京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3348 元旦の熊野本宮を目指して- 南紀 熊野古道「中辺路縦走」改め 「伊勢路・中辺路縦走」

131226-140102kumanokodo19 2014年初日の出

2014年初日の出

 

 

[No.3348]2013年12月26日(木)夜~2014年1月2日(水) 

元旦の熊野本宮を目指して- 南紀 熊野古道「中辺路縦走」改め「伊勢路・中辺路縦走」

 

48期 寒川 陽子

 

伊勢神宮のお守りを携えて6日半。伊勢神宮内宮(伊勢市)から熊野速玉大社(新宮)まで約166.5km、そこから熊野那智大社まで約22.2km、更に熊野本宮大社を経て口熊野である紀伊田辺まで約91.7km、合計280.4km。未舗装区間伊勢路も意外と多く、伊勢路那智までで40%、中辺路で75%といったところだろうか。

 

【メンバー】単独

 

【行程】

・2013年12月26日(木) 雨

京都駅八条口17:10=(高速バス)⇒19:40伊勢市駅→19:55風見荘・宿泊・23:00就寝

 

・2013年12月27日(金) 曇り時々雨

4:30起床・4:55発→5:50伊勢内宮(参拝)6:15→6:55風見荘7:30→7:50伊勢外宮(参拝)8:20→8:40度会橋→9:30田丸駅前信号→10:00東外城田神社→10:30西外城田神社→10:55女鬼峠入口11:10→11:20女鬼峠→11:40女鬼峠出口→12:15柳原橋→12:30新田交差点(栃原)→13:20下楠30→13:40川添→14:15定峠→15:00三瀬谷(買物)50→16:25登山口→16:45三瀬坂峠→17:00登山口→17:20道の駅木つつ木館(滝原宮前)・幕営・20:30就寝

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)10:35]

 

・2013年12月28日(金) 晴れのち曇り

4:45起床・6:00発→滝原宮(参拝)6:15→6:25滝原→7:15阿曽駅前→8:10伊勢柏崎駅前→8:55大内山の一里塚9:05→9:30大内山駅前→9:50梅ヶ谷交差点→10:30ツヅラト峠登山口35→10:50ツヅラト峠11:00→11:25登山口→12:00長島橋→12:20紀伊長島総合支所30→12:55一石峠→13:10古里踏切→13:40三浦峠入口→13:50三浦峠→14:15三野瀬駅前→14:25始神峠入口→14:50始神峠15:00→15:25馬瀬→15:50船津駅前→16:40相賀北(買物)17:00→17:40馬越峠入口・幕営・21:00就寝

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)10:35]

 

・2013年12月29日(土) 晴れ

4:30起床・6:00発→6:45馬越峠50→7:05天狗倉山15→7:25馬越峠30→8:05尾鷲紀望大通り出合→8:45八鬼山入口→9:10籠立場20→10:10九木峠→10:20八鬼山→10:35桜の森広場45→11:35名柄一里塚50→12:00三木里→12:45三木峠→13:20羽後峠25→13:45賀田→14:05甫母峠入口15→14:50甫母峠→15:45二木島55→16:30二木島峠→16:45逢坂山峠→17:15逢坂山峠入口→17:30新鹿(買物)45→17:50新鹿海岸・幕営・20:40就寝

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)10:15]

 

・2013年12月30日(日) 晴れ

4:30起床・6:05発→7:15大吹峠入口→7:25大吹峠→7:50泊観音→8:15大泊→8:30松本峠→8:55熊野市国道出合→9:10花の窟神社(参拝)20→9:30立石→10:00休憩15→10:25志原川河口→10:50緑橋(市木川出合)→11:20道の駅七里御浜25→12:15馬場地踏切(紀伊井田)→12:35横手地蔵50→13:30速玉大社(参拝)55→14:25浜王子→15:00高野坂登り口→15:20高野坂降り口→15:50紀伊佐野(買物)16:45→17:00宇久井→17:15小狗子峠→17:25大狗子峠→17:55道の駅なち・幕営・入浴・21:35就寝

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)9:55]

 

・2013年12月31日(月) 晴れ

4:30起床・5:50発→7:20那智大社青岸渡寺(参拝)45→7:55那智大滝→8:10青岸渡寺15→9:40舟見峠55→10:55地蔵茶屋跡→11:15石倉峠→11:35越前峠→12:15旅籠→12:30休憩45→13:15小口橋→13:35小和瀬橋→14:40桜峠50→15:45百間ぐら→16:00万才峠分岐→16:50国道出合→17:25大日越登山口→17:45本宮大社(参拝)55→18:05大日越登山口→18:35鼻折地蔵→18:55湯の峰温泉幕営・入浴・22:30就寝

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)12:20]

 

・2014年1月1日(火) 晴れのち曇り

4:55起床・6:35発→7:40鍋割地蔵→8:15船玉神社分岐→9:05三越峠→9:25蛇形地蔵35→10:15岩神峠→10:40古道合流→10:55わらじ峠→11:10熊瀬川王子20→11:25小広峠→11:55継桜王子→12:35近露王子40→12:55箸折峠→13:05牛馬童子口バス停・道の駅中辺路30→14:00逢坂峠→14:20上多和茶屋跡→14:55十丈王子15:05→15:55高原熊野神社(参拝)16:05→16:40展望台→17:15滝尻王子・幕営・20:15就寝

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)9:40]

 

・2014年1月2日(水) 曇り時々晴れ

4:30起床・6:05発→6:25鍛冶屋川口バス停→7:30潮見峠35→8:00捻木峠→8:15水呑峠→8:45尾野原口バス停→9:15下三栖バス停→9:30万呂王子35→10:10秋津王子→10:30高山寺→10:40紀伊田辺駅

[行動時間(休憩・買物時間除く、参拝時間含む)4:25]

紀伊田辺11:30=(特急くろしお)⇒13:50新大阪=(JR)⇒14:30京都

 

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【記録】

 長期間のためかいつまんでの報告とさせていただく。

[行程について]

当初は参加者を見込み、田辺~本宮~那智というベーシックな中辺路計画だったが、単独となったため他者記録に無いような旅がしてみたく伊勢路を追加。順番としては田辺から入り那智を抜けて伊勢神宮を最終地にしたいが、式年遷都もあり伊勢人気のため混雑を回避すべく伊勢を出発地とした。また、伊勢路は中辺路と比べると舗装路の集落歩きが多く距離が長いため、後半に伊勢路とすると精神的にハードな旅になる。しかしながら伊勢路は舗装路が多い故に走行可能(ランニング)区間が長い。身体のガタのこない前半に走行しておき、走りようもない雲取越や中辺路の、後半の山岳区間を歩く。ゆとりをもった予定としているが、もし走行できればかなり時間的余裕ができるのではないか…そんな見込みで当日を迎えた。

 結果的には早駈したため、伊勢路那智までを4日、那智~本宮を約1日、本宮~滝尻王子(中辺路の玄関口)を1日、以降紀伊田辺までを半日、合計6日半で完歩した。27日(1日目)以外晴天続きとなったことが、この行程を可能にした最大の要因である。なお、27日については、走っており多くのエネルギーを生んでいたため雨に濡れてもほとんど寒さを感じずに済んだ。

 

[身体の調子について]

 26日夜は風邪の病み上がりであったが、自然や山里ののどかさに癒されたのか道中に治った。27日(1日目)夜に左足小指に早速立派な血マメさんが顔を出し、29日(3日目)頃に2か所マメのできかけがあったが、容赦なく潰して応急・予防処置をしたところ、それ以後は問題なかった。また2日(6日目)の朝、赤木越の最中に右足裏の筋が突然ピキピキと痛み出した。赤木越を抜けた先の音無川沿いの登りでは痛みがひどく右足を労わってひきずるような歩行をしていたが、歩行速度を落とし塩分およびクエン酸を意識して摂取したところ1時間程で治った。とはいえ摂取うんぬんの問題ではなく、朝一番で筋が固まっていたためと考えている。

 その他特記すべきトラブルはなかったが、伊勢路の石畳の下りが多い区間は足へのダメージが深刻で、一歩歩く度に膝と足首が砕けそうだった。尾鷲は雨が多いため土砂の流出を防ぐために石畳道が多いらしい。登りは良いが下りはほとほと弱った。しかし寝るか足に優しいトレイルを歩くかすると徐々に回復した。また、日々16kg~20kg弱のザックを背負って10時間行動をしていたため、気を抜くと棒のような足に気付いたり慢性的に肩が凝ったりしていたのは言うまでもない。

 消費カロリーを考えると食欲以上に食べるべきだったのかもしれないが、食欲が減退しきる程にはならなかった。かといって道端の特産品を見ても食指は動かなかったが。いや、毎日嫌という程見てきたみかん。あれは見ていて食べたいなあと何度思ったことか。

 睡眠については、大晦日の夜にどのような体勢をしても左下半身が痛くて悶絶していたため、鎮痛剤と軽い睡眠薬を服用し就寝(年越しの夜は外が騒がしいので、予め対策のつもりで睡眠薬を持参した)。2日目以降、結露によりテントはおろかダウンシュラフも濡れたため多少寒さを感じながら寝た。標高低い場所を泊地とするよう心がけたが、やはりシュラフカバーは必要だった。

 

[装備について]

 最重要装備の靴はトレイルシューズ。走れる軽快さと、荷重に耐えうる堅牢さと衝撃吸収力を考慮した。同じく装着品も機動性を重視し、防寒はアンダー上下に任せて通常の秋山と同じ衣類とした。靴下については5本指のものの上にウールのものを着用、予備も各1組持参。防寒にウィンドシェルジャケット(ラン用)と雨具上下。泊地の防寒はダウン上下にカイロ。そしてかなり役立ったのが普通のマスク。ランナーの間では当たり前となりつつある装備品なのだが、冬季のお悩みをたった1枚で解決してくれる。試しに皆様もお試しあれ。ただし雪山は寒すぎて効果がありません。

 ザックは50Lクラスのものだが、伊勢路では概ね40L強、最も重荷だったと思われる31日朝で50L弱程度の大きさであった。ガス缶はPRIMUS大1本と中1本を用意したが、結局大半分程度しか使用しなかった。シュラフは前述のとおりシュラフカバーを除外、オススメしません。あと変わったものといえば地図…50枚程度持参。

 

[食糧について]

26日(アプローチ)夜~27日(1日目)朝および27日行動食、予備食朝夜各1食は京都より持参。購入すると荷重が増すため泊地付近で購入したいが、店のない集落も多い。店の有無については、計画段階において泊地以上に詳しく調べた事項である。

基本的に朝食および夕食は調理を要するもの。27日(1日目)に三瀬谷周辺、28日(2日目)に相賀周辺、29日(3日目)に新鹿周辺、30日(4日目)に紀伊佐野周辺にて、それぞれ15時半~17時半頃に購入した。30日は以降の全行程分の食糧を買うのだが、大型スーパーであった上に年末の買いだめの為か大勢の客が大量の商品をカゴに入れており、1時間近く費やした。

嗜好品は紅茶・コーヒー・コーンスープを各7袋のほか、砂糖、コンデンスミルク、塩、味噌汁3袋を京都より持参。酒には運よく毎晩ありつくことができた。具体的な食事は下記のとおりであった。

  朝    夕

1日目

(12/27) (菓子パン持参) ラーメン×2、おにぎり×2、ゼリー(持参分)

2日目

(12/28) ラーメン×1、おにぎり×1 ラーメン×2、おにぎり×1、パイン缶

3日目

(12/29) ラーメン×1、おにぎり×1 うどん(味噌汁風)×2、ゼリー(持参分)

4日目

(12/30) うどん(味噌汁風)×1 赤飯×1、

ラーメン×2、ツナ&コーン缶

5日目

(12/31) ラーメン×1、餅×1(予備食分) そば×2(餅、サラミ、油あげ、天かす入り)

6日目

(1/1) 赤飯×2、味噌汁(餅、油あげ、天かす入り) (予備食:ペペロンチーノ×2)、マンゴーゼリー

7日目

(1/2) (予備食:味噌汁風にゅうめん)    -

汁物で暖と塩分がとれる上に軽くてカロリーがあり更にゴミがかさばらない、コストパフォーマンスの面からも優秀という理由で袋ラーメンに頼りっきりだったが、当方決してラーメン愛好家という訳ではない。カロリーはとれたが栄養バランス的にはよろしくない食生活であった。

31日夕および1日朝はやはり特別な食事にしたいと思い、年越しそばおよび雑煮に近いような食材を調達。1人用の小さなコッフェルでパックの赤飯をどう炊けばいいか、試験的に30日夕に1パック使用。アルファ米並みに水分を使わずに済む優秀な食糧であることが判明した。また今回山行調理に初投入してみた天かすであるが、これがかなり便利。高カロリーで食事が一気に豪華に見える。軽くかさばらず、酒のつまみとしてそのまま食べることも可能。

行動食は1日につき飴5~6個、グミ1/2袋、菓子パン4個、板チョコ1/2枚。行動中の飲料は1日につき約1~1.5L,全行程を通してスポーツドリンクの粉末1L用を4袋と500ML用を2袋京都より持参。更にゼリー2個と携行食2食を京都より持参。菓子パンが意外とかさばる上に重いのだが、カロリーメイトのような携行食だと素っ気なさすぎて気力が満たされないと思い却下した。

 

[費用について] 約24000円

旅費交通費について、京都~伊勢市および紀伊田辺~京都以外は全て歩行、約8000円。

宿泊費について、26日(アプローチ)夜のゲストハウス泊約3000円。

 食糧費について、道中での購入が約5000円。内訳は27日(1日目)の夕食から1日(6日目)の朝食までの朝食・夕食各5日分(1日の夕食および2日の朝食は当初より歩荷してきた予備食を使用)、28日(2日目)~2日(7日目)までの行動食6日分。 

装備費はマスク1枚のみ。参拝諸費は約4000円、土産等交際費が4000円程度。

 

[印象深かった場所・出来事]

・早朝の伊勢神宮と虹

朝6時前でも参拝客多し、社務所も開いている。外宮から内宮までは地味に遠い。

・早朝の滝原から、台高の冠雪

 前日の降雨が、山では雪になったようだ。山里の風景と相まってとても清々しい。日本の原風景の決定版のような景色だった。

131226-140102kumanokodo1 阿曽付近より雪の台高

 

   ↑阿曽付近より雪の台高

・大内山廃村の碑

 国道には牛乳ビンを持った牛さんが出迎えてくれるのだが…あまりにも寂しすぎる駅とその周辺、広大な敷地に立つ綺麗な石碑が寂しさを助長していた。

・海が見えた!-ツヅラト峠

 伊勢路を行くと初めて海が見えるのがここ。いくつもの山里を抜け峠を越えてきた目には、紀伊長島の海の青さがまぶしい。

 

131226-140102kumanokodo2 ツヅラト峠より紀伊長島の海!

↑ツヅラト峠より紀伊長島の海!

 

・天狗倉山からの白い前鬼・後鬼と朝焼ける海の街尾鷲市

 伊勢路一番の見どころ。尾鷲は海以外の三方を山に囲まれた街で、北は馬越峠、南は八鬼山、そしてすぐ西には大台ケ原は日出ヶ岳が聳えている。馬越峠熊野古道らしい森の峠、天狗倉山は巨岩のピーク、ここから朝焼けの海を俯瞰し、台高の白峰を眺める。自然の形がひとところに凝縮されており、山が趣味であって本当に良かったと感じた。

 

131226-140102kumanokodo3 天狗倉山より朝焼ける紀州灘

↑天狗倉山より朝焼ける紀州

 

 

131226-140102kumanokodo4 天狗倉山

↑天狗倉山

 

131226-140102kumanokodo5 天狗倉山より台高

↑天狗倉山より台高

 

・八鬼山越えは桜の広場からの紀州

 広い海が一望、と予想を裏切らない大展望。海が近すぎて山中であることを忘れそうである。紀伊長島が既に霞んで見えるのも感慨深い。

 

131226-140102kumanokodo6 八鬼山越え 行き倒れの碑がたくさん

↑八鬼山越え 行き倒れの碑がたくさん

 

 

131226-140102kumanokodo7 桜の森広場、絶景!

↑桜の森広場、絶景!

 

・八鬼山越え「世界遺産反対」の白ペンキ

 名柄集落の一部住民によるものらしい。下り道の至る杉の木に反対と書かれまくっており木が痛々しい。2014年で熊野古道世界遺産10周年となるが、10年経っても、何十年経ってもこのペンキは消えない傷になるのだろう。私も世界遺産登録に賛成ではなかったが、こんな主張の仕方は間違っている気がする。

 

131226-140102kumanokodo8 八鬼山より名柄への下り

↑八鬼山より名柄への下り

 

・甫母峠入口、お墓参りのおばあちゃん

 今から峠を越えますと言うと、飴とラスクをくれた。年末掃除で忙しい上に、世界遺産になる前から数多もの人がこの道を通っているだろうに。午後を過ぎ傾きかけてきた日差し、すさんできた心に大変染み入る心遣いだった。

 

131226-140102kumanokodo9 波田須の朝焼け

波田須の朝焼け

 

・大吹峠~観音道の猪垣

三木峠付近から熊野市に至るあちこちの山で見かける猪垣。平地の少ないこの地方では、ようやく育てた貴重な田畑の農作物を猪にやられることも少なくなかった。生きるために猪と闘ってきた長年の歴史の産物である。観音道周辺では、海が見える程高い山の稜線に沿って、万里の長城のような趣の石垣が延々の連なっており壮観。

 

131226-140102kumanokodo10 いよいよ七里御浜が見えてきた!

↑いよいよ七里御浜が見えてきた!

 

・海岸をひた走れ!-熊野市~新宮市

 その海岸の名を七里御浜といい、「日本の白砂青松百選」「21世紀に残したい日本の自然百選」「日本の渚百選」「日本の名松百選」に選ばれている。熊野市から新宮市までは約26.6kmあるが、ほぼ9割方がこの海岸であり、この海沿いの国道は浜街道と呼ばれている。燦々と照る太陽、白い砂浜、青い海と空…堤防にはランナーや散歩をする人がたくさん。

 

・花の窟神社の御神体

 社殿はなく、日本神話の大地母神であるイザナミノミコトの御葬所である巨巌が御神体。それはなんと70mの巨大な岩で、見上げると首が痛くなる。

 

 

131226-140102kumanokodo11 ひたすら砂浜!海!空!

↑ひたすら砂浜!海!空!

 

131226-140102kumanokodo12 熊野川、きたー!

熊野川、新宮にきましたー!

 

・鉄道オタク歓喜の高野坂

 50cm隣をJRの車体が通り過ぎてゆく。見事に線路沿い、いや完全に線路内である。線路の反対側は、低い堤防を隔てて海がきらめいている。意外と散歩を楽しむ人が行き来しており仰天。

 

131226-140102kumanokodo13 今山行一番スリリングな道

↑今山行一番スリリングな道

 

・道の駅なちの温泉

 JR那智駅に隣接する道の駅なちでは22時まで営業している丹敷の湯がある。白く霞む視界(湯けむり)と浴場の暖かさ…ここは天国ですか?天国以外考えられない。嬉しさも度を越すと喜びの感情がどこかに行ってしまったようだ。

 

・未だ傷癒えぬ那智川

 那智駅から那智大社へは参詣道を通るはずだったのだが、途中にある橋が崩壊して通行不可のため県道43号線は那智川沿いの道へ迂回。支流も含めて川にはごろごろした岩や石・土砂が堆積しており、水流が見えない。川中だったと思われる個所には重機があちこちに止まっている。それでも、那智川沿いにはたくさんの民家が建っており、自然災害の傷跡となおこの地で生きようとする人の逞しさを感じさせられる。

 

那智大社からの朝焼けと那智大滝

全長133m、釜は幅13m深さ10m、水量は毎秒約1トン。どう見ても登れる代物に見えない…もとい登ると考える事すら罰が当たりそうな立派な滝である。一直線に流れ落ち上部に向かうにつれハングになっている岩壁は、称名滝よりも近寄りがたく思える。

 

131226-140102kumanokodo14 那智大社より今年最後の朝日

那智大社より今年最後の朝日

 

131226-140102kumanokodo15 那智大滝遠望

那智大滝遠望

 

131226-140102kumanokodo16 今山行最高所付近の道の様子

↑今山行最高所付近の道の様子

 

131226-140102kumanokodo17 シダの美しい道

↑シダの美しい道

 

・小雲取越は百間ぐらからの果無山脈と大塔山

 南紀で一番高い山である大塔山(1121.8m)はともかく、果無山脈は半島の東側からは絶対に見えない山である。御坊市有田市を経由した過去の果無山脈行きの思い出補正のせいか、この山が見えた途端に「またここに帰ってきた」「こんな彼方まで来れたんだ」「もう旅も終わってしまうんだ」といった思いが交錯し、果無山脈を照らす夕日が目に大変染みた。

 

131226-140102kumanokodo18 百間ぐら大展望

↑百間ぐら大展望

 

・自然崇拝の大斎原と熊野本宮

 御存じの方も多いだろうが、古来熊野は「よみがえりの地」と言われてきた。前世の罪は速玉がリセットし、那智は現世の縁を結んで、来世の救済は本宮が担当。死の国である熊野に入ることで一度死んで魂を浄化、熊野を出る頃には再生し、よみがえる。日本書紀イザナミノミコトが熊野に葬られたとの記述があり、「途中で行き倒れてもいいからとにかく熊野へ!」という根強い信仰が人々をこの地へと駆り立てた。その旅が苦しいほどこの世の罪業が清められると信じられ、艱難辛苦をものともせずに突き進んだ道が熊野古道、である。参詣の地となったのは平安時代からで、京都におわす上皇の度重なる参詣は、京都から紀伊路・中辺路のルートでなんと往復720km。当然全て歩きなのだから驚愕である。鎌倉時代には地方武士や有力者が参詣し始め、庶民に浸透したのは室町時代のことである。なお、お伊勢参りの巡拝と結び付くようになったのは江戸時代のこと。

さて、その本宮宮司さまの御言葉

「謹賀新年

皆様の 夢や願いが 叶う世に

本宮の船 “出発(たびたち)”て航(ゆ)く

心の想いが 現実となった際には

 

又 本宮へ帰ってきて下さい

いってらっしゃい」

なんというか別格すぎます本宮…いってきます!

・赤木越からの小辺路と奥駈道

 2014年初日の出は赤木越で迎えることとなった。明けゆく空の下、青い山々が重なり合って視界の果てまで続いている。さすが南紀、これ以上の日本の山風景はないと思える程の光景である。歩くにつれ離れていく右手の峰々。小辺路は少し高さを感じる程度だが、奥駈道の北に向かうにつれて高度を増していくその白峰の様子は、神のおわす天まで続いていそうな稜線だ。

 

131226-140102kumanokodo19 2014年初日の出

↑2014年初日の出

 

・高原熊野神社

 高原霧の里にあるこの神社は小さいながら歴史が凝縮された社。桧皮葺の建物は熊野参詣道のなかで最も古い建物だと言われており、境内の楠は樹齢1000年の化け物。6日間の疲れと悪臭を溜めこんだ巨大なザックの人物の、夕暮れ前の参拝(本年初参拝)にも関わらず、御神酒と御惣菜を頂いた。そしてこの旅ではもう見納めになるであろう夕焼けの果無山脈を拝んで、旅の終わりを真に感じた。

 

131226-140102kumanokodo20 霧の里高原より果無山脈

↑霧の里高原より果無山脈

 

131226-140102kumanokodo21 最後まで綺麗なトレイル

↑最後まで綺麗なトレイル

 

・旅の終わり-田辺・白浜の海の朝焼け

 中辺路の玄関口である滝尻王子から紀伊田辺駅までは2ルートあるが、潮見峠を越える道を辿った。名の通り田辺の海が見えることが由来のこの峠、日の出を狙ったかのような時刻に到着した。七里御浜を筆頭に、東に海が見えるのが当たり前だったというのに。標高約520mの場所から西に海が見える。たったそれだけの事なのだが、今山行ではとても大きな意味をもった事であった。

 

131226-140102kumanokodo22 潮見峠より最終日の朝焼け

↑潮見峠より最終日の朝焼け

 

131226-140102kumanokodo23 ついに紀伊半島の西側にきちゃいました

↑ついに紀伊半島の西側にきちゃいました

 

[終わりに]

 今回の行程は、こま切れにすれば何ということないような道ばかりである。少し山をたしなむ者ならば、複数回に分けて宿泊先で泊まるようにすれば楽に完歩できる。ところが連続して歩くと累積登高差は毎日800~1800m程ある。6日半にして通過した山頂はたった2つ、越えた峠は無名のものも含め30以上、集落に至っては60以上あるかもしれない。

 穂高や海外遠征のように頂を取りに行くのが西洋的な登山だとしたら、山頂をはじめ滝や海といった自然を神がおわす場所と見なし、その山里に暮らしてきた人の生活道を通って山に入り峠を越えるのは日本古来の山の登り方なのだろう。熊野古道を歩いてみて、こういった山道や自然の風景、そして受け継がれてきた歴史と風習、それらを守ってきたその土地に住む人々の心の豊かさ、全て揃っていてこその世界遺産だと強く感じた。鬱蒼とした森の山道だけが「世界遺産 熊野古道」の価値だと思っていた私の考え方を改めさせてくれた、後世にもぜひとも残したいトレイルであった。