2015年9月21日(月)~23日(水)
【参加者】
CL A.T
長野 浩三(小槍のみ)
辻 博史
比留間 照幸(滝谷ドームのみ) 計4名
【行程】
9月21日(月)
11:45上高地~12:33明神館~13:24徳沢~17:06涸沢(幕)
9月22日(火)
04:00涸沢~07:30北穂高小屋(テント設営&テント装備デポ)〜大休止〜08:40滝谷ドーム~09:40取付きへの懸垂下降ポイント~10:00:1P目取付き~11:20:2P目~13:00:3P目~13:30:4P目~14:50ドームの頭~15:30北穂高岳テント場(幕)
9月23日(水)
06:00北穂高岳テント場(比留間さんと別れる)~07:00北穂高岳小屋~07:34飛騨泣き~08:00長谷川ピーク~08:50最低鞍部~09:40南岳小屋~11:00中岳~11:30大喰岳~12:00槍ヶ岳山荘〜大休止〜14:30小槍基部~15:30小槍(の上でアルペン踊り)~16:30槍ヶ岳山荘(幕)
9月24日(木)
記録と感想【51期】AT
この山行はもともと、長野さん辻さんと一緒に槍ヶ岳の横にある子槍に登って、その上でアルペン踊りを踊ろう、という目的のもと計画されたものであるが、その前にくっついた形で計画した個人山行も、ひとつの旅として切り離すことは出来ない。
そのため、個人山行と例会をひとつにした記録として記述させていただくことにする。
2015年9月にはシルバーウイークの5連休があったが、自分はシフト勤務の職場であるので、世の中の連休というものには基本、縁がないものである。
そういったわけでシルバーウイークも冷めた眼で見ていたもので、長野さんとの今回の例会の計画も、シルバーウイークの最終日に新穂高温泉から登って、混雑を避けるためにその翌日の平日に小槍から槍ヶ岳へ登ろう、という1泊2日のつつましいものであった。
ところが、8月後半に勤務表が出て、フタを開けてみると槍ヶ岳行きの前2日間が休みで、思わず4連休となっていたのであった。
そうしてみると、この時期に槍ヶ岳へ行く前に2日間も家でぼーっとしているのは、いかにも勿体ないと思えてきた。
そこで、槍ヶ岳のついでにどこか縦走出来ないものか、と地図を眺めて考えていた。
すると、日程的にぎりぎりではあるものの、滝谷ドームを登ってから、穂高から槍ヶ岳へ縦走することが可能であるということに気がつく。
その前月の8月には前穂北尾根ルートと明神東稜ルートを登っていたので、穂高をめぐるクライミングの締めくくり?として、これ以上相応しい計画はないのではないか、と思うと、いてもたってもいられなくなった。
しかしクライミングというものは、アブノーマルにやってない限りは、ビレイパートナーが必要となる。
「シルバーウイークを使って北アルプスへいきましょう!」ということを言えば、喜んで来て下さりそうな人はたくさん頭に浮かんだ。
しかし、シルバーウイークが始まって3日目という中途半端な日に出発して、最終日は平日を1日余計に休んで、という日程で、おまけに出発日前日は夜勤なので前夜発は無理で当日出発という我儘な日程。
その日程が空いている上で、マルチピッチクライミングの技術があって、なおかつテント泊装備を背負って縦走出来る体力のある人
そしてその話を連休の直前になって持ちかけ
ということになると、自分の知り合いの中では(ただでさえクライミングをやろうという人は少ないのに)一気に少なくなってしまった。
いちおう複数の知り合いに向けて空いている人はいませんか?と問いかけてみたものの、当然のごとく誰からも返事がない。
やっぱり無理か、とあきらめかけていたのだったが、後日、比留間さんから「自分の技術でもし行けるルートなのであれば、それも前半の滝谷だけで良ければ、行けないことはない」と申し出ていただき、その後それを聞いた辻さんが、比留間さんが行くなら『じゃあ俺も俺も』みたいな感じで来ていただけることとなった。
どうも滝谷ドームということで、お二人とも躊躇していたというか、興味はあるけど遠慮していた様子であった。
確かに、滝谷といえば「飛ぶ鳥も通わぬ」とか「岩の墓場」と言われ、岩はもろく、北アルプスの中でも多くの死者を出しているエリアということもあり、何となく気後れするような、不吉なイメージのあるところである。(滝谷避難小屋は幽霊が出ることで有名なのだとか)
ともあれ、こんな無理矢理な日程で一緒に行って下さるという方が見つかるのは奇跡的なことである。
リードなら全部自分がやりますから是非お願いします!と頼み込んで、なんとか一緒に来ていただけることになった。
比留間さんは休みの関係で途中離脱ということで、上高地から入り、2日目に滝谷ドームを登った後、北穂高で別れ比留間さんは上高地から下山。
自分と辻さんはそのまま大キレットをこえて槍まで行き、そのまま小槍に登るという、ものすごく我儘かつ贅沢に予定を詰め込んだ計画となった。
計画はたてたが「どうせそう都合よく毎日天気が良かったり、トラブルなく歩き通せたり、などという訳にはいかないであろう。」と思いながら当日を迎える。
2015年9月21日(月) 曇り
朝6時、京都駅の新幹線ホームに集合。
のぞみ202号に乗って名古屋駅、そこからワイドビューしなのに乗り換え松本駅へ。
山岳会へ入ってからというもの、移動の大半は車に乗ってということがほどんどだが、電車に乗る山旅は旅情があってワクワクする。
新幹線に揺られながら、朝からひとりハイボールをいただくが、当然というか自分だけで、お2人は飲まない。
自分は夜勤明けで3時間も寝てないとあって少し居眠りしようとしたものの、新幹線もワイドビューしなのも乗車時間は中途半端なもので、いまいち眠ることが出来ない。
松本駅から乗り換え、上高地線で新島々駅、そこからまたバスに乗り換え。
上高地へ着いたのは昼前のことだった。
京都から、当日発で公共交通機関で上高地へ行くと、どれだけ急いでもこの時間になるのではないだろうか。
上高地から涸沢まではおなじみの道。
8月に登った明神岳や、恐ろしげな屏風岩を眺めたりしながら涸沢まで歩く。
涸沢というと楽勝で行けるものと思ってしまうが、なめたものではなく、到着した頃には皆かなりくたびれてしまった。
9月後半なので夏に比べ日没が早い。
涸沢に到着したのが午後5時頃で、テントを張って一息ついた頃にはすぐに暗くなってしまって、ヘッドランプで夕食を食べる。
翌日はその後の日程の関係上、テントを背負って北穂高まで登らないといけないが、滝谷ドームを目指す大多数のパーティーはふつう、涸沢にテントを置いて軽装で滝谷ドームへ向かうものである。
本来ならば前夜乗り込みで早朝から出発し、初日から北穂高まで登った方が良いものだが、夜勤明けの自分のせいで、少し無理をする日程になってしまったのである。
テント場は満員で、岩のゴツゴツした上にテントは張ったので、背中が痛いし寒いしで、寝不足だというのにほとんど眠れない。
9月22日(火) 快晴
3時頃起きて4時頃には涸沢を出発する。
日の出にはまだ少し時間があるが、見回せばヘッドランプの灯りが、前穂北尾根、ザイテングラート、北穂高それぞれの方向に登っているようで、ぽつりぽつりと列をつくって動いて見える。
自分たちもその灯りのひとつとなって、黙々と北穂高への登山道を登っていくと、涸沢のテント場を見下ろせる所まできたところで日の出を迎えた。
穂高の山々を夕日が照らして真っ赤になり、綺麗なモルゲンロートとなった。
自分たちはテント装備で歩みが遅いので、あとから来る軽装の登山者にどんどんと先を越されてゆく。
まだかまだかと急登を上がって、7時半ころにやっとのことで北穂高小屋のテント場へたどり着いた。
「北穂高小屋の」テント場とは言ったものの、テント場は北穂高小屋からは徒歩10分くらい離れた場所にある。
そのためトイレひとつも大変でいちいち不便極まりないと思うが、まるで天空に浮いているかのようなテント場で、前穂北尾根を雄大に眺めながらご飯を食べたり、お酒を飲んだり出来る最高に贅沢なテント場である。
狭いテント場なのでそれほど多くのテントを張ることは出来ないが、時間はまだ朝の7時半ということで、1張り2張り(それも前日からのテントだろうか)テントが張ってあるのみである。
さっそく広そうなところを見つけてテントを設営するが、あまりに疲れたのでそのままへたりこんでしまった。
もう疲れたし、今日はここまでいいか。
という気持ちになるが、ここで帰ってしまってはここまで頑張ってきた意味がないということで、長い休憩をはさみ、登攀装備を取り出し、準備をして出発した。
テント場から奥穂高のほうへ少し歩くと、すぐに前方に大きな岩塊がみえて、それが滝谷ドームだとわかった。
ドーム中央稜ルートは、登山道からドームの裏側に回り込んで下り、そのままドームの上まで190m5ピッチを登るルートである。
それを遠目から観察するが「こんな恐ろし気なところをほんとうに登らねばならぬのか」というのが率直な第一印象である。
ドーム中央稜は日本のクライミングルートの中では、最も高高度にあるクライミングルートのひとつで、そのため天候に恵まれないことも多いそうだが、この日は絶好のコンディションであり言い訳することもできない。
ともかく取付きまでは行ってみようということで、ドームに向かって歩く。
奥穂高に向かって歩き、ドームを過ぎてすぐのところ、鎖があるあたりから登山道を右にそれてドーム側に下っていく。
急斜面である上に岩がもろもろで、下りるはいいが本当にこっちで合っているのだろうか?
変なところへ下りて引き返せなくなったらたいへんなことになるぞ、などと必要以上に不安な気持ちになりながら下っていく。
するとなんとか道は合っていたようで、懸垂下降用の支点ハンガーボルトが打ってあるポイントに到着。
W50mロープ1本折り返してギリギリ下りられる距離。
そこから少しトラバースして上がった右側に中央稜の取付きがあった。
写真で見ていたよりもずっと大きな壁の印象。
どうも滝谷ドームを見た時から、その迫力に押され気味なのでいけない。
昔じぶんが会に入ったばかりの時、クライミングもやっていない頃の話だが、才内元会長が「アルプスの壁はデカイから、呑まれたら負け。ビビったらあかん」みたいなことをおっしゃっていたのを思い出した。
「びびるなびびるな」と自分に言い聞かせ、登攀準備。
◆1ピッチ目
出だしは階段みたいになっていて簡単。
ちょっとしたクラックに小サイズのカムをはめて登る
どのピッチも錆びたハーケンが連打してあって、どれほどの衝撃に耐えられるものかわかったものではないが、それでもクリップすると前進する勇気が出てくる。
階段みたいなところから、身体が挟まるサイズのチムニーに入る。
膝が少し曲がるくらいのサイズでとても窮屈。
邪魔になって登れないだろうから、ザックをおろしてハーネスに吊るし、もがくようにチムニーの中をずり上がる。
そのままズリズリと上がっていくと、頭上に蓋をするように大きなチョックストーンがあり、それ以上上に行くにはチムニーの外に出て、カブり気味のチョックストーンを越えて上に出なければいけない。
チムニーも恐ろしいが、そこから外のフェイスに出るのも高度感があって怖く、ドキドキして躊躇する。(チムニーの最後はたいていそんな感じだが。。)
思わずクイックドローをつかみたい衝動にかられるものの、そこをグッと耐えて、カチホールドを使いトラバースしてチムニー外へ。
そこからチョックストーン上までは案外大きなホールドで、ドキドキしながらもあっさり登ることが出来た。
大きなチョックストーンの上に立ったところでピッチを切る。
恐いので喉がカラカラになる。
◆2ピッチ目
後ろからふたり組が来ている様で、我々は3人パーティーで時間がかかるので、先に登ってもらう。
夫婦で登っているお二人で、なんと宇治にお住まいとのこと。
こんな高い場所で、奇遇なこともあるものだ。
それぞれ兵庫と大阪の倶楽部に所属しているのだそうだ。
2ピッチ目を奥さんがリードで、すごくリラックスした様子でヒョイヒョイと登ってゆくので、それを見て「怖くないのだろうか」と思った。
二人が登って見えなくなった後、自分も登攀開始。
簡単なフェイスを右上して登ると、右のカンテ沿いにハーケンが至近距離で連打してあるところを登る。
登りきったあたり、最後はホールドが小さいスラブになっていて、はじめどう登るか思案したが、よく観察すると手も足もちゃんと小さなホールドがあり、ひょいと乗っこす。
のっこしたところで、ハーケンと1番のカムを使ってピッチを切る。
全ピッチの中で最も爽快なピッチと感じたが、後から登ってくるお二人は「こわいこわい」と言いながら上がってきた。
◆3ピッチ目
短い歩き。
ノービレイで4ピッチ目まで。
◆4ピッチ目
色々と登れそうなラインがあるので、ルートがどこかわかりにくい。
前のご夫婦はどこから登るか迷った結果、中央にまっすぐ走るクラックから登っていったが、途中で右のラインに移ってテラスに上がっていた。(その後支点を取らずにだいぶ左に歩いたところでピッチを切っていたので、フォローが支点なしで大きくトラバースすることになり、そのことで軽く夫婦喧嘩になっていた)
トポを見ると、本来のラインは恐らく左のチムニー状のところから上がるのが正解の様に思ったが、単純に壁を見た時に、自分にとっても夫婦が登ったクラックを登るのが、一番自然なラインだと思えた。
それというのも、1.カムで安全が確保出来そうなクラックがあることを目視で確認出来るから。2.真っ直ぐ走るクラックを登るこのラインが、最もスマートで単純に格好が良いと思ったから。である。
そこで、3人でクラックの基部まで移動して登攀開始。
登ってみると、岩が脆いのでこわごわしながらの登攀。
ご夫婦が途中で右に逃げたところで自分も逃げたくなったが、意地になって真っ直ぐのラインから登った。
全体にオポジションを多様しながら、足をガクガクさせながら登る。
大きなテラスに上がったところで、カム2つとピナクルでビレイ。
後から登ってきた比留間さんは「ここは簡単で楽しかった」とのことである。
自分はすごく怖かったが…
ともあれ、トポ通りに左の凹角を登ればこんな恐い思いをすることなく、もっと容易く登れるピッチなのだろう。
◆5ピッチ目
もう上が見えていて、ドームの頭はすぐそこといった雰囲気。
簡単な凹角を登って行って、最後のチョックストーンを右か左から越えるというルート。
右より左の方が難しいとトポにあり、せっかくなので左から。
ここでA0をすれば容易く上に出れそうだが、せっかくここまでフリーで通してきた意地があるので、慎重にホールドを探し、覚悟を決めたスメアリングでチョックストーンの上へ登る。
すると、ひょいっという感じでドームの頭に出た。
頭上にひろがる青空。安堵と感激に包まれる。
ピナクル2つでビレイし、登ってきた二人とかたい握手。
爽快感と開放感に包まれながらロープをしまい、テント場へ。
午後3時前ということもあって、ガスが上がってきている。
登山道からテント場まで戻り、北穂高山頂まで歩いて3人で記念撮影。
山頂からはドームがよく見える。
記念写真を撮影して下さったおばちゃんは、山頂から我々がさっき登っている様子を見ていたのだそうで「あんた、あんなとこ登って怖くないの」と尋ねられたので「すごい怖かった」と答えると「じゃあよしときゃいいのに」と言われた。確かにその通りなんだけど。
北穂高小屋で生ビールを飲んだが、お二人は寒いと言って飲まなかった。
自分もつい儀式の様に生ビールを飲んだものの、体温が下がってすっかり寒くなってしまった。
小屋のテラスは絶景で、明日行く大キレットがよく見渡せる。
売店のお姉さんにテントの受付をしてお金を払うと、突然「女性の方から伝言を頼まれています」と言われる。
「『小槍の上でダンスを踊る動画楽しみにしています』だそうです」とのことで、はじめ辻さんと二人、「??」とポカーンとしていたが、それが同時期に反対側から大キレットを縦走して、入れ違いですれ違った藤松さんからの伝言であることを理解し、辻さんと二人、顔を見合わせて大笑い。
伝言確かに受け取ったと藤松さんにメールすると、小屋のピンバッジを買い忘れたとのことで、買っておいて欲しいとのこと。
売店でピンバッジを頼むと、もう一種類しか残っていなくて、滝谷のピンバッジがたったひとつ売れ残っているのみだというので、それを購入。
しかし、後で聞いてみると滝谷のだったらいらない、とのことであった。
そこで、滝谷であれば、今登ってきたところなのだから、いかにもふさわしいではないか、ということで、これは自分がもらっておくことにした。
テント場に戻ってご飯を食べ、雲海に沈んでゆく真っ赤な夕日を見送ってから、眠る。
9月23日(水) 快晴
明るくなってから起きて支度。
比留間さんとは、残念ながらここでお別れなので、握手を交わす。
自分のわがままな計画に付き合って下さって本当にありがとうございます!
比留間さんと別れ、辻さんと共に北穂高小屋へ。
辻さんの靴はソールがベローンと剥がれているので(すでに出発時から)、小屋からボンドを借りて接着し、その上からテーピングを巻いてくっつけている。
その間に自分は売店でコーヒーを買って、大キレットを眺めながら飲む。
小屋のテラスでだいぶゆっくりしてからキレットへ。
キレットは久しぶりに歩いたが、ダイナミックな風景で、とっても素晴らしい景色を歩ける贅沢な縦走コースだと改めて感じた。
昔は大きな岩をよじ登って通過した、といったイメージの飛騨泣きだったが、実際に今日目の当たりにすると、一跨ぎといった印象の小岩である。
最低鞍部まで行くとこんどは南岳側の登りが目の前に立ち塞がり、「あれだけ登りかえさなければならないのか」と思って行く先を見たが、じっさいに歩き出すと一時間もせぬうちに南岳小屋へ着いてしまった。
しかしそこからは案外長い歩き。
ここを歩くのはGWに本田さんと来た時以来である。
その時のことを思い出しながら歩いて槍ヶ岳へ。
槍ヶ岳山荘のテント場では、先に長野さんにメールでお願いしていたとおり、先着した長野さんが居眠りして、テントの場所取りをしながら待ってくださっていた。
声をかけると一時間も前に着いていたそうで、走るように登ってきたとのことである
辻さんより先行して登ってきていたので、長野さんと山荘で缶ビールを2本飲み、戻ってくると辻さんも到着していた。
翌日に登る予定の小槍だが、翌日は天候が崩れて雷雨という予報らしく
今日中に登ってしまおう、と長野さんが言うので、協議の結果その日のうちに登ってしまうことにする。
とはいえずっと歩いてきたので辻さんも自分もヘトヘトである。
小一時間くらい居眠りしてから登攀準備。
居眠りで呼吸が浅くなったせいか、いまさら軽い高山病の気が出てきて、頭はガンガンするし、手と顔はむくんでパンパンになってしまうしで、ひどい体調。
なんだか、どうしてこんなになってまで小槍に登らなければならないのか、と思えてきたが、これで登れなかったら次は一年後になってしまうので仕方がない。
近いと思っていた小槍は案外離れていて、ひどいガレガレの岩屑を、トラバースしながら基部まで移動する。
はじめ遠目に小槍を見ると、ものすごい迫力で「うわーこれ登れんの?」という感じ。
だがこういうのはじっさいに行ってみないとわからないもので、基部まで移動して近くで見ると、足場も持つところもたくさんある。
基部の一番下から登ると途中でピッチを切らないといけなくなるので、ノービレイで登れるテラスまで3人で上がり、そこから登攀スタート。
小槍の登りは、5.6程度?のごく簡単な登りであるものの、岩が非常に脆く、どれもボロっと落ちてしまいそうで一歩一歩、たしかめながら非常に慎重に登った。
小槍の上で、ピナクルとカムでビレイ。
頂上に3人揃ったところで、長野さん撮影のもと、辻さんと2人でアルペン踊りを踊る。
当初の予定ではこの日に踊りを練習をして覚え、翌日に披露するはずだったのだが、急遽登攀となったため、踊りの振り付けが全くわからない。
仕方がないので適当な振り付けで踊ると、長野さんに「酷い出来だ」と言われた。
(踊りの様子は、編集が出来たら追ってWEB上でアップしようかと思います。)
踊りも踊り、これでいちおう例会の目的は達成できた。
しっかりしたボルトが打ってある下降点があったので、そこから基部まで懸垂下降。
このまま槍ヶ岳までマルチピッチで登頂する予定だったが、この時点で時間は4時前だったので、ここで打ち切って登攀終了。
小屋に戻ってふたたびビールで乾杯。
ご飯を食べて眠りについた。
頭がガンガンして遺体が、長野さんの体温が高いせいか、この日はグッスリとよく眠ることが出来た。
9月24日(木) 曇りのち大雨
最初晴れているようだったが、すぐに曇ってくる。
テントをしまってすぐ下山開始。
長野さんは毎度の様に、走ってトコトコ下山していく。
自分は足がけっこう疲れているので、はじめはゆっくり下山していたが、結局最後は長野さんについていきペースを上げる。
途中、滝谷を通りかかったところで、はるか上の稜線に海坊主の様な形の滝谷ドームが見えた。
自分は、ドームに(神さまに?)向かって、心のなかで「よくぞ」と礼を言った。
よくぞ、すべてがうまくいってくれたものだ。
休みの日程、メンバー、天気。
針の穴を通すような我儘な旅だったのに。
そしてその我儘に付き合い、リスクを共にして山に登って下さった辻さん、比留間さん、長野さん。
心の底から感謝である。
青い空と、岩と、笑顔と。
今年一番の思い出になる、快心の旅だったと思う。
人生の中の宝物になることだろう。
滝谷をあとにして、長野さんの後ろについてトコトコ歩くと、あっという間に奥飛騨温泉まで到着。
あれだけ時間とエネルギーをそそいで登ってきた槍穂の山々だったが、下山するとたったの3時間半である。
奥飛騨温泉に着いたころ、ちょうどぽつぽつと雨が降ってきて、我々が温泉に入り、ご飯を食べる頃には大雨となっていた。
昨日のうちに小槍に登っておいたのは、まったくもって大正解だったわけである。
【感想】53期 辻 博史
涸沢に泊まり、滝谷ドームに登攀し、北穂から槍ヶ岳まで縦走し、小槍に登攀する。
好天に恵まれ、内容の濃い4日間を過ごすことができました。
色々と思ったり、考えたりしたことが多く、毎回感想に悩みます。
はっきりしているのは、毎回クライミングをしているときは『恐ろしい。もう今回で最後』と思うのですが、登り切ってみると『また次行こう』と思ってしまう訳のわからない思いだけです。
とにかく全行程を計画通りこなせ、みんな無事に下山できてよかったです。
(特に小槍は予定を早めて登って正解でした。)
ご一緒いただいた皆様ありがとうございました。また、是非よろしくお願いします。
【感想】46期 長野浩三
小槍は高度感があった上に思ったよりも岩ばぼろぼろでリードのATさんは大変だったのではないだろうか。フォローとしては快適に登らせてもらいました。槍ヶ岳は標高差2000m,片道約14kmだったが,最近走っているので思ったよりもしんどくなかった。孫槍経由の大槍登攀が課題に残ったのでまたそのうち行きましょう。
【感想】57期 比留間
初めてアルプスでクライミングをしました。滝谷ドームは標高約3000mに位置し、アプローチは標高差約1500mと長く、2日目のアプローチで完全にバテてしまいメンバーにご迷惑をお掛けしてしまいました。20kgのザックと空気の薄さ、課題です・・・。クライミング自体は5Pオールフォローだったので、快適に楽しませて頂きましたが、岩からの露出感は凄くて、リードのATさんは相当怖かっただろうと思います。毎度ながらリードありがとうございます。来年に向けて、マルチピッチのリードとボッカトレの強化を課題に引き続き頑張ります。好天に恵まれた3日間は大変楽しかったです。ATさん、つじさんどうもありがとうございました。