京都比良山岳会のブログ

山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングからアルプス縦走までオールラウンドに楽しんでいます。

No.3677A 前穂高岳屏風岩東壁 雲稜ルート

2017年8月9日(水)夜 ~11(金)※12~13日は予備日

【メンバー】L A.T 会員2名

 

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【行程】

08月09日(水)夜

京都→平湯(仮眠)

08月10日(木)曇りのち小雨

平湯→あかんだな駐車場→上高地→10:20横尾山荘(テント設営・登攀準備など)→11:30横尾谷渡渉→12:151ルンゼ押出し→14:00T4テラス→15:30扇岩テラス(幕)

08月11日(金)曇りときどき晴れ

05:00扇岩テラス→08:40雲稜ルート終了点→09:40屏風の頭→12:30パノラマコースを経て涸沢小屋→14:40横尾(幕)

 

【記録と感想】51期 A.T

屏風岩というと、15年?くらい前はじめて訪れた北アルプスで、横尾谷から見上げたときがはじめて見た時だった。

その時にたまたま奥穂高山荘のテント場で知り合ったシミズさんという方と一緒に下山しているところで、シミズさんが屏風岩の方を指さし「昔あそこを登ったことがあるのだ」と言う。

当時、自分は岩登りもしていない時で、本当にあんなところを人間が登れるのかと、信じがたい気持ちで屏風岩を見上げたのだった。

また、その大岩壁に屏風岩という名前が付いていることも、その時に初めて教えてもらったのであった。

そういう第一印象がだったから、自分のなかで屏風岩というのは必要以上に大きな存在としてずっと心にあって

その気になればもっと早くに登ることも出来ただろうが、何故か「あれを登るのは、まだ先の話だ」という思い込みがあり、ずっと登らずいたのであった。

ところが今回、合宿が横尾になるというので、屏風岩を目の前に知らぬふりをする訳にもいかなくなった。

登るとなったらルートは前から決まっていて、定番の人気ルート「東稜雲稜ルート」を登ることにする。

 

つぎに相棒となるが、辻さんや比留間さんはご都合悪いとのことで断られたが、粟田さんに話をもちかけたところ、「ぜひ行こう!」と快く引き受けて下さった。

粟田さんというと、勇敢で力持ち。技術も高く、一緒に屏風岩を登るにはこれ以上頼もしいパートナーはいない。

 

雲稜ルートだが、大部分のパーティーは一日目に横尾泊、二日目に雲稜ルートを登り、終了点まで行ったらそのまま懸垂下降で降りてくるのが一般的である。

それなら横尾から日帰り装備で登れるので、荷物も軽く出来て効率が良い。

上まで抜けて屏風の頭まで行くとなると、もし何かトラブルで時間がかかった時に、途中で日没になる可能性が高い。

そのため、その場合は何らかの計画的ビバーク装備を背負って登る必要があるので、登攀はあまり楽しめなくなってしまう。

 

自分としては、登るからには絶対に上まで抜けて屏風の頭まで行きたい。

というのは、終了点まで登って懸垂下降で降りるのでは、なんだかフリークライミングゲレンデの様で釈然としないからである。

とはいえ、楽しく登るためにも、荷物は出来るだけ軽くしたい。

両立するか考えた結果、先に屏風の頭に登って荷物をデポすれば良い、という単純な結論になった。

この単純なプランがどうして多くの人に採用されていないのかというと、そんな面倒なことをわざわざする人があまりいないからである。

ともかく自分は、涸沢まではこれまで何度も足を運んだが、屏風のコルを経由するルートは一度も歩いたことが無かったのでそのあたりの興味もあり、山行の10日ほど前に1泊2日で屏風のコルまで歩いて荷物をデポしておくことになった。

そんな山行なので、当然一人で行くつもりをしていたが、辻博史さんがご一緒いただけることになった。

これは本当にありがたく、おかげさまで楽しい山旅となった。

このとき、屏風の頭まで歩いたり、今度は下から1ルンゼ押出しのアプローチを詰めて屏風岩基部まで歩いたりして、周辺の概念などもよく理解することが出来た。

屏風岩の周囲を上から下から歩いてみて、その大きさ、迫力には圧倒されるばかりである。

「いったいこんな大きな岩壁を登ろうなどと、はじめて思いついた人はどんな人物なのだろうか」と思って調べてみると、はじめて屏風岩を登ったのは石岡繁雄という人物で、このときの様子を綴った「屏風岩登攀記」という本がある。廃刊なので古本をアマゾンで注文して読んでみたところ、これが本当にすばらしい本で、たいへん感銘をうけた。

後日、考えてみればせっかく荷物を上げたので、そのまま北尾根まで継続して前穂高の山頂に抜けることも出来るな、と思いつき、そのまま北尾根継続で北穂高に登る計画をたてた。

ところが、日が近づくにつれて急に週間天気予報が悪化。

本来11日横尾泊・12日登攀考えていたものを、日程を一日早めて、11日のうちに上高地から歩いて、その足でそのまま登攀するという予定に変更することになった。

そのために、せっかく荷物をデポして来たにも関わらず、結局は野営装備を担いで登らなくてはならないことになってしまった。

ツエルトは屏風のコルにデポしてしまったので、慌ててツエルトをかして下さる方を探したところ、丸山先生が快くかして下さった。

 

8月9日(水)夜

京都を夜中に出発。

だいぶ遅い時間なので、お互いに居眠りしながらと思ったが、いざ目をつむってもあまり眠ることが出来ず。

平湯で仮眠。

8月10日(木)晴れ

平湯からあかんだな駐車場へ。

あかんだなからいつものようにバスに乗って上高地へ移動。

すごい寝不足なので、バスの中もうつらうつら居眠り。

上高地に着くと、早歩きで横尾まで急ぐ。

ともかく天気が良いうちに登ってしまいたいので、徳沢でご飯を食べた以外は、休まず早歩きで動いた。

徳沢に着くと、手早くテントを張って、あらかじめ分けておいた登攀具とツエルト・シュラフなどをザックに入れて出発。

横尾からのアプローチは調べてあるので、迷うことなく取り付きへ向かう。

冷たすぎて悶絶する渡渉をして、1ルンゼ押出しを詰めてT4尾根基部まで到着。

一休みしたあと、すぐに登攀準備。

T4尾根の出だしは、下から見ると支点がよくわからなかったが、登ってみるとハーケンやボルトなどがあってルートがわかりやすい。

登攀は特別難しいことはなく、天気が崩れる前にと、とにかく急いで登る。

2ピッチほど登ると、あとは歩いて登れるようなところが続き、T4テラスに到着。

T4テラスには、ストックとヒモが残置してある。ツエルトを張るために、公共物として誰かが置いていったものだろうか。

上を見ると、3ピッチ目の人口登攀のピッチあたりに先行して登っているクライマーの姿が小さく見える。

上高地からここまでほとんど休まず来ているので、さすがにくたびれ、少し長めに休む。

このテラスから上がいよいよ雲稜ルートのスタート。

水などを飲んで、登攀を再開する。

粟田さんがどうぞと言うので、1ピッチ目をリードさせてもらう。

 

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顕著な凹角をステミングで高度を上げる。

最後の乗越しは、落ちるかもしれないと怖かったので、迷う前にさっさとA0で乗り越す。

今回このルートは、3ピッチ目でどのみち人口登攀が入るので、フリーで登ろうというこだわりは全くなくて、その点プレッシャーがなく気楽だ。

凹角を登り切ったところの終了点らしきところでピッチを切る。

2ピッチ目、1ピッチ目を切ったテラスは偽だった様で、少し上がったところにもっとちゃんとした終了点があった。

ちょっと前でピッチを切ったせいで2ピッチ目を登る粟田さんがすぐに見えなくなってあまり良いピッチの切り方ではなかったと反省。

粟田さんの姿は見えないが、澱むことなくスルスルとロープが伸びてゆく。

いつもながら恐怖とか迷いがないのがすごい。

自分だったら簡単なところであっても恐る恐る登るし、本当に大丈夫かと迷いながら登るのですごく時間がかかるところだが、粟田さんは一切迷わない。

自分がミスしない限り、今回の登攀は間違いなく成功しそうである。

あっという間にビレイ解除のコール。

2ピッチ目をフォローで登るが、はじめの方で上の遠いところにホールドがあり、そこまで上がるには飛ばないといけない。

背後はすごい高度感。ここは迷わずA0で通過する。そのまま右上してピナクルから左上し、扇岩テラスへ。

粟田さんに出だしのところはどうやって通過したのか尋ねると、飛んでホールドを取りに行ったという。

飛んで取ること自体は難しくないが、支点も良くない、背後は落ちれば遥か下まで、のあの状況で躊躇することなく飛んでしまえるのは本当にすごい度胸です。

扇岩に着いてもまだ昼過ぎくらい。スピード重視のクライミングで想像以上に早い時間に着いてしまった。

早く登らなければ!という思いで急いで来たが、こんなことならもっと大事に味わって登攀すればよかったかもしれない。

扇岩テラスは2畳も無い、1.5畳分くらいの広さで狭い。

時間もまだ早いので上まで登ってもちょうど良かったくらいだが、万が一登攀の途中で日没になると困るため、やはりここは大事を取って扇岩泊とする。

ここで丸山さんにお借りしたツエルトを張るが、普通に貼ると狭くて居心地が悪いので、ツエルトをひろげてタープの様に上に張り、下にマットをしいて寝ることにする。

ひととおり寝る準備が出来たがまだ昼過ぎ。

扇岩で一杯やりましょう!と言って持ってきたウイスキーを取り出そうとすると、ザックを探しても無い。

どうやら横尾のテントに置いてきてしまったらしい。

扇岩で腰かけて、下の景色を眺めながらウイスキーを、と頭に思い描いていたのでこれには大変ガッカリし、ひどく寂しい気持ちになった。(粟田さんからもだいぶ非難された)

しばらく休んでいると上からさきほど登っていたパーティーが懸垂下降で降りてきた。

ここで落石されるとけっこう危ない。今回は無事だったが、扇岩テラスで寝るのはいつ落石があるとも限らないので、けっこう危険かもしれない。

元々寝不足のところに強行軍だったので、少し座っているとウトウトしてきて、そのうち居眠りをした。

しばらくして目が覚めると、あたりはガスが上がってきて、そのあと暗くなると小雨になった。

横になっているとトイレに行きたくなったが、場所が場所なので用を足すのが非常に困難である。

ズボンを下ろすのにはもちろんハーネスを外さないといけないので、ビレイを取ることが出来ない。

しかし用は足さなければいけない。

考えた末、持ってきていたチェストハーネスを装着し、スリングでセルフビレイを取りながら用を足すが、実に生きた心地がしない。

その後横になってウトウト眠ったり目が覚めたり。

やがて夜になるとガスも晴れて、月が綺麗に輝いたり雲に隠れたりしているのを横になりながらぼんやり眺める。

時々遠くの方で雷がピカッと光ったり、1ルンゼの方から落石が落ちるガラガラという大きな音が聞こえたり、そうこうしているうちにまたウトウトして眠ったりして時間が過ぎたのであった。

こんなところでまともに眠れるのかと思っていたが、案外よく眠ることが出来た。

 

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8月11日(金)晴れのち曇り

寝たり起きたりなので、なんだか昨日の続きの様な日。

日の出前からツエルトを撤収して登攀の準備。

3ピッチ目を登り始めてなかばくらいで壁が朝日で照らされて明るくなった。

3ピッチ目をフリーで登る強者もいるらしいが、壁の様子を見て即刻無理と判断しアブミで登る。

アブミ用の支点は、下から見る範囲では新しいものに打ち変えられている様だったので、これは楽勝かと思っていたが、上の方はけっきょく古い支点になっていて、最後はドキドキしながら登る。

4ピッチ目は粟田さんにリードを交代。

脆い壁を直上し、ハングにあたったところで右にトラバース。

ここもリードは結構怖いセクションだが、粟田さんはどんどん進んでいった。

トラバースした先のルンゼ状でピッチを切る。

5ピッチ目・6ピッチ目はジメジメと濡れたスラブ。

これをまともにフリークライミングにこだわって登れば怖い思いをするところだが、支点は豊富でA0まじえて登るので、たいして時間はかからない。

6ピッチが終わるとその先7ピッチ目はところどころ草付きの階段状に思えたが、いざ登ると支点もあまり取れず草と泥は滑るし、だいたい6ピッチで終わっている人が多いためか岩も脆く、ここまで来てけっこう怖い思いをさせられる。

7ピッチ目が終わり、最後は左側に見える踏み後の様なところを登るが、ここもドロドロ、岩モロモロで危険。

念の為確保して登る。

そこを登りきったところでようやく、これは明らかに終わったという雰囲気になり、ロープを解く。

終了点には広めのテント場があり、解っていれば昨日のうちにここまで登ってきたのにと思ったが、扇岩で一晩を過ごすこともなかなか貴重な経験なので良しとしたい。

途中一泊して、ついに登ってきた、と粟田さんとがっちりと握手を交わした。

その先は1時間の藪漕ぎ。

藪漕ぎといっても、足元は踏み後になっているのでそれほど厳しいものではないし、迷うような要素もない。

藪についた水滴が服について、服がびしょぬれになってしまうが構わず歩く。

1時間くらい歩いて、ついに屏風の頭に出た。

空は雲ってはいるがところどころ青空も見えて爽快。

また粟田さんと固い握手を交わす。

ここまで登ってこられて、感激した。

一緒に登って下さった粟田さん、荷物をデポするための登山に付き合ってくださった辻さんには、本当に感謝である。

穂高の山々はぜんぶ上の方だけ雲で隠れていて、眼下の涸沢小屋とテント村の部分だけが晴れて日が差している。

 

屏風の耳でまた一休みして、このあとはデポした荷物を回収して5・6のコルまで行く計画だったが、粟田さんが「疲れたからのでやめよう」と言う。

そう言われると自分としても疲れていない訳はない。

明日の天気も悪い予報だし、そこだけ日が差し込んでいる鮮やかな色とりどりのテント村を見ていると、自分もすっかりこれ以上登る気が無くなり、下山する算段となった。

 

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屏風のコルにデポしてあった荷物は無事に手つかずで置いてあったが、その全てがお荷物となってしまった。(水などは持ち切れず、買った水をわざわざ捨てることになってしまい大変遺憾であった。)

涸沢までの水平道の雪渓は、以前に辻さんと来た時はアイゼンが必要だったが、わずか10日間でほとんど溶けていて、アイゼンや確保もなしで歩いて渡ることができた。

その後涸沢小屋でコーヒーを入れ、カレーを食べて大休止のあとにまた下山。

横尾谷を歩いていて、屏風岩東壁がよく見えるところに出たので、腰かけて東壁を見上げ、登ってきたルートを眺めていた。

すると通りかかった年配の登山者の方が声をかけて下さり「屏風岩に登ったんですか。私も若いころに登った。怖かった。」という話をしてくださった。

岩に登ることに限らず、山登りをすると、あとからそれを見上げたときに、「ああ、おれはあの時、あそこに登ったな。」ということが、思い出と一緒に蘇ってくる。

山とかルートに登ると、そういう思い出の記念碑みたいなものが、またひとつ増えた様な気持ちになる。

これからも、何度も通り過ぎるだろう横尾谷、またこの壁を見上げて「あの時」という風に思い返せることは、とても幸せなことだと思う。

 

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【感想】54期 粟田 直和

5〜6年前に涸沢行った時にふと見上げた屏風岩、荒々しいその姿だけはずっと頭に残ってました。クライミングを始めて丸4年半、ついに屏風のお誘いがかかりました。なんでも雲稜ルートを登り屏風の頭まで抜けるとの事、僕も以前から同じ事を考えてたんで二つ返事でOK。

情報見てみると、渡渉あり「なんとかなるやろ」ビバークあり「始めてやわ」A1あり「問題なし」てな感じで日が迫る。事前準備でリーダーと辻さんが屏風のコルに非常食をデポしに行くとの事「ありがたや」と感謝する。前日くらいにリーダーA.Tさんから「とても熱い文章がありますよ」と戦中戦後に屏風岩を登攀された石岡さんという方の記録を見せていただいた。草鞋、投げ縄と今では考えられない装備、方法で登攀されており歴史の深さに感慨深くなりつつ当日を迎える。

野崎さんからヌンチャクを預かってるんでこれをてっぺんに掛けますとリーダーから聞きさらに胸が熱くなる。

午前中に横尾着、リーダーから本日中に扇岩テラス着が目標との御達しがあったのでテントをチャッチャと張り渡渉に向かうがこれが核心でした。「流れ早いし水量多いし下ツルツル!」入ると冷たい通り越して痛い!「コケたらスマホ壊れるっ」こればかり考えながら必死で渡りきりホッと一息。ガレ沢を詰めてT4取り付き着。ここから屏風岩を見上げると「デカイ‼︎」の一言。さっさと準備してクライムオン!T4尾根をチャッチャと登り雲稜ルート取り付き着。諸先輩方登らせていただきますと挨拶し扇岩を目指す。15:30に扇岩着。大人2人が横になって丁度くらいの広さのテラスで初ビバーク。なんでもツェルトは丸山さんからの借用品との事「丸山さん有難うございます」と思いながら準備する。「夜明けまで12時間以上か、退屈やなー」と思いましたがリーダーが酒を持って行くと聞いていたのでそれを楽しみにしていたが「すみません忘れました」とな。「なんやと 」しょうがなくオッサン2人横になり寝る事にする。小雨とルンゼの崩落音で何度か目を覚ましながら翌朝4:30頃起床、準備して登攀の続き。その後特に問題なく雲稜ルートを遂に登り切った!嬉しい‼︎リーダーと握手を交わし小休止、屏風の頭を目指すがここから1時間の藪漕ぎとの事。「ひーっ」、ヘタヘタになった頃に頭に到着!「屏風岩を完全に登りきった!」またも握手を交わし感動に浸る。涸沢を見下ろす景色が美しい。予定ではここから5.6のコル〜前穂高まで行く筈でしたが藪漕ぎで疲れ果ててもう歩けん!「絶対ムリです」と宣言し涸沢〜横尾行きに変更して頂く。屏風のコルにデポ品の回収に向かうがこの時点で水も食料も有り余っていた。「辻さん、すみません」と言いながらドボドボ水を放す。その後涸沢で「辻さん、有難う」と言いながらデポ品のカレーとコーヒーを頂く。途中岩屋跡から見上げた屏風岩は何だかわかりませんが荒々しさが抜けたように見えました。帰りの車中で「野崎さんのヌンチャクどーしたんですか?」と聞いたら「掛け忘れました」と聞きやっぱりなと思いました。

A.Tリーダーとの珍道中ばりの登攀、とても楽しゅうございました、有難うございました。またよろしくお願いします。

 

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