大阪府と和歌山県にまたがる金剛山地の主峰、金剛山に登る例会を行った。金剛山麓の街の住人である奥野さんはリーダーに最適任。期待した霧氷は暖かくて何もなく、最大20センチほどの積雪が迎えてくれた。
写真: 金剛山、湧出岳(展望台より)
[例会No.3085] 耐寒登山・金剛山 《関西百名山シリーズNo.50》
48期 山本浩史
大阪府と和歌山県にまたがる金剛山地の主峰、金剛山に登る例会を行った。金剛山麓の街の住人である奥野さんはリーダーに最適任。期待した霧氷は暖かくて何もなく、最大20センチほどの積雪が迎えてくれた。
【参加者】 奥野淳子L、山本夏雄、中尾論、辻野喜信、葛城美知子、井上純子、辻春見、藤堂尚久、山本浩史TC 計9名
【行 程】 京都6:30-(JR・近鉄)-8:14富田林8:20=8:43葛城登山口9:00~10:33太尾塞跡~11:03大日岳11:14~11:24転法輪寺~11:35金剛山(葛木岳)~11:52湧出岳11:57~12:10展望台12:50~伏見峠13:11~13:34久留野峠13:39~13:50中葛城山14:01~14:17高谷山14:19~14:47千早峠14:50~15:23東條山15:25~16:31小深16:45=17:10河内長野17:14-(南海・JR)-18:12大阪20:00-20:29京都
【登山データ】 天候:晴れ時々曇り 歩行15.2㎞ 7時間31分 延登高 1,214m 延下降 1,249m 6座登頂
当初11名の参加者だったが、2人が脱落し、9人での例会となった。快速網干行にそれぞれの最寄駅から乗車し、最終的に富田林で全員が揃った。水越峠行の金剛バスは既に超満員、無理やり乗り込んで葛城登山口へと降り立った。下車客の大半はバス停の名の如く北の葛城山へと登って行った。南にある金剛山へはそのまま国道309号線を進む。すぐに金剛トンネンルとなるので、此れを避けるように山を越える旧道へと分岐し石筆橋からは更に林道に入る。そして注意深くルートファインディングをしていた奥野リーダーは太尾道に入る表示を見つけ折り返すようにして左に折れた。この表示が何んとバケツを裏返して木に被せたものでこんなのは初めて見た。
太尾道は急登続きで735m標高点の脇に到る。水越峠BSからの道が合流する。この辺りから残雪が登山道に現れ、やがて連続して雪道となる。踏み固まりビッシリ凍りつき雪を避けて歩いていたが、スリップする人が出て来たので「転ばぬ先のアイゼン」と一斉に装着した。アイゼンを履くとアイスバーンも何のその気持ちの良い雪道歩きとなった。少し進むとロープの張られた一際急な斜面となり、此処はアイゼンなしではとても歩ける処ではない。アイゼンを付けたのはグッドタイミングだった。
急登が和らぐと府県境尾根に達し“ガンドカコバルート”と合流、標識には「太尾塞跡」とあった。「ふとお」と読むのか「たお」と読むのか分からず仕舞いながら、名前からしてこの辺りに砦があったと云うことであろう。地形を具に見ると均したような平地が見受けられた。中尾の背、石ブテ道が合流する六道の辻を過ぎて最初のピーク大日岳(1,094m)に到着した。雪の山頂からは、大峰山脈の山上ヶ岳、大普賢岳、稲村ヶ岳、北側では大阪平野越しに六甲山系を一望することができた。
少し下って青崩道(あおげみち)と合流すると転法輪寺の境内に達する。真言宗醍醐派大本山のお寺で修験道が生きている。この寺の若き住職葛城光龍氏が平成17年から廃仏毀釈依頼廃れていた修験道の復活を夢見て司講を結成し、毎月第3日曜日に金剛山内での修行に加え、葛城山脈に点在する葛城二十八経塚を巡る修行もしておられる。葛城神社の方から法螺貝の「ブオー」と云う音、10人程の白装束の一行が「六根清浄」と先達の指導の下に唱和しながら下りて来た。階段を降り切ったところにある行場?で先達を前に他の人は後ろに居流れ再び法螺貝の合奏と声明、後から考えると今日は正しく第3日曜日、この先達こそが葛城光龍住職ではなかろうか?
葛木神社は金剛山主峰である葛木岳(1,125m)の山頂直下にあり真のピークは社殿の裏手にあり過去2回盗人登頂をしているが今日は神職の方が雪掻きをしていて柵を越えて行くのも憚られピークへの登頂は諦め、社殿前の「金剛山頂2011年2月20日」の看板で我慢した。葛木岳は嘗て高天山(たかまやま)とも呼ばれていたらしく、この辺りの地名は奈良県御所市大字高天である。因みに「金剛山」は転法輪寺の山号から来ている。金剛葛城山地は稜線が府県境となっているが金剛山山頂域だけは稜線を越えて奈良県が大きく入り込んでいる。聖地の一部が大阪府になることを嫌ったのだろうか?
葛木神社は第10代崇神天皇の御代に創始とあるが、2000年前の崇神天皇は実在が疑問視されている天皇なので本当の創始年は不明である。葛木一言主大神が主祭神で、神社の近くには、第21代「雄略天皇御狩の跡」の立札のある祠がある。天皇がこの山で御狩をされ猪を蹴り殺した。その時葛木一言主大神が現れ「善きことも一言、悪しきことも一言、只一言のたまえば叶う神、一言主である」と言われたと古事記・日本書紀に記されている。
葛木岳を後にして一ノ鳥居の先で分岐する林道に入り電波塔のある湧出岳(1,112m)に向かう。1等三角点「金剛山」があるが展望はない。巨大な電波塔の傍らには第21経塚があり、修験道の行場の一つで先程の山伏一行も訪れたのだろう。経塚と電波塔の間を南東に向かって下る。やがてダイヤモンドトレイルに復帰し展望台に達した。12時を少し過ぎ昼食休憩とした。ちはや園地内の北端にありロープウェイでやってきた親子連れが多い。子供たちは持参の艝で遊び楽しそう。
昼食後は、展望台に上がってミッションの山座同定を行う。高野山奥の伯母子岳と大峰山脈の大普賢岳同定が今日のミッション1と2で、伯母子岳は特段の特徴がない山で20万図から読み取るのは難しい。鉄製の展望台の影響か現地であれだと特定した山より実際は少し西の山が伯母子岳だった。大普賢岳の方は概ね合っていた。この他にも台高山脈も一望でき中でも高見山は一際素晴らしかった。
伏見峠(標高980m)ではミッション3「久留野峠までの所要時間を予測」を行う。距離は1.3㎞、稜線歩きだが途中1,022mの標高点があり、若干のアップダウンが続き久留野峠は890mと云う条件を2.5万図から読み取り15分から28分の予想が出た。結果は所用時間23分で、24分を予想した葛城さんと22分予想の山本TCが最も近い時間だった。登り返すと中葛城山で山頂に近づくと登山道は90°右に曲がる。この山の三角点は左に飛び出した尾根上にある。時間が押しているのでTCだけがこれを確認に行った。雪から顔を出した3等三角点「北山」を発見、微かな踏み跡が続いていた。山頂稜線は府県境尾根となっていて大阪側が植林帯だが、奈良側は開けて展望が利く。最高所に「中葛城山937m」と山頂標識があったがこの標高は間違い、これは北山三角点の標高だ。推定955mはある。雪が少なくなり邪魔になったアイゼンを外す。
稜線の西側でもっと展望の良い処があり、長峰山脈、紀伊山地の山々が一望することができる。緩やかな稜線歩きで高谷山(935m)に達する。樹林帯で展望はない。150mの標高差を下り千早峠へと下る。此処まで歩いて来た大阪奈良の府県境尾根はダイヤモンドトレイルとして屯鶴峯(どんづるぼう)から槙尾山までの45㎞が整備されている。その“ダイトレ”を離れ高谷山西の斜面をトラバースするように進む。そしてカラ尾に続く鞍部を乗越し、池ノ川谷林道を横断し東條山(880m)に登る。130m程の登り返しになるので後半戦で一寸きつい。山頂展望はなく手書きのプレートが掲げられていた。
東條山から大住谷を下るが谷筋に入るまでは踏み跡薄く、無名の分岐もありルートファインディングを楽しませてくれる。尾根の鞍部から谷に下る道を見つけ長い大住谷を下る。やがて林道になり唯一の目印の送電線をくぐると金剛山ロープウェイの千早駅に到る府道705号線は近い。予定より25分遅れて小深バス停に到着した。
《山紀行731》
【感想】 36期 辻野喜信
雪の時期に金剛山に登るのは初めてです。途中から踏みしめられた雪が凍って、アイゼンの爪を利かせて登り、久しぶりの感触を楽しみました。人気の山だけあって多くの人が登っていましたが、久留野峠まで来ると人は少なくなりました。ここから千早峠までは左右に尾根が出ていて、読図には良い所でした。京都からは随分遠い山ですが、充分に楽しく歩けました。奥野CL、山本TCありがとうございました。
【感想】 48期 井上 純子
霧氷で有名な金剛山に惹かれて、今回の企画に相乗りさせていただきましたが、残念!1週間前なら見られたとのことですが、それもそのはず。頂上付近の温度計は8度を指していました。一方、遠く見渡せた大峰の峰々は白く、厳しい冬山の姿を見せてくれていたのが印象的でした。
【感想】 53期 辻 春見
今回のルートは、縦走であったため、自分にとっては少し距離のある山行でした。また、残雪も以前の愛宕山の雪とはうってかわり氷のような雪でした。しかし、お陰様で全行程歩かせて頂き、途中途中では壮大な景色を堪能できたため、また、今回も個人で行く山行とは違い、味わい深い山行でした。ありがとうございました。毎回自分には小さな課題があって、笑われるかもしれませんが、今回は「歩き方」でした。諸先輩と比べると、やはり指摘を受けている通り足裏全体で歩いてない。だからアイスバーンのようなところでも、他の方々はスイスイ歩かれるのに、へっぴり腰になっている。色々な素晴らしい山にご一緒させていただくには、まず皆さんに当たり前について行けるよう心掛けたいと思っています。
【リーダー感想】 50期 奥野 淳子
金剛山の麓に暮らして四半世紀。お蔭様で関西百名山のリーダー役を仰せつかりました。五日早過ぎた雪は融けかけて氷となり何度も滑りましたが、始めから終りまで先頭を歩かせて頂き、良い経験になりました。京都の皆さんには馴染みの薄い山と思いますが、四季折々の表情をまた見に来てください。
写真: 大日岳山頂にて