京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

[個人山行]槍穂縦走・大キレット

翌朝は快晴。中岳までの稜線では、笠ヶ岳がよく見える。笠ヶ岳は、ほれぼれするほど美しい。端正にして高潔といった感じの山

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写真:槍穂稜線から望む笠ヶ岳ブロッケン現象

[個人山行]槍穂縦走・大キレット

2011年8月3日(水)~6日(土)

52期 秋房伸一

【記録】

8/3(水)自宅20:15=マイカー=23:00ひるがのSA=24:30新穂高温泉登山者駐車場、車中仮眠

8/4(木)曇時々晴

駐車場6:05~登山センター6:30~6:50ゲート~7:20穂高平小屋7:30~8:05白出沢分岐~9:05滝谷避難小屋9:15~10:10槍平小屋10:30~11:25最終水場11:30~12:30千丈沢乗越分岐~13:20千丈沢乗越13:30~14:40槍岳山荘(幕)空身で槍先往復

8/5(金)晴のち曇り

3:20起床、テン場5:45~6:15大喰岳6:25~6:50中岳~7:50南岳8:05~8:10南岳小屋8:25~9:45長谷川ピーク~10:07A沢のコル~11:30北穂高小屋12:00~12:10北穂高岳12:15~13:20最低コル~14:15涸沢岳14:30~14:45穂高岳山荘(幕)

8/6(土)曇のち雨

4:40起床、テン場6:30~7:10奥穂高岳7:15~8:10最低コル~8:30紀美子平8:55~9:25前穂高岳9:45~10:10紀美子平~11:50岳沢小屋12:30~13:50上高地バスターミナル14:00=バス=平湯=バス=15:35新穂高登山者駐車場=マイカー=京都

 単独テント泊で、特に問題もなく、新穂高から槍ヶ岳、大キレット北穂高岳奥穂高岳、吊尾根から前穂高岳上高地へと歩いた。特に危険や怖さを感じることはなかったが、大キレットの飛騨泣付近で落石滑落救助要請中のパーティーに遭遇。帰宅した翌日にはザイテングラードで2人亡くなる事故もあり、登山の危険性について考えさせられた。

【感想】

<8月4日>

 久々の単独行の北アルプス。マイペースでのんびり歩いて穂高平で休憩。ショートカットルート入口に気づかず、林道を歩いてしまった。

 日本のアルピニズムの“歴史遺産”ともいえる滝谷避難小屋、滝谷、藤木レリーフを感慨深く眺めて、槍平小屋に、あっさりと到着。

 最終水場で2L水を汲み、千丈沢乗越経由で槍岳山荘へ。稜線はガスで視界は得られず残念。事前情報ではテン場が狭く、相当早い時間に着かないと場所が確保できないとのことであったが、大丈夫だった。テン場は“指定席”で小屋が場所を指定する。

auの携帯はアンテナが3本立った。

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写真:槍岳山荘テン場

 槍の穂先へは、混雑もなく、楽々登れた。

山を始めたころは、けっこう怖いのではないかと心配していたが、特に危険を感じる箇所はなかった。落石に備えてヘルメットをかぶった。他にヘルメット姿の人はいないが、せっかく持参しているのだから使おうという考え。長年、自転車競技をやっていたので、有酸素運動中にヘルメットをかぶるということに抵抗がないこともある。

 頂上ではブロッケン現象にも遭遇した。

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写真;槍ヶ岳山頂

 テントは今回山岳では初投入の「ビッグアグネス シードハウスSL2」という米国メーカーのオールメッシュテント。格好良くて軽量のためチョイスしたが、寒くて3000M級では不適当。外国人でやはりオールメッシュテントの人もいたが、一生懸命フライシートの隙間を埋めて防寒に努めていた。稜線上で風が通り、すきま風が寒いのだ。

 シュラフはイスカ150。シュラフカバーとモンベルの保温インナーシーツ(車中や低地では単体でシュラフ代わりに使用可)を加え、軽量ダウンジャケットとゴアジャケットを着込んで寝た。こんなことになるなら、普通のテントにしたほうがよっぽど楽だった。

 <8月5日>

 翌朝は快晴。中岳までの稜線では、笠ヶ岳がよく見える。笠ヶ岳は、ほれぼれするほど美しい。端正にして高潔な感じの山。世の中には意地悪そうな山もあり、それはそれで好きだが、笠ヶ岳は崇高である。ブロッケン現象に遭遇できた。

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写真:“端正にして高潔な”笠ヶ岳

 南岳小屋でコーラを買って小休止。いよいよ大キレットへ。イメージ的には、いかにもすごい切れ込みの道があって、行こうか行くまいか逡巡する、という感じであったが、そういう感じは無い。スタートしてすぐの切れ込みは、若干傾斜は強いが、そこが大キレットの入口だと言われなければ、特に意識するほどではない。

 以降も、特筆すべきとことは無く、普通に歩いていけるが、唯一「悪いかな」と思ったのは、長谷川ピークを過ぎた直後のわずかな距離の稜線。足場はしっかりして、人工的に作ってあるので、テクニカルな面での難しさはないが、若干高度感があるので、怖いといえば怖い。畳1畳分の幅を部屋の中で歩くのは誰でもできるが、それが地上20mで左右切り立っていれば、畳1畳分の幅でも、とても怖く、ロープ確保無しでは5mの距離でも通過できないだろう。足場の様相は平面的な畳とは全然違うが感覚的に例えれば、そんな感じ。

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写真:大キレットA沢のコルからの登り

 ガスがだんだん出てきて、視界の悪い中、北穂を目指す。涸沢側は明るいが、飛騨側を歩く道になると、雰囲気がとても暗い。

 そんな中、「オーーイ、オーーイ、誰か~」という女性の声が聞こえた。空耳かと思ったが、何かが起こっているのかもしれないと解釈できるので、とりあえず比良山コールで返事を数回する。返事は無い。

 すれ違った人に訪ねると、おばさんグループに何かあったようですよ、との答え。近くかと思ったが、しばらく歩いて、「飛騨泣」の手前で、10人くらいのグループが止まっていた。

 聞くと、「落石を頭にくらって、男性一人が転落して岩場から雪渓に落ちてしまった。落石はサッカーボールほどあった。姿はここからは見えない」とのこと。その方の奥さんと思われる方が「73歳ですが山ではベテランなんです。頭から落ちてしまって・・・」とおっしゃる。気丈で取り乱した様子はないが、途中で聞こえた「おと-さ-ん」と何度も呼びかける声は奥様のものだろう。

 救助要請はしてあり、同じグループの人が「ヘリがなかなか来ない」と嘆いておられた。周囲はガスに覆われていて、厳しい状況。

 なにか力になれることはないかと思ったが、ロープも持ち合わせてないし、雪渓に降りるわけにもいかない。「お力になれることが何もなくてすみません」と言って、出発した。

 

 飛騨泣きは、若干緊張を強いられるが、特筆すべきことはない。

 ただ、そこで、感動的な人に出会った。なんと、背負子に一斗缶とザック、木製のピッケルをくくりつけ、30kg以上あるという荷物を背負って旅する人だ。荷物の横幅が広く、若干苦労されていたようだったが、山の大先輩に違いない。ピッケルは、涸沢でグリセードするためのものとのこと。

 写真を撮らせてもらい、失礼する。

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写真:背負子に一斗缶、30kg以上を背負って大キレットを通過する岳人

 北穂高小屋のすぐ手前で、前述の事故のための遭難救助隊2名の方とすれ違い、遭難場所を簡単に伝えた。

 小屋ではちょうど昼なので、カレーライスとフルーツ缶詰とトマトジュースで豪華なランチ。

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写真:北穂高岳山頂

 北穂から奥穂への道も、適度にバリエーション感があるが悪い箇所はなく、問題なく歩いた。

 以前家族で登った涸沢岳を感慨深く踏み、穂高岳山荘で幕営

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写真:穂高岳山荘から涸沢を眺める。正面左よりのピークは常念岳

 小屋前の広場は登山者であふれていたが、その中に、前述の落石事故パーティーと山岳警備隊の方がいた。

 その近くに立ち、涸沢を眺めていたが話声は聞こえる。警察の事情聴取をうけている様子。携帯電話がなり、松本の病院と繋がった模様。「即死のようです」という声が聞こえ、奥さんの膝に、別の女性が泣き崩れる。奥さんは気丈に振る舞っておられる。

 いたたまれなくなって、その場を離れる。周囲はそんなことは関係なく、山の夕暮れを楽しむ人々であふれかえっている。

 同じ空間にいても、天と地の違い。私事だが、もう十年以上前のことになるが、母親が入院したとの知らせを受けて、夜道を車で田舎に帰ったことがある。バッハの無伴奏チェロ組曲を大音量で流しながら。高速道路を降りて、峠道でふと休みたくなり、車を止めて夜空を見上げると満天の星。なんだか母が星になってしまったような気持ちがした。その時思ったのが「もし亡くなっても、明日はいい天気で世の中はまったく変わらず動いているだろう」ということ。天皇以外は、誰が亡くなっても、日常は繰り返され、また、そうでないと困る。こうしているこの瞬間にも、悲嘆にくれている人もいれば、喜びに満ちている人もいる。

 そんなこともあって、天気もはっきりしないし、休暇はあと2日あるが、翌日に山を降りることにした。テントが寒いのと、ズボンがなんだか気持ち悪かったことも影響している。今度から、夏は発汗量が多いのでズボンも替えを持ってこよう。それくらいの重量増は気にしなくて良いだろう。30kg背負うわけでもなし。

<8月6日>

 翌日は、奥穂高岳から吊尾根で岳沢を降りることにする。

穂高岳山荘から奥穂へのハシゴのところは、実は数年前家族で来て、当時中学1年の息子が、最初のハシゴを登ったところで「もう無理。引き返そう」と言い、実は私も怖かったので、これ幸いと引き返し、反対側の涸沢岳に登ったことがある。息子の名誉のために付け加えると、涸沢岳から下りてくると、奥穂からもっと小さい子どもが降りてくるのを見つけて「やっぱりもう1回登る」と言い張ったが、夕立が来そうな天気になってきたので、引き留めた思い出がある。

なぜあの時、あんなに怖かったのか、今ではわからなくなってしまった。

 吊尾根も、鎖やハシゴがあるところでは渋滞が起こり、自分が予想しているのよりも相当時間をかけて恐る恐る下る人が多数いた。

 怖がらず自信をもって安全に通過できる技術をもちながらも細心の注意を払い続けられる持久力が大切だろう。

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写真:岳沢ヒュッテを見下ろす

 岳沢ヒュッテで、とろろうどんとスイカの昼食をとり、ボチボチ下っていると、後ろから速いスピードの人に抜かれた。ふと、後ろをついてみようと思い、ペースを上げると面白いように楽しく進める。ゆっくり歩くのが楽なわけではないと気づいた。

 その人はフルマラソン等をしていてトレイルランニングはやらないが、神戸に住んでいて加藤文太郎が好きで、一人で速く歩く山行をしているとのこと。テント泊で荷物は大きい。去年は槍ヶ岳から大キレットで奥穂、ザイテンクラードで上高地まで1日で歩いたとのこと。すごい!

 上高地のバス停で、休みがあと2日あるのでこれから甲斐駒千丈に向かうというその人と別れ、今回の山行は終わった。