京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

[個人山行] GWの槍ヶ岳と中岳

 夏はなんてことのない槍の穂先だが、雪があるとその怖さは数段上だったので、だからこそか、最後の大ハシゴを登り切って山頂に立ったときの感動も、ずいぶん大きなものだった。

 これまで、ピークに立ってこんなに達成感があったことってあったかな?というほどの感動が湧いてきて、自分でも驚くくらいであった。後から登ってきた本田さんもやはり感動しているらしく、二人で握手をする。

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[個人山行]2011年4月28日(木)~5月4日(木)

 GWの槍ヶ岳と中岳

【参加者】AT、本田勇樹(会員2名)

[4月28日(木)・晴れ]

夜京都発→新穂高温泉駐車場(幕)

[4月29日(金)・晴れのちガス]

新穂高温泉穂高平→槍平(ガス)

[4月30日(土)・快晴のち暴風雷雪]

槍平→大喰岳西尾根→大喰岳→槍ヶ岳山荘(泊)

[5月1日(日)・暴風雨]

槍ヶ岳山荘(泊)

[5月2日(月)・快晴暴風]

槍ヶ岳山荘→槍の穂先→槍ヶ岳山荘→中岳→南岳避難小屋(幕)

[5月3日(火)・快晴]

南岳避難小屋→中岳→飛騨乗越→槍沢→上高地(下山)

【記録兼感想】51期 T

 GWは北アルプスへ行きたいものだと考えていたところ、長野さんが槍ヶ岳へ行くというので、ぜひ僕も参加させてもらおうと思った。

 

ところがカレンダーを眺めていると、中一日休みを取れば七日間もの連休になることに気がつき、槍ヶ岳に登って降りるだけということがなんとももったいなく思えてきた。

 槍ヶ岳からの縦走となると、やはりまずは穂高のほうへ縦走していきたいと思うのが人情というものだと思うが、残念ながらその間には大キレットがたちはだかっている。

 残雪期の大キレットがいったいどういった状態であるのか、残雪期の北アルプスを訪れたことがない僕には解らないので、大それたことだろうか?と思っていたが、上坂さんにそれとなく話してみると「それは結構。大いにやりたまえ」といった調子であった。

 てっきり止められるものと思っていたので意外に思っていると「七日間もあるのだから、そのまま西穂高まで行ってしまえば」とまで言われてしまったので、それではと思い切って、槍から西穂まで縦走してしまおうという計画を立てることにしたのであった。

 七日間縦走となると、荷物は当然重くなるので体力が第一。夏に同ルートをたどった時に感じた印象として、難しい箇所こそ無いものの、滑落すれば地上に落ちるまでにあちこちぶつかって三回くらいは死ねそうな高度感あるルートなので、長丁場で集中力を保つことが課題だと思った。そして集中力を保つのにも、大事なのはやはり体力ではないかと思う。つまり、体力が必要ということだ。

 そこで、相棒にと考えると本田さんが一番良いように思えた。本田さんなら体力旺盛なので、僕が遅れを取ることはあったとしても、その逆になることは無いだろうと思った。(結果的には本田さんが高山病になって思惑は外れたが。)

 なにより、本田さんもこのルートに行ってみたいだろうと思ったが、誘ってみるとやはり二つ返事であった。

 二人いればアンザイレンも出来る。槍ヶ岳までは長野さんについて行き、その先は二人だけで行くということにした。

 ひとまず計画も出来たので、アイゼントレーニングに励みつつ当日を迎える。

[4月29日(金)]

 夜、ロッジ前に集合。新穂高温泉駐車場に到着すると長野さんのお酒を頂いて就寝。

 本田さんの一人用ステラリッジも、二人では狭すぎるかと心配したがちょうどよく、暖かく良く眠れた。

[4月30日(土)]

 起床するとすぐ荷物をまとめて出発。

 天気は良好で、目指す稜線が美しく見えていたが、滝谷あたりまでくるとだんだんガスが出てきて雪が降り出した。

 槍平に到着すると、テントを設営したあと本田さんのスノーソーで即席テーブルを作って宴会をする。スノーソーは便利だ。僕も来シーズンは買おう。

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 槍平から昨年末に行けなかった、中崎尾根への取り付きを確認する。

[5月1日(日)]

 朝起きてテントから顔を出してみると天気は快晴。長野さんパーティーは既に支度をしていて、まさに出発しようとしていた。

 長野さんパーティーは槍平にテントをデポして空身で出発するが、我々はテントを持って行かねばならず、ペースが合わないので本日は別行動である。

 長野さんパーティーは、まだトレースのついていない道を一番乗りで出発していった。

 テント場に幕営していた人たちも、その後続々出発していくなか、我々は最後尾くらいに出発する。

 バテないようにゆっくり歩いていたが、あっという間に大喰沢を過ぎて、大喰岳西尾根の取り付きに到着。ここでアイゼンを取り付ける。

 他の登山者は、アイゼンを付けているパーティは西尾根から、スキーを履いているパーティーは飛騨沢からそれぞれ槍ヶ岳を目指しているようである。

 西尾根を登りだしたころから、快晴だった空が急速にドンヨリと曇りだして、稜線に近づいて行くほどにどんどん天気が悪化していった。

 大喰岳西尾根の下部はなだらかで、尾根も谷もあまり無いような緩やかな地形であったが、上部あたりまでくると岩がゴツゴツしていかにも尾根筋らしくなくる。

 そのあたりになると、飛騨側から猛烈な突風が吹き出して台風のよう。顔に雪だか雹だかわからないようなものがビシビシ当たってとても痛い。

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 ここで目だし帽をしようと思ったが、なんと目だし帽を忘れてしまっていることに気がついた。後日は持ってきていたタオルで代要して事なきを得たが、このときはそんな余裕もなく、顔を手で覆いながら登る。

 以前上坂さんが言っていた「山登りでは小物を軽んじるな。」の言葉が頭の中で響く。

 はじめは風が弱まるのを待ってから歩こうと、岩陰にじっとしていたが、いつまで待っても風の勢いが弱まろうとしないので、強行突破することにした。

 歩こうと足を上げると、その足がフワッと風に持って行かれ何度も転びそうになったが、風は常に飛騨側から吹いていて、(そこが嵐とは決定的に違うところである。)どう飛ばされるかは予想がつくことと、大喰岳西尾根はナイフリッジのような危険な地形では無いため、少々転んでも即滑落ということは無さそうなので、ここはさっさと通過するのが吉と思い、よろけながらズンズン進む。

 山頂の手前まで来たとき、下山してくる長野さんと酒井さんの姿が見えた。

 早い!もう槍ヶ岳まで登って帰ってきたのか!と思ったが、風が強過ぎるので大喰岳まで行って引き返して来たとのこと。

 残念ながらここで撤退するということで、もっといろいろ話をしたかったが、呑気に立ち話をしていられるような状況ではなく、一言二言交わしてから別れた。

 ふと振り返ると、本田さんのペースがずいぶん遅くなっていて、じっとうずくまって動かなくなってしまうことが多くなった。どうも体調が優れないようである。

 槍ヶ岳はすぐそこに見えているが、突風に耐えながら休み休み歩くので中々たどりつかない。

 後ろの本田さんがずいぶん弱っていて、今にも倒れ込んで動かなくなるのではないかと気が気ではないし、ペースが遅いと体も温まらず体温がどんどん下がっていって、生命の危険を感じる。

 大喰岳山頂から槍ヶ岳までは、晴れていればなんてことはないところだが、視界が無く突風に足を取られる状態なので、恐る恐るの足取りである。

 命からがらたどりついた槍ヶ岳山荘は、槍沢から登ってきた多くの登山者で賑わっていて大変ホッとする思いであった。

 小屋に着くとさっそく食堂へ行って本田さんと二人、カレーとカップヌードルを注文して食べた。

 山荘でカレーを食べていると、外では終いに雷まで鳴り出して(このあたりで雷が落ちる場所といえば、ひとつだろう。)、完全に外でテントを張るというような状況ではない。

 こんな時なのに穂先に取り付いている人が何人かいて、「何という命知らずだろうか」と思う。(彼らは、一人は山頂で背後に落雷があり、途中滑落しながらもあわてて山荘まで下山、一人は落雷による落石が頭に直撃して怪我をするという事態になっていたようだ。)

 本田さんと相談した結果、不本意ではあるが、この日はひとまず山荘に泊まろうということになった。

 このとき山荘に居た登山者は、そのほとんどが槍沢から下山したようで、宿泊客は少なかった。

 翌日の予報はもっと悪いので、我々も下山したいところではあるが、この先の計画があるので下山するにはまだ早い。

 僕にとって、残雪期としてはこれが北アルプス稜線とのファーストコンタクトであったわけで、ヤマケイなどで見るような美しき稜線の雪山風景を思い描いていた僕は大変ショックを受けてしまった。

 まるで穴ぐらから顔を出した途端、顔面にパンチをくらったような気分である。

 その日は軽く高山病になったらしく頭痛がしたこともあって、山小屋だというのに中々寝付けず、本田さんが(何故か自分ではなく本田さんが)キレットで滑落してしまうという悪夢を見たりして何度か目を覚ます。

[5月2日(月)]

 もしかすると天気がいくぶん回復していやしないか、というかすかな希望があったが、朝起きて外に出てみるとあいかわらずの視界不良と暴風に加えて、雪が雨に変わっていてむしろ昨日よりもたちが悪い。窓から聞こえる風切り音が、まるで猫が喧嘩している声に似ているのでそう本田さんに言うと、本田さん宅の猫の声によく似ていると思っていた、とのことであった。

 退屈なので本田さんと二人、暴風雨の中山荘近くの岩でボルダリングごっこのようなことをしてみたが、ものの10分ほどで全身がびしょ濡れになり、体温の下がり方が激しいのですぐに山荘に戻って乾燥室へ直行。

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 こんな天気だけど登ってくる人はいるようで、午後を過ぎると何人か登山者がやってきた。

 山荘の100m下付近で行き倒れてしまった人がいるとの通報があり、小屋の人が救助に向かっていた。この連休で

北アルプスでは8名もの死者が出たと後で知ったが、おそらく死亡事故はこの悪天の2日間に集中していたのではないかと思う。

 外に出られる状態ではないので、仕方なくこの日も山荘で連泊。談話室で「世界ふしぎ発見」の槍ヶ岳の回のビデオを見たり(ビデオを操作するのは久しぶりであるが、巻き戻し作業が面倒である。)、読書したり、お茶を沸かしてみたりしながら時間をつぶす。

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 退屈しているところに本田さんが「槍の穂先に登る人がいる」と言うので、では見学させてもらおうということになった。

 ヤッケを着込んだ男性が、玄関で嬉々として身支度をする我々を不思議そうに見て「どこへお出かけですか?」と尋ねてきたので「穂先へ行く人がいるというので、見学させてもらおうというんですよ」と答えると、それは我々二人のことだと言うので、「では、見学をさせてください」と改めて申し出た。

 すると「怖くてすぐに下りてくるかもしれませんよ」とバツ悪そうに言うので、もちろん。といってカメラを手に二人のあとについていく。(完全に野次馬である)

 外は相変わらずの視界不良に暴風雨で、どうしてまた、こんな日に穂先へ登ろうっていうんですか?と尋ねたところ、「やることないから」とのことであった。

 二人が穂先に取り付くと、ホワイトアウトしているので二人の姿はあっという間に見えなくなった。本田さんと二人して、しばらく目をこらして穂先の方を眺めていたが、何も見えない。我々が下で見ていると彼等も怖くなった時に下りて来づらいだろうということもあって、山荘に引き返すことにした。

 山荘でストーブに当たって待っていたが、二人は1時間を過ぎても帰ってこないので、この暴風雨だし何かあったのでは?と心配になったが、ほどなく帰ってこられた。

 どうでしたか?と尋ねると、一度ルートを間違えて引き返し、登りなおしたが、途中「これは登れない」というところがあったらしく、引き返して来られたとのことであった。

 明日は天気が良いそうだから、あとはもう明日のチャレンジですね、と言うと、いや、天候の問題ではなく登れないと思ったので、明日はそのまま下山しますということであった。

 その言葉を聞いて我々も明日の登頂が少々心配になる。このあと、この二人と写真を撮ってアドレスを交換した。(我々が山岳会の者だと告げると、僕たちもそろそろ山岳会に入ろうかと思っている、とのことで、関西在住ならば当会に勧誘しようかとおもったが残念ながら関東在住とのことであった。)

 小屋に貼り出された天気予報によると、明日は強風ながら快晴の予報となっている。本田さんの「明日は攻めましょう!前穂までいきましょう!」との言葉に、気が引き締まる思いがした。

 その日もよく眠れなかった。

[5月3日(火)]

 勇んで午前三時に起きてみたが、日の出には一時間以上あるし風もずいぶん強く、真っ暗な山荘の入り口で一時間半ほど待機。

 四時半ころに外が明るくなってきたので外に出てみると、ガスが流れていって穂先が顔を出しているのが見えた。穂先の背後から朝日が当たって、まるで後光がさしている様な神々しい美しさである。

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 すぐにアイゼンを付けて登りにかかる。風は前日同様猛烈だったが、雨も雪も降っていないのでずいぶんマシだし、視界も良好である。(とはいえ強風のせいで体感温度は低く、二人ともダウンを着たまま登ってちょうど良いくらいだった。)

 はじめ、足跡をたどって直上していくとどうにも進めなくなってしまったので、一旦下りて右にトラバースする。(この直上する足跡はおそらく昨日の二人のものだったのだろう)

 ルートは穂先の壁の凹状になっているところを通っているので、雪がついていて岩が露出しているところが意外に少なく、雪壁にバイルのブレードを突き刺して、それを頼りに登っていくところが多かった。

 昨日の雨でアイスバーン状になった雪壁は、朝一なのでブレードもツァッケもしっかり刺さってよく効いたが、うっかり落ちると奈落の底なので生きた心地がしない。

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 しかしだんだん慣れてきて、はじめは鎖などがあるといちいちセルフビレイを取っていたが、だんだん面倒になってきてそのまま登る。

 ハーネスを着用したうえでロープを持参していたが、どこでどう支点を取るべきか、ハーケンを打つこともなかなか簡単ではないと思ったし、キャメロットなど都合よく入るような隙間など無かった。(そのような隙間があるとすれば、そこにはたいてい、雪や氷が先に詰まっているからだ。)しかし、ハシゴや鎖、岩などでセルフビレイを取ったりするためだけでも、ハーネスは充分有用であった。

 夏はなんてことのない槍の穂先だが、雪があるとその怖さは数段上だったので、だからこそか、最後の大ハシゴを登り切って山頂に立ったときの感動も、ずいぶん大きなものだった。

 これまで、ピークに立ってこんなに達成感があったことってあったかな?というほどの感動が湧いてきて、自分でも驚くくらいであった。後から登ってきた本田さんもやはり感動しているらしく、二人で握手をする。

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 山頂は風が強いものの快適で、もう少しゆっくりしたかったが、今日は先のこともあるので写真を少し撮ってすぐ下山にかかる。

 下りはハシゴを使って懸垂下降もと考えていたが、懸垂下降をすると基本的にまっすぐ下にしか下りられないので、ルートを外すとかえって危険になりそう。普通に下りるのが最もよさそうである。この先のルートでも、下りの危険箇所は懸垂下降で下りればと安易に考えていたが、(特に雪山では)そう簡単でもないようだ。

 登るのに怖かったので、下りはさらに怖いものだろうと覚悟していたが、慣れてしまったのか、たいした恐怖もなくサクサク下りられた。

 穂先から下りて二人喜んだが、雪山におけるロープ確保の難しさを思い知り、先行き不安になる。あの、夏には簡単に思えた槍の穂先ですらこうだから、この先のキレットなどは推して知るべしである。

 その後、山荘で準備してあったザックを背負って南へ出発しようとしたが、ダウンを脱いで外へ出ると強風であまりに寒いので、一旦戻ってダウンを着てから外に出る。その日はずっと強風でダウンを着たまま動いてちょうど良いくらいであった。

 本田さんが、この強風で縦走するのは危険なのでは?と言ったので、僕もそうかもしれないと思い、万全を期し下山して、涸沢へでも遊びに行こうかという話になったが、後から二人連れパーティーが平然と歩いて行ったので「なんだ」という事であっさり山行を続けることになった。二人とも雪山初心者。この旅では小さなことにいちいちビクついて、その度に旅の続行を逡巡した。

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 槍ヶ岳山荘をあとにして大喰岳への登りにさしかかったとき、振り返ると本田さんがまたしても非常に弱っているようで、数歩歩いては息を荒げて休んでいる。

 まだ槍ヶ岳から少しも来ていないのに普通はこんな弱り方はしないものだ。本田さんの体には、明らかに何か異常(たぶん高山病)があると思えた。こんな調子では、キレットを越えて西穂高まではおろか、南岳までたどり着けるかどうかすら怪しいと思ったので、本田さんのところまで戻り「諦めて下山しよう」と言うと、本田さんは一旦は解りましたと言ったが、しばらく戻ると僕を引き留めて「やっぱり行けます!ペースが速いのでゆっくり行けば大丈夫。少なくとも南岳までは行けます」と強く言うので、ではということで本田さんのペースで先に歩いてもらうことになった。

 本田さんは、しばらく歩いては立ち止まってハアハア息をしながら少しずつ歩いた。本田さんとはこれまで数々山行を供にしてきて、彼の体力がどれほどのものであるか、僕は一応解っているつもりであるが、本田さんの体力は僕よりも上で、健康であれば決してこんな状態にはならない筈である。

 これはいわゆる「バテた」状態で、それは高山病からきていることは、僕の目から見ると明らかだと思えたが、本田さんは「高山病ではない。」「バテてない。」と頑なに否定して、下山にかかるまでついに自分がバテていると認めなかった。それが本田さんの自負によるものなのか、計画が台無しになってしまうことへの恐れか、あるいは単純にバテたり高山病にかかった経験があまり無かったのかはわからないが、今回本田さんと旅をしてしみじみ思ったことは「本田さんは頑固な男だなあ」ということであった。別に良い意味でも悪い意味でもなく、ただそう思った。

 そんなわけで本田さんにとっては地獄のような道のりだったかもしれないが、よく晴れて景色はこの上なく美しく、僕は上機嫌である。北アルプス稜線を歩くのは去年の夏以来で、しかもそれが雪山なので実に爽快な気分だった。

 しかし、途中トラバースしたり、南岳山頂のハシゴを登った先のアイスバーン状になっているところなど、夏ではなんでもないようなところでも、けっこう怖い思いをした。(本田さんは慣れているので平気だったとのことである。)

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 中岳を越えたあたりで本田さんの疲労具合はどんどん悪化していって、アーとかウーとかうなされるような声を出して非常にしんどそうである。

 風は常に飛騨側から吹いているので、飛騨側の斜面はアイスバーン状になって堅く、信州側の斜面は雪がやわらかくくさりがちで、ところにより雪庇が出来ていた。とくに南岳山頂の雪庇は大きく発達していて、どこが山頂でどこが雪庇なのかわからないので、慎重に歩く。(南岳は、飛騨側はなだらかで信州側は切れ落ちている地形)

 午後をまわって雪がくさってきて、自分も怖いのはもちろんだが、満身創痍の本田さんが今にも力尽きて落ちてしまいやしないかと気が気ではない。今にもへばって動けなくなるのではないか、フラフラと歩いて足を滑らせ滑落するのではないか、などと思うと大変神経を消耗する。(本人は案外平気だったのかもしれないが。)

 やっとの思いで南岳小屋に到着。避難小屋のドアは最初、下半分が埋まっているように見えたのでこれは掘り出すのが大変だぞと思ったが、本田さんがこれは上開きのドアだ、と言って上にドアを開けるとその通りで、あっさり開いた。

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 避難小屋の中はつららが出来ていたが、外に比べると格段に暖かく感じた。本田さんの弱り方が半端ではないので、少し早いが小屋の中で晩ご飯を作って食べる。

 本田さんにこれからの行動について話をすると、本田さんは僕が言ったことを自分で口にして反芻したあと、初めて意味を理解しているようで、だいぶ思考能力が下がっているようである。

 ご飯を食べて休んでから、外へ出て大キレットを覗きに行こうということになり、獅子鼻岩の上からキレットを覗いてみたが、見るからに恐ろしそうな道のりである。とくに北穂高小屋の手前などはどうやって登るのだろうか?夏に訪れたことはあるが、ずいぶん前の話で詳細は忘れてしまった。(恐らく近づいてみるとそれなりに登りようがあるのであろうが。)

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 元気な状態でも危険だというのに、今のゾンビのような本田さんと一緒にキレットを越えるのはどう考えても賢い判断とは思えなかった。

 本田さんの体調が優れないこともさることながら、それを頑なに認めようとしない本田さんの態度のほうが、むしろ僕を不安にさせた。

 また、僕が頼りないせいで曖昧な判断をすることが多く、船頭が二人いるようなパーティー(パーティーと言っても二人だけだが)になってしまっていたことも、あまり良くない状態だなと思えた。

 そして、穂先の登りでわかったことだが、危険箇所の通過において、安全確保の支点工作が思っていたよりもずっと難しいこと。

 それに加えて間抜けなことに、ここにきて僕はどこかにバイルとスパッツを忘れてきてしまったことに気がついた。

 以上のことから、もう続行は難しいと考え本田さんに、下山しよう、と言うと本田さんは解りました。と言ってから「もし自分が元気だったらこのまま行っていたか?」と尋ねてきたので、僕は「わからない」と正直に答えた。

 獅子鼻岩から下りると、本田さんが南岳の営業小屋(休業中)に出来た大きな吹きだまりの壁に囲まれた広い空間を見て、ここに雪洞を掘って泊まりませんか?と言った。どうも本田さんは避難小屋が気に入らなかったらしい。まだお昼をまわったところだったので、せっかくだし雪洞をつくろうかということになり、二人のスコップと本田さんのスノーソーを出してきて雪洞を作り出した。

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 雪洞ははじめこそ軽快に掘り進んでいたが、少し奥に掘り進むとだんだん雪が固くなっていってはかどらなくなってきた。それにやはり雪洞で寝るのは見るからに寒そうだったので「やっぱり寒そうだし、もう雪洞掘るのやめて小屋の中にテント張らない?」と言うと本田さんは「せっかくここまで掘ったんだから雪洞に泊まりたい。キレットにも行けないし雪洞も堀れなかったら、何ひとつやり遂げられない」と言ってヤケクソ気味になって雪洞を掘っている(ちょっと普通でない感じである。)ので、本田さんは自分の体調のことでだいぶ悔しく思っているのだな、と思った。

 そこで、これは気の済むまで付き合おうと、覚悟を決めて二人で雪洞を作っていると、避難小屋の方から誰かの話し声が聞こえる。

 避難小屋まで戻ってみると小屋の入り口に中年男性と中年女性の二人連れパーティーが立っていた。

 挨拶をしてから二人に「明日はどちらまで行かれるのですか?」と尋ねるとなんと「奥穂高まで」と言うので「それはスゴイ!僕たちもそうしようと思っていましたが、怖じ気づいたので明日は帰ります。」と言うとリーダーらしき中年男性が「え、そんなに危ないかなあ?夏には一応通ったことあるんだけど…。」と言った。

 我々は雪洞で寝ることになったので「小屋に置いてある荷物を片付ます」と言って雪洞の前まで自分たちの荷物を移動した。

 雪洞がなんとか二人寝られるくらいの大きさになったので、まわりにトイレや階段などを作って雪洞の環境をとととのえ、雪洞に入って明日の水を作っていると、本田さんが「やっぱり寒いから小屋にテント張って寝ませんか」と言う。

 「一度雪洞で寝ると決めたんだから、雪洞で寝よう」と言ったが、本田さんは、それでもやはり寒いから小屋で寝たい、と深刻な様子で言うので、僕もそもそも乗り気でないこともあり、では雪洞の前の吹きだまりの巨大な壁に囲まれたスペースにテントを張って寝ようか。(小屋の中もこちらも風が吹いてこないので同じような条件である)と言うと、本田さんは一旦は解ったと言ったが、いややっぱり小屋でテントを張って寝たいと言う。

 先ほどの二人に「雪洞で寝ます」と言った手前、やっぱり寒いから小屋に入れて下さい、というのがなんとも格好悪かったが仕方なく小屋に寄せてもらう。

 実のところ、もしも本田さんが明日の朝回復しているようなことがあれば、あの二人に「後をついてキレットを行かせてもらえませんか」と申し出てみようか、などという考えがなくもなかったが、この一連の本田さんの不安定な様子を見て完全にその選択肢は無いと思った。(本田さんは後に「あのとき雪洞に泊まっていたらきっと死んでいただろう。」と言ったが、もし本当にそうなっていたらまさに「墓穴を掘る」の体現である。)

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 二人で撤退のルートをいろいろと話し合ったが、本田さんの「他のルートはどうなっているか解らないし、迷ったら体力が持ちそうにもない。たどってきた道を引き返すのが一番安全と思う」という意見に、それは最もだ、と思ったのでそうすることにする。ただ、来た道を引き返すのは最も距離の長いエスケープになるので、本田さんの体力が持つのだろうかということが不安であった……。

[5月4日(水)]

 三時に起床したが、疲れていたのでそのまま一時間くらい寝直す。外に出てみると天気は相変わらず快晴のうえに無風で最高のコンディションである。

 朝ご飯を作っている小屋のお二人に「お気を付けて」と声をかけ出発。昨晩にうとうとしながら彼等の会話を聞いていて、お二人はかなり経験豊富な人たちであることが解ったのだが、しかし、今朝になって僕がトイレに立っている間に本田さんが二人の会話を立ち聞きしたところによると、二人も今日のキレット行きはあきらめ、下山するという相談をしていたそうだ。経験豊富なお二人が何故!?と思ったが、本田さんが、リーダーの男性が連れの女性に対して語っていたことを聞いたところによると

「理由はみっつあります。一つは、ここまでで見てきたあなたのアイゼンやピッケルの使い方がまだ未熟なものであり不安が残ること。二つ目は荷物が重すぎることです(たしかに女性のザックはものすごく大きなザックがぱんぱんになっていた)。三つ目は…」

とここで、本田さんが三つ目はなんだったかを忘れたという。僕は興味があるので、よく思い出してくれと言ったが本田さんはついに思い出してくれなかった。

 不慣れというが、女性の方は残雪期の北鎌尾根にも行ったことがあるというつわものらしいので、そんな人ならキレットなど余裕で行けるだろうにと思うのだけど…。

 もしかすると昨日、僕がキレットへ行くお二人に対し「メチャスッゴイですね!!」とか「ぼくたちスッゴイ怖くて!!」などと大げさに感心してみせたせいで、リーダーの男性もなんとなくナーバスになってしまったのかもしれない…。もしそうだとしたら、ごめんなさい…。

 本田さんは、相変わらず顔色が悪く元気が無さそうだが歩けるか聞くと大丈夫だ、と言った。しかし昨日よりいっそうひどいバテ具合で、歩き出して早々からもう行き倒れてしまいそうな様子である。

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 南岳を過ぎると限界らしくブツブツと独り言のように「クソ!★○=~#!」とよく聞き取れない悪態をついたりして、ひどく気が立っているようである。

 僕はそれをどうすることも出来ないので、後を黙ってついていった。槍ヶ岳まですぐの道のりが、とても長いものに感じた。

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 やっとのことで槍ヶ岳山荘に着いて一休み。もしやと思って山荘にたずねてみると、僕が忘れたバイルとスパッツを預かってくれていたので一安心。ありがとうございます。

 あとは槍平から下山するだけである。本田さんも初めはしんどそうにしていたが、槍沢ロッジまで下りてくるとだいぶ元気を取り戻してきて、横尾山荘につくころには「ウソの様に元気になった」と言った。高山病はふしぎである。

 もうここまで来たら早く下山したい、との本田さんの言葉に、僕も同じ気持ちだったので早足で上高地まで歩き、小梨平の温泉に入って(以前、野沢さんが小梨平で温泉に入りながら長期間キャンプして過ごした話を聞いていて、ずっと入りたいと思っていた)、最終のバスに乗って松本まで下山した。

 そこから京都までの道のりは、旅慣れた本田さんがいろいろと手配してくれ、順調に帰ることが出来たのであった。

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 今回はいろいろな判断の悪さ、不運、不注意、不慣れが重なり、六日間もかけて西穂高はおろか、前穂高にも到達できませんでしたが、自分にとってとても良い経験になったのは間違いありません。

 自分に足りないと感じたのは、ひとつはピッケル・アイゼンに対する経験値です。アイゼントレはずいぶん念入りにやったつもりでしたが、いくら岩だけのところでトレーニングをやっても不完全なものがあると感じました。また、雪がついていたとしても、柔らかい雪ではあまり意味がないと思いました。来季は、可能ならもっと実践的なところでアイゼントレをしたいと思います。(たとえば御在所など、氷が出来るようなところで)

 それと、もっと場数を踏んで判断力を身に付けたい。今回大きく判断を誤ったと思ったことがふたつあり、ひとつは、体調不良の本田さんを連れて大喰岳西尾根上部から槍ヶ岳山荘までを強行突破してしまったことと、本田さんが危うい状態なのに槍ヶ岳から南岳まで行ってしまったことです。(耳をかさず下山するべきだった)いずれも間違えば重大事故になっていたことと思います。

 今回、山行を供にしてくれた本田さんには心から感謝します。高山病でバテた体調で、よくぞあれだけの距離を歩いたものだと感服しました。そして本田さんの雪稜におけるルートファインディングは優れていて、とても助けられました。

 無雪期にもういちどよく偵察したうえで、可能なら来期にまた再挑戦したいと思います。

 また、山荘にあったパソコンからMLに経過報告を流したところ、心細いところにたくさんの励まし、アドバイスなどいただいたことが、とても励みになりました。ありがとうございました。

【感想】53期 本田

 去年GWの北アルプス涸沢に行って絶対今年も行こうと決めていました。

槍が岳の計画だけでも楽しみでしたが、Tさんから穂高縦走のお誘いをいただき、そんなんできるのかと不安があったものの一度に穂高連峰のすべてに立てる魅力にその場で行きますと返事しましてしまいました、こんなに厳しいものとはつゆ知らず。

 2日目の槍平から大喰岳西尾根に向かう際、ケタ違いのスケールの雪崩痕に圧倒されながら進み、稜線に出ると強烈な風、すこし生命の危険を感じるほどでした。

それでも岩陰に隠れながら、なんとか槍が岳山荘に辿りついてほっと一息。

テントを張れる場所を探すか、南岳まで行ってみようかとか、小屋泊りを回避しようとしばらく考えました。今から考えれば、小屋泊まりしかなかったかと思いますが、考える時間が充実していたように思います。

 停滞中は、張り出される天気情報をじっくり見ながら、周りのパーティの動き

にも気を配り、考えを二転三転させながら、好機を待ちました。

予報どおり2日目の朝、日の出とともにずっと雲に隠れていた穂先が現れたときは、興奮しました。チャンスを逃さずにサッと準備をして一番乗りできたのはとても良かったです。

そのあと、思っていたより体調が悪く南岳までもやっとのような状態で南岳小屋近くに雪洞を掘って入ったもののここで寝たら体調悪化する予感がして、結局避難小屋にテントを張りましょうと優柔不断なことを言い出す始末。Tさんには迷惑をかけっぱなしでなんともふがいなかったです。

 でも無事帰ってこれて良かった。また行きたいです。ご一緒いただいたTさん、皆様ありがとうございました。

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