京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

〈個人山行〉《山紀行901》四阿屋山・両神山・白髪岩

平成28922()24()

 

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秩父・西上州には屹立した岩峰の山が連なる。連日の雨にもめげず、久しぶりにこの山域に入った。1日目は本降りの雨になったので危険度の高い二子山を断念し小鹿野町の四阿屋山(771m)に転戦し、2日目は両神山(1,723m)の薄川コースを登り、危険度の高い天武将尾根を下った。最終日も小雨降るなか、御荷鉾スーパー林道に上がり短絡して赤久縄山(1,522m)周回と白髪岩(1,512m)・白髪山(1,521m)ピストンを行った。

 

【メンバー】 山本浩史L(車)、稲田彩、江村一範 3

1日目(9/22): 四阿屋山

【行  程】 京都0:55=京都南IC=(名神・中央道)=一宮御坂IC7:50西武秩父8:008:42疎林広場8:579:30両神神社奥社~9:44四阿屋山~10:00両神神社奥社~10:40柏沢~11:09両神神社~11:47疎林広場11:5311:57両神温泉薬師の湯15:4516:17△両神山

【登山データ】 天候:雨 歩行7.8 2時間50 延登高583m 延下降583m 1座登頂

 

秋雨前線の影響で雨が続いている。本降りの雨となり当初予定していた危険度の高い二子山は断念した。稲田さんをピックアップする予定地の三峰口駅に早く着いたので西武秩父駅まで迎えに行き、メンバー3人が揃い代替地を相談し軽く四阿屋山に登ることにした。

小鹿野町両神薄の両神神社横の林道を奥に入り疎林広場駐車場に車を止めた。地形図がないので現地の案内板にあったイメージを頭に描いただけで林道の続きを歩き山居広場から稲田さんを先頭に登山道に入った。両神神社の奥社の手前で柏沢・薬師堂方面からの登山道が合流した。危険なため直登路は閉鎖されていたので一般道を進んだ。山頂直下に到ると急登となり鎖場も出て来た。尤も吊り下がっているがお世話になる必要はない状態だった。南から合流したツツジ新道は2.5万図にも描かれていない難路だ。今日は雨で足場が悪いので普通の道を取ることにした。

四阿屋山(771m)山頂に到ると3等三角点「東家山」があり展望は良い筈だが、けぶる雨に視界は閉ざされていた。神社に引き返し分岐を左に取り、薬師堂・柏沢方面に向かった。下まで行って元に戻ろうと目論んだが目的地の地名が何処か分からずに下ったので、柏沢へと向かってしまった。頻繁にあった指導標が疎らになり「柏沢って何処? 」となったが、分からないまま下って行った。結果北東方面ではなく北に下りてしまったようだ。車道歩き2.5㎞が加わり麓の両神神社本社に戻ってきた。此処からは奥の院コースの登山道で標高差190mを登って疎林広場の駐車地点に戻った。

帰着後は両神神社の隣の薬師堂の更に隣にある道の駅に併設された両神温泉“薬師の湯”に立ち寄った。ゆっくり入浴し食堂でそばを食べ、昼寝付きで3時間余りを過ごして両神山荘に向かった。今日の宿泊は我々だけで凄い品数とポーションでお腹がはち切れそうになりながらも完食、後で飲もうと思って持ち込んだお酒を飲むまでに至らず眠りについた。

 

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写真1: 四阿屋山山頂直下に両神神社の奥社がある(9/22)

 

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写真2: 四阿屋山(771m)山頂にて(9/22)

 

 

2日目(9/23): 両神山

【行  程】 両神山6:256:52会所~8:00白藤滝分岐~8:35清滝避難小屋8:529:40両神神社~10:12両神山10:4311:20東岳12:40 P1306 12:5313:40禿岩~14:20天理岳14:3314:56天理岳三角点~17:10奈良尾峠~17:42△両神山

【登山データ】 天候:曇りのち雨 歩行11.8 11時間17 延登高1,569m 延下降1,569m 4座登頂

 

両神山(1,723m)はギザギザの山容が特徴的な山である。両神明神、両神権現の二社を祀ったから、あるいは伊弉諾尊伊弉冉尊の二神を祀ったからとの説や異説も沢山ある。両神山荘は日向大谷の最奥にある民宿で山中龍太郎さん夫妻が経営されているが夫妻の高齢化に伴い登山者だけを受け入れているので実質は山小屋となっている。

両神山への道は薄川コースが一般道で、その途中から分かれる上級者向けの七倉滝コース、それに北岸の天武将尾根ルートは登山道すら描かれていない難路の3本がある。当初は天武将尾根を登り薄川コースを下る計画だったが、下山時に増水に依る渡渉困難を避けるため雨の降っていない間に沢筋を登ることにし、全く逆コースを行くことにした。この雨では他に登山者はいないだろう。

6:25江村さんトップで宿の女将さんに見送られて出発した。宿から視界に入る最後の所で振り返ると女将さんはまだ見送ってくれていた。「行ってきまーす」と手を振り樹林帯へと消えて行った。薄川コースは先ず鳥をくぐり左岸を高巻き会所へと進んだ。1.6㎞の道のりだがコースタイムは35分、危険地帯は無く10分ほど短縮して到達した。難路の七滝沢コースと分岐し、七滝沢を丸太橋で渡り薄川本流に戻った。4回ほど渡渉したがさしたる増水もなく飛び石で渡ることができた。やがて指導標の柱に「八海山」と書かれた地点に達した。“山”であれば素晴らしいが何てことはない単なる曲がり角で石仏が祀られていた。信仰の山で登山道には随所に石仏が祀られていた。

10分ほど行くと左に分岐する道があり往復30分で白藤の滝に行くことができるが、先が長いのでパスした。更に30分余り歩いて清滝小屋に達した。平成元年に火災により建て替わっているのでまだ新しい。しかし当時いた小屋番は白井差登山口付近の某山主が追い出してしまったという噂があり現在は避難小屋として使用されている。中に入り昨日の夕食に出たおはぎを食べ休憩した。外に出ると雨は上がり、小屋裏の清滝を見た。落差10m程はあるだろうか圧倒的な岩壁の迫力はあるが流量が少なく物足りなさを感じた。

清滝から山頂に掛けては急登で先ず鈴ヶ坂(1,383m)に到った。難路の七滝沢コースが合流して更に急登が続き、鎖場も連続して現れた。鈴ヶ坂から600mの距離で標高を300mも上げなければならない。乗り上った処は両神神社で御岳神社と並んで社殿があった。平成12年春に中双里から梵天尾根を登り神社から一位ガタワ、白井差へ下山したが、丁度その日に登山道が閉鎖されてしまった。登山道の維持に関して山主と行政の間にトラブルがあり、埒が明かず山主が強硬したとのことだった。その後水晶坂コースが有料・予約制で開かれたと新しい昭文社地図に記されていた。そして嘗ては清滝から一位ガタワへの登山道もあった。新しく買った登山地図には記載されていなかったのでどうかと思っていたが平成12年の登山道閉鎖で白井差コースと共にこの道も閉ざされてしまったようだ。その先の尾根にある三笠山、エビ蔓ノ頭、辺見岳に足を伸ばす予定だったが両神神社からのピストンでは長すぎるのと、閉鎖エリアに入るので諦めた。

一旦下り坂となり最後の登りで両神山(1,723m)に登頂した。日本百名山に選定され、2等三角点「両神山」のある存在感抜群の山だ。平日でこの天気でもあり今日は山頂独占だった。幸い清滝小屋から雨は止んだままで下界は雲が張り詰めているが雲高く、秩父主稜線等の山々が姿を見せてくれた。諦めていた展望も得られ大満足だった。

両神山北尾根は八丁尾根と呼ばれ、ギザギザの険しい道が続く。今日は前東岳まで進み、登山地図にすら記されていない天武将尾根を下る予定だ。もうそろそろ分岐がある筈と注意しながら進んだが一向に現れず現在位置を確認すると一つ北のピークまで来てしまっていた。引き返すと前東岳のピークを巻いて西側を通ってしまったので分からなかったようだ。前東岳(1,692m)山頂には山名を示すものは何もなく天武将尾根の入口にロープが張られ「遭難事故多発 登山道未整備のため通行は自己責任で」との表示があった。屹立した稜線からの下山は凄まじい難路で、しかも水分をたっぷり含み足元が悪く慎重に下った。

樹林帯の急坂だが北側の開けた所がありキキノ沢の谷越しに八丁尾根の岩峰群が迫力を持って迫ってきた。1時間20分掛けて標高1,300mまで下り、急斜面を登り返したところはP1306で一息入れた。また雨が降り出した。2.5万図を見るとこの先等高線の間隔が緩むと思ったのは幻想で、2.5万図に現れない尖がりが次々と現れ雨の降る中、より一層慎重に歩を進めた。禿岩(1,145m)の手前では直登はとても無理と巻道を捜したがなく岩の隙間にホールドを見つけ辛うじて這い上がった。登山地図を見ると「?」や「!」マークはむしろこれから先に記されている。

禿岩から天理岳(1,153m)までは600mしか離れていないが40分近く掛かってしまった。この尾根、赤テープは所々にあったが標識の類は一切なかった。天理岳に到ると山頂標識がありホッとした。先に進もうとすると道が二手に分かれているのでコンパスを合せると右の方を示したので下り出すと直ぐに道が無くなってしまった。左を偵察するが全然方向違いで思案していると右の踏み跡の更に右に赤テープがあった。踏込むと「こんな所を!」という激下りで、慎重に這い下りた。20分ほど進むと3等三角点「天理岳」が現れた。点標は殆ど人が来ないので綺麗な姿をしていた。

時刻は15時、天武将尾根分岐の前東岳から既に3時間40分も経っている。この先も危険地帯は続き果たして下山は何時になるのだろうか。気は急ぐが難路で歩は進まない。そんな中でやってしまった。道なりに進んでいた積もりだったが左に逸れてしまい急な斜面を40m近くも下ってしまった。コンパスを合せ、GPSを見て道間違いに気づき引き返したが時間の押す中20分余りロスをしてしまった。

今日の日の入りは1744分、雨天で樹林帯とあっては16時を過ぎると薄暗くなってきた。山荘のご夫婦が心配しているのではと携帯電話を入れてみるとauは杜絶えがち、話し出すと直ぐに途切れてしまったがコールバックがあり奈良尾峠の手前である旨を伝えた。P905を過ぎ奈良尾峠(848m)に到ると指導標は峠がまだ先であると示していた。ここからは日向大谷と納宮を結んでいた古道で踏み跡はしっかりしていそうだ。下山路は歩いて来た天武将尾根の直下に戻るように山麓を巻いていた。道幅が狭く稜線とは別の緊張を強いられた。やがて集落に近づいてくると、民家の庭先のような両神神社に到った。無事の下山を報告し、山中夫妻の待つ両神山荘へと帰りついた。

一般道ピストンと思っていたらしくご飯も早め、お風呂も早めに準備してくださっていたのに申し訳なく急いで入浴し、夕食の席に着いた。今日のビールは美味い。早く食べ終ろうと思っていたがまたもや凄い品数と大ポーションの料理が出て、蕎麦を打ったからと出て来たのはそれだけで一人前はありそうな代物だった。部屋に帰って今日こそ飲もうと思っていたがはち切れんばかりの満腹で気持ちが悪くなり今日も早く寝た。

 

3日目(9/24): ①赤久縄山

【行  程】 両神山6:327:48赤久縄山西登山口7:538:05赤久縄山~8:20北登山口~8:31赤久縄山西登山口

【登山データ】 天候:雨 歩行1.6 0時間38 延登高127m 延下降127m 1座登頂

 

両神山荘で530分から朝食を食べ、雨の降るなか土坂峠を越えて群馬県神流町万場を目指した。塩沢峠から御荷鉾スーパー林道に入り山頂域を西へと走り赤久縄山西登山口に達した。スーパー林道と云うので白山スーパー林道のような高規格の道をイメージしていたが実態は酷いダート道で20/hがやっとの状態だった。登山と云うほどの距離もなくウォーミングアップの趣でザックも背負わず空荷で山頂を目指した。止んでいた雨が一時降り傘くらい持って来るのだったと後悔するがもう行くしかない。

赤久縄山(1,522m)に達すると1等三角点「赤久縄」があり古びた山頂標識が伴っていた。下山は北登山口を目指し車で走ってきた林道を歩いて西登山口に戻り、僅か38分の“登山”を終えた。

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写真3: 平成元年に建て替わった清滝小屋は立派(9/23)

 

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写真4: 小屋裏手にある清滝は細い流れ(9/23)

 

 

3日目(9/24): ②白髪岩

【行  程】 赤久縄山西登山口8:358:45白髪山東登山口8:589:53白髪岩10:0210:44白髪岩分岐~11:00白髪山~11:17白髪山東登山口11:3312:48赤岩温泉13:5015:35三峰口=17:27甲府昭和IC=(中央道・名神)=21:55京都

【登山データ】 天候:雨 歩行4.3 2時間19 延登高269m 延下降269m 2座登頂

 

スーパー林道を西に5㎞余り車で移動し、白髪山東登山口の路肩に駐車した。林道を西へと進み鮎川の源頭を巻き込むように右にカーブし尾根の先端部の登山地図に駐車1台と書かれた林道の凹みから登山道が始まった。北の稜線へ急登で這い上がり、稜線を1.4㎞の歩行だ。雨は上がったが笹が生い茂り、雨具の下だけ履いて来たのは正解だった。白髪岩までに名もない小ピークが3つあった。3つ目のピークは1,499mの標高点が打たれ下仁田町坊主渕からの道が2.5万図に描かれているが道形は全く見いだせなかった。

白髪岩に迫ると岩場が現れロープが掛かっていた。這い上がると展望が開けたが雲に視界は閉ざされていた。少し進むと白髪岩(1,512m)山頂で此処は樹林帯で展望は得られなかった。この山頂は下仁田町の最高峰で、何と云っても今山行の主題である「原三角測點」が残されていた。

原三角測點は明治開国の頃、伊能忠敬の「大図」と呼ばれる地図が最も精度の高い地図であったが、明治政府は日本列島の正確な地図を求め内務省に地理局を置き三角測量を開始した。その時に設置した標石がこの台形の「原三角測點」で全国に50点程度設置された。地図は防衛戦略上重要なもので、明治17年になると陸軍が内務省から強引にこの業務を奪い取った。陸地測量部という文官の部署ができ、まず1等三角点の設置が始まった。このときバッティングする「原三角測點」は次々に引っこ抜かれてしまったという。そしてどう云う理由か定かではないが残ったのはここ白髪岩と新潟県の米山、そして奥秩父雲取山の僅か3箇所だけ。標石の側面には「明治十五年十月」と刻まれていた。なお米山は明治158月、雲取山は明治1512月で米山のものが最古のものである。

今日の山行で日本に残るすべての原三角測點を見たことになり感慨一入だった。山頂の少し先には図根点があり現三角測點が既に測量と係わりのない遺跡であることを物語っていた。岩場を避ける巻き道が分岐していたようだが情報なく、山頂から反対方向についていた赤テープには従わなかった。帰りは来た道を引き返した。スーパー林道に戻り足の運びがぎこちなくなってきた稲田さんはもう登らないと云う。南小太郎山まで足を伸ばす予定だったが午後から再び雨の予報があり白髪山まででお終いにしようと提案するが稲田さんはそれもパスし車で待っていると云う。

江村さんと二人で尾根にある点線道の登山道を探して這い登ったが、道形は全くなく藪を漕いで西からの稜線登山道に乗った。白髪山(1,521m)山頂は直ぐで樹林帯の静かな山頂だった。山頂標識は11月に開かれる神流マウンテンラン&ウォークの標識が代用していた。駐車地点の東登山口に下山しようと先に進んだがそれは行かないことにした南小太郎山への縦走路で再び登りになりだして気が付き引き返した。正しい下山路は山頂直下で分岐していた道だった。

帰路、赤岩温泉小鹿荘に立ち寄り汗を流した。露天風呂もあり貸切状態だった。三峰口駅で稲田さんを送り雁坂トンネルを越えて中央道の長い旅で帰京した。

 

【登山データ計】 歩行255 24時間16 延登高2,548m 延下降2,548m 8座登頂

 

 

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写真5: 両神山(1,723m)山頂にて(9/23)

 

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写真6: 秩父の小川山(2,418m)が美しい姿を見せていた(9/23)

 

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写真7: 武甲山(1,295m)、大持山(1,294m)天武将尾根展望地より(9/23)

 

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写真8: 見上げる八丁尾根は屹立した岩峰(9/23)

 

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写真9: 白髪岩(1,512m)山頂には日本に3箇所だけ残る「原三角測點」がある(9/24)