の間隔が短くなる。仮眠をどこでとろうかと思案するが、第3関門の大弛峠の関門時間が翌朝の7時半なので、なるべく近づいておきたい。まだ体が動けるので出発する。
(日没する甲武信ヶ岳の上り)
日が沈んで空が紫色に染まっていくのを稜線からぼーっと見ながら歩く。甲武信の登りに入って、眠気と疲れで体が重く速度が落ちてきた。
20時、甲武信ヶ岳小屋に到着。小屋は営業していないが、コーラとかは買えるようだった。自分は昼の残りのアルファ米を食べようとするが腐っていた。もういい加減食い飽きたジェルとクッキーを無理に流し込み10分だけ目を瞑った。この食事を大して取らなかった事は後で大きな代償を払うことになる。
20時45分、甲武信ヶ岳を通過し事務局に通過の連絡をするが電波が不安定で送信できない。
そしてここから分水嶺トレイルのメインディッシュである国師ヶ岳へ向かう長い暗い稜線となる。
この稜線は前半は地味で平坦な稜線が延々と続く。最初の年は疲労のあまりここで幻覚を見た。
暫く行くと前半何度か会っていた選手の木村さんと出会う。この稜線は一人より二人の方が心強いので一緒に歩いた。
【2日目】水が飲めなくなる
ここに来て私にトラブルが発生する。それは「水が飲めない」という致命的な事だった。最初はポカリスエットが飲めなくなり(経口補水液もジェルも無理)、水ならなんとか飲めたので難をしのいでいたが、水が無くなり、木村さんと水とポカリを交換してもらったが30分後には水すら飲めなくなった。水を飲むと吐いてしまうのである。こんな事は初めてなので焦った。幸い足は大丈夫なので動き続けた。水を口に含んだまま暫く歩き捨てる事を繰り返し、僅かでも口の粘膜から吸収を試みた。
東梓の手前で後続から別の選手がやってきた、聞くとAの選手だという。Aの選手に会うのは初めてなのでおそらく現時点で1位の人だ。熱中症のせいか食欲が無く補給がとれないとの事だった。無理やりアルファ米を流し込んでフラフラと出発していった。
国師ヶ岳の登りに差し掛かる。この国師ヶ岳だけは山頂の手前に何度も偽ピークがあり、これが疲労困憊の選手の気持ちを翻弄する。
木村さんはこの登りで大変やられてしまい、ここでは私が引っ張った。水は飲めないが足はまだ残っていた。
(悪役の国師ヶ岳を前に項垂れる木村さん)
2時7分、憎き国師ヶ岳の山頂に到着して「国師ぃー!」と絶叫した。木村さんは道標に頭を垂れる。ここから大弛峠までは板で出来た回廊と階段歩きが30分くらい続くのだがこれが地味に効いた。もう3時間くらいまともに補給できていない私は完全にガス欠となり今度は木村さんに引っ張ってもらった。
2時48分、大弛峠の関門になんとか到着。大会用のテントがなかなか見つからず、しばらく右往左往した。大会用のテントはテント場を越えた道の向こうの登山口にあった。
チェックを済ませると、大会スタッフにインスタント味噌汁を貰った。また吐き出すかと思ったが、少しずつなんとか飲めた。味噌汁は凄い! 疲労困憊も極まったのでここで初めて眠りについた。
5時45分頃、明るさと賑やかな音で目が覚める。ここで仮眠していた選手が続々と出発しているのだ。昨日の事を思い出し、恐る恐るクッキーを食べるとなんとか食べれた。胃も復活したようだ。
ここまで付き合ってくれた木村さんも起きてきた。先に出発するというのでお礼を言って別れた。
スタッフにお礼代わりに写真を撮って6時22分に出発。(大弛関門は7時半到着)
7時16分朝日岳を通過。下の富士見平から来たのか朝にも関わらず賑わっている。ここでまた富士山が綺麗に拝めた。天気はまた快晴で気温が上がりそう。
(晴天の下の金峰山)
8時10分、金峰山を過ぎて岩場を下っていく。金峰山に登る大勢の登山客と通り過ぎた。
9時32分、大日岩に到着。ここからは今年から追加された小川山山頂へのピストンへの道である。全くの未知の区間。腹ごしらえにアルファ米を食べた。ポカリはまた飲めなくなっていたが水はまだ飲める。ここからは岩場の上りなのでストックをしまおうとすると、中の糸が切れてしまう。仕方がないのでテーピングで補修する。もうたためない。
食事をしていると木村さんが小川山の方から戻ってきた。小川山の取り付きの道がわかないのだという。一緒に探しましょうと出発した。
小川山の取り付きはペンキで書かれた○と矢印を辿れば問題なく行けた。
岩場を過ぎて足場の危うい破線歩きが続くが、大会のスタッフによってリボンがつけられており、10時23分八丁平まで無事辿り着けた。
八丁平では既に小川山へのピストンを終えた選手が休憩していた。遠いですかと聞くとまぁまぁ遠いとの答え。
八丁平で少し荷物をおろして軽くして出発する。道なき道だが、尾根歩きなので迷う事は無い。
後続の選手も増えてきて、普段は人もそう歩かないだろう稜線は賑わっていた。降りてきた選手も多く、カメラマンとしてはすれ違いざまに写真がたくさん撮れて助かった。
12時小川山到着。辺りは木に覆われ展望も何もない。でも、その場にいた4人の選手で喜びを分かち合う。
(小川山の下り、奥に金峰山の稜線)
この時に一緒に歩いた選手の中に、Mさんという方がいてTJARの出場を控えていると聞いてビックリ。大いに激励した。他にもトルデジアンに出場したという方もいて、分水嶺には強い人が集まっているなと感じた。
13時16分、八丁平に戻って小休止。これからピストンするという選手を数人見送って下の富士見平小屋へ降りた。
この道中ではなぜ分水嶺が魅力的なのかということを木村さんと話した。それは大会という体裁にも関わらず、
長距離故に「旅」をしてるかのような時間の流れ方と、道中の困難さから選手同士の出会いと助け合いが濃厚だからという事だった。
14時10分、最後の関門である富士見平小屋へ到着。(関門時間は19時半)
小屋できのこうどんを注文してベンチで食べ、小屋で買った「お〜いお茶」を飲んだ。この時飲んだお茶のなんと美味かったことか。食欲減退時にお茶は効くことを学んだ。
腹が満たされて少し落ち着いた。ここはもう本格的に仮眠しようと選手用エリアにてツェルトを張った。ペグを忘れたのでそこらの枝で無理やり差してこしらえたのでブサイクな張り具合。木村さんと出発時間を決めて就寝した。
だが寝袋に入ったと同時に、小屋の前でキーボードの生演奏のコンサートが始まり、ルパン三世など小粋な音楽が流れ出した。意識を集中して音楽を気にしないようにしたが、無理だった。演奏が終わり夕方近くになってやっと意識が遠のいた。
19時半に起きて、ツェルトを片付けるが、段取りが悪くえらく時間がかかった。
小屋前で木村さんと合流し、21時に富士見平小屋を出発。
瑞牆山の登りは岩場だが、危険箇所には鎖がついており難なく登れる。だがどうも私のペースが遅くなり木村さんにも待ってもらう場面が増えてきた。
山頂は登らなくても良いのだが、木村さんが登りたいと言うので登ることに。山頂からは一面の星が見えた。後続の選手チーム来たのでスローシャッターを使って何枚か写真を撮る。
【3日目】1時間のロストとゴール
瑞牆から不動沢へ下って、途中で木村さんに教えてもらった水場で水を給水する。ここは沢の水の音が人の話し声に聞こえて気持ちが悪い。0時38分松平林道へ出る。
本来は渡渉するはずだったのだが、台風で渡渉箇所の渡し木が流されてしまい、ただの松平林道歩きとなったのだった。
1時16分、読図区間の取り付きに到着。県境の稜線へ向けて道なき道を歩いていく、この区間を歩くのは初めてだという木村さんが率先して読図をして引っ張ってくれた。
だが途中で大きな巨岩に出くわし、それを回避するルートが見当たらない。その場に5人位の選手が溜まって手分けしてあーでもないこーでもないと探すがわからない、やがて木村さんと逸れてしまう。私はソロ4人組と道を探し続けた。ロストして1時間くらいしてやっと見つけた。左に巻いてから尾根に戻るのが正解だった。
(巨岩のトラバースポイントを探す)
3時30分、中央分水嶺に復帰。そこからは一ヶ月前に試走したという選手にひっぱってもらう。私は昨年も歩いてるはずなのにさっぱり忘れていた。
空は明るくなり、Aコースの選手もちらほら見えてきた。
5時、なんとか信州峠に到着。もうここまで来れば大丈夫だと一安心。そこでは木村さんが食事をとっていた。巨岩は越えられたがその先でロストしたそうだ。もうここまで来たら木村さんと最後まで歩こうとソロ4人組と別れて5時40分出発。
ここから先の区間はかつては読図区間だったはずなのだが、踏み跡がつきすぎて迷うことは無くなった。
6時38分、横尾山通過。横尾山の登りは地味に長くつらかった。
7時9分豆腐岩を過ぎて、太陽が容赦なく私達を照らしつける。
標高もだいぶ下がったので、もう暑い暑い。この区間は何度か急登が続くのだが、その最後の急登である「槍」を上りきって、先頭だった私はバテてしまった。木村さんに待ってもらい15分ほど伸びていた。
そして、最後の稜線の分岐にさしかかる。
分水嶺トレイルの最後のピークである「飯盛山」がはっきり見えた。
飯盛山とはその名の通りご飯を茶碗に盛ったような可愛い山で、いつもこの分岐でそれを見るたびにここまで来たかと感動するのだ。
補給がしずらくなっていた私はフラフラだったがなんとか木村さんについていく。カメラを構える時だけシャキッとした。
やっとの思いでゴールの分岐にさしかかる。毎年撮ってくれている定点カメラマンが私達を撮ってくれた。ここは20メートル位上がる飯盛山のピークとゴールの獅子岩駐車場の分かれ道だ。飯盛山自体は登らなくても良くほとんどの選手がスルーするのだが、木村さんは登りたいと言い出した。
木村さんは家庭の忙しさなどから今年が最後の分水嶺トレイルになるかもしれないとの思いがあったのだ。カメラマンとしては付き合わない訳にいかない。分水嶺最後の登りをここまでの道程を思いながら登った。
9時41分、飯盛山山頂に到着。山頂からは自分たちが歩いてきた長い長い稜線が見えた。嬉しさのあまり大いに笑って稜線を指さしながら撮影した。
(最後のピーク、飯盛山)
獅子岩までの最後の道で息も絶え絶えだったが、最後の踏ん張りでなんとか歩く。
10時23分、木村さんと共に獅子岩にゴール。木村さんと互いの健闘を称え合う。ゴールしてすぐビールをスタッフの方より貰う。木村さんと乾杯して飲み干す。私は減量と同時に禁酒もしていたので、久しぶりのビールは空っぽの胃に染み渡った。思えばこの一杯の為にここまで歩いてきたようなものだ。
その後は温泉に移動して3日間分の汗を流した。体重は4キロも減っていた。レストランで唐揚げ定食を食べた。木村さんや他の選手たちと分水嶺の思い出話であーでもないこーでもないと話は尽きなかった。
【感想と覚書】
今回の完走率はBがソロ70%、チームが36%だったようだ。
Bのルートが短縮されたことで雲取山までは楽に感じれたが、唐松尾山~雁坂小屋は暑さのせいか例年よりかなり辛かった。昼間スタートのAコースではスタート序盤から熱中症者が多かったらしい。
またBは距離が短かくなった分、関門が厳しくなったせいで大弛峠で多くの足切りがあったようだ。チームは今年から一人も欠ける事が許されなくなったのでそのせいもあるかと思う。小川山のピストンは、今回一番警戒していたが歩いてみると大した事はなかった。
私に関していえば、雁坂小屋で食料を落としたこと、国師ヶ岳で水が飲めなくなった事は失態だった。水が飲めなくなったのは、経口補水液を飲みすぎたからなのか、熱中症だったのかは分からない。
ただ口を濡らして経口から補給を試みたのは良かったと思う。富士見平小屋で飲んだ日本茶が本当に美味かったので来年はお茶パウダーを持っていこうと思う。
またアルファ米は毎年腐らすので来年は小分けしようと思う。
良かった点はカメラが今年は壊れなかった事だ。おかげで予備機の出番が無かった。今年は3日間晴れ渡って、カメラが濡れる事も少なかったので気を使うこともなかった。今年は写真と同時におまけで動画も撮っていて分水嶺トレイルのプロモーションビデオを作成した。8月の報告会で披露してまぁまぁの好評を得ることができたので来年はミラーレス一眼とビデオ用ハンディカムを持とうと考えている。
そして何より思い出深いのは国師ヶ岳からほぼ一緒に行動した木村さんだ。どちらか一方が潰れていた時は、片方が引っ張れた。長い間色んな事を話した。出るのは今年が最後との事だったが来年もひょっとしたら出てるのでは無いかと思う。
他にもここには書いていない多くの選手との出会いと助けがあった。カメラを向けると笑顔を向けてくれた選手、また睡眠返上で尽力された大会スタッフの皆さんには本当に感謝したい。
また来年、分水嶺で多くの選手のドラマを撮影できたらと思う。(了)
(ゴール後の美酒)