平成25年12月7日(土)
平成25年締め括りの関西百名山シリーズは明石大橋を渡り淡路島の最高峰、論鶴羽山(608m)に行った。古来信仰の山として栄えたこの山は一丁ごとに丁石が残る。海岸線からの表参道と対を成す裏参道を論鶴羽ダムから登った。
写真1: 論鶴羽山(608m)山頂にて
【メンバー】 山本浩史L(車)、西田和美、葛城美知子、井上純子、井戸洋介、土井司(車)、久代まゆみ、岡野裕美(非会員) 計8名
【行 程】 48期 山本浩史
京都6:53=(名神・阪神・神戸淡路道)=洲本IC=9:16諭鶴羽ダム9:24~9:44神倉神社~10:10十八丁分岐~10:58諭鶴羽山11:33~12:00諭鶴羽神社12:13~13:03十八丁分岐~13:29諭鶴羽ダム13:34=13:40さんゆー館14:45=洲本IC=(神戸淡路道・阪神・名神)=18:33京都
【山データ】 晴れ 歩行距離8.4㎞ 4時間05分延登高 510m 延下降 510m 1座登頂
12月最初の週末、名残の紅葉が山端を染めている。快晴の下名神高速道路から阪神高速を経て明石海峡を渡った。論鶴羽山は南あわじ市、淡路島の南海岸部にある。洲本ICを下り登山口の論鶴羽ダムに達した。ダムの傍らの駐車場は既にほぼ満車で辛うじて止めることができた。論鶴羽ダムの堰堤を渡るとダムサイドの切り立った斜面にコンクリートの階段がある。これが論鶴羽古道の裏参道入口で急登が始まる。ダムの傍らには“曾我十郎の担い石”と伝わる大岩が2つ置かれている。案内板には仇討の大願成就を願って論鶴羽神社に日参し満願の日、「境内の2つの覆いまわ担って山が下りられるか試されよ」とのお告げに従い持ち下ったとされる岩で、曾我十郎祐成は仇の工藤祐経を富士の裾野で討ったという平安時代末期の人。
コンクリートの階段から始まる登山道は岩混じりで急、今日体験参加の岡野さんは初登山で新品の登山靴で歩き始めた。今日のミッションは「丁石の位置を地図に記入する」で最初の丁石は1丁≒109m登毎にある筈だが一部は失われているようだ。稜線に乗り上がる前に最初の丁石“廿七丁”の石仏を発見した。樹林帯の中で地図への書き込みはなかなか困難だが稜線までのほぼ半分の一ではないかと記入した。
稜線に乗り上がると牛内ダムへの道が分岐する。誰かが「内」の字に悪戯し「肉」にしてしまい「牛内」が「牛肉」に化けてしまったのには笑える! 論鶴羽山への裏参道を進むがどうも地図と違う山と渓谷社の登山ガイド地図には裏参道は牛内ダムの上流の谷筋を行くことになっているが稜線道が続き谷筋にある筈の神倉神社(かんのくらじんじゃ)が現れた。どうも地図が誤っているようだ。
神社の案内板には創建は神代、伊弉諾命、伊耶那美命が乗った敦賀此処の大樹に羽を休めたとされる場所で地元住人の神倉講が管理をして来たが高齢化で平成6年に解散し論鶴羽神社の管理に移ったとあった。稜線道が続き、廿二丁石仏が現れると、地図の誤りは決定的で2.5万図への記入は困難を極める。論鶴羽ダムに流れ込む大きな谷を巻きこむように張り出す尾根の先端に顕著な分岐点がある。指導標は論鶴羽山と論鶴羽ダムの方向のみを示し裏参道をそのまま進んだ。やはり稜線道は続く、十五丁目から丁石は連続して確認でき九丁まで来たがその後は全く見ることはなかった。ミッション2は「P572の特定する」で山頂域の西端にある標高点だが2.5万図の点線道を外れ巻道になっている。左手を見上げあの辺りかと想像するが稜線に乗り上がり前方に電波塔が現れ振り返るとP572らしき膨らみが確認できた。
論鶴羽山(608m)山頂は1等三角点「論鶴羽山」があり展望良く大鳴門橋や淡路島の山々、紀伊水道の海を見ることができる。論鶴羽神社の御旅所になっており、神輿を乗せる台座がある。山頂は風が通り寒いので東側の風邪の防げるところで昼食を取った。昼食後はミッション3:「兜布丸山(かぶとやま・525m)を山座同定」を行う。樹林が邪魔するので神輿の台座に乗り北北西にコンパスを合わせるとP535に隠れるように左肩に顔を見せる兜布丸山を同定することができた。
論鶴羽神社の奥之院篠山神社に立寄ると石の祠がガラス扉のある覆堂の中にあり工事中の寺院や中尊寺の金色堂のようだった。石仏の並ぶ曲がり角を右に折れると山ぼうしの広場で平和祈念塔がある。振り返ると論鶴羽山が望める。論鶴羽神社は伊弉諾尊を主神とし、その御子速玉之男命、事解之男命を祀る。縁起によると2000年前開化天皇の御代、イザナギ、イザナミの夫婦神が鶴の羽根に乗って遊ぶのを狩人が羽を射た。後を追うと山頂のカヤの大樹の梢で『われはイザナギ、イザナミである。国家安全・五穀豊饒成就を守るため、この山に留るなり、これよりは諭鶴羽権現と号す』と唱えた。狩人は、涙を流し前非を悔い、その罪を謝し一社を建て庄司太夫と号し一生神に仕えたという。
灘に下る車道を暫く進み裏参道の稜線の北側を巻く道に入る。2.5万図通り進むが古道のような整備は行われず、指導標は一切ない。石ころがゴロゴロし歩き易くはないがアップダウンもなくハイキング離れしてバリエーション気分を味わえる。予想通り登るときに見つけた顕著な分岐が正にこの道の入り口だった。此処からは登りに歩いた道を辿り論鶴羽ダムに帰着した。
今日の立ち寄り湯は“さんゆー館、国道へ出るまでにある。露天風呂が二つあるゆったりした施設だ。入浴料600円、途中明石大橋の袂、淡路SAで休憩し流れ解散となった。
【感 想】 40期 西田 和美
論鶴羽山を訪れるのは二度目、正体を確かめたい植物があり参加しました。前回アカガシの林床にオモトと思われる植物が生えているのを見つけ、その話を自然保護委員の一人にしたところ、「オモトであるはずがない。」と言われました。では、いったい何なのか?果たしてその植物はアカガシの林床に以前と同じように濃い緑の葉を広げていました。今度は紅い実を付けて…そう、やはりオモトだったのです!証拠に葉と実を採集し持ち帰りました。
【感 想】 48期 井上 純子
今回は歴史ロマンに浸った山行だった。
古事記、日本書紀によれば、イザナギノミコトとイザナミノミコトが最初に造った島が淡路島らしいが、天の浮橋から見た沼島(「ぬしま」と読むと、あとから知った)が印象的だった。内海の穏やかな風景には癒し効果がある!と感じた一日だった。
【感 想】 56期 土井 司
足を着けたのは人生で2度目の淡路島。そんな淡路島の最高峰へ登頂と聞き、またとないチャンスと参加させていただきました。当初の予報では雨模様でしたが、晴天へと変わり気温もそんなに寒くなく気持ちよい山道歩きでした。しかし山頂は風があり冷たく、”やっぱり冬は淡路島も寒いんだ”と当たり前のことを感じさせられました。山頂からの展望は素晴らしく、東西南の三方海が見渡せ普段の山とはちょっと違った景色です。
諭鶴羽山はイザナギとイザナミが鶴で降り立った場所との言い伝えがあるようで、”さすがは日本で最初につくられた淡路島ならではの山”と納得させられます。諭鶴羽神社もあたりの人口の割には立派な神殿や社務所があり、信仰心のあつさが感じられます。諭鶴羽神社の眼下には沼島(ぬしま)が見渡せ、帰ってから知ったのですが、この島はハモ料理が有名で京都のハモは沼島産が多いとのことです。ぜひ食しに渡ってみたいものです。普段の行いの良い皆さんのおかげで、天気もよく楽しい山行になりました。是非次回もご一緒させていただきますようお願いします。
【感 想】 56期 久代 まゆみ
比良山岳会見学の集会の二次会で山本さんに伺った論鶴羽山。関西百名山巡りされているとの事、先輩方に混じって、初めて参加させて頂きました。ご一緒するのは初めての方ばかりなので緊張する中、まだ紅葉も見ごろで天気もよく、楽しい山行でした。ミッション付というのも初めてだし、読図はできないし、なんか散々ご迷惑お掛けしたと思いますが、経験豊富な皆様とご一緒できて感謝しています。
軽登山+温泉というので気軽に参加させていただきましたが、いきなり急登等々なかなか歩いて、やっぱりですねと変に納得? 入会したばかりの私にこんな機会を与えて頂き、ありがとうございました。
【感 想】 (非会員) 岡野 裕美
初めて参加させて頂きました。天候に恵まれ心地よい汗をかき、論鶴羽山から望む沼島(後で知りましたが沼島には小中学校があるんですね)はとても良かったです。日頃の運動不足と不慣れから、翌日は身体が軋みました・・・。また、ご一緒させて頂き、少しずつ慣れていければと思っております。ありがとうございました。
写真2: 論鶴羽山 (山ぼうしの広場より)
写真3: 論鶴羽神社本殿